第一章 戦国時代⑦
そんな時に一つの事件が起きた。光秀の主君、斎藤義龍が危篤だというのである。昨日の夜に知らせが来て、光秀は数名の家臣を連れて稲葉山城へ向かった。それから丸三日して、ようやく疲れた顔の光秀達が戻ってきた。
「お帰りなさいませ。」
「お疲れさまでした。十兵衛様。」
忠繁と煕子が出迎えたが、光秀の表情は沈んだままだ。
「お城で何かあったのでございますか?」
「我らが城に入った時には、義龍様はすでに亡くなられていた。しかし、奇妙なことには、我らは義龍様に目通りが叶わなかったのじゃ。」
部屋に入ると、忠繁は光秀からそんな話を聞くことになった。光秀が言うには、城に行くと義龍の嫡子、龍興の側近、日根野備中守弘就(ひねのひろなり)から別室に案内され、そこで龍興より義龍の死が告げられたのである。すでに遺言は残されていて、斎藤家の家督は長子の斎藤龍興(さいとうたつおき)が継ぐことになった。龍興は自分が政をしやすいように斎藤家の組織編成を刷新すると言って、光秀達には自宅で待機するように命じたのだ。
自室に戻ると、陽が沈みかけた暗がりに、お風が心配そうにして待っていた。
「何かあったのでございますか?」
「うん。光秀様のご主君、斎藤義龍様が亡くなられたらしい。大丈夫、お風は心配しなくていいからね。」
「うん。」
「少し早いけど、陽が沈んだらもう休もうか。」
忠繁はそう言うと、布団を敷いてお風を寝かしつけた。布団に横になると、天井を見上げながらこの頃の光秀がどうしていくのかを思い返した。確か、道三の死後、龍興の時代には斎藤家にはいなかったはずだ。浪人となって各地を回り、西の毛利家などに出向いては任官を断られ、最終的に鉄砲の腕を買われて、越前(現在の福井県)の朝倉家に客将として仕えるはずである。その後、京を逃げ延びた将軍・足利義昭の仲介役として、信長に接近し、そのまま仕えたはずだった。
光秀が、いつ、どの時期に越前へ行くのかまでは、忠繁の知識ではわからなかった。
「もう少し、ちゃんと勉強しておけばよかったな。」
そうつぶやくと、忠繁は眼を閉じ、眠りにつくのだった。
同じ頃、光秀は自室の中でろうそくの火を頼りに書物を読みながら、ふと、長良川の戦いのことを思い出していた。
弘治元年(一五五五年)一〇月、光秀は義龍に呼び出され、稲葉山城へ登城した。この時、義龍は病に臥せっていた。
「光秀、参りました。」
「おう、入れ。」
光秀は義龍の声がしたので、戸を開けて中に入った。義龍は机に向かって書物を読んでいたようだ。
「病とうかがっておりましたが、お加減はよろしいのですか?」
光秀の言葉に、義龍は笑うと、
「はは。病というのは嘘じゃ。」
そう言った。
「わしは、決めたぞ。」
「なにを、でございますか。」
光秀には、義龍が呼び出してきた理由がなんとなくわかっていた。道三は嫡子である義龍よりも、あきらかに弟の孫四郎(さいとうまごしろう)と喜平次(さいとうきへいじ)をかわいがっており、そのために道三と義龍は次第に仲が悪くなっていったのだ。
「わしは、父を討ち斎藤家を継ぐ。」
「しばし、しばしお待ちくだされ。」
光秀は慌てて諫めようとした。確かに、この数ヶ月二人が不仲だと言うのは誰もが知っていることであったが、今、義龍が道三を討つのは謀反に他ならない。
「何を待つというのか。このままでは、わしは父に殺される。」
「そのようなことはございませぬ。道三様が義龍様に厳しく当たるのは、いずれ斎藤家の当主になられるためのことであり、憎いからではございません。どうか、お考え直しください。」
光秀の言葉に、義龍は深く息を吐くと、立ち上がって部屋の掛け軸を見つめた。それは、道三がもともとの美濃の守護・土岐家が家宝としていた掛け軸である。道三は土岐家に仕えていたが、力を付けると主家を追い落とし、主君・土岐頼純(ときよりずみ)から美濃一国を奪い取り、手に入れたのだ。下剋上の見本のような男だった。
「そうではない。わしは、長男といえど側室の子。弟達は正室の子じゃ。いずれは弟の誰かに継がせるつもりなのであろうよ。」
何という邪推であろうか、日ごろ道三と義龍は意見が合わないことが多い。斎藤家を背負うにはまだまだ若い義龍と、その義龍の成長を信じている道三との気持ちの食い違いが出たのだ。義龍は、自分が道三の実子ではないとまで思っている。義龍の母・深芳野(みよしの)は、もともと守護であった土岐頼芸(ときよりあき)の愛妾であったが、道三が美濃を奪った際に側室にしたのだ。しかし、その時にすでに深芳野は頼芸の子を身籠っていて、生まれた子、つまり義龍を道三が実子として育てたという噂もある。(諸説あり)
「わしは兵を挙げる。光秀、そなたは幼少期よりともに遊び、育った仲ではないか。この義龍に加勢願いたい。」
義龍の言葉に、光秀は返答に困ったが、頭を下げて首を振った。
「義龍様、親殺しなどお考え下さいますな。私は養父、光安の意思に従わなければなりません。もし、戦が起きれば、養父はおそらく道三様に付くでしょう。」
「・・・そうか。」
「しかし、私は義龍様と戦うようなことはしとうございません。よくよくお考え下さい。」
そう言って、光秀は退室した。少し冷静になれば、義龍もわかってくれるであろうと考えていたが、一一月になって事態は動いた。義龍は病が重く、もはや残りの時間は少ない。そのために弟達に声をかけておきたいと言って、喜平次と孫四郎を呼び出した。そして、呼び出しておいて、中庭に入ったと同時に、有無を言わさずに斬り捨てたのだ。
これに怒り狂った道三は、すぐさま義龍討伐のための兵を集めようとしたが、この冬の雪は例年になく大雪となり、身動きが取れなくなってしまった。道三は雪解けまでじっくりと戦略を練り、義龍はその間に城内の重臣達を説いて回った。
弘治二年(一五五六年)四月、道三は鶴山に布陣し、味方の到着を待った。しかし、冬の間に動いた義龍に多くの武将が賛同し、義龍は一七〇〇〇の兵をそろえたのに対し、道三に付いた兵はわずか二七〇〇ほどであったと言う。これは、道三が主家を追い落として美濃を手に入れた不義の男であるという認識と、美濃を手に入れた後の厳しい采配に嫌気がさした家臣団が、こぞって義龍を支持したことも影響した。
「義龍め、うまく兵を集めおったな。」
道三は満足そうに言うと、不敵に笑みを浮かべた。そして、長良川を挟んで親子での戦が始まったのである。後に長良川の戦いと呼ばれる戦である。道三は、開戦してすぐに敵将を討ち取るなど、熟練の巧みな用兵で戦を有利に進めたが、兵力の差はいかんともできなかった。寡兵である道三側は次第に押され始め、本陣近くまで義龍勢が攻め込んできていた。
「十兵衛!」
「はっ。」
「もうよい、貴様は落ちよ。」
「えっ。」
道三の傍に控えていた光秀は、退去しろという命令に驚いた。
「おまえは見識もあり、鉄砲の腕もある。剣の筋もいい。ここで死ぬような男ではない。時機を見て、一旗揚げよ。」
「いや、私も最後まで。」
「いらぬ! 死ぬのは年寄りからと相場は決まっておろう。早う行け!」
道三は有無を言わさず光秀を突き放した。道三が頑固で、一度言ったことは絶対の性格であることを良く知っている光秀は、道三に一礼すると。
「ご免!」
そう言って本陣を放れた。
「堀田道空!」
「ははっ。」
「そなたは急ぎ信長の元へ行け。道三討ち死に、援軍は無用。それだけ言えば尾張の息子ならわかるじゃろう。余計なことは言わなくてよい。道三討ち死に、援軍無用。それだけじゃ。わかったら行け!」
「はっ!」
堀田道空(ほったどうくう)は道三に命じられ、馬に乗ると本陣を離れた。もはや道三は討ち死にすることを覚悟している。義龍は大軍、信長が来れば大きな被害を出してしまう。そうさせないために、信長に引き返させようとしたのだ。
道三は馬に乗ると、前方の長良川、その先の義龍の陣を睨みつけた。
「さて。蝮の道三、存分に毒を吐こうかのぅ。」
槍を構えると、もう一度まっすぐに義龍の本陣を見据えた。義龍は数にものを言わせて長良川に沿うように横いっぱいに陣を構えている。鶴翼の陣という陣形だ。確かに、少数を多数が押し包むように戦えるために有効な陣形だが、そのおかげで川を挟んで道三と義龍の陣は最も近い位置にあった。義龍陣営は戦力差が大きすぎて、それが危険なことだと認識している武将がいなかった。
「義龍。もう少し兵法というものを学べ、これではせっかくの大軍も意味がないぞ。」
あざ笑うかのように呟くと、
「全軍、義龍本陣へ向けて突撃! 雑魚にかまうな、義龍の首を狙え!」
「「おーっ!」」
残っていた道三の全軍一三〇〇名が、一斉に長良川に突入し、まっすぐ義龍本陣を目指した。渡河する手前で多少囲まれたものの、道三がそれを突破すると、兵達は次々と後に続いた。道三は、六三歳とは思えない馬捌き、槍捌きで、義龍の取り巻きの兵達を突き崩しては、ひたすら義龍を目指した。
「義龍! 覚悟せいっ!!」
視界に義龍の姿を捕らえ、そのまま本陣に突入した。そして、義龍まであとわずかというところで、突然、馬が横倒しに倒れ込んだ。道三は馬体につぶされないように転がると、槍を構えて立ち上がった。どうやら道三を狙って射った矢が、逸れて馬の頭に当たったようだ。
「ふふ、運のないことよ。」
道三は労うように馬の頭を撫でた。
「道三、覚悟!」
小姓が斬りかかってきたために、道三は片手で槍を繰り出すと、いとも簡単にその喉元を突いた。
「何を、覚悟するじゃと? 笑わすな!」
道三は突き刺した槍をさらに押し込むと、そのまま捻るようにして持ち上げ、投げ捨てた。その剛力ぶりに、周りを囲んでいた兵達はすっかり戦意を失くし、取り囲んでいるにもかかわらず攻め込もうとはしなかった。
「どけ、役立たずども!」
義龍が槍を片手に歩み出た。
「おう息子よ。ようやく会えたな。」
「うるさい、息子などと呼ぶな! お前は父ではない。」
「ほう、ではお前の父親は誰だと申すのじゃ。頼芸だとでも言いたいか。」
「くっ・・・。」
道三の意地悪い問いかけに、義龍は口を閉ざした。この男が父親などと認めたくはない。しかし、それを言ってしまえば、母親である深芳野が悲しむことを知っている。深芳野が頼芸の愛妾だった時の扱いは酷いものであった。しかし、道三の側室になってからは、道三に大事に愛され、幸せであったと話していたことも知っている。その深芳野は一昨年、父と仲良くするように義龍に言い残して病死している。
「たわけ! 貴様の父はこのマムシじゃ!」
「わしに父などというものはおらん!」
義龍が槍を繰り出してきたが、道三は避けようともせず、その槍を胸で受け止めた。そして、自分の槍を投げ捨てると、両手で義龍の槍をしっかりとつかんだ。
「義龍、よく見ておけ。お前が突いたのは、父、道三じゃ。」
そう言うと、道三は口元から一筋の血を流した。あまりの形相に槍を引き抜こうとしたが、道三が掴んでいるため、ビクともしなかった。
「くっ、放せ!」
「目をそらすなっ!!」
道三の一喝に義龍は驚き、まっすぐにその眼を見てしまった。『美濃のマムシ』と呼ばれた道三は、痛みと苦しさに耐えているため、鬼の形相で義龍を見ていた。
「義龍、覚えたか。これが、父、道三の死に様よ。よく、覚えておけ。」
それだけ言うと、道三は大量に喀血して最期を迎えた。義龍の槍に突かれたままのため倒れることもなく、その重みは義龍の手元に伝わってきた。うなだれた首、無造作に垂れ下がる道三の両腕、そのあまりの壮絶な最期に、義龍は槍を握ったままガタガタと震えた。
「ち、父上・・・。」
「義龍様!」
ようやく周りの家臣達が動き出し、無理やり義龍から槍を引きはがすと、義龍は道三の亡骸を前に力なく座り込んでしまった。
美濃の油商人から身を起こし、美濃の守護代に取り入って武士となり、その後、主家を乗っ取って成り上がり、美濃一国を手に入れた蝮の道三は、六三年の生涯を閉じた。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメくださいね。
道三の壮絶な死に様、
義龍の挙兵には諸説ありますが、
「自分は道三の子ではないのではないか。」
猜疑心にあふれてしまったのだったら、
悲しい親子の話だと思います。
長良川の戦いはまだ続きがあります。
次回もお楽しみに!
水野忠