第10話 交渉の時
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石を組んで築き上げられた高く広い壁があった。外観の様子から相当古くに作られたことが分かる。
人の土地と夜の地を隔てる壁である。
少女と竜人は璧門の前にいた。
門の周囲には鎧を身に纏った数十名の衛兵が物々しい形相で整列している。壁の上では無数の弓兵が二人を見下ろしている。
歓迎の雰囲気ではない。
竜人は毅然として仁王立ちする。少女はその後ろで不安そうに竜人の衣を掴み、もう片方の手でワンピースの裾をつまんでいる。
石の擦れる低く重い音が響き、璧門が上がってゆく。
門の内から衛兵に囲われて身なりの上等な壮年の男が現れた。
体躯は痩身で貧弱そうだが振舞いには覇気がある。群青色の瞳が深海のように底知れない冷徹さを湛えている。
男は竜人と少女を見据え抑揚の乏しい声で告げた。
「夜の地より訪れた魔物達よ。私はソルダート王国政府より遣わされた交渉官である。貴殿らとの話し合いに参った」
衛兵達が槍を携えて二人を取り囲む。彼らの瞳には剣呑な光がある。
「随分と手荒な出迎えではないか?」
竜人は王国の役人を睨んで問うた。
「我々は長年敵対している。栓なきことである。門内の詰所に案内しよう」
二人は璧門の内側に通された。
詰所は人間の大人が十人入れば一杯になるくらいの狭い部屋だった。
置いてあるものは四角い机と椅子、少ない雑貨くらいである。室内では壁に張りつくように四方を数名の衛兵達が見張っている。
役人は机の反対側の椅子に座ると、二人も席につくよう促した。
竜人が堂々と腰を降ろしたので、少女もおっかなびっくり隣に座った。緊張の為か、少女は椅子の足にぐるぐると尾先を巻き付けている。
役人は問う。
「貴殿らは如何なる目的で我らの領土に足を踏み入れんとする?」
竜人は簡潔にことの経緯を説明する。
それから人の地へ移住したい旨を伝える。
役人は即答した。
「認めることはできぬ」
「何故だ?」
「善良な市民の取り計らいによるとは言え、貴殿らを易々と我らの領土に迎え入れる訳にはゆかぬ。魔物を擁護したなどという話は外聞も悪い」
竜人の言葉に役人は淡々と応じる。
役人の対応は竜人にも予測がついていた。
故に交渉材料は用意してある。
「夜の地の王軍についての情報を差し出そう。人の地の守護に益する取引であればそちら側の体面も保たれよう」
「ふむ。魔王軍の情報か」
役人はしばし思案する。
「貴殿はどこまで知っている?」
「王軍の主要戦力。即ち軍に所属する種族、兵数についてのおおまかな情報は差し出せる。各種族の生態的特徴についても知り得る限りは教えよう」
竜人は間を空けて加える。
「それに、我らの王について」
役人の冷めた瞳が熱を帯びる。
夜の地の魔王。人間が千年以上も恐れ続けてきた怪物である。人の地は過去幾たびも夜の地と戦争を繰り返し、攻勢を仕掛けたこともあるが魔王の姿を見て生還した者はいない。
吸血鬼の最後の生き残りらしいということだけが伝えられているが、詳細は謎に包まれている。
「この数百年、人の地の側から我らの土地に侵攻してきた例はない。こちらの王を恐れてのことであろう? 其方らもこの機会を逃すのは惜しいはずだ」
「……しかしそれは貴殿にとって故郷への裏切りにも等しい行い。夜の地は貴殿を裏切り者と断罪するだろう。遺憾はないのか?」
役人は訝し気に尋ねる。
「ない」
竜人はきっぱりと即答した。
「この童を守る為ならばその程度容易き事。そも、夜の地は王軍の情報が漏れた程度で陥落はせぬ。しかし其方らにとって有益な情報であることは確かであろう」
役人は納得したらしい。
一つ頷くと衛兵の一人に羊皮紙を用意させ何事かを綴り始めた。
やがて役人の手が止まる。
「よかろう。王国領の土を踏むことを許す。ただし、こちらからも幾つかの条件を出させてもらう」
「聞かせてもらおうか」
竜人は腕を組んで応じた。