第八章 本能寺の変⑧
鶴瀬(山梨県甲州市)にて、信茂の使いを待つ勝頼達は数日逗留したが、一向に迎えが来る様子がなかった。
「信茂殿はいったい何をしておるのじゃ。早うせねば追い付かれるぞ。」
いらだちの隠せない釣閑斎に対し、勝頼は腕を組んでじっと待っていた。この時になっても、勝頼は信茂が寝返るなどとは思ってもみなかったのである。しかし、その日の夜、
「これ、人質達はどの屋敷におるか。」
信茂の部下、小山田八左衛門行村(おやまだゆきむら。信茂の従兄弟)は、勝頼配下の兵に声をかけた。
「へぇ。この先の屋敷で休んでおりますが、何かございましたか。」
「勝頼様より、人質は足が遅いゆえ、先に岩殿城へ移すように命令された。案内いたせ。」
「かような夜分にございますか?」
「織田勢が迫っておる。時間がないのじゃ、急げ!」
「へ、へぇ。」
行村は案内されると、屋敷の中に入り、人質となっていた信茂の妻とその家族を探し出し、外へと促した。屋敷を見張っていた兵士は、
「あの、皆様移動されるのではないのですか?」
疑問に思って声をかけた。
「そなたは黙っておれ。」
「しかし、勝頼様からは何も・・・うぐっ!」
見張りの兵士が怪しんだため、行村は一刀のもと斬り捨てた。
「悪く思うな。さぁ、奥方様を連れていけ。」
そう言うと、行村は信茂の家族だけを連れて鶴瀬を離れた。
翌朝、見張りの兵士が斬り殺されていることが発見されると、勝頼の周辺はにわかにざわついた。すぐに鶴瀬を出て岩殿城を目指したが、途中、日川を渡ろうとした所で信茂の兵に鉄砲を撃ちかけられた。
「うぬっ! 勝頼様、これはまさか。」
「信茂、裏切ったか!」
信勝は刀を抜き、
「父上、かくなるうえは信茂に目にもの見せてやりましょう!」
そう言って攻めかかろうとした。
「やめぃ! 一度離れてしまった者を繋ぎ止めるのはどんな名将にもできぬことじゃ。」
そう言った勝頼は、いよいよ行き先が無くなったことを悟った。一瞬、真田昌幸の姿が頭に浮かんだが、ここから岩櫃城までは北条領を通りながら北上していかなければならない。現実的には難しかった。
勝頼はうなだれる者達に声を駆けながら、北上して武田家ゆかりの棲雲寺(せいうんじ。山梨県甲州市)を目指すことにした。ここからなら一〇キロも離れていないはずだった。そこで織田勢をやり過ごせれば、あるいは真田と合流したり、再起を図ることができるかもしれないと、最後の望みを繋ぐことにした。
「春、大丈夫か。」
勝頼は痛そうに足をさすっている正室の春(はる)に声をかけた。ここまで歩き詰めだったせいで、足を痛めたのだろう。春は北条氏康の娘で、長篠の戦いのあと甲相同盟(武田と北条)強化のために勝頼に嫁いだ。勝頼三二歳、春は一四歳の歳の差であったが、まるで親子のように仲の良い夫婦であったと言う。もともと勝頼には信長の養女・龍勝院(りゅうしょういん)を正室に迎えていたが、信勝出産後に病で亡くなっている。
「はい、私は大丈夫です。」
春はこの時一九歳、まだ幼さの残る姿を見ていると、勝頼は春だけでも助けたいという衝動に駆られた。ここから迂回して、富士の裾野を南下していけば、北条家の居城である小田原城へ抜けることができる。仮に、織田勢に捕らわれたとしても、北条家の娘であれば、信長は小田原に返すであろうと考えた。
「春、おまえは・・・。」
「嫌でございます。」
勝頼が何を言おうとしたのかわかったのだろう。言葉をさえぎって春は拒絶の姿勢を見せた。
「春は勝頼様の正室、もはや北条に戻ることはありません。最期までお供いたします。足手まといになると言うのでしたら、いっそのこと、どうかここでお斬りくださいませ。」
春は目に涙を浮かべて訴えた。わずか五年の夫婦生活であり、歳も親子ほども離れてはいるが、春が初めて愛した夫であり、離れ離れになるなど考えられないことであった。けっきょく、春は勝頼についていくと頑なに北条行きを拒み、勝頼はついに折れて、棲雲寺を目指すことにした。
しかし、天目山に入ると、武田家の最後を悟った兵士達は次々と逃亡し、棲雲寺までもう少しというところで、滝川一益率いる一隊が追い付く頃には、わずか四〇名ほどの人数に減ってしまっていた。勝頼の家臣、土屋昌恒(つちやまさつね)や小宮山友晴(こみやまともはる)などが奮戦し、なんとか勝頼を逃そうと刀を振るった。特に、狭い崖道で転落しないように藤蔓をつかんで戦った昌恒は、後に『昌恒の片手千人斬り』と伝えられるようになる奮闘を見せる。昌恒のために日川に突き落とされた織田兵は数知れず、その流された血は川の水を赤く染め、数日色を失わなかったと言われている。
「攻撃を止めよ!」
その一言に、織田勢は攻撃を止めた。兵が退くと、その間を縫って二人の男が現れた。忠繁と一益である。
「織田家軍師、霞北忠繁と申します。こちらは、先手大将の滝川一益様。」
一益は歩み出ると、
「そなたの孤軍奮闘、誠に勇猛で、この一益、心底感服いたした。どうか、お名前をお聞きしたい。
そう言って頭を下げた。攻撃中止命令を出したのも一益だ。
「それがしは、武田勝頼様が家臣、土屋昌恒と申す。」
「昌恒殿。僭越ながら武田の命運は尽きたと心得る。よって、これ以上の追撃は致さぬ、ご主君の元に参り、心置きなくご生涯なされよ。」
そこで初めて藤蔓を手放した昌恒は、
「一益様、忠繁様。お心使い、心より感謝申し上げる。これより主君、勝頼公の元に参り、共に相果てましょうぞ。」
そう言って頭を下げた。その左手は、ずっと藤蔓を絡めて掴んでいたせいで、指先が赤紫に変色していた。
昌恒の後を忠繁達が追いかけると、やがて木々の間に出来たわずかな空間に、最後まで逃げ延びた武田兵達が待機していた。その空間だけは木々が途切れているため、太陽の光が差し込み明るく照らしていた。
「貴様! 霞北忠繁!! どの面下げてここへ参った!!」
釣閑斎は忠繁の姿を見ると、顔を真っ赤にして立ち上がった。
「やめぃ!」
「勝頼様。あやつの、あやつの汚い策略によって我らは、我らはこのような目に。」
怒りの治まらない釣閑斎に、勝頼は穏やかな表情で語りかけた。
「忠繁殿の計略、苦肉の策を見抜けなかった我らが不明よ。忠繁殿は織田家のために考え抜いてやったこと、もし、武田家の軍師であったら、同じように苦慮し、織田殿に計略を仕掛けたはず。恨むな、我らが敵わなかっただけのことじゃ。」
「勝頼様・・・。」
釣閑斎は諭され、力なく座り込んでしまった。
「忠繁殿。もはや抵抗は無駄と悟った。我らの最期を見届けてくれまいか。」
「わかりました。一益様も、配下には手出し無用と指示していらっしゃいます。心置きなくお逝きください。」
「それはかたじけない。」
勝頼がそう言うと、その様子を傍らで見ていた春は、懐から短刀を取り出し、言葉を交わすこともなく、ただ勝頼に微笑みかけると、躊躇うこともなくその喉元を突いて果てた。勝頼は春に駆け寄ると、その手から短刀を外し、胸元に両手を組ませた。
「春、見事な最期であったぞ。」
そう言うと、勝頼は甲冑を外し、腰刀を取り出した。
「忠繁殿、一つ頼みたいことがある。」
勝頼は笑顔で忠繁に話しかけた。
「父上のことを頼みたい。あのような状況じゃ。もし、織田殿が許すのであれば、面倒を見てやってほしい。」
下部で寝たきりになっている信玄は、武田家がなくなってしまえば面倒が見れなくなる。甲斐の虎といえど、あの病状では武将として返り咲くのは難しいだろう。
「かしこまりました。信長様に報告し、必ず介護できるようお許しを頂戴いたします。この忠繁の意地にかけてお約束いたします。」
「かたじけない。」
忠繁の返答を聞き、勝頼は思い残すことがなくなったのか、腰刀を抜くと躊躇うこともなく腹に突き立てた。
「勝頼様、介錯仕ります。」
釣閑斎はそう言うと、勝頼の首へ刀を振り下ろした。勝頼の最期を見届けると、信勝や他の残った家臣達も次々と自刃していった。一人残された釣閑斎は、
「忠繁。勝頼様はすべてを受け止められ、貴様をお許しになられたが、わしはそうはいかん。貴様を呪ってやるぞ、謀略をもって武田を滅ぼしたこと、必ず呪ってやる!」
そう言って喉元を斬り裂いた。最後の一人が倒れ、天目山の山中に武田家の者達の屍が横たわった。この時代に来た頃の忠繁であったなら、この光景に卒倒したのだろう。しかし、すでに二〇年の時を経た今、この凄惨な場面を目の当たりにしても、忠繁が卒倒したり、気分を悪くすることはなかった。勝頼の亡骸を前に、自分がもうこの時代の人間になったのだと自覚できた。
忠繁は勝頼達の亡骸に手を合わせると、一益に信長の元に戻りたいと申し出た。
「一益様。私は一足先に信長様にご報告しに行きたいと思います。」
「うむ。軍師殿、あまり気にするでないぞ。」
最後の釣閑斎の言葉のことを言っているのであろうと思い、
「大丈夫です。もう、慣れてしまいました。」
そう言って笑って見せると、忠繁は信長に報告すべく信濃を目指した。天正一〇年(一五八二年)三月一一日、『強すぎる将』と言われた武田勝頼は、三七歳の若さで天目山に散った。正室の春は一九歳、嫡男の信勝はわずか一五歳であった。
この時、信長はまだ信濃にも入っておらず、東美濃の岩村城に滞在していた。忠繁は信長に合流し、武田家滅亡の報告をすると、勝頼から依頼された信玄保護を願い出た。
「なに、信玄を保護して治療させよと申すか。」
「はい。信玄はすでに寝たきりにて、多少回復したとしても武将として復帰することは絶望的です。最期は人として迎えさせてやりたいと思います。」
勝頼と約束した手前、忠繁も必死だった。信長はやれやれと困ったような顔をしていたが、
「勝頼に絆されおって。まぁ、よい。好きなようにせぃ。」
そう言ってくれた。意外とすんなり承諾したので、聞いておいて忠繁は驚いてしまった。
「どうした?」
「あ、いや。寝たきりといえど、甲斐の虎を生かしておくわけにはいかぬ。とかおっしゃると思ってました。」
「なんじゃ、殺したいのか?」
そう言って信長は笑った。
「おまえの言うとおり、信玄は殺した方がいい。しかしな、もう起きれない者をわざわざ殺すこともあるまい。ま、信玄が生きていれば旧武田派が降りやすいかもしれぬしな。」
この時代の考えでいけば、信玄が寝たきりであろうとなかろうと、武田の血を絶やすには討ち取るのが早い。並みの大名なら有無を言わさず処刑したであろうが、信長の言うとおり、信玄を織田家で保護できれば、降る武田武将もいるかもしれない。
忠繁は信長に礼を伝えると下部の湯治場へ急いだ。天目山から岩村城、そして取って返して下部の湯治場と、忠繁は西に東に走った。そして、ようやく下部の湯治場に付くと、連れてきた配下と共に離れに入っていった。釣閑斎がやっていたように、ろうそく台をひねると、隠し扉を開けた
「うっ!」
扉が開くと同時に、強烈な悪臭が舞い上がってきた。吐きそうになるのを堪え、口元に手ぬぐいを当てて降っていくと、地下の廊下に倒れている人影を発見した。その身なりからして、信玄の介護をしていた側室の里であることはすぐにわかった。里は両腕で胸元を掴んでおり、一部は白骨化が進んでいた。
忠繁は慌てて奥へ急いだが、布団の中を見て思わず目を閉じた。死因はわからない。里は胸を押さえていたので心筋梗塞にでもなったのだろうか。そして、介護をする者がいなくなり、食事もとれないまま、信玄も息を引き取ったのだろう。あまりの切なさに、甲斐の虎と呼ばれ、甲信を治めた大大名のあまりに寂しい最期に胸が締め付けられ、忠繁は外に出ると、空を見上げて涙を流した。
「勝頼殿、申し訳ございません。間に合いませんでした。申し訳ない。」
忠繁は涙をぬぐうと、配下に二人の遺体を運び出すように命じ、躑躅ヶ崎館に運んで荼毘に付した。信玄が寂しくないようにと、信玄と里の墓は隣り合わせにしてもらった。忠繁は二人の墓に手を合わせ、冥福を祈った。
信玄の墓に関しては、さまざまな説があり、忠繁が葬った信玄の墓は、現在でも山梨県甲府市にある武田神社(躑躅ヶ崎館跡)の近くに現存している。それ以外にも、山梨県内の数か所をはじめ、長野県内や高野山などにも供養塔があり、各地で祭られている。
四月一〇日、忠繁は信長や家康と富士山の麓にある富士山本宮浅間大社で合流した。信玄の顛末を伝えると、
「であるか。信玄坊主が勝頼を不憫に思って連れ立って行ったのかもしれぬな。忠繁、面倒をかけた。大儀であった。」
そう言って忠繁を労った。今日は家康の要請で堺から千宗易が来ていて、二人に茶を点てていた。
「それにしても信玄が生きておったとは、聞いた時は驚きましたぞ。」
「三方ヶ原の後、病を発症してそれから寝たきりになったようですね。下部の湯治場で隠れるように静養しておりましたが、私が着いた時にはすでに亡くなられておりました。」
「そうであったか。いや、忠繁殿、わしからも言わせてくれ、骨折りでござったな。」
「かたじけなく存じます。」
忠繁は家康の労いに頭を下げた。
「信玄め、よう苦しめられたものよ。一度、会うてみたかったものじゃな。」
宗易から茶を出された信長は、富士山を眺めながらゆっくりと飲み干した。家康も忠繁も、作法に則って茶を飲んだ。宗易は、もう二つの茶を用意すると、富士山に向かって器を置いた。
「せっかくです。信玄様、勝頼様にも、手前の茶を献上しとうございます。」
そう言うと、富士山に向かって深々とお辞儀した。この信長達の行動は、武田討伐後の富士山見物として伝えられているが、実際のところは家康を労い、今後の話をする政治的会談の場であったという。一二日には駿河興国寺において北条氏政と氏直親子と会見し、二一日には安土へ戻った。
この甲州征伐において武田家は滅亡し、徳川家康は駿河一国を手に入れ、滝川一益は上野国と甲斐の一部、川尻秀隆は甲斐の大部分など、参加した主だった者に恩賞が与えられた。また、家康に降っていった穴山梅雪は本領のみを安堵されたが、直前で勝頼を裏切った小山田信茂は『古今未曽有の不忠者』として信忠に処刑された。真田昌幸は旧領の一部を安堵され、織田家に組み込まれると滝川一益の与力となった。こうして、隆盛を誇った武田領は、日本の勢力図から姿を消したのであった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
武田編の完結、
風林火山の最後は悲しいものでした。
信玄が後三年生きていたら、
歴史はまた違ったものになったかもしれませんね。
次回、
いよいよ歴史が動き始めます。
お楽しみに!
水野忠




