終 章 時空を戻して
登場人物紹介
霞北忠繁 ・・・元会社員。信長の軍師。右近衛少将。
織田信長 ・・・右大臣。尾張の小大名から天下の覇者へ。
風花 ・・・戦国時代での忠繁の妻。
繁法師 ・・・戦国時代での忠繁の子。
霞北明里 ・・・現代での忠繁の妻。
霞北楓 ・・・現代での忠繁の子。
霞北信繁 ・・・現代での忠繁の子。
前畑亜季子・・・戦国時代に飛ばされた女性。
前畑久志 ・・・亜季子の兄。
北大介 ・・・探偵事務所経営者。
永井由香里・・・介護ホーム職員。
百田日佑 ・・・本能寺の貫首。
突然の喧騒に忠繁は立ち止まってしまった。すぐ後ろを歩いていた女子高生が思わず背中にぶつかった。
「す、すみませんっ!」
頭を下げる女子高生に、
「いえ、突然立ち止まって申し訳ない。」
そう言うと、忠繁は邪魔にならないように壁際へ移動した。駅構内は会社や学校、塾帰りの客で溢れ返っていた。はるか昔、この光景を見たことがあったような気がする。それを思い出していくうちに、忠繁は何が起きているのか整理することにした。
今まで自分は戦国時代の世界にいたはずだ。信長の軍師として織田家に仕え、本能寺の変を回避するために走り回った。しかし、思い出されたのは、炎に包まれ、光の中で消えていく信長の姿だった。自分も信長と運命を共にして、天正一〇年の本能寺炎上に巻き込まれたはずだった。
「・・・戻ってきたのか。」
忠繁の言葉は、駅の喧騒の中に消えた。まさか信長が一緒に来ていないかと周囲を探してみたが、周りには無表情で駅構内を行き来する人しかいなかった。
白昼夢でも見ていたのかと思ったが、そこで忠繁は不思議な感覚を覚える。あの出来事が本当なら、忠繁は四〇〇年以上前の世界に二二年もいたことになるが、今、自分がどこにいて、どうやれば自宅へ帰れるかも、最初は忘れかけていたことが、次々と鮮明に頭の中に浮かんできた。まるで、古いデータを新しいデータで上書きするかのような、脳内でのアップデートが進んでいったのだ。
しばらく立ち尽くしたが、忠繁はいったん家に帰ってみようと思った。駅構内を歩き始め、埼京線ホームの階段に差し掛かったところで、
「やめてください!」
と声を上げる女性の声が聞こえた。階段を見上げると、OLであろうビジネススーツを着込んだ風花くらいの年齢の女性が、ガラの悪そうな男に腕をつかまれていた。周りをすれ違う人々は、わざわざ目線を向けては、何も見なかったかのように、今度は目線をそらして通り過ぎていく。男は腕をつかんだまま、嫌がる女性をどこかへ連れて行こうとしていた。
「嫌がっているだろう。やめたらどうだ。」
忠繁はそう言って男に歩み寄った。ガラは悪そうだが大した体格ではない。忠繁はかつて、この男に突き飛ばされて階段を転げ落ち、そして、戦国の時代に飛ばされたことを思い出した。
「なんだお前は、雑魚は引っ込んでろ!」
と、男に突き飛ばされた瞬間、忠繁は踏ん張らずともビクともしなかった。男は何度か押したが、二二年もの間、戦国時代で鍛え上げられた忠繁を、そうそう簡単に押し退けられるものではなかった。
「くっ、この!」
男がこぶしを振り上げたため、からまれていた女性が小さな悲鳴を上げたが、その拳が振り下ろされることはなかった。忠繁が男をにらみつけると、その凄みに委縮したのか、男はこぶしを下ろして逃げるように反対ホームの電車に乗り、去っていった。幾度もの戦場を経験してきた忠繁のにらみは、チンピラごときが太刀打ちできるようなものではなかったのだ。
忠繁は穏やかな表情に戻ると、先ほどの女性に声をかけた。
「大丈夫でしたか?」
「は、はい。ありがとうございます。」
「お気をつけてお帰り下さいね。」
微笑んでそう言うと、忠繁はホームに入ってきた埼京線に乗り込んで都内を離れた。先ほどの女性が、わざわざ列車が動き出すまで忠繁を見守り、深々とお辞儀をしてくれた。忠繁は右手を挙げて笑顔で応えた。
大宮に着くまでの車内で、忠繁はカバンの中を確認した。携帯電話に充電器、ポケットサイズの手帳と筆記具、電子タバコと携帯灰皿、鞄につけてある超小型のライト、定期入れと財布。いつものように大した物は入ってなかったが、小物ポケットの中に小さな巾着袋を見付けた。
次の駅でドア脇に立つことができたので、忠繁は慌ててそれを取り出し中身を確認した。そこには、三方ヶ原の戦いに際して、風花がくれたお守りである色褪せた黄色い髪留めの紐と、上杉謙信として生きなければいけなかった前畑亜季子から預かったカセットテープが入っていた。忠繁はそれを見て、やはり自分は戦国時代にいたのだと確信をした。そして、風花や繁法師のことを思い出すと、勝手に涙があふれてきた。忠繁は慌ててハンカチを取り出すと、窓の外に身体の向きを変え、周りの人にわからないようにした。
大宮駅に着くと、懐かしい街並みがそこには広がっていた。この世界の時間では半日ぶりなのであろうが、忠繁にしてみれば二二年ぶりの帰還だった。足早に自宅へ急ぐと、路地を曲がった先に自宅の明かりを見付けることができた。いつものように玄関の前で小型ライトを付け、鍵を差し込み、中に入った。
だいぶ長い時間聞いていなかったはずの足音が、妻の明里のものであることはすぐにわかった。
「お帰りなさい。お仕事ご苦労様。」
「パ~パ~。」
出迎えてくれた楓を抱き上げると、忠繁は明里を抱き寄せた。
「あ、あなた。どうなさいましたの?」
「しばらく、しばらくでいいからこのままで・・・。」
忠繁は二人を抱きしめたまま、涙を見せて困らせないように、強く目を閉じた。
「お仕事でどうかなさいました?」
「いや、違うんだ。家族がいるって、幸せだなと思ってるだけだよ。」
「ふふ、変な人。お食事できてますよ。ご飯にしましょう、今夜は唐揚げです。」
明里に招かれ、忠繁は自宅のリビングに入った。明里の希望で取り付けたカウンターキッチンに、二人で選んだ小さめのダイニングテーブル、映画を見たいからと買った無駄に大きなテレビ、明里にねだられて天井に取り付けたシーリングファン。すべてが、二二年前に忠繁が見ていた光景だ。
「ようやく、帰って来られたんだな。」
こうして忠繁は、飛び越えた時間を元に戻ってきた。しかし、これで終わりではない。信長の軍師として生きてきた忠繁には、やらなければいけないことが二つ残されていた。
幸い週末だったこともあり、忠繁は高校時代の後輩に連絡を取り、前畑亜季子の自宅を調べるように依頼を行った。北大介(きただいすけ)は高校時代の後輩で、今は新宿で私立探偵事務所を経営している。私立探偵事務所と言っても、全国各地に一五の拠点を持つ大型探偵会社だ。
忠繁の依頼を快く引き受けた大介は、前畑亜季子の名前と横浜で川に転落事故に遭っているという情報だけで、数日で結果を持ち帰った。亜季子の兄である前畑久志(まえはたひさし)は、今でも横浜市内で健在だった。九二歳、介護ホームに入居しているようだった。忠繁はさっそく手紙を書き、カセットテープと一緒に郵送した。
横浜市磯子区の介護ホーム『磯子の里』。介護職員の永井由香里(ながいゆかり)が久志宛ての荷物を受け取ると、
「前畑さーん、お手紙が届いてますよー。」
「ふぁぁ。」
久志はベランダに近い窓で日差しを浴びながら外を眺めていた。だいぶ前から認知症を患い、自分の名前も思い出せないくらいだった。
「差出人は、霞北忠繁さん? 前畑さん、知ってる人?」
「ふぁぁ。」
「代わりに読みますねー。」
手紙には、忠繁が夢の中で亜季子と出会い、カセットテープを預かったこと、亜季子が川に転落したのは自分が悪いのだから、久志は気に病まないでほしいと言っていたこと、そして、誰よりも久志が大好きだったことだけを書き記した。
「亜季子さんて、前畑さんが若い時に幼くして亡くなった妹さんよねー?」
「ふぁぁ。」
由香里は手紙の意味が分からなかったが、久志自身にもわかっていなさそうだったので、その内容は深く考えないことにした。
「そうだ。ラジカセあったよね。」
由香里は執務室から小さなラジカセを持ってくると、亜季子のテープを入れてスイッチを入れた。少し雑音がした後、ジョン・レノンのImagineがかかった。
「あら、ビートルズね。懐かしいわぁ。」
しばらくそのまま流していたが、突然、久志は見開き、
「亜、亜季子ぉ!!」
そう大声を上げた。
「ちょっと、前畑さん。大きな声出してどうしたの?」
由香里が声をかけると、久志は外を眺めながら目を開け、涙を流していた。
「前畑さん、大丈夫?」
「亜季子。すまねぇな、ちゃんと兄ちゃんが手を繋いでなかったばっかりに・・・。」
そう言うと、再び目を閉じ何かを口ずさんだ。それははるか昔、妹とよく一緒に歌ったビートルズの歌だった。久志が明朗に言葉を発したのはその時だけだったが、それからも毎日のように妹と楽しんだ音楽を聴いたという。
忠繁が元の時代に戻ってから五年後、家族で旅行に行こうという話になった。再び仕事に追われる忠繁は、時間を見ては風花や繁法師のことを調べた。しかし、歴史の文献の中で二人の消息を掴むことはできていなかった。
そんなある日、永年勤続の表彰で特別休暇が出たので、忠繁は京都に行きたいと明里に提案したのだ。楓は七歳、そして、弟の信繁は四歳になった。帰ってきてからの忠繁は、暇を見つけると家族で出かけ、時には実家に楓を預けて明里と二人で出かけることが多くなった。今さら、恋人期間が始まったようだった。自然と明里は懐妊し、二人目が男の子だとわかった時、名前は信繫にしたいと言い張り、明里は古風だと笑いながらも笑顔で承諾した。
明里の希望していた京都市内の名所を巡りホテルに宿泊したが、信繁が熱を出してしまったので、翌日、忠繁はホテルに残ると言う明里に子供達を任せ、一人で市内を巡った。
もう一つのしなければいけないこと。行き先は本能寺だ。市バスを乗り継ぎ、中京区下本能寺前町にある本能寺へ出向いた。法華宗大本山本能寺。ここは、天正一九年(一五九一年)に秀吉の命で移転された。つまり、本能寺の変の場所とは少し離れた場所にある。中は本堂のほか、塔頭寺院(たっちゅうじいん)と呼ばれる七つの子院。歴史博物館になっている大賓殿宝物館。ホテル本能寺。本能寺文化会館と、信長の公墓(供養塔)がある。
忠繁は、一番奥にある信長の公墓へ行くと、一礼して手を合わせた。ここには信長の使用していた刀が眠っているという。その後、本堂と宝物館を見学した後、寺務所に出向き、寄付を申し出た。忠繁は今日のために用意した寄付金を治めると、台帳への記入を求められ、住所と名前を記入した。
「霞北、忠繁様。でございますね?」
「ええ、珍しい苗字でしょう。」
「少々お待ちください。」
受付をしてくれた住職は、慌てた表情で別室へ行ってしまった。しばらくすると、法衣を着込んだ老僧が寺務所に入ってきた。
「貫首(住職の責任者)の百田日佑(ももたにちゆう)と申します。霞北忠繁様、お聞きしたいことがございます。」
「はい。なんでしょうか。」
「時霞、という言葉をご存知ですか?」
日佑は確かに『時霞』と言った。まさかここでその言葉を聞くとは思ってもいなかったため、忠繁は驚き、思わず立ち上がってしまった。
「あ、あの。織田信長が家臣に送った刀の名前です。」
「おぉ、なんと・・・。」
日佑は驚きの声を上げると、忠繁を別室に案内してくれた。その部屋は来客用の特別な商談室のようだ。忠繁はソファに座り待つように言われた。しばらくすると、日佑が細長い木箱と、四角い木箱を持って入室してきた。そして、指紋が付かないようになのか、忠繁に白手袋を付けるように差し出すと、
「霞北さん。この本能寺には、四〇〇年他言しないようにと命じられていることがありました。それがこの箱の中身です。これからお話しすることは、世間一般的な常識ではおよそ考えられない不思議な話です。まさか、私の代になって、本当になるとは思いもしませんでした。」
日佑は、本能寺には代々の貫首に命じられていることがあり、『霞北忠繁』という人物が来訪し、『時霞』を知っていた場合、この箱の中身を渡せと言うものだった。箱にはしっかりと封がしてあり、この四〇〇年開けられたことはなかったという。
忠繁は、カッターを借りて慎重に封を切ると、ゆっくりと四角い木箱を開けた。そこには、何枚にも綴られた手紙が入っていた。それは、風花が忠繁に宛てた手紙であった。忠繁はそれを丁寧に取り出すと、一度大きく深呼吸して読み始めた。
本能寺の変の時、光秀は忠繁の屋敷に兵を配置し、屋敷に狼藉を働く者がいないように警護したと言う。山崎の合戦後、秀吉が屋敷に来ると、警護していた明智兵はすべて投降し、秀吉はこれを許したと言う。
秀吉は風花と繁法師を保護し、清州の帰蝶の元へ預けた。風花は剃髪して霞秀院(かしゅういん)を名乗った。秀吉が関白宣下を受けた時に、繁法師は元服して霞北信繁を名乗り、かつて忠繁が叙任した和泉守を名乗った。秀吉は信繁をそばに置き、三成達と教育をしていったが、秀吉が病にかかると、信繁は家康預かりとなり、駿府城下に屋敷を与えられ、徳川家の小姓頭として働く。これには、秀吉と家康の中で密約があったようだ。
やがて、清州で帰蝶が病死すると、風花は家康の勧めで信繁と再び同居。その後、信繁が江戸城に入った時にはこれに付いて江戸へ入り屋敷を与えられる。
信繁も風花も、家康の命の恩人の遺族ということで、不自由ない生活を与えられたという。信繁は家康の旗本衆として仕え家名を残した。そして、風花の手紙の最後にはこう記してあった。
『この手紙が、時間を越えて忠繁様に届くよう、
また、忠繁様が無事にお戻りになられるよう祈り、
信長様と共に最期を迎えた本能寺に依頼し、残すものとします。
忠繁様と共に過ごした時間、
そして、忠繁様が残してくださった時間、
風花はとても幸せに過ごせました。
信繫と共に、忠繁様がきっと元の時代に戻り、
本能寺へ来られることを祈っております。
忠繁様。
風花は、時を隔てたとしても、
たとえ二度とお目にかかれなくなったとしても、
生涯あなた様をお慕い申し上げております。
いつも忠繁様に柔らかな陽が降り注ぎますよう。
元和元年八月二十日
霞秀院風花
お慕いする霞北忠繁様。』
手紙を読み終わると、忠繁は手紙を大事に箱に戻した。細長い木箱を開けると、そこには一振りの刀が治めてあった。忘れもしない、信長が忠繁に与えた名刀『時霞』であった。
「霞北さん。いったい、何が起きているのでしょう。」
日佑の言葉に、忠繁は、
「信じてもらえるかわかりませんが、お話ししたいと思います。ただ、少しだけ、少しだけ泣いてもいいでしょうか。」
それだけ絞り出すように言うと、忠繁は声を殺しながら涙を流した。ハンカチを取り出して拭ったが、あとからあとから涙があふれ出て止まらず、日佑は静かに忠繁が落ち着くのを待ってくれた。
忠繁は、荒唐無稽な話だが、と前置きをして、自分が戦国時代にいたという経緯を話した。日佑は静かに、そして真剣に忠繁の話を聞いた。
「昨日までなら、信じられなかったでしょう。しかし、霞北さん。あなたがここへ来られたことが真実です。ご苦労なさいましたね。」
日佑はそう言って忠繁を労ってくれた。この話は、本能寺の奇跡だが、安易に語り継ぐものではないと、日佑は自分の心にだけ留めると約束してくれた。
忠繁は時霞と手紙を受け取ると、本能寺を後にし、ホテルに戻る前にもともと本能寺のあった中京区元本王子南町にある『本能寺址』に出向いた。ここは今の本能寺から歩いて二〇分ほどの場所にある。現在は特別養護老人ホームになっていて、かつてこの場所で歴史的大事件があったことなど、多くの人が知らずに行き来している。ただ、その敷地の一角に、本能寺があったことを示す石碑がひっそりと残されている。
あの時、信長は光の渦の中に消えていった。文献のどれを探しても、信長の死体どころか、骨一本、髪一本残らなかったと言われているのは当然のことである。信長は時空の彼方に消えていったのだ。その真実は、忠繁だけが知る真実だ。
忠繁は、携帯電話を取り出し、フォルダに保存されている風花や信長の写真を見返した。そこには、在りし日の二人との笑顔が残されていた。もう、ものすごく昔のことのような、それでも、鮮明に思い出せる記憶達に胸が熱くなってきた。用意してきた花束を置くと、石碑に向かって手を合わせた。
「上様。忠繁、参りました。お久しゅうございます。」
その時、にわかに強い風が路地を吹き抜けた。思わず忠繁は目を閉じ、時霞を落とさないようにしっかり抱えると、足を踏ん張った。
『おぅ、忠繁! よう参ったな。ははは!!』
『忠繁様!』
風の中に、信長と風花の声が確かに聞こえたような気がした。すぐに風は治まった。忠繁は目を開けたが、溢れそうになる涙をこらえた。そして、石碑に一礼すると、家族の待つホテルへ足を進めた。その背中を押すように、再び強い風が吹き抜けていった。
それは、ある晴れた日の出来事だった。
完
最後までお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「時霞 ~信長の軍師~」これにて完結でございます。
「面白い!」「意外とよかったぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
読み終わった後のご感想などもいただけるとすごくうれしいです。
時霞は初めての歴史ものでの長編作品になりました。
読者の皆様からのいろいろな提案やご指摘、
誤字のご報告をいただき、
皆様と共に作り上げた作品になりました。
改めて、
ここまでお付き合いいただいた皆々様に、
厚く御礼申し上げます。
本業抱えながらですが、今後も執筆は続けていきます。
今後も水野忠の名を見かけたら、
どうぞよろしくお願いいたします。
完結までお付き合いいただき誠にありがとうございました。
\(^o^)/
水野忠




