第八章 本能寺の変⑬
屋敷を出た忠繁は、一度安土城に戻ると、記録係の太田牛一に命じて墨を用意させると、二通の手紙を作成した。鬼気迫る忠繁の様子に牛一は声をかけることができなかった。
しばらくして手紙が書き上がると、
「太田殿。この手紙を至急送るように手配してくれ。」
そう言って牛一に渡した。
「わ、わかりました。」
「それから、太田殿に一つ命じたいことがある。」
「何でございましょう。」
「あなたは記録係でしょう。これまでの私の功績はすべて信長様の功績に書き換えてほしい。六角攻めも、長篠の鉄砲三段構えもすべてだ。歴史書の中に霞北忠繁の名前を残すな。いいな。」
「ええっ? でも、それでは少将様の数々の功績が。」
「だから、それはすべて信長様が考え、やったことにすればいい。都合の悪そうなところは削除しろ。いいな。」
納得のいかなそうな顔をしている牛一に、
「もし、後世に私の名が残っていようものなら、太田家にどんな災いが降り注いでも知らんぞ。」
脅かすようにそう言うと、信心深い牛一は、
「わ、わかりましたよぉ。」
そう言って渋々了承した。
「悪いな。」
忠繁は再度、手紙を必ず届けるように指示すると、外に飛び出し、十六夜で京へ向けて駆け出した。
六月一日、丹波亀山城。光秀は重臣の斎藤利三と明智秀満を自室へ呼び付けた。すでに軍勢は集まっており、あとは出陣の下知を待つだけの状態になっていたため、利三も秀満も今さら何の用だろうかと首をかしげた。
「殿、お呼びですか。」
「おぅ、入れ。」
二人は促されて中に入り、光秀の前に腰を下ろした。
「そなた達二人には、先に話しておこうと思うてな。」
「何か、ございましたか。」
「ああ。この度の出陣、行き先は備中ではない。京へ参る。」
二人は驚き、顔を上げた。
「京、とは、いかなることにございますか?」
秀満は、このしばらくの間、光秀の様子がおかしかったことで嫌な予感がしていた。禁裏に呼び出された後の動揺の仕方、威徳院での連歌の会など、おかしいことが続いていた。光秀は二人の顔を交互に見ると、息を吐くように自然な口調で言葉を発した。
「我らが攻める相手は、織田信長である。」
やはりそうか。と思った秀満と、まさかなぜ。と思った利三、光秀の両翼の反応は両極端のものだった。
「殿、信長公を討たれると申されるのか。」
そう言った利三の額には汗がじっとりと浮かび上がっていた。
「そうじゃ。だが、これは謀反ではない。正親町天皇よりの勅命である。」
光秀はまっすぐに目を見据えて言うと立ち上がった。
「兵馬は老の坂峠を越え、沓掛で休息させよ。皆にはそこで申し伝える。兵が動揺しないようにそこまでは西国に行くと思わせておけ。」
「ははっ。」
利三と秀満は頭を下げて光秀の退室を見送った。
「左馬助(秀満のこと)、殿は本気か?」
「本気も何も、勅命では従わざるを得まい。」
「しかし、信長公を討ったとて、そのあとどうするのじゃ。」
利三はそう言って首を振った。光秀を止めようと言うのであろう。しかし、秀満の考えは利光とも光秀とも違った。
「利三殿。信長公を討つは勅命ですぞ。ならば、天皇陛下のお墨付きをいただいた我らはいわば官軍、勅命において信長公を討ったとあれば、次の天下の主は光秀様ぞ。我らは天下人の家臣として、天下統一を成し遂げるのじゃ。」
「馬鹿を申すな。いかに勅命といえど、この戦いにどんな大義がある。仮に上様を討ち取ったからと言って、諸侯が明智家に服するとは思えんぞ。」
利三は反対したが、
「思うところはあろうが、陛下直々の勅命じゃ。逆らえば、殿も信長公も逆賊になり果てるぞ。」
秀満のその言葉に、利三は次の言葉が出てこなかった。信長を討っても謀反人。勅命に逆らえば禁裏への反逆者。どっちに転んでも明智家の命運は尽きたのではないか。そう考えると、利三は心に重くのしかかるものを感じていた。
丹波亀山城を出発した明智光秀の軍勢一三〇〇〇は、予定通り老の坂峠を越え、沓掛で休息させると、光秀は利光達に命じ、主だった武将を集めさせた。ここ沓掛は、南へ行けば京に行き、西に行けば備中方面へ出る。言わば分岐点であった。
光秀に命じられて集まった足軽大将以上の武将達は、静寂とかがり火の中、光秀が正面に立ったので背筋を伸ばした。どの武将も、これから秀吉の援軍に行くにあたり、光秀からの激励があるものと思っていた。
「皆、集まったか。わが軍はこれより南下し、京を目指す。」
光秀の言葉に方々で驚きの声が上がり、西国へ行くと思っていた諸将はざわつき始めた。これだけの人数である。信長を討つためということまで理解できなくとも、光秀が何らかの決意を持って京を攻めると理解できたものも多かった。
「静まれ! まだ殿の話の途中じゃ!」
秀満の一喝に、再び辺りは静寂を取り返した。
「驚くのも無理はなかろう。この度の戦は西国への援軍ではない。明智家は正親町天皇からの勅命により、ある人物を討つことに相成った。我らが討ち果たすべき人物は、右大臣、織田信長である。」
そして、光秀は刀を抜くと、天高く掲げた。
「敵は、本能寺にあり!」
その宣言に、先程までざわついていた武将達が一気に呼応した。
「「おおーっ!!」」
下知は下った。明智勢一三〇〇〇は粛々と南下を進めていった。各武将には、先走って信長に注進に走るような者がいたら斬れと厳命が下された。かくして、光秀は勅命により本能寺を目指すことを決断した。
天正一〇年(一五八二年)六月二日。忠繁は、暗がりを十六夜で駆け続けていた。本能寺の変は早朝に起きた出来事のはずだ。そうであれば、どこかで行軍から戦闘態勢に切り替えるはずだ。一〇〇〇〇以上の軍勢が準備を整えるとしたら、本能寺の西にある桂川ではないかと推察した。
おそらく、もう日付は変わっているはずである。早朝というのが午前四時や五時だとすると、もう猶予はないはずだ。暗がりの中、桂川に差し掛かると、対岸にわずかにだがかがり火が見えた。今日は月も雲で陰って闇が深い。そのために、かがり火は見えてもそこに軍勢が集まっているかはわかりづらかった。しかし、忠繁は躊躇せず川に進んだ。
「十六夜、頼むぞ。」
愛馬は主の声にこたえるべく、水面を蹴って押し進んだ。その蹄の音に気が付いたのか、光秀陣営が騒ぎ始めた。先手大将を命じられていた明智光忠は、槍を構えて前に出た。
「止まれ! 何者ぞ!!」
その声と槍の構え方で、それが光忠だとわかった忠繁は、
「光忠殿! 霞北忠繁にございます!」
馬上から大きな声で名乗りを上げた。
「なっ、忠繁様がどうしてここに?」
「火急の用で参りました。十兵衛様にお取次ぎ願いたい。」
忠繁は信長の軍師である。光忠は少し悩んだが、
「よかろう、参られよ。」
そう言って忠繁を光秀の元へ案内してくれた。光秀の本陣では、光秀本人と秀満、利三が最後の調整を行っていた。そんな中の忠繁来訪に三人は驚いた。秀満は小姓達に、合図と共に忠繁を斬るように命じ、草陰に控えさせた。
「十兵衛様!」
「忠繁殿、このような場所へ何用で参った。」
「お話があって参りました。どうか、お人払いを。」
その言葉に秀満達が反発したが、光秀はそれを制し、
「しばし忠繁殿と話をする。皆、下がれ。」
そう言って、周囲の近習達を遠ざけさせてくれた。
「十兵衛様。事ここに至っては、多くは申しません。」
「・・・。」
光秀は口を閉ざしていた。忠繁がどう出るのか見極めたかったのであろう。
「上様は、信長様はこのたびの件、すべてご承知で本能寺に入られております。」
「な、なんじゃと?」
「正親町天皇からの勅命であることも推察しております。勅命であれば光秀は断れぬ。信長様はそう申されております。」
明らかに光秀は動揺しているようだった。正親町天皇の勅命がと言うよりも、信長が自分達の襲撃を承知で本能寺へ入っているということが信じられなかった。
「十兵衛様。私から二つだけ確認させてください。」
「なんじゃ。」
「思い止まっていただくことはできませんか。今なら何とでもなります。このまま備中へ向かっていただければ、上様は何も咎められないでしょう。」
そう言って、忠繁は詰め寄った。このまま備中へ進路変更させられれば、本能寺は回避できる。そのあとのことなど、それから考えればいい。
「・・・忠繁殿、もはやこの光秀を止めることはできぬ。勅命には、逆らえぬ。」
その意味は忠繁にもわかっている。勅命を反故にすれば、光秀も信長も朝廷から見れば逆賊になる。そうなれば、いよいよ信長は禁裏を滅ぼすための軍を発するだろう。それから織田家が天下を取ったとしても、未来永劫、皇室を滅ぼした大逆一家として語り継がれていくだろう。
「どうしてこのようなことに。」
「信長様は常に禁裏のことを考えていた。そして、同時に国の将来を見据えておられた。そのために強い織田家を造られた。問題は、それを陛下に伝える者がいなかったことじゃ。陛下は孤独じゃ。誰も信じられなくなっておる。」
天皇であるがゆえに、周りは一言語り掛けることですら考えて言葉を発する。共に酒を飲んで笑い合う者などいないのであろう。そのために、疑心暗鬼を正す者もいなかったのだ。それに気が付いた時には、すでに手遅れだった。
「もう一つの確認とは何だ。」
「私はこれより本能寺へ参ります。事が成された後、十兵衛様がどのように動くかはわかりませんが、安土へ行くようでしたら・・・。」
「わかった。風花と繁法師はわしが必ず守る。誰にも手出しはさせん。」
それを聞くと、忠繁は安心したようにうなずいた。
「わかりました。よろしくお願いいたします。」
そう言って頭を下げると、忠繁の心の中でいろいろなことが固まったような気がしていた。歴史は動く、もう本能寺の変を止めることはできない。もとより、ここで光秀を止められる可能性など無いに等しかった。それでも、最後の最後まで、何とかできないかと抗ってみた。結果は変えられなかったが、やれるだけのことをやった奇妙な満足感はあった。
忠繁は頭を上げると、これで別れになる光秀へ、これまでの感謝を伝えた。
「十兵衛様。二二年前のあの日、私を助けてくださってありがとうございました。途方に暮れていた私を、あなたは温かく迎えてくれた。おかげで、よい人生を送れました。」
礼を伝え、もう一度頭を下げると、忠繁は立ち去ろうと踵を返した。
「忠繁殿!」
光秀に呼び止められ、忠繁は振り返った。
「そなた、丸腰で来たのか?」
「ああ、刀は、時霞はせがれに置いて参りました。」
「困ったやつじゃ。それでどうやって上様をお守りするのじゃ。」
光秀はそう言うと、自らの刀を外して忠繁に投げ渡してきた。
「お主と共に上様を盛り立てると言う約束は果たせなくなってしまった。それは詫びと餞別じゃ。」
「ありがとうございます。では、私からも。」
そう言いながら刀を腰に差すと、
「十兵衛様。小栗栖にお気をつけください。」
「なに?」
光秀が聞き返したときには、忠繁はもう走り出していた。その様子を遠巻きに見ていた秀満が、追っ手を出すように命じようとしたが、
「待てぃ!! 無用じゃ、行かせてやれ。」
そう言って、忠繁の背中を見送った。
「殿! 忠繁殿を生かしては、我らの企みは・・・。」
「よい。すでに承知済みじゃ。」
光秀は準備を進めるように命じ、床几に腰を下ろした。
「忠繁、許せよ。」
見上げた光秀の目には、ようやく雲が途切れて顔をのぞかした月と、そのすぐ近くに、霞北家の旗印である北斗七星が見えていた。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
次回、いよいよ本能寺の変。
その時、止まっていた時間が動き出す。。。
ご期待ください!
水野忠




