第114話 地の底の闘技場
やがて、墓場から死者が蘇るように。
赤い煌きの中から黒ずんだ腕が飛び出した。
屍人の如く緩慢に立ち上がった魔物は体中から光る水滴を滴らせている。
炭化しかけた全身は既に八割方再生しているようだが、今も溶岩に浸る両の脚は脂が跳ねるような肉の焼ける音を奏で続ける。
「お……の…………れぇ!! これしきで私を殺せると思ったか!?」
苦悶と憎悪に歪む悪鬼の如し形相を前に竜人は呆れの溜息を吐いた。
「愚問だな。これで三度目だ。貴殿が焼いて死なぬことは重々承知している」
「ほざけええええええええええええええええ!!」
激昂と共に魔物の足元が揺らめき、主に忠実な眷属を吐き出そうとする。
が、赤く輝く揺らぎの中から何も現れることはなかった。
光の底から這い上がるものはただ肉の焼ける異音ばかり。
「何!?」
目を剥く魔物。
「……貴殿の知性もそこまで堕ちたか。この場は灼熱の大地。竜の如し頑強さか、貴殿の如き神秘なる肉体でもなければ到底生き残れぬ死の池だ。斯様な揺り籠で命が芽吹く道理もあるまい」
魔角族は命を創造する時、常に触媒となる接地面を必要とする。
触媒は母なる大地か、あるいは別なる生命でもよい。
命の揺り籠となる触媒なくして彼らは己が眷属を創造できない。
では、もしその揺り籠が炎の中で燃えていたなら?
生まれて来る命は産声を上げるより先に燃え尽きてしまうだろう。
「その様子を見るに、貴殿の蓄えでこの灼熱を生き延びる生命はあの火蜥蜴一匹だったと見える。ここまで温存しておくべきだったな」
皮肉げに語る竜人は、思い出したようにもう一つ。
「そう言えば。貴殿は始めの舞台を天の闘技場と呼んだか。ならばここは王の御手により創られた地の底の闘技場、文字通り何人も手出し叶わぬ一騎打ちの舞台。貴殿が望んだものだ――――――――文句はなかろう!?」
言葉と共に。
竜の男は赤い飛沫を散らして走り出す。
満を持して振るわれる銀の爪。
大気を裂く破砕の斬撃は防ぐこと能わず、盾の如く構えられた腕を小枝のように切り飛ばす。
「ぬぅっ!」
赤い巨腕は岩を叩き割る怪力で鋭利な凶器を振るい続ける。
今の魔物に竜人の爪を防ぐ手立てはない。
痩身は繰り出される連撃を鈍い動きで躱し、避けられない一撃は骨と肉を犠牲にかろうじて角を守る。
俊敏さで優るはずの魔物は灼熱の水に浸かった脚でろくに立ち回れない。
けして痛みに音を上げている訳ではない。
その程度の男ならば王軍の頂点になど君臨し得ない。
再生しながらも融解し続けている脚では物理強度的に立つのがやっとなのだ。
地と武器の有利は完全に逆転した。
赤い光の湖面で圧倒的な猛威を意のままに暴れる竜の姿は大地の怒りを顕現したが如く。
遂に灼熱の輝きを照り返す銀の爪が描く弧の先に白い角を捉えた。
交差して掲げられる魔物の腕。
今更そんなものが竜爪の障害とならないことは互いに分かっている筈。
魔物の最後の足掻きと断じた竜人は腕ごと両断する勢いで一閃した。
「――――ぬ」
竜の爪は、魔角の最後の命綱に届かなかった。
肉を裂き、骨の半ばまで食い込んだ銀の爪は、しかし魔物の腕を切断しその先へ至ってはいない。
溶けて覚束ない筈だった脚は確かに地を踏みしめて食い止められた斬撃の余波を支え、
仇敵を面前にしながら俯いた魔物は奥歯を噛みしめ呪うように言葉を吐く。
「…………なんたる……なんたる屈辱!! 私が!! この私がこのような――――!!」
地の底を埋めるような憎悪の噴出。
竜人は後退して魔物を睨む。
黒い体毛に覆われていた魔物の腕。
その表層は今、ひび割れ赤い光沢を放つ鋼鉄の鱗に彩られていた。
「竜の生命に身を委ねるなど…………!!」
「むっ!」
突如、魔物は跳躍し、檻の中より解き放たれた獣の如く飛びかかって来た。