第116話 決着
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魔物は竜人と爪を合わせながら悔恨に胸を焼く。
彼はけして竜の肉を喰らわなかった。
己が竜より強いことを証明せんとするのに竜の力を用いては意味がない。
だというのに、本能は勝利と生存を指向して最適な命の種別を選択し続ける。
こんな筈ではなかった。
彼が試練の竜に敗れた時も。
竜人が城を抜けてその穴を埋めるように王軍の統帥となった時も。
そして今も。
修羅の男は憤怒に身を焦がして嘆く。
だが意義を失って尚、念願だった歴史の宿敵を前に。
夜の地でただ一人己が拳を交える価値を認めた男を前に。
燻り続けた闘争心を抑えることなどできよう訳もない。
交わすべき言葉など最早なく、魔物はただ歓喜と憤怒と無念の混沌たる激情を獣性に替えて超えるべき男にぶつけ続ける。
残された理性の薪を衝動の炎にくべるように。
輝きの飛沫。
剣戟の如し高音。
幾度となく交わる銀と赤の爪。
地獄の舞台で人ならざる業の男達は互いの宝物と誇りを懸けて殺し合う。
皮肉にも、両雄の実力が今この瞬間ほど拮抗し合っている時はなかった。
漏出した魔角の命で全盛期に近しい力を取り戻した竜の男。
片角を失いながら堕ちた魔角の神秘であり得ざる屈強の肉体と竜の硬度を得た魔物。
永遠に続くような闘争はしかし終わりの刻を間近に控えている。
魔物の瘴気は獣化が進んだ今、尚のこと強まっている。
竜人の盾と矛がいつまでも保ち続けれらぬ状況は先と変わらない。
魔物とて残された時間は多くない。
蓄えはまだ尽きねども、完全に理性が失われてしまえばそれはただの獣でしかない。
そうなる前に決着をつけることが魔物の最後の矜持である。
数十という打ち合いの果て、先に限界を迎えたのは魔物だった。
互いに力任せで振るった一撃の反動が二者の間に距離を開く。
魔物は獣となりかけた身に残された一握りの理性を以て告げる。
「我が宿敵! 我が王に徒名す裏切り者! 覇星竜の代替足り得る唯一の男! 我が最期の意思を受けてみよ!!」
膨れゆく魔物の左腕。
肥大化した腕は無数の獣の頭、百獣の顎となって赤色の巨躯目がけて突き進む。
生命の暴威。
魔物が食らったあらゆる命の顕現。
獣共の牙は岩の如し竜喰らい鮫の牙から成り、獲物を跡形もなく喰らい尽くすだろう。
「いいだろう! ならば俺もこの身の全霊を以て応えよう!!」
竜人は猛々しく叫び右手を引く。
巨腕を覆う緋色の鱗が怪音を立てる。
響きと共に形を変え、燃えるような赤色に銀の煌きが混じりゆく。
竜の男は己の宝を守るためその身に持って生まれた武器の半分を封印した。
故に、彼のみでは魔物を打倒しえなかった。
ただ、竜人が失われた力の補完を試みなかったのかと問われればこれもまた否。
奇しくもそれはかつて共に在った魔物の力から発想された技。
喰らったモノを武器に変じる着想。
無論、竜人に魔角の如し神秘はない。
しかして彼は体内にて頑強なる鱗を生成し即座に生やす事のできる竜人種である。
ならば、鍛錬によってその機構を制御することで体内に摂取した己の肉体の一部を体外で再構築する術を見出したとしても不思議はない。
ただの一度きり。
ほんの一時だけ。
竜の男は、本来の生体機構を無視して数十年に渡り身の内に蓄え続けた銀の爪を鱗に代わって体外へ生成することができる。
形を変えた鱗が巨大な殻のように右腕を覆ってゆく。
一本の巨大な竜牙の如し威容となる。
色彩は先端へ近づくにつれ鈍い輝きを増し、混じり気なき銀の切っ先は獲物を穿つ瞬間を待ちわびているよう。
「百獣の顎よ! 竜の牙を喰らうがよい!!」
槍の如く伸びる長大な牙を緋色の巨腕が突き出した。
「――――竜槍牙!!」
巨大な牙はその実、外側だけを繕った殻のような形状。
横からの衝撃に弱く真に敵を穿つ凶器となり得るは先端のみ。
しかし、竜の体内で密度と構造の再調整を受けて構築された先端部分のみの破壊力に関してなら天然の爪さえ凌駕する。
故に、生え変わる鱗を生成するのとは訳が違う。
隙が大きく、けして敵を狙い穿つには向かない牙。
襲い来る脅威を迎撃する守りの一手としてのみ機能する必殺ならぬ必防の技術。
少女の傍らに在らずともその心は守りの意思。
己の宝物を守る為に編み出したその技が今、本懐を遂げる為に振るわれる。
銀の切っ先は竜人に喰らいつかんとする無数の獣共を喉から貫き、突き進む。
「ぐ……ぬぅ、敗れて……なるものかああああああああああああああああ!! ガレディアアアアアアアアアアアアアアアアアア‼」
咆哮と共に魔物の腕は更に膨れ上がり増殖する。
洪水の勢いで数多の獣共が溢れゆく。
竜をも喰らう必滅の顎。
竜牙の側面に罅が入り、崩壊の音を上げ、だが未だ崩れず、そして――――
竜の牙が魔物の片角を突き砕いた。