第八章 本能寺の変⑪
安土城を飛び出した忠繁は、自宅屋敷に戻ると、現代から一緒に舞い込んできたカバンを取り出した。それはあの日、光秀に会った時からずっと持っていた物達だ。中身を確認すると、それを持って安土城へ戻ろうとした。
「あら、お戻りでしたか。」
忠繁の足音がしたからか、風花が部屋に入ってきた。
「そんなに息を切らしてどうなさいましたの?」
「うむ。すぐに安土城へ戻らなくてはならないんだ。」
「そうですか。ああ、先程、光秀様からのご使者が参りましたよ。」
「なにっ?」
驚く忠繁に、風花は一つの簪(かんざし)を取り出して見せてくれた。簪と言っても、新しい物ではなく、何か、見覚えがあるような、懐かしいような感じがした。
「煕子様の簪にございます。」
そう言われてようやく合点がいった。そう言えば、生前、煕子がこの簪をしているのを見たことがあった。光秀が織田家に仕えるようになった時、支え続けてくれている煕子への感謝の気持ちと言って贈った物と言っていた。
「十兵衛様の使者は、なんと?」
「煕子様の形見の簪を、私に持っていてほしいとおっしゃっていたそうです。それだけ伝えると、ご使者様もすぐに引き上げられてしまいました。」
それを聞いた時、忠繁は光秀が謀反を起こす覚悟であることを悟った。理由はわからないが、この数日の間に光秀は謀反を決めてしまったのだ。
「どうして、十兵衛様・・・。」
忠繁の悔しそうな表情を見て、勘のいい風花は忠繁の話していたことの意味がわかってしまった。
「忠繁様。信長様を討たれるというのは、もしや光秀様が?」
驚く風花にただ頷くと、
「安土城に戻る。何としてでも上様を京へ行かせてはいけない。」
そう言って部屋を飛び出していった。この時点では、光秀にどんな心境の変化があったのかわからない。しかし、煕子の簪を風花に託すということは、光秀の次の出陣への覚悟が見えた。もう一刻の猶予もない。すべてを打ち明けてでも、信長を京へ入らせないようにするしかない。忠繁は街道を愛馬、十六夜で駆け抜けると、ひたすら安土城を目指した。。
「何故だ。どうして十兵衛様は謀反を決めた? そんな要素がどこにあった。」
頭の中の記憶をフル回転させて、今までの情報の中から答えを導きだそうとして、そして一つの偶然に行き当たった。
「正親町、天皇?」
信長を京に呼び出したのは正親町天皇だった。今、この国で信長に対して呼び出しなどできる者がいるとすれば、それは正親町天皇以外にはいない。それに、同じ時期に煕子の簪を娘ともいえる風花に託した。物証には乏しいかもしれないが、これまでの歴史の修正力を考えるとあり得る話であった。
「だが、なぜ正親町天皇が上様を殺す?」
信長は天下統一後に明を攻めると宣言した。そして、あの場には公家衆も参加していた。ということは、信長のその言葉が正親町天皇の知るところにもなっているだろう。それを野望と受け取った。馬揃えで軍事力を見せつけたのも、明進攻へ行くのであれば必要がないと、三職のいずれも断ったことも、正親町天皇側からしたら、自分を排除するための行動と誤解されているかもしれない。一つの意図が繋がった気がした。
安土城に到着する頃には、日は西に沈みかけ、辺りは薄暗くなり始めていた。あまりの勢いで城門を飛び込んだため、門番兵が驚いて歩み寄った。
「これは、少将様。そのようにお急ぎでいかがなさいました。」
「驚かせてすまない。急ぎの用事で天守に参る。」
それだけ言うと、忠繁は城内を駆け抜けていった。途中、馬舎に十六夜を預けると、息を切らせながら本丸へ急いだ。
「上様!」
信長は本丸の外で涼んでいた。どうやら風呂に入ったらしい。湯帷子を着た信長は、小姓に扇子で仰がせながら入浴後の火照った身体を冷やしていた。
「おぅ、どうした息を切らせて。何かあったのか?」
忠繁は大きく深呼吸をして息を整えると、
「上様、お人払いをお願いいたします。折り入って、お話がございます。」
ようやくそれだけ伝えられた。忠繁の剣幕に何かを察したのか、信長は立ち上がると、
「来い。」
そう言って忠繁を連れ、安土城の天守へ移動した。そして、忠繁を座らせると、
「ここなら誰も来ぬであろう。」
そう言って自分も腰を下ろした。忠繁は、大きく息を吐いた。
「上様。なにとぞ、今回の京行きは中止してくださいませ。」
「先ほどもそのようなことを言っておったな。忠繁、何があったのだ?」
「話します。すべてお話いたします。」
忠繁は背筋を伸ばし、もう一度大きく息を吐いた。とうとう、話さなければいけない時が来てしまった。いつかは話さなければいけないと思っていた秘密、しかし、ここまで話せなかったのは、打ち明けることで信長の近くにいることができなくなってしまうかもしれない、そんな恐怖からだった。
「霞北忠繁、上様に斬られるのを覚悟で申し上げます。上様に、ずっと黙っていたことがあるのです。私は、霞北忠繁はこの時代の人間ではございません。」
「なに?」
「私は、今から四〇〇年以上先の未来から、この時代に迷い込んだ者にございます。」
二人の間を静寂が包み込んだ。あけ放った天守に夜の初めの涼やかな風が入り込んできた。そのささやかな風の音さえ、大きく聞こえるような、すごく長いような、永遠とも思える一瞬の後、
「・・・であるか。」
意外にも、信長の口から出たのはその一言だけだった。
「あの、驚かないのですか?」
「何を言うかと思えば、そんなことか。別に驚きはせん。初めて会った時から、お前はどこか異質な感じはしていた。髪型や口調のせいかと思っておったが、そのように先の時代から来たというのなら、その異質な感じの説明がつく。」
あんまりすんなり受け止められたので、忠繁はかえって驚いた。
「それにな、おまえは余に仕えて何年になる。」
「二二年でございます。」
信長が何を知りたいのかわからず、忠繁は目を丸くした。出鼻をくじかれたような思いだ。
「そなたと余は一つしか歳が違わないはずじゃ。しかし、お前はこの二二年、姿かたちが変わらぬではないか。忠繁は老けぬ奴じゃと思うておったが、未来から来たとなればどんな理屈があっても不思議ではない。そなたの中の時間は動いていないのやもしれぬな。」
確かに、この時代に舞い込んでからは以前のように毎日鏡を見たりはしなかった。たまに、風花と携帯電話の写メを撮ってみるくらいだったが、そう言われて初めて、忠繁は自分の姿が変わっていないことに気が付いた。変わったと言えば身体付きくらいか。もう五〇になろうかというのに、中年太りもなく、体力の衰えなども感じたことがなかった。
忠繁はカバンから電子タバコや携帯電話を取り出した。それが未来の製品であることを説明し、信長の写メを撮って見せたりした。信長は冷静にそれらがどんなものなのか説明を受け、手に取り、真剣に話を聞いた。
「そなたがはるか先の世から来たことは理解した。それで、京に行くなとはどういうことじゃ。今更そのような秘密を打ち明けるくらいじゃ。何かあるのであろう。」
信長が理由を聞いてきたので、忠繁は自分の知る歴史を話し始めた。
「天正一〇年六月二日早朝、上様は本能寺において、明智日向守様の謀反に遭い、命を落とされます。それが、私の知る歴史です。」
「なんじゃと?」
さすがに、少なからず光秀謀反の話は信長を動揺させた。光秀と信長が仲違いするようなことは避けてきた。ここまでの光秀の忠節を考えれば、驚くのも無理はないだろう。しかし、信長の頭の回転力は、光秀が謀反を起こすのならば理由は少ないことをすぐに計算した。
「まさか光秀が。・・・そうか、黒幕は正親町天皇じゃな。」
「はい。私もそのように思います。十兵衛様の中国地方出兵と、正親町天皇からの茶会の誘いが重なったこと、すべて繋がっているように思います。おそらく、十兵衛様は正親町天皇から直接、上様の討伐を命じられたのではないでしょうか。」
「忠義者でまじめな光秀のことじゃ。あり得ることよ。」
まだ、確証は持てないが、それ以外に思い当たることがなかった。この時代の話だ。勅命であれば、いかに忠義者の光秀でも、いや、忠義者だからこそ、応じてしまう可能性は十分にあった。
信長は立ち上がると、天守の外に出て渡り廊下に腰を下ろし、安土の町を見下ろした。すっかり日は沈んでいるため、暗闇の中に少しだけ明かりが見えた。
「忠繁、こっちへ来い。」
「はっ。」
忠繁は信長の隣に立つと、同じように城下を眺めた。昼間であれば、遠くまで見渡せるだろう。
「余が本能寺で死んだ後、この国はどうなっていく。忠繁の知る限りでよい。そなたの時代にたどりつくまでの時の流れを教えよ。」
信長は涼やかな表情でそう聞いてきた。忠繁は信長の傍らに腰を下ろし、これから起きる自分の知る歴史を話し始めた。信長が本能寺において光秀に討たれること、光秀はその数日後に中国地方から大返ししてきた秀吉と戦い、山崎において敗れ、撤退中に小栗栖で命を落とすこと。
秀吉は、清須会議で実権を握ると、意見の分かれた勝家を討ち、一益を追放することで織田家を掌握し、やがて天下を統一すること。明国出兵を試みるが、うまくいかなかったこと。
そして秀吉が没すると、家康が実権を握り、関ヶ原、大坂の陣を経て天下を取り、江戸に幕府を開くこと。その江戸幕府は一五代二五〇年の歴史を作るが、大政奉還後、武士の時代に終わりを告げ、日本は新しい時代に入ること。
明治に入り、鎖国で今までは入ってこなかった西洋の文化がたくさん入り、日本は大きな近代国家になっていくこと。日清戦争、日露戦争に勝利し、軍事国家になっていくこと。
大正時代に入り、国民には選挙権が与えられ、平民の中から国の代表が選ばれるようになったこと。女性が社会に進出し始めたこと。
昭和時代に入り、軍拡を進めていた日本が太平洋戦争に敗れ、復興の時間をかけたのち、世界でも有数の経済大国になっていったこと。
平成時代に入り、長い不況が始まり、国民は必死で働いて生活を維持していったこと。その裏側で、太平洋戦争以来、戦いのない時代になったことも話した。
「そして、時代は平成から令和に移り、人々は平和に慣れ、それが当たり前であると錯覚するようになります。高齢化が進み、高齢者優遇の政治が進むと、若者が希望を持てないような時代になってきています。変革が必要な時になったのかもしれません。」
忠繁が最後にいた令和の時代は、この時代に比べれば文明が発達し、物にあふれ便利な時代だった。しかし、人々の心は退化しているのかもしれない。自分のことで手一杯すぎて、周りを気遣う余裕もない。いや、いろいろ余裕がないのはこの時代でも同じことだが、それでも、他人が困っていれば、たとえ見ず知らずの人でも世話をしてしまう。初めてこの時代に落とされ、途方に暮れていた忠繁を光秀が助けてくれたように。
「人が人を殺すのも罰せられる時代になるのだな。はは、わしはおまえの時代だったらとっくに打ち首であるな。」
信長はそう言って笑った。しかし、平民も分け隔てなく教育が義務づけられ、希望し努力すれば好きな仕事にも就くことができ、身分を関係なく好き合った者同士が結ばれる。そう言ったことが信長には響いたようだ。
「よい、時代になっていくのだな。」
「何を持ってよい時代か、それは難しい判断になりますが、確かに、便利な時代ではあったと思います。ただ、私がこの時代に来て感じたのは、武士も農民も共通して、生きるということに真剣で必死です。この二〇年、私も必死に生きてきました。」
忠繁の脳裏に、比叡山延暦寺や長島願証寺での出来事が思い返された。
「歴史は変えてはいけないのかもしれませんし、今まで試みてダメだったことも多々あります。それは、歴史というなにか目に見えない大きな力が修正していってしまうのだと、自分を納得させようと思ったこともありますが、しかし、この本能寺の変だけは、私には許容できません。上様にも、十兵衛様にも、生きていってほしいのです。」
そして、信長へ頭を下げると、
「ですので、どうか本能寺へは行かないでください。」
そう言うと、頭を上げて、次にこの二〇年の詫びを入れた。
「それから、この二〇年。上様を騙し続けたことをお詫びいたします。どんな罰でも慎んでお受けいたします。」
「罰? お前にどんな罪があると言うのか。」
何を言っているのかと、実に不思議そうな顔で信長が聞いてきたので、忠繁も同じような顔をしてしまった。
「私が上様の軍師として働けたのは、自分が知っている歴史をなぞったから、それだけでございます。それは自分の力ではありません。それを自分のことのようにして話したのは、罪だと思います。」
「であるか。・・・ふふ。」
そう言うと信長は頭をかきながら笑った。
「たわけ。それほど先の時代でおまえが知った知識など、せいぜい文献を見て学んだくらいであろうが。それを細部にこだわって戦略を練り、実践してきたのは他ならぬ忠繁の力であろう。予備知識があったからといって、誰でも同じ結果が出るとは限らん。」
そう言うと、信長は持っていた扇子で忠繁の頭をこつんと叩いた。
「どうしても罰してほしいと言うのであれば、今ので十分じゃ。おまえは戦略を立てる時も計略を用いる時も必ず前線で自ら指揮を執っていた。それは紛れもなく忠繁の本気であり、忠繁の力じゃ。数々の功績、そしてそなたの忠節、なんの疑いもなきことぞ。」
「上様、ありがとうございます。お言葉、かたじけなく・・・。」
今になって、ようやくこの二〇年の時間が忠繁にとって意味のある物になったと思えた。信長は天守の外の柵に腰かけ、頭を下げ続ける自分の軍師の姿を見て、あごに手を当てた。本能寺へ行けば自分は光秀に殺される。それが忠繁の知る歴史の顛末だと言う。
たった今、忠繁が話してくれた歴史の流れを思い返し、信長は一度息を吐くと、笑顔で宣言した。
「やはり、余は本能寺へ行こう。」
「えっ!? 待ってください。本能寺へ行けば上様は!」
「わかっておる。行けば死ぬであろうな。しかし、もう決めた。」
信長はそう言うと、再び安土の町を見下ろした。それから、忠繁が何を言っても信長は本能寺行きを決めたと取り合わなかった。何とか取り下げてもらいたいと必死に食い下がったが、信長は涼やかな顔で首を振った。
「もうよい。忠繁、おまえが余を心配する気持ちはようわかった。かつて、帰蝶が言っておったな。忠繁ならば、決してこの信長を裏切ることはないであろうとな。」
信長が忠繁の気持ちを理解しているのはわかっていた。しかし、本能寺へ行くことを決めたというのには、何か理由があるのではないかと忠繁は考えたが、わざわざ命を落としに行く理由が見当たらなかったのだ。
「おまえが二〇年隠し続けてきた秘密を打ち明けてくれたからな。余も、おまえに打ち明けてやろうと思う。心して聞けよ。」
夜風が、二人の間を駆け巡っていった。何を打ち明けるのかはわからなかったが、そう言ってからも信長はなかなか口を開こうとしなかった。何か、どの部分から伝えようか悩んでいるようだった。
「・・・余は、一三回目なのじゃ。」
確かに信長はそう言った。その言葉の意味がわからず、忠繁は信長の顔を見つめて次の言葉を待った。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
ついに忠繁の告白、
そして、信長も自身の秘密を打ち明ける覚悟を決めました。
本能寺の変前段!
次回もお楽しみに!
水野忠




