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時霞 ~信長の軍師~ 【長編完結】(会社員が戦国時代で頑張る話)  作者: 水野忠


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第八章 本能寺の変⑮

 同じ頃。備中高松城(岡山県岡山市)を前に秀吉は水浴びをしていた。秀吉は軍師である黒田官兵衛と共に、高松城の周辺に大掛かりな土塁を作り、そこへ川の水を引き込んで水没させたのだ。遠くから見ると、大きな湖の中央にポツンと小屋が立っているかのようになっていた。今朝はこの水攻めの水で身体を洗っているのだ。秀吉は水攻めや兵糧攻めなどを良く用い、時間がかかったとしても、自軍の損害を最小限にして勝利を重ねてきた。


「兄上、今日は朝から暑いですな。」

「おぅ小一郎、お前も浴びたらどうじゃ。気持ちええぞ! ほれ!!」


 そう言って、秀吉は手で水をすくうと秀長(はしばひでなが。小一郎とも呼ばれ、秀吉の弟)にかけた。


「はは、やめてくだされ。それより、軍師様から書状が届いております。」

「忠繁殿から? 懐かしいのぅ、もうどれだけ会っていないかのぅ。わかった、すぐ行くゆえ着替えを用意してくれ。」


 秀吉はそう言って湖から上がった。今日は朝から日差しが強く、まだ初夏だと言うのに汗ばむような暑さだった。忠繁とは、官兵衛が解放されて一緒に来た時以来会っていない。几帳面な忠繁は、たまに激励の手紙と、屋敷の庭で育てた大根や牛蒡(ゴボウ)を送ってくれた。秀吉は農民出身のためか根菜が特に好物だ。武将になってからは海産物も好んだと言われているが、やはり根菜がいい。


 秀吉は身体を拭いて着替えると、寝所も兼ねた本陣屋敷に引き上げた。ここは、高松城攻めのために建てた仮家屋だ。中では秀長のほか、蜂須賀正勝も待っていた。


「手紙と言えば、上様が義姉上に送った手紙の話聞きましたぞ。」

「ああ、寧々から自慢する手紙をもらった。上様が来たら叱られるネタが増えてしまったでござる。」


 そう言って秀吉は頭を掻いた。秀吉はずっと正室の寧々しか妻はいなかったが、最近になって備前国の大名であった宇喜多三郎右衛門尉直家(うきたなおいえ)の妻、お福を側に置くようになった。直家は昨年、病で病死している。直家は生前、秀吉に宇喜多家を裏切らずに面倒を見ることと、自分の死後、お福が困らないようにしてほしいということを約束させる代わりに、毛利家への援軍に参加していた。これは直家の最期の計略でもあり、お福を秀吉にあてがうことで、宇喜多家への情を秀吉に生まれさせ、守らせるというものだった。


 農民時代は贅沢もできなかった秀吉だが、信長の下で大成したあとは、しばしば宴会を開いて女遊びをしている。お福は格別かわいがっているようだが、側室にしたわけではない。寧々はそのことを知って、信長に愚痴の手紙を書いたことがあった。寧々は帰蝶を通じて信長にも何度も会っている。信長にしてみればかわいい姪っ子のような存在だった。その信長が寧々に当てた励ましの手紙がある。


 それは、寧々が年々綺麗な女性なっていること、秀吉は寧々がうるさいと不満を持っているようだが言語道断であり、秀吉が寧々ほどの素敵な女性を他に得られるはずないのだから、寧々も正室らしく堂々として、無駄に嫉妬で身を落とさないように。という内容のものであったという。この書状は国の重要美術品として現存している。


「しかし、こうやって皆が毎日笑える日も近くなったのぅ兄上。」

「そうじゃな。毛利を従えさせれば、九州も手に入ったようなものじゃ。もう少しでござるよ。それで、忠繁殿の手紙はどれでござるか。」


 秀吉は秀長から手紙を受け取ると、さっそく中身を開いた。


「忠繁殿も筆まめでござるな。」

「軍師様はなんと?」

「待て待て、ええと。」


 秀吉は笑顔で手紙の内容を読み始めたが、すぐにその笑顔は消え、手紙の内容に吸い込まれていった。



『ご無沙汰しております。備中攻めの様子はいかがでしょうか。


 今回は、私が藤吉郎様に送る最後のお手紙となりそうです。

 ここに書く内容は、信じられないかもしれないですが、すべて事実です。

 それを踏まえて、よくお考えいただき、

 早急に動いていただきたくお願い申し上げます。


 六月二日早朝、京・本能寺において、

 信長様と信忠様は明智日向守様の謀反に遭い、亡くなられます。

 私は最後まで信長様の軍師としてご一緒いたします。

 この手紙を藤吉郎様がご覧になる時には、

 すでにすべてが終わり、私も生きてはいないでしょう。


 藤吉郎様におかれましては、

 速やかに毛利と和睦し、京へ引き返してください。

 そして、光秀様と合戦し、

 必ずこれに勝利し、

 織田家の混乱を最小限にしていただくよう尽力お願い申し上げます。

 光秀様との合戦に際しては、

 大軍が一度に動けない山崎あたりが良いかと存じます。

 まずは天王山を手中に収め、

 高低差を持って戦を有利に進めてください。


 合戦勝利が相成りましたら、

 すぐに織田家重臣を集め、跡目を決める会合をお開きください。

 おそらく、

 勝家様や長秀様は次男・信雄様、三男・信孝様を推してくると思いますが、

 藤吉郎様は光秀様を駆逐した功労がありますので、

 自信を持って、

 信忠様の嫡子・三法師様を推し、周囲に同意を求めてください。

 三法師様を織田家の跡目として、

 藤吉郎様が後見人となることで、

 織田家の実権はあなた様のものになることは間違いありません。

 そして、信長様のご遺志を継いで、

 天下を統一し、戦のない時代を作り上げてください。


 また、この書状は、後に残らないように必ず焼却し、

 今後のことは官兵衛殿とよくよく相談し、

 これからの荒波を乗り越えていってください。

 短気は損気、物事をじっくり考え、

 正しい政をしていただくことを切に願います。


 終わりに。

 藤吉郎様、長年に渡りこの忠繁と交流をお持ちいただきましたことを、

 ここに厚くお礼申し上げます。

 藤吉郎様のこれからのご活躍を心より祈願申し上げます。


 追伸 わが妻・風花と、一子・繁法師をお願い申し上げたく、

    最後に一筆添えさせていただきます。


 天正一〇年六月一日

 右近衛少将 霞北忠繁

 親愛なる羽柴筑前守秀吉様』



 読み終えた秀吉は、思わず天井を見上げた。あまりに衝撃的な内容に、さすがの秀吉も考えが追い付いてこなかったのだ。


「兄上。軍師様はなんと?」

「・・・信じられぬ。」

「へ?」

「これは忠繁殿の遺書ではないか!」


 秀吉はそう言うと、溢れてきた涙を拭って手紙を秀長に渡した。秀長が手紙を広げると、正勝もそれを覗き込んだ。


「な、なんじゃこりゃあ!」


 正勝がわなわなと肩を震わせて声を荒げた。その時、黒田官兵衛が本陣屋敷へ駆け込んできた。


「殿! 京より急使でございます。驚かれますな、信長公が・・・。」

「本能寺で光秀に討たれたか。」


 先に言われたため、さすがの官兵衛も驚いたようだ。秀吉は秀長から手紙を引っ手繰ると、官兵衛に押し付けた。その顔がすでに涙でぐしゃぐしゃだったため、官兵衛はさらに驚き、手紙を広げた。


「こ、これは?」

「忠繁殿からの遺書じゃ。官兵衛、わしはどうすればいい。上様あってのこの秀吉じゃ。今、わしは何をすべきなのか、教えてくれぃ! 官兵衛!! わぁあ、上様ぁ!!」


 そう叫ぶと、秀吉は膝から崩れ落ちた。当たり前に、信長が天下を統一し、その一部を自分が治め、信長が明へ進攻する時は自分も一緒にと考えていた秀吉だ。ただの農民の子を、織田家という大名家の中で方面大将に任じ、大大名並みの立場と権限を与えてくれたのは信長だ。生きる拠り所は正に信長であったと言っていい。


 官兵衛はもう一度手紙を読みなおした。そして、


「殿、急ぎ毛利と和睦を結びましょう。忠繁様の申されるとおり、一番に取って返して逆賊明智光秀を討つのです。」


 そう言って秀吉の肩に手を置いて慰めた。


「討ってどうする。もう信長様はいないのじゃ、そのあと誰が天下を治められるというのか。太平の世など、夢のまた夢じゃぁ!」


 そう言って泣き続ける秀吉の頬を官兵衛は張った。そして秀吉の両肩を掴むと、まっすぐにその目を見つめた。


「しっかりなさいませ! 上様がその才能を見出して、農民であった殿を重用し方面大将にまでさせた。そして、あの上様が軍師として長年そばに置いた忠繁様が、あなたにこの遺書を残された。上様達が作りかけた太平の世を、一番近くで見てきたあなたが継いでいくのです。」


 官兵衛の言葉に、秀長も正勝も頷いた。


「兄上。軍師様が、謀反が起きる直前に、わざわざこの手紙を書かれて送ってきたのは、兄上だから今後を任せられると判断されたからじゃないのか。わしも、官兵衛の申す通り、兄上が上様の後を継いで天下をまとめるべきだと思うのじゃ。」


 弟の言葉に、秀吉は着替えたばかりの衣服でぐちゃぐちゃになった顔を拭いた。拭き終わった秀吉の顔は、もう泣きじゃくっていた秀吉ではなく、天下を見据えた天下人候補者の勇ましい顔になっていた。


「・・・官兵衛。知恵を貸せ、わしは今からなにをすればいい?」

「ははっ。まずは速やかに毛利に使者を送り、備中高松城主、清水宗治しみずむねはる一人が切腹すれば、和睦に応じると伝えましょう。その上で、城兵の命を保証し、さらに備中、備後、美作、伯耆、出雲の五か国を割譲すれば、これ以上、毛利に手出しはしないと伝えるのです。」

「五か国で応じるかの。」

「応じさせるのです。毛利家は元就の天下を狙うなの遺訓があります。輝元もきっと応じるでしょう。」


 官兵衛はそれ以外に、秀長や正勝に秘かに撤退の準備を進めるように指示した。


「よし。急ぎことを進めよう。やるぞ! 上様と忠繁殿の弔い合戦ぞ!」

「「おう!」」


 こうして、秀吉は毛利と和睦の誓書を交わし、備中高松城主である清水宗治は、水攻めでできた湖に子船を出し、その舟上で見ごとに切腹して果てた。秀吉はそれを見届けると、水攻めのために造った土塁の一部を破壊し、備中から撤退する。この速やかな撤退劇は、後に『秀吉の中国大返し』として語り継がれていく。



 秀吉が大返しの準備を進めるころ、光秀達はいまだ本能寺に残り、焼け跡を捜索していた。信長の遺体が見つからないのである。焼死体であっても掘り起こして晒さないことには、この戦いはすべて光秀の謀反として終ってしまう。


「もしや、上様は生きておられるのではあるまいか。」


 いまだくすぶる焼け跡を前に、光秀はつぶやいた。あの時、本能寺は焼け落ち、信長のために懸命に戦っていた小姓や侍女達もすべて討ち死にした。あの炎の中、抜け道でもない限り信長達が助かることなど考えられないことであった。妙覚寺に詰めていた信忠も、一度は二条城に籠って応戦したが、多勢に無勢、明智勢が城内になだれ込んだところで火を放ち、自刃して果てたという。こちらは信忠に従っていた多くの者が焼け死んだため、焼死体の数が多すぎてどれが信忠なのか判別がつかなかった。


「殿!」


 秀満が縛り付けられた黒人を引きずってきた。


「二条城へ向かう途中、あまりに暴れる男がいたため、取り押さえました。」

「そ、そなたは弥助ではないか。」


 弥助は左足に怪我をしていた。動きを止めるために矢で射抜かれたのだ。


「光秀様、アナタは酷い人デス。ナゼ、上様が死ななければいけなかったのデスカ!」


 そう言って暴れ出そうとする弥助を、秀満と他の兵達が取り押さえた


「弥助、これは謀反ではない。正親町天皇からの勅命により、信長を討ったのじゃ。」

「ワタシに難しいことはワカリマセン。デモ、上様は、光秀様のことを心カラ信頼し、織田家でも一番の武将だと言ってマシタ。忠繫サンは、アナタのことを恩人といい、大切な友人と言ってマシタ。それなのにアナタは・・・。悔しい、ワタシは悔しいデス!」


 押さえ付けられた弥助は、それでもなお光秀に掴みかかろうと暴れた。


「この、暴れるな!」


 秀満が刀に手をかけたため、


「止めよ!」


 光秀はそう一喝して治めた。


「この国に黒い肌の人物はおらぬ。秀満、近くの南蛮寺へ連れて行き、身柄を預けよ。」


 光秀はそう言うと、本能寺の焼け跡へ踵を返し、


「弥助、許せ。」


 それだけ呟くと、信長捜索のために歩いて行ってしまった。弥助はその一言を聞いて、光秀の心内が少しだけわかったのか、暴れるのを止め、素直に南蛮寺に引き取られていったという。弥助のその後については不明な点が多い、故郷アフリカに帰ったとも、南蛮時でかくまわれた後、相撲取りとして活躍したなど、はっきりしたことはわかっていない。


 光秀は本能寺の焼け跡を前に、目線を落として息を吐いた。


「わしは、どうすればよかったのじゃ。教えてくれ、忠繁殿・・・。」


 肩を落とす光秀に、語り掛ける者はいなかったという。本能寺はいまだにくすぶり、方々で煙を立てていた。


「殿・・・。」


 利三が声をかけた時、光秀は一筋の涙を流していたという。


「ふふ、煙が、目に染みてのぅ。」

「・・・そうですな。そろそろ引き上げましょう。やることはたくさんありますぞ。」


 利三はそう言って、光秀と共に本能寺を後にした。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/

「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、

ぜひ高評価お願いいたします!


秀吉の中国大返しには諸説あります。

あまりに手際が良すぎたため、

「秀吉黒幕説」まであるくらいです。


個人的には、

信長がいなければ秀吉の台頭はなかったので、

秀吉黒幕説はないのかなと思いますが、

貧しい農民時代を経験したからこそ、

すべてを手に入れたくなったというのはあるのかもしれませんね。


次回、山崎の合戦。

藤吉郎VS十兵衛、忠繁の親友二人が雌雄を決します。


どうぞお楽しみに!


水野忠

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