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時霞 ~信長の軍師~ 【長編完結】(会社員が戦国時代で頑張る話)  作者: 水野忠


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第八章 本能寺の変⑩

 安土城を出た光秀は、丹波亀山城に戻ると、さっそく斎藤利三に中国遠征軍の編成を命じた。自室にて部隊編成を考えていたところに、禁裏からの使者が来訪する。それは、正親町天皇からの呼び出しの使いであった。京都の総奉行に任じられてから、禁裏との付き合いの中で、度々正親町天皇とも顔を合わせている。こういった呼び出しも何度目だろうか。御所の修繕や、天皇が茶会を催すための費用の無心など、他愛もない内容であろうと考え、光秀は、斎藤利三や明智秀満達に準備を進めるように伝えると京へ急いだ。


 京都御所に付くと、正親町天皇は別室にいると言われ、普段住まいにしている清涼殿ではなく、東にある小御所に通された。光秀が御所についた辺りで、しとしとと雨が降り出した。その雨は時間を置かず強くなり、屋根に当たる雨音が辺りの他の音をすべて消し去っていった。遠くで雷も鳴り出したようだ。


「来たか、光秀。」


 小御所の奥の間で正親町天皇は待っていた。辺りには誰もいない。いや、小御所に入ってからも誰にも会っていなかった。


「案ずるな。この小御所におるのはそなたと余だけじゃ。」


 光秀は一礼すると、正親町天皇の前に腰を下ろし、再び頭を下げた。


「惟任日向守光秀、お召しにより参上いたしました。」

「うむ。」


 まだ昼過ぎだと言うのに、雨のために室内は薄暗い。光秀から見て正親町天皇は少しやつれたようにも見えるが暗さのせいだろうか。外では雨が強くなったせいで、建物に打ち付ける雨の音が大きく、よく耳を澄ましておかないと会話も難しくなってきていた。


「陛下、お加減でもよろしくないのですか?」

「そうじゃな。悩みがあってのぅ。このところはよく眠れぬのじゃ。」

「それはよくありません。今度、若狭などで取れた魚介をご用意いたしましょう。」

「いや、それには及ばぬ。眠れぬ原因はよくわかっておるのじゃ。光秀、そなたにはその原因を解決してもらいたい。」


 正親町天皇はそう言うと、おもむろに立ち上がって戸を開けた。だいぶ雨足が強いようだ。雷も近いのか、音が大きくなったようだ。


「陛下。この光秀に出来ることでしたら、何なりとお申し付けください。」

「そうか、助けてくれるか。」

「ははっ!」


 もう一度、稲光が光り、耳をつんざく様な雷鳴が鳴り響いた。稲光が正親町天皇の顔を照らし出し、色白の肌が浮かび上がった。しかし、その表情はとても沈んでいて、身分ある人とは思えないような暗い表情をしていた。


「・・・織田信長を、討て。」


 もう一度、稲光と共に大きな雷鳴が響いた。思わず、光秀は息を飲んだ。


「今、なんと?」


 聞き間違えたかと思い、光秀は聞き返した。すると、今度ははっきりと聞こえる声で、正親町天皇は口を開いた。


「明智惟任日向守光秀に命ず。逆賊、右大臣織田信長を討て! これは勅命である。」


 光秀は返答もできず、つばを飲み込んだ。急に喉が渇く感覚と、心にのしかかった大きな塊。瞬きすることすら忘れ、指一本動かすこともできなかった。


「な、何故にございますか。」


 ようやく絞り出したその言葉は、自分の声とは思えないほど上ずっていた。正親町天皇は戸の前で吹き込む雨も構わないまま、肩を濡らして立っていた。


「信長は天下統一後、各地を分けて統治すると言ったそうじゃな。征夷大将軍にも関白にも太政大臣にもならないと言う。それは、統一後、自らこの国の王になろうと考えていることに相違あるまい。わしに譲位を進めるのも、若い誠仁の方が扱いやすいからであろう。」

「お、恐れながら申し上げます。もともと立場や役職には興味の薄い方ゆえ、関白にも太政大臣にもならぬのではないかと。それに、いまだ足利義昭殿は将軍職を返上しておりませぬ。いかに陛下の推任と申せ、天下に二人の征夷大将軍があれば、それは次の戦乱の火種になりうること。また、陛下に譲位を進めたのは、ここしばらくは京も混乱の極みで、天皇が上皇へなる儀式ができていなかったゆえに、元に戻そうと・・・。」

「光秀!」


 光秀の必死の弁明を、正親町天皇は遮った。


「余の勅命じゃ。信長を、討て。信長と嫡男の織田信忠は、余の命によって京に入る。そこを討つのじゃ。今一度申し付ける。逆賊、織田信長を討て、これは勅命である。」


 正親町天皇はもう一度命じると、戸を閉じて肩に付いた水滴を軽く払うと、退室するために歩き始めた。


「日向よ。しかと、申し付けたぞ。」


 すれ違いざま、改めてそう言うと、光秀を残して小御所を出ていった。一人残された光秀は、ぐるぐると頭の中で駆け巡る情報が処理しきれず、しばらくその場から動くことができなかった。



 その頃、甲斐へ巡視に出る準備を整えていた信長と忠繁であったが、正親町天皇が京都御所内で茶会を開くので参加するよう求める使者を受け、急遽、京へ行く準備に切り替えていた。そのため、安土城内は上へ下への大騒ぎであった。


「信忠も京の明覚寺に入るそうじゃ、すでに岐阜を出発して、明日にも京に着く。わしの寝所はいつも通り本能寺にするように貞勝に命じてある。甲斐の巡察はそのあとじゃな。」


 信長から本能寺行きを伝えられた忠繁は、突然の話にめまいを覚えた。あれだけ根回しをして、この数年は本能寺の変を回避するように動いてきたが、まさか正親町天皇が信長を呼び出すとは考えもしなかった。


「う、上様。京での茶会、延期するわけにはまいりませんか。」

「何を言っておる。陛下の呼び出しでは予定は変更できん。」


 今、日本全国で信長を呼び出しできる人物と言えば、信長よりも立場が上の者、つまり、正親町天皇以外にはありえない。その正親町天皇から京へ来いと言われれば、行かざるを得ないのは当然のことであった。


「いや。茶会の後に甲斐へ行ってからサルの援軍ではちと面倒じゃな。先に毛利を片すとするか。」


 信長は留守居役の蒲生賢秀(がもうかたひで)に、中国援軍のための兵を取りまとめておくように指示を出した。そして、そのまま賢秀と一緒に部屋を出て行ってしまった。


「忠繁様、顔色が悪うございます。少し休んできたらどうですか?」


 蘭丸に声をかけられ、忠繁は城内で呆然と立ち尽くしていたことに気が付いた。見渡せばすでに信長の姿はなく、京都行きと中国行きの準備で多くの家臣達が右往左往していた。


「蘭丸。上様は?」

「さて、賢秀様とお話の後、陛下に献上する品を相談しながら出ていかれましたが。」


 今も頭の中は真っ白だった。ただ、忠繁の心にあるのは、本能寺行きを何としてでも止めなければならないということだった。


「蘭丸、一度屋敷に戻る。夕方までには戻ってくる。」


 忠繁はそう言うと部屋を飛び出していった。様子がおかしかったので蘭丸は首をかしげて見送った。



 五月二七日、光秀は愛宕山にある愛宕権現(現在の京都市右京区)に参拝した。その時、光秀は三度おみくじを引いたと言われている。


「凶、大凶、大吉。か。」


 それが何を暗示するものかはわからなかったが、何をやっても光秀の頭の中ではどうするべきなのか、迷いの心が渦巻いていた。


「大凶と大吉を一度に出すとは、なかなか複雑な運勢ですな。」


 覗き込んで無邪気にそう言ったのは明智左馬之助秀満であった。秀満はかつて三宅弥平次と名乗っていたが、有岡城が落城し、光秀の長女である岸が戻ってくると、光秀の許しを得て岸を正室に迎え、明智秀満を名乗るようになった。光秀の側近中の側近であるが、義理の息子にもあたる。


 中国地方援軍を前に、急に光秀が愛宕権現に参拝に行くと言ったので、勝手に付いてきたのだ。


「御所で何がございましたか?」

「秀満。」

「先日、御所からお戻りになられてからずっとふさぎ込んでおられます。この秀満にお話しくださいませぬか。」


 秀満も、光秀がこの数日様子がおかしいことに気が付いていた。光秀は頑固というよりも、家臣に心配をさせぬように自分の中に塞ぎ込んだり、言いたいことを言わずに気を使ってしまうことが多々ある。現在で言えば、真面目でストレスをためやすい性格とも言えた。


「何もない。心配させてすまぬな。」


 光秀はそう言うと、用意された寝室に早々に引き上げてしまった。秀満は腕を組んでため息を吐いた。光秀は寝室に籠もると、ろうそくに火を灯し、暗闇の中でその炎を見つめ、正親町天皇に命じられたことを頭の中で繰り返した。天皇の勅命と言えば、主命よりも重いものだ。しかし、それは信長に背くということでもある。信長を討てと言う勅命か、秀吉の援軍に行くと言う主命か、


「わしは、どうすればよいのじゃ。」


 光秀がつぶやいた言葉に、返してくれる者はいなかった。



 翌日、威徳院で行われる連歌の会に参加した光秀は、硯に墨を擦りながら、心の中はいまだに勅命と主命の間で揺れ動いていた。今日の連歌の発句は光秀からである。しかし、一向に始まる気配はなく、一心不乱に墨を擦る光秀の姿に、その場にいた者達は息を飲んだ。それは、何者も寄せ付けない一種のオーラが光秀を包み込み、声をかけることすらためらわせるような強さがあった。


「あ、明智様?」


 同席した連歌師の里村紹巴(さとむらしょうは)が声をかけると、光秀は手を止め、筆を持つと一気に句を書き記した。そして、書き終えると目を閉じ、ゆっくりと大きく息を吸い込んでいった。一瞬、呼吸を止めたのち、光秀はたった今出来上がった句を詠み始めた。



「・・・時は今、天が下しる、五月かな。」



 光秀の発句が詠まれると、その場にいた誰もが感嘆の息を漏らし、その素晴らしさを褒め称えた。


「素晴らしい!」

「何と流れるような句じゃ。さすがは日向様。」


 しかし、ただ一人、その句を聞いて顔を青ざめさせた者がいた。紹巴である。紹巴は昨夜、光秀と同宿したが、ずっとため息ばかりついて目が虚ろだったのを覚えている。話しかけても上の空で、心配していた矢先の句がこれだった。


 連歌の会が終わり、光秀は秀満を伴って愛宕山を降りようとした。そこへ紹巴が追いかけてきて、帰りがけの光秀を呼び止めた。


「明智様! 明智様! お待ちくだされ!!」


 その手には、先ほど光秀が詠んだ短冊が握られていた。


「紹巴殿、何かございましたか。」


 穏やかな表情に戻った光秀は、もう紹巴の知るところのいつもの光秀のようにも見えた。しかし、眼は、光秀の眼だけは、深い闇に捕らわれてしまったかのような濃い色をしていたため、紹巴の緊張感は大きくなった。しかし、これだけは言わなければと、気付いてしまったことを伝えねばと思った。


「この句、この句はいけません。私は、恐ろしい!」


 肩を震わせながら紹巴は短冊を突き付けた。『時は今』は、光秀の生家ゆかりの『土岐氏』を現し、『天が下しる』は、『天下を治める』を現し、『五月かな』は、決起は今まさにこの時であることを示していると思ったのだ。


 しかし、光秀は右手を出して、それ以上言うなと紹巴の言葉を制した。


「紹巴殿、それ以上は無用です。ご自愛なさい。」


 そう言ってほほ笑むと、それ以上の言葉は許さず、光秀は丹波亀山城へ戻っていった。紹巴は『自愛せよ。』という言葉に背筋を凍らせ、それ以上の追及ができなくなってしまった。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/

「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、

ぜひ高評価お願いいたします!


いよいよ歴史が動き始める。

ここからは怒涛の展開になります。


皆様、どうぞ付いてきてください!

次回もお楽しみに!


水野忠

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― 新着の感想 ―
[一言] 天皇首謀者説ですか この流れで光秀に謀反させるにはこれしかないでしょうね
[一言] 三代続けて譲位できずに崩御しているから病気がちになった正親町天皇が譲位を望まないわけがないと思うんですが。
[一言] 結局主人公はほぼほぼなにも変えられなかったんだね……。 となるのか、 あるいは大規模改変がここぞとばかりに突き刺さるのか。 狙いどおりの構成だったというわけですね。
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