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第一章 戦国時代⑧

 信長は道三救援のために三〇〇〇の兵で美濃へ進軍していた。


「道三、死ぬな!」


 焦る気持ちを抑えきれない信長は、自ら先頭に立って馬を走らせた。美濃へ入ってすぐ、前方から一騎の騎馬武者が走ってくるのが見えた。


「全軍止まれ!」


 信長は進軍を停止させた。走ってきた騎馬武者は、信長の前まで来ると転がるようにして馬から降りた。その背中には、三本の矢が突き刺さっていた。


「お、織田上総介様とお見受けいたします。」

「おう、わしが信長じゃ。」

「拙者。斎藤道三様が家臣、堀田道空と申す者。主、道三様より伝言をお預かりして参りました。」

「聞こう。」

「はっ。道三様は長良川にて討ち死に、よって、援軍は無用。」


 その言葉を聞いて、信長は唇を噛んだ。


「間に合わなかったか。」

「道三様は討ち死にしたゆえ、信長様におかれましては・・・。」

「わかっておる。」


 前方から歓声が上がった。道空を追ってきた義龍の軍勢が突撃してきたのだ。


「道空、大儀であった。」

「ははっ、ありがたき幸せ。」


 道空はそう言うと、歯を食いしばって立ち上がり、


「速やかに尾張へお退きくだされ!」


 そう言って、義龍の軍勢に斬り込んでいったが、矢を受け、傷だらけの道空は先頭の一人を斬り倒したが、あえなく取り囲まれて討ち死にした。


「鉄砲隊、放て!!」


 信長は用意してきた五〇〇丁の鉄砲を一斉に討ちかけ、義龍の前衛を足止めした。初めて見た鉄砲に腰を抜かした雑兵達は、その轟音と威力に動けなくなってしまった。


「道三は、わしらに被害が出ないようにさっさと討ち死にしよった。引き上げじゃ!」


 そう言うと、自ら殿に立って鉄砲隊を指揮し、見事に無傷で尾張に引き上げた。尾張領内に入ると、握り締めていた書状を広げた。道三が信長に美濃を譲ると書いた『国譲り状』である。


「わしは必ず美濃を取る。道三、あの世で見ておけよ。」


 信長は誰となくそう言うと、全軍を率いて引き上げていった。那古野城へ引き上げると、まだ幼さの残る帰蝶が出迎えてくれた。


「無事のご帰還、お慶び申し上げます。」

「帰蝶。すまぬ、道三殿は、間に合わなかった。」

「でも、殿が無事に戻られました。帰蝶はそれで十分にございます。」


 信長は目に涙を浮かべ、必死に堪えている帰蝶を抱き寄せると、


「強がりを申すな。父が死んで悲しまない者がおろうか。」


 そう言って、とうとう泣き出した帰蝶を慰めた。


「・・・許せ。」


 その時、道三を悼むかのように雨が降り始めた。その雨音に包まれながら、信長は美濃攻略を心に誓ったのであった。道三が死に、斎藤家と敵対することになったが、信長は帰蝶を手元に置き続けた。政略結婚の夫婦は、両家が敵対したら殺すか返すかするものだったが、道三の遺した国譲り状があるため、帰蝶との婚姻関係を継続した。ただ、それは表向きなことで、信長は自分に尽くしてくれる帰蝶を愛していたのだ。


 しかし、子を産めない帰蝶は、信長に側室を持つこと進め、子を作るように進言した。信長が側室を持つと、帰蝶はその側室も、生まれた子も、よく面倒を見たという。



 道三の元を離れた光秀は、長良川から少し離れた高台で、道三が討ち取られるのを確認した。


「道三様・・・。」


 光秀は明智城に戻り、叔父の光安に道三が討ち死にしたことを報告した。


「そうか、殿は討ち死になされたか。くそっ、このような身体でなければ馳せ参じたものを。」


 この時、光安は風邪をこじらせて病床に伏していた。明智城は義龍とは敵対しているため、長良川での合戦が終われば、義龍の兵がここへ来ることは必至だった。光秀はすぐに城の守りを固め、防戦の準備をしたが、援軍もなく、勝てる見込みもなく、絶望的な状況であった。


 ほどなくして義龍の軍勢が明智城を取り囲んだ。この時、明智城には手勢三〇〇名と領民が二〇〇名ほど詰めているだけで、戦とは名ばかりの一方的な展開になってしまった。


「お父、お母。どこぉ?」


 場内で指揮を執っていた光秀は、泣きじゃくりながら歩いている女の子を見付けた。


「伝五、ここを頼む。」


 光秀は、家臣の藤田伝五郎行政(ふじたゆきまさ)に指揮を預けると、女の子に近づいて声をかけた。


「ここは危ない。城の中に入っているんだ。」

「お父とお母がいないの。」


 辺りを見回したが、皆戦うことに懸命で、この子の親らしき人物は見当たらなかった。


「煕子! 煕子!!」


 光秀は妻の煕子を呼び、女の子を任せることにした。


「この子と一緒にいてやってくれ。」

「わかりました。あなた、お名前は?」

「・・・お風。」


 それを聞くと煕子は優しく微笑んで、お風の頭を撫でてやった。


「お風ちゃん。お父上とお母上は必ず探してあげるから、今は中に入りましょう。」


 煕子は光秀に任せるように言うと、建物の中に逃げていった。光秀は指揮に戻ると、鉄砲を片手に敵を撃ち、少しでも侵撃を食い止めようとした。しかし、多勢に無勢で、周りの者は次々と矢で射抜かれ、その姿を減らしていった。


「若殿、様・・・。」


 気が付くと、光秀の足元で瀕死の足軽が光秀に向かって手を伸ばしていた。首元に矢を受けていて、もう助かる見込みがないことは一目でわかった。


「しっかりいたせ。すまぬな、負け戦じゃ。」

「若殿様のお役に立てたのなら、本望にございます。ただ、娘を残すのが気がかりですじゃ。」

「娘?」

「お風と申します。まだ、ほんの五歳なんです。」


 名前を聞き、先ほどの女の子の父親であることがわかった。


「おぬしの妻はどうした。」

「へぇ。ここへ逃げてくる途中で、義龍様の兵に見つかり、矢で射抜かれて死にました。」

「そうか。安心いたせ、お風という幼子は、わしの妻が面倒を見ておる。生き残れたら必ず面倒を見よう。」

「そうですか。それなら、安心じゃ・・・。」


 満足そうに微笑むと、その男は静かに息を引き取った。しかし、生き残れる可能性は低い、ここが落ちれば皆殺しにされるのが戦の習いだ。何とかしなければいけないと思いながらも、何も思い浮かばずに、光秀は歯ぎしりした。


「戦を止めよ!」


 その時、城内から声がしたため、振り返ると、光安が白装束に着替えて外に出てきた。光安は物見櫓に上ると、


「義龍様に申し上げる! この明智光安が腹を斬るゆえ、残された者達の助命を願いたい。」


 病に臥せっていたのが嘘のような大きな声が周囲に響き渡った。その声を聴いて、攻め手も攻撃を止め、義龍の判断を待った。光安の申し出が義龍に伝わったのだろう、やがて、城門前に義龍が自ら姿を現した。


「光安、貴様が腹を斬って降伏すると言うか。」

「すでに道三様は討ち死にされ、我ら明智衆が戦う理由はなくなり申した。道三様に付いた事実を詫び、それがしが腹を斬るゆえ、残った者達は助けられたい。」

「いいだろう。明智城は焼き払うが、明智の庄はそのまま甥の光秀が治めよ。ただし、この義龍に忠誠を誓え!」

「かしこまった。」


 光安は眼下を見下ろし、光秀の姿を見付けた。


「光秀。今ここで義龍様に忠誠を誓え!」

「叔父上!」


 光秀の不安そうな顔に、光安は笑顔で頷いた。何も心配するな、ここで忠誠を誓って生きろ。そう言っているようだった。光秀は光安の気持ちを汲み取り、城門を開くように指示すると、義龍の前へ出て、


「明智十兵衛光秀、斎藤義龍様に忠誠を誓います。」


 膝を付いてそう宣言した。


「うむ、大儀である。」


 義龍がそう言うのを見届けると、光安は櫓を降り、義龍に一度頭を下げると城の中へ引き上げていった。しばらくして、城の奥から火の手が上がると、それはあっという間に燃え移り、その炎は天へ舞い上がっていった。



 こうして、光安は自らの命と引き換えに家臣と領民を守ったのである。光秀達は義龍から許しを受け、城を廃棄してそれぞれの家へ戻っていった。明智城下にある光秀の屋敷に戻ると、光秀は煕子に預けていたお風と面会した。


「お風。君の父上と母上は、亡くなられた。」


 その意味がわかるのかわからないのか、お風はきょとんとしたまま首をかしげた。


「お父とお母には、もう会えないの?」

「すまぬ。」


 死んだことを理解するよりも、もう会えないということがお風は悲しかったようだ。一度泣き始めると、止まらなくなったようだ。


「十兵衛様、お風は家で引き取らせてください。私が岸と一緒に育てていきます。」


 泣きじゃくるお風を抱き上げ、煕子は光秀に願い出た。いつも控えめで自分からの希望など言わない煕子の申し出に、光秀は快くうなずくと、


「煕子、任せたぞ。」


 そう言って頭を下げた。こうして、お風は明智家で預かることになり、煕子は岸と差別なくお風に愛情を注いでいった。



 翌朝、陽が昇り夜はしんとした空気の張り詰めが解けるころ、城の急使だという武将が馬で駆けつけてきた。ただ事ではない雰囲気に、忠繁は飛び起きると、障子を開けて屋敷の入口へ急いだ。


 そこには、光秀や煕子、配下の者達が集まっていた。


「明智十兵衛光秀、急ぎ登城し、龍興様と面会すべし。」

「かしこまりました。」


 それだけ告げると、急使は次があると言ってせわしなく駆け出して行った。


「かように早朝から何事でございましょう。」


 心配する家臣達の肩を叩き、光秀は笑って見せた。


「大丈夫じゃ、龍興様も家督を継がれて間もない。まだ呼び出しに慣れておらぬだけじゃ。とにかく城に参る。準備をいたせ。」


 光秀は家臣の溝尾庄兵衛(みぞおしょうべえ、のちの茂朝)や三宅弥平次(みやけやへいじ、のちの明智秀満)を伴い、稲葉山城へ向かった。その姿を心配そうに見送る煕子に、


「そのように心配なさいますな。」


 忠繁は笑顔で声をかけた。


「十兵衛様は、道三様と義龍様が対立した際に道三様に付きました。しかし、義龍様は幼馴染であり、才能もある十兵衛様をお許しになさいましたが、斎藤家の中には十兵衛様をよく思わない方もいらっしゃいます。何事もなければいいのですが・・・。」

「十兵衛様は優秀な方です。龍興様の代になったからと言って、ないがしろにはされないでしょう。私が龍興様なら、十兵衛様のような優秀な方は重用します。」


 しかし、煕子の悪い予感は当たってしまうことになる。



 稲葉山城。標高三二九メートルの金華山山頂に建てられたこの山城は、国内でも屈指と言われる難攻不落の山城だ。建仁元年(一二〇一年)に築かれた砦が始まりとされている。本格的な山城として改築されたのは一四〇〇年代中頃とされているが、はっきりしたことはわかっていない。道三がここを居城としてからは要塞化が進み、難攻不落の名城となっていった。


 光秀は、龍興のいる部屋に案内されると、


「明智十兵衛、お召しにより参上いたしました。」


 と、庄兵衛、弥平次と共に頭を下げた。部屋には龍興のほか、側近の日根野弘就など、何人かの側近が控えていた。


「光秀、よう参ったな。明智の庄の様子はどうじゃ。」

「はっ。時折、野盗が襲いに来ることがありますが、それ以外はいたって平穏にございます。」

「そうか、それは良かった。」


 龍興はそう言うと、傍らに置いてあった瓢箪を傾けた。おそらく酒が入っているのであろう。龍興は身なりもいい加減で、およそ大名らしからぬ様相と体型をしていた。側近である弘就が甘やかしすぎているのであろう。


「光秀、父・義龍が死んでわしが当主になったため、斎藤家の組織を刷新することにした。回りくどいのは嫌いゆえ、率直に申し伝える。父はそなたの幼馴染であり、懇意にしていたこともあり長良川の戦いの後も領地を安堵していたようじゃが、わしは、裏切り者は好かぬ。一度でも斎藤家に弓を引いた明智一族を許すわけにはいかぬのじゃ。よって、明智の庄は召し上げるゆえ、早々に美濃を出て行け。」

「な、なんと!」


 驚く光秀、弥平次達はあまりに突然の沙汰に龍興を睨みつけた。


「溝尾庄兵衛に三宅弥平次。何を睨んでおるか、わしは斎藤家の当主であるぞ。ここで、裏切り者一族ことごとく成敗せよと命じてもいいのだが、よいのか。」


 龍興の一言に、光秀は二人に落ち着くように指示した。光秀としても思うところはあるが、ここで下手に騒げば命はない。道三は一代で成り上がった剛の者、義龍も道三ほどでないにしても、人望は厚く、仁政を敷いた名将だった。しかし、龍興はその二人の七光りでふんぞり返っている若造だ。


「・・・龍興様のご命令、しかと承りました。急ぎ戻り、配下の者達に申し伝えます。荷造りと引継ぎに数日猶予を賜りたい。」

「よかろう。本来ならば即刻首をはねてやるところじゃが、祖父、道三が取り立て、父、義龍が期待した手前、命まで取ろうとは思わぬ。ありがたく思え。」

「ははーっ。」


 光秀は頭を下げると、退室してすぐに城を出た。のんびりしていては龍興の気が変わるかもしれないからだ。明智の庄へ戻る途中、光秀は二人を伴って長良川のほとりに移動した。馬を休ませると、光秀は岩に腰かけ深くため息を吐いた。


「殿、なぜあのような無理難題を受け入れられた。」

「さよう。あまりに理不尽な沙汰、納得がいきませぬ。」


 若い二人の不満は一気に爆発した。しかし、光秀は川面を見ながらもう一度大きく息を吐くと、


「側に控えていた日根野備中や他の側近共の顔を見たであろう。皆、にやにやとあざ笑っておった。あの場で反論すれば無礼討ちされていたかもしれぬぞ。それに、道三様や義龍様の普代の重臣は一人もおらなんだ。すでに愛想を尽かしているのかもしれないな。」


 そう言って首を振った。龍興が自分のお気に入りばかり傍に置き、普代の重臣達の意見を聞かないために、病気と称して出仕しない者も少なくないと言う。


「かつて道三様は正徳寺において信長殿と会見した際、息子達は信長殿の配下に収まるか、討ち取られるであろうと話された。いよいよ、そうなる時が近付いたのかもしれないのう。」

「これからどうするのでございますか。」

「さあな。まだ何も考えがまとまらぬ。とりあえずは数日の猶予をいただいたのじゃ。今夜ゆっくり考えるとしよう。」


 そう言ったものの、光秀はなかなか動こうとしなかった。


「どうかなさったのですか?」


 弥平次に聞かれると、


「いや。これから皆には苦労を掛けると思うと気が重い。それに、煕子になんと伝えようか、それを考えると身体が動かぬ。」


 そう言って苦笑いし、光秀は傍らの小石を長良川に投げ込んだ。緩やかな流れに飛び込んだ小石は、小さな音とともに波紋を広げた。それは、これからの明智家の行く末を暗示しているかのようであった。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます。\(^o^)/

「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、

ぜひ高評価お願いいたします!


また、周りの方にもおススメくださいね。


追放の憂き目にあった光秀。

そして、いよいよ忠繁も旅立つ日がやってきます。


光秀編ともいえる第一章の最終回です。


水野忠

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