第八章 本能寺の変⑨
信長と忠繁が安土に戻ると、その帰りを待っていたかのように、正親町天皇の使いとして山科言継が登城した。
「陛下は、信長殿に太政大臣、関白、征夷大将軍のいずれかを選び、就いてほしいと願っております。」
言継の申し出は、正親町天皇がいかに信長に気を回しているかがうかがえた。
「言継殿。陛下のお気遣い誠に恐れ多きことながら、いまだ天下は定まらず、その役にはこの信長はまだまだ未熟、天下統一後にでも考えましょう。」
「しかし、陛下は是非にと申されておる。それに、天下は定まらずと申されても、すでに国内の大半は信長殿に服しているはず。今でも早いことはないと思うが、いかがかな。」
武田家を滅ぼした事実は全国に衝撃を走らせた。東北の伊達家、最上家、九州の大友家、島津家などは織田家と友好的な交流を持ちたいと働きかけてきている。中立国を除けば、はっきり信長と敵対しているのは越後の上杉家と、四国の長宗我部家、中国の毛利、この三家くらいであった。いよいよ信長の天下統一は近付き、各国は織田家が統一後、その中でどのように立ち振る舞うかを考え始めたのである。
「言継殿。今は天下統一の大詰めの段階、陛下にはどうかよしなにお伝えくだされ。」
そう言って、信長は正親町天皇からの申し出を体よく断った。言継は説得できなかったことが無念だったのか、ため息を吐きながら禁裏へ帰っていった。
「征夷大将軍になって、各国へ臣従を迫っても良かったのではないですか? 従わなければ攻める口実にもなりましょう。」
言継を見送った忠繁がそう言ったが、
「さすがの忠繁も忘れているようじゃが、毛利の元にはまだ義昭がおる。一応、あやつがまだ征夷大将軍じゃからな。将軍が二人になっては、天下の混乱のもとになろう。」
関白は天皇の補佐で公家の最高位、太政大臣は太政官の長官である。役職に就くなら、武家の頭領たる征夷大将軍だが、足利義昭はまだ将軍職を返還していない。有名無実のため、信長が正親町天皇からの推任を受けて就いたとなれば、事実上、誠の征夷大将軍は信長になる。また、今の信長なら、そうすることは容易いことではあるが、
「反織田派の旗印を与えるべきではないですね。」
忠繁はそう言ってうなずいた。毛利が義昭を担ぎ上げ、誠の征夷大将軍は足利義昭である。その旗のもと逆賊信長を討て、などと檄を飛ばされては、今は織田家にいい顔をしている各地の大名も、手の平を返さないとは言い切れない。
「余が征夷大将軍になるとすれば、義昭が悟って、自ら将軍職を返上したあとであろうな。」
信長はそう言うと、言継が土産だと言って持ってきた金平糖を口に入れた。信長は南蛮菓子と呼ばれる甘い物が好きで、たびたび金平糖やカステラを取り寄せている。
京へ戻った言継は、正親町天皇へ不首尾を報告しに行った。
「そうか。やはり信長は受けなかったか。」
「やはりとは、信長殿がお断りされるのを承知だったのですか?」
「信長がどう考えているのかを知りたかったのじゃ。面倒をかけたな、言継、ご苦労であった。」
「ははっ。」
言継は一礼して部屋を出ていった。正親町天皇は一人になると、天井を見上げてため息を吐いた。
信長は四国進出に際して、調整を続けていた長宗我部家との交渉を打ち切る決断をした。丹羽長秀を四国方面大将、織田家本体からは信孝を援軍として出陣を命じた。長宗我部家を残す代わりに、伊予(愛媛)、阿波(徳島)、讃岐(香川)を割譲するように命じたが、四国統一を悲願としてきた土佐(高知)を治める長曾我部元親はこれを拒否した。
この長宗我部家と織田家の調整役をしていたのは、畿内を治める光秀の役割であったが、信長のこの決定は、光秀の今まで調整に当てた苦労が、すべて水の泡になってしまう決断であった。
忠繁は四国攻めの決定を受け、すぐに光秀に書状を送っている。その内容は、今までの光秀の交渉を労い、いよいよ譲歩しない元親にしびれを切らし、信長が討伐を決めたというものでった。決して、光秀の顔に泥を塗るようなことではなく、光秀が懸命に交渉してきたのを、元親が突っぱねたからだと言って慰めた。
長秀と信孝の連合軍一二〇〇〇〇の四国進攻は、六月二日から始められる予定になった。忠繁は、兵を淡路から阿波に渡らせ、信長に降った三好康長(みよしやすなが)の兵と合流、讃岐からは信孝、伊予からは長秀の軍が兵を進め、元親の本拠地である土佐を二方向から攻め入る作戦を立て、二人に指示した。
四国攻めの準備が進む中、家康から駿河加増の礼をしたいと、安土訪問の打診があった。信長は忠繁に、その接待役を光秀に命じるように指示した。
「長宗我部のことが一段落したからな。光秀ならば教養も高いゆえ、しっかりと饗応役(接待役)を果たすであろう。」
その信長の心には、長宗我部家交渉に際して光秀の顔に泥を塗ってしまう結果にしたため、直接会って詫びを入れたいという気持ちがあった。そのうえで、光秀に家康の接待を任せ、その成功を持って『さすが光秀である。』と天下に知らしめ、光秀の株を上げようとしたのだ。
当初、信長は恭順の姿勢を見せた元親に対し、伊予と讃岐を割譲すれば土佐の本拠は安堵し、その働きによっては四国を任せてもよいと考えていたが、元親は自分達が勝ち取った土地を渡すわけにはいかないとこれを突っぱねた。そのため、四国制圧に切り替えたのだ。断れば長宗我部討伐が始まるのは必定だったため、光秀は再三にわたり元親へ使者を送り、同じ四国統一の悲願を果たすのであれば、抵抗ではなく、織田に降った後の働きで四国統一を目指すべきだと説いたが、元親はとうとう聞き入れなかった。
光秀は準備を整えると、丹波亀山城を出て安土へ向かった。その途中、安土城下の忠繁の屋敷に出向くと、忠繁と風花が出迎えてくれた。
「おぅ、忠繁殿もおったか。お邪魔するよ。」
「十兵衛様、ご無沙汰しております。」
忠繁は光秀を中へ案内すると、戸を開け放って外の風が入るようにした。
「気持ちのいい風じゃのう。」
「十兵衛様は家康様の接待役で参ったのですね。私もお手伝いいたしますので、何なりとお申し付けください。」
「うむ。それは助かる。」
「あの、十兵衛様。四国の件は、大変残念でございました。上様もせっかく十兵衛様が時間をかけたのを、反故にする形になってしまったことを気にされておりました。」
忠繁は、長宗我部の一件で信長が気にしていたことを伝えた。
「いや、わざわざ手紙までもらって悪かったな。なに、別に気にはしておらんのじゃ。元親殿はなかなか頑固者でな。そろそろ上様が四国討伐をお決めになるであろうと、予想はしておったのじゃ。」
「そうでしたか。」
「それよりも問題は中国方面じゃな。忠繁殿なら聞いておるだろうが、秀吉殿がなかなか苦戦をしていると聞いておる。」
「はい。毛利本隊がそろそろ来るのではないかということで、何度か上様に援軍の要請が入っております。」
「やはりな。家康殿の饗応役が終わったら、秀吉殿の援軍、わしが申し出ようかと考えておるのじゃ。」
忠繁はそれを聞いた瞬間、ドクンと、自分の胸が鳴ったことに気が付いた。光秀の中国方面援軍、それが途中で京行きとなり、本能寺の変が始まる。
「い、いや。十兵衛様は京の取りまとめがございましょう。」
「はは、今の京は安定しておって退屈していたくらいじゃ。四国の件もお役御免じゃからな、家康殿の饗応役が終わったら毛利攻めに行こう。知っておろうが、織田家と敵対している勢力はもはや限られている。天下統一は近いぞ。」
「光秀様は、この国をまとめられる大役がございますものね。」
なんとか、光秀の気持ちを中国攻めから遠ざけたかったが、歴史の修正力なのか、何かに導かれていくかのようだった。
「忠繁殿。そのことなのだが、上様は本当に明へ攻め込むつもりか?」
「よく話をされております。来年以降ですが、先に朝鮮や明に間者を潜り込ませ、向こうの戦力や社会情勢などを探ります。その間に大海を渡れる戦船を作り、そこからさらに戦略を練って攻め込みます。」
信長の話を聞いている限り、実際に海を渡れるのは五年以上後の話になりそうだ。当然、史実ではその夢は叶わないのだが、渡海する夢を語る信長は、まるで少年のようにキラキラしていた。
「上様からは、中央にて政権を見ろと言われておるが、できれば上様の隣で戦いたいものよ。」
光秀が信長を慕っているのが良くわかる。本能寺の変まで残り一ヶ月と少しだが、この光秀を見ている限り、もう本能寺の変は回避できたのではないかと考えてしまう。
「十兵衛様は、本当に信長様がお好きなんですね。」
「ん? はは、そうじゃな。拾ってもらった恩もあるが、あの方を見ていると、本当に戦乱が終わると思える。武田討伐でそれを確信した。明智家も、戦で命を落とした者が少なくないからな。」
光秀の父である光綱(あけちみつつな。諸説あり。)も、養父であった光安も戦場で命を落としている。
「明へ進攻しても、それで戦乱の地域がなくなっていくのであれば、戦う意味はあるじゃろう。」
信長の言う富国強兵が成れば、他国の侵略を受けない強い日本を作ることができる。そして、それは歴史を大きく変え、忠繁の知らない世界になっていくのであろう。ただし、本能寺の変が起きなければだが。
「十兵衛様。この忠繁、生涯にただ一度のお願いがございます。」
「どうしたのじゃ改まって。」
「どうか、いつまでも上様の傍にあって、十兵衛様が織田家を支えていってくださいますよう。お願い申し上げます。」
忠繁はそう言って頭を下げた。もはや、直接光秀に頭を下げてお願いするくらいしか方法が見つからなかった。
「それはいかんな。」
困ったような、否定的な返事に忠繁は頭を上げた。光秀はいつになく難しい表情で忠繁の肩に手を置いた。
「上様を支えるのは無論のことじゃ。しかし、それはそなたも一緒にじゃ。忠繁殿は上様の軍師であろう?」
「あ、はい!」
光秀の言いたいことに、忠繁は笑顔になった。光秀は大丈夫だ、もう本能寺の変は起きない。そう思えた。
「おじじ様~!」
「おおう! 繁法師、大きくなったなぁ!」
昼寝から起きたのか、繁法師が駆け寄って光秀に抱き上げられた。
「はは、重くなったのぅ。」
「繁法師はもう六歳でございます!」
繁法師は光秀のことを『おじじ様』と呼ぶ。光秀にとっては孫のようなものだ。そして、身寄りのない風花にとって、光秀は父ともいえる。あとから入ってきた風花も光秀の隣に座って繁法師の頭を撫でた。この幸せな光景が、いつまでも続くものだと思った。
光秀は、忠繁の助力を受けて安土城内に宿所を作ると、家康を迎え入れる準備を整えた。信長と調整のうえ、食事は広間において、かつて忠繁の屋敷で行った会食形式にすることにした。
宿所の調度品は華美になりすぎないようにし、宿所の奥には風呂場を用意して、安土城の天守を眺めながら入浴できるようにした。普通なら金も時間もかかることだが、何といっても天下の織田家である。金に糸目をつけない辺りが天下人というものか。
家康到着の前日、光秀は信長に宿所などの検分を願い出た。忠繁は信長について回ったが、何度も調整をしていたので、信長にも満足してもらったようだ。何かの書物で、この宿所が華美すぎて不興を買ったというのを読んだ記憶がある。そのために、光秀にアドバイスして、高価になりすぎないように、あくまでももてなしを第一とした準備を心がけさせた。
「光秀、誠に見事である。これなら家康も満足しよう。」
「ははっ。ありがたき幸せにございます。」
「引き続き頼むぞ。」
「かしこまりました。」
その日の夜は、軽く食事を済ませると、光秀は早めに休むことにした。
翌朝、徳川一行は予定通り安土城に入った。
「ほぉ、これはまた見事な城にございますなぁ。」
豪華絢爛な天守閣を見上げて、家康は感嘆の声を漏らした。この時、家康は酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、石川数正など、重臣ばかり三〇名ほどで安土に入ったと言える。正直、ここで家康達を討ち取りでもしたら、徳川家はそっくり織田の物になるくらいの重要人物が集合した。それだけ、家康が信長を信用しているということである。
会食では、信長は各席を回って徳川家臣団をもてなした。忠繁も光秀も信長を補助し、客人である家康達がくつろげるように心を砕いた。
「なるほど、この会食形式は忠繁殿の考案であったか。初めは面食らったが、相手との距離を近く食事をすることができる。素晴らしいものですな。いや、こんなに心安らかに酒を飲めるのはいつ以来であろうな。お二人には感謝いたしますぞ!」
家康は酒を飲みながら、忠繁と光秀の苦労を労ってくれた。あの猛将と言われた本多忠勝も、信長の酌で酒を受け、姉川の戦いなどでの勇壮ぶりを褒められると、顔を真っ赤にして喜んだ。
「上様、お待たせいたしました。」
忠繁は、今出来上がったばかりの料理を信長と家康の座る机に持ってきた。
「家康様。上様からのご指名のお料理にございます。」
それは、小皿に盛られた天ぷらであった。料理は光秀の合図で各将にも配られた。
「信長殿、これは、まさか・・・。」
「そうじゃ。鯛の天ぷらじゃ。」
その瞬間、家康は目に涙を浮かべた。この料理は、光秀と三人で調整していた時に、信長からなんとか作ってくれと依頼された料理だった。
「殿、いかがされた。」
家康の涙に驚いたのか、忠次が声をかけてきた。家康は手を挙げて大丈夫であることを示すと、皿を手に取って話し始めた。
「わしが織田家に人質になっていたことは皆も知っておろう。腹が減ったわしに、見かねた信長殿は瓜を持ってきてくれたのじゃ。子供だったわしは、鯛の天ぷらが食いたいと駄々をこねた。すると信長殿は、わしが大きくなって、共に天下を語れる相棒になったら腹いっぱい食わしてやると申されてな。信長殿はそれを、覚えて・・・。」
再び涙を流す家康を見ながら、
「本当であれば、とっくに馳走しなければならなかったのだがな。遅くなって悪かった。さぁ食え、家康。」
信長は満面の笑顔でそう言った。家康は拝むようにして頭を下げると、鯛の天ぷらをひとつまみし、口に入れた。
「・・・美味い。こんなに美味い物を食べたのは、初めてじゃ。」
そう言うと、涙を流しながら頬張っていった。
「約束通り、たくさん用意させてあるからな。倒れるまで食え。ははは!」
こんなに笑った信長は久し振りであった。家康も満足いくまで食べて飲んだ。光秀も忠繁も、もてなしながら徳川家の面々との交流を楽しんだ。きっと、天下が統一されればこのような場面がもっと増える。そう思うのだった。
宴会後、信長は安土城の天守に光秀を呼び出した。忠繁は信長に命じられて茶を点てた。実は、何度か堺を行き来するうちに、千宗易に頼み込み茶の湯を学んだのだ。
「光秀、大儀であった。礼を申すぞ。」
「かたじけないお言葉にございます。」
「家康達は、明日、堺を観光してから浜松に戻るそうじゃ。」
茶ができたため、忠繁は二人に差し出した。茶を飲み干すと、信長は地図を取り出した。そこには各地の戦況が書き込まれていた。
「勝家は順調に越中へ進攻している。一益は北関東に進出し、信孝と長秀は間もなく四国制圧に入る。あとは秀吉の毛利攻略じゃな。」
「上様。その秀吉殿から、援軍要請が来ておるとか。家康殿の饗応役もお役御免となるゆえ、その援軍、それがしにお命じください。」
やはりそうなったかと忠繁は思った。先日のうちに、忠繁は信長に援軍に関して相談していたが、どう見ても光秀以外に援軍に行ける将がいないのだ。信忠は岐阜にあって、甲斐を治める川尻秀隆の面倒を見ていたし、信雄が援軍の将では正直心許ない。各方面大将はそれぞれの役目があるため、今、大軍を動かせて戦の経験もあるのは光秀しかいないのだ。
せめて夏になるまで多忙の光秀を休ませ、それからと提案もしたが、秀吉からの援軍要請は続いていたため、のんびりもしていられないと断られた。ただ、光秀の信長への思いや、今までの二人の関係を見ていれば、本能寺の変は起きないのではないかとも考えていた。あとは、信長を京に行かせなければいいのだ。
「上様。中国方面隊援軍は明智家にお願いするとして、上様は岐阜に行かれませぬか?」
「岐阜、じゃと?」
「はい。信忠様は川尻秀隆殿に甲斐をまとめるように指示しておりますが、一向にまとまらぬようです。岐阜から甲斐にかけて、一度視察をしておいたほうがよろしいかと存じます。」
秀隆の甲斐運営がうまくいっていないのは事実で、領民の協力がなかなか得られていないばかりか、武田家の残党が野盗になって出没するため、その収拾がついていないのである。これには信忠も手を焼いているようで、度々兵を派遣していた。
信長は少し考えているようだったが、
「そうじゃな。たまには信忠の顔でも見ておくか。」
そう言ってうなずいた。忠繁は心の中でガッツポーズをした。これで信長を京から遠ざけることができる。いよいよ本能寺の変を回避するべく、忠繁の奔走は大詰めを迎えようとしていた。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
鯛の天ぷらをどこで入れようか悩んだ末の今回でした。
みなさんは鯛の天ぷら、食べたことありますか?
刺身もいいですが、天ぷらも絶品です。
ぜひお試しあれ!
では、次回もよろしくお願いいたします。
水野忠




