第八章 本能寺の変⑦
信長は武田家から離反した木曾左馬頭義昌(きそよしまさ)に援軍を送ると、鳥居峠にて出陣した武田典厩信豊(たけだのぶとよ)を撃退する。これを機に信忠は軍を進め、飯田城の保科正直(ほしなまさなお)を攻める。正直は信忠の大軍を見て肝を冷やすと、ほとんど戦うこともなく城を放棄して逃走、高遠城へ向かった。大島城を守る武田信廉(たけだのぶかど。勝頼の叔父)は武田家の命運を悟り戦意喪失し、大島城での交戦は難しいと判断して城を抜け出した。
同じころ、浜松城を出発した家康は掛川城に入り、そこを拠点に田中城を包囲、これを降すと新府城へ進出した。度重なる戦で疲れ切っていた武田勢は、武田討伐が始まった緒戦で投降や逃亡が相次ぎ、ほとんど戦うことなくして南信濃を失ったのである。一方、相模(現在の神奈川県)から攻め入った北条氏直は、二月下旬には駿河東部に攻め入り、戸倉城と三枚橋城を落城させ、さらに沼津や吉原にあった武田側の諸城を陥落させていった。
信忠は高遠城(長野県伊那市)の攻略のため、川尻秀隆に砦を築くように命じると、仁科信盛(にしなのぶもり、書籍によっては盛信と記載もあり。)の守る高遠城を包囲した。城に立てこもるのは信盛の手勢約三〇〇〇、対して信忠は三〇〇〇〇の大軍を持って万全の構えを見せた。高遠城は南側に三峰川があり、それが天然の堀代わりになっていたが、この大軍に囲まれてはそれもなんの役にも立たなかった。
「開城を迫ったが反応はなしか。軍師殿、このまま攻め込もうと思うがよろしいか。」
信忠に言われ、忠繁は高遠城の造りを見た。ここは少し高台になっているため、低地にある高遠城はよく見える。城の南側に大手門があり、北側には小さな裏門がある。本丸は東に面していて『勘助曲輪』と呼ばれる石垣があり、ここは急斜面のために攻めにくい地形になっていた。
「信忠様。ただ力攻めしたのではこちらの被害も大きくなります。一益殿より拝借した大筒がありますので、明朝、まず第一に東から本丸目掛けて大筒を放ち、敵が動揺したと同時に大手門に向け大筒を放ちます。大筒の威力でしたら、大手門も破壊できるでしょうから、鉄砲、弓矢を射かけながら攻め込みましょう。攻撃を開始したと同時に、裏門からも攻撃を仕掛けます。」
「あい、わかった。」
翌朝、忠繁の作戦の通りに本丸へ向けて大筒が放たれた。二〇〇匁の大玉は本丸の壁を突き破り、そのまま天井を突き抜けた。城に籠っていた信盛達は、頭を抱えながら本丸を飛び出した。
その時、大手門からも爆発音が聞こえはじめ、ほどなくして信忠の先鋒隊が殺到した。大筒によって穴だらけになった大手門は打ち破られ、そこで武田勢と織田勢入り乱れての混戦となった。
「殿! 大手門が破られました!」
「うろたえるでない。もとよりこの人数に囲まれては勝てる戦ではない。これは武田の意地の戦いぞ。信玄公に笑われるような最期だけは遂げるな。一人でも多く討ち取って彼岸に渡ろうぞ。」
信盛はそう言うと、自ら槍を持って侵入してきた織田兵に突き立てていった。二六歳の信盛の働きはすさまじく、自らの槍で討ち取った兵は数知れず。押されれば兵達を鼓舞して押し返し、劣勢の部隊がいれば果敢に斬り込んでいって撃退した。しかし、多勢に無勢、その身体には傷が増え、槍も折れ、抜いた刀はやけに重く感じた。
「信盛様! 鉄砲隊です!!」
兵に言われ振り返ると、目線の先に一〇名ほどの鉄砲隊が膝を付き、銃口をこちらに向けていた。その筒先が火を噴いたと思うと、信盛は自分の身体に何かがいくつも突き刺さる感覚を覚え、そして、無性に咳がしたくなり咳き込むと、湿った音と一緒に赤い物が飛び出してきた。血を吐いたのだ。その瞬間、信盛は自分の最期を悟った。
「よ、よう戦った。これなら、信玄公にも褒められよう・・・。」
満足そうにつぶやくと、そのまま大の字で倒れ込んだ。こうして、早朝から始まった高遠城攻めは、陽が沈む前に決着し、武田勢はそのほとんどが斬り死にした。信盛が指揮し、遮二無二戦ったおかげで、信忠の兵も思いのほか多くの損害を出し、八〇〇名が討ち取られ、同数が大なり小なり怪我を負った。残った三〇〇名足らずの武田兵達は信盛が討ち死にすると、武器を捨てて投降した。
「信忠様、近くの村の長と名乗る者達が目通りを願っておりまする。」
「会おう。」
その日の夜、兵達に案内され、一〇人ほどの老人達が信忠の前に現れた。
「高遠城周辺の村々の長共でございます。」
「うむ。総大将の織田信忠だ。」
「我ら村の者は、信忠様はじめ織田様に従い、歯向かうようなことはしません。しかし、討ち死にされた武田家の仁科信盛様は、存命中、我ら領民に仁政を敷いてくださった御仁、お許しいただけるのなら、旧恩を返したく、その亡骸を引き取り、我らで葬りたいと思うのですが。」
そう言って村長達は頭を下げた。信盛は二六歳で討ち死にしたが、領民が凶作で飢えれば食べ物を分け、年貢を免除したり、村を巡回しては困ったことがないか聞き取りし、その解決に力を入れたという。
「よかろう。討ち死にした武田兵はみな勇敢に戦った武士の中の武士達。手厚く葬ってくれぃ。」
「ははーっ。」
村長達は信忠に感謝し、領民は総出して高遠城で討ち死にした武田兵や織田兵を埋葬した。この埋葬された土地は、今でも五郎山(長野県南佐久郡)に残され、そこには信盛の墓もあり、登山客の足休めの場になっている。
信豊の援軍に向かった勝頼だったが、木曽義昌に敗れた報告を受け、諏訪での反撃を諦め、新府城へ撤退した。信忠は高遠城落城の翌日には進軍を再開し、諏訪へ兵を進めた。信豊を討ち破った木曽義昌は信濃の要衝である深志城へ向かう。
三月一日になると、武田家の一門衆である穴山梅雪が家康の調略に呼応して信長に恭順の姿勢を示した。梅雪は率先して家康の案内役を申し出て甲斐進攻を開始した。
新府城に到着した勝頼は、高遠城落城の報告を受けて愕然とした。
「信盛が死んだか。そうか・・・。」
勝頼は、若くとも領民に慕われ、家臣達の評判も抜群であった信盛には大いに期待していた。いずれは武田家の中心を担う人物と思っていただけに、信盛討ち死にの報には衝撃を受けた。落胆する勝頼に、釣閑斎はかける言葉もなかったが、追い打ちをかけるように次の報告が入った。
「父上!」
「信勝どうした?」
勝頼の嫡男、武田太郎信勝(たけだのぶかつ)は、息を切らせながら走ってきた。
「大叔父様が、梅雪大叔父様が。」
「梅雪がどうした。」
勝頼が聞くと、信勝は無念そうにうなだれた。
「徳川家康に、降ったそうです。」
「なんじゃと!」
この報告に、勝頼はとうとう膝から崩れ落ちてしまった。一門衆の梅雪が寝返ったとなれば、もう武田家は崩れていく一方であろう。この時に、勝頼は武田の命運を悟ったという。
「わしは、腹を斬る!」
勝頼がそう言ったため、慌てて周りの家臣達が止めに入った。
「勝頼様、まだ終わっておりませぬ! わが岩櫃城へお退きくだされ。沼田城と相互に構えれば、まだ戦うことはできまする。」
真田昌幸はそう言って勝頼を慰めた。岩櫃城(いわびつじょう。現在の群馬県吾妻郡)は、この頃の真田家の居城であり、岩櫃山の尾根に位置し、東には吾妻川、西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面があり、北は岩山となっていて天然の要害となっている。少数でも大軍を迎え撃つことができ、昌幸が父の幸隆(さなだゆきたか)と共に改築していった難攻不落の名城だった。
「昌幸。」
「大将が諦めてどうされます。勝頼様、最後の最後まで戦い抜いてこそ武田武士。」
「・・・そうだな。」
しかし、勝頼の心の中では、昌幸を逃したいという気持ちが強かった。昌幸は立場こそ低かったが、これまで幾度となくいろいろな献策を出してきてくれた。外様だと嫌がる者も少なくなかったが、最も武田家のことを考えていてくれた武将の一人と言える。自分と共に死なせるわけにはいかないと考えた。
「昌幸。そなた先に岩櫃城に行き、わしらを迎える準備と、織田勢に備えてくれないか。」
「かしこまりました。では、お待ちしております。岩櫃城でまたお会いしましょう。」
昌幸は一礼すると、織田家との決戦のために岩櫃城へ急いだ。
「これで真田家は守れるな。」
昌幸を見送った勝頼はつぶやいた。
「やはり、真田を逃しましたな。」
「すまんな。兄二人を長篠で死なせ、その上あの者をここで死なせてしまうのは忍びないと思ったのじゃ。」
「して、我らはいかがいたしますか。」
「ここでは持ちこたえられまい。信茂の元へ行く。」
釣閑斎の質問に勝頼は答えた。小山田越前守信茂は、祖母が信玄の父、武田信虎の妹に当たり、勝頼にとっては親戚筋になる。
「父上、ここには多くの家臣の妻子がおります。ここで籠城する方がいいのではないでしょうか。」
「いや。ここでは兵力も心もとない。それに、まだ未完成の城に籠もるのは危険じゃ。信茂のいる岩殿城へ行こう。」
岩殿城(山梨県大月市)は、標高六三四メートルの岩殿山の山頂に建てられた山城で、その城郭は関東一帯を見ても屈指の堅固さを誇っていた。勝頼は新府城よりも守りやすいと考えたのだ。
「そこで最後の決戦じゃ。」
勝頼は一族と残った兵三〇〇〇を連れ、東の岩殿城を目指して新府城を出発した。勝頼は出発に際し、未完成であった新府城に火を付け、織田家に残さないようにしていったという。
「新府城が完成していれば、ここで織田勢を食い止められたものを。」
「よせ。たらればを言い出したらきりがなかろう。信勝、そなたは先に行き、信茂に我らが参ることを伝えてくれ。」
「わかりました。」
信勝はうなずくと馬に乗り、岩殿城へ向けて走り出した。岩殿城での決戦が最後の砦になるであろうと勝頼は考えていたが、しかし、悲劇の連鎖は止まることがなかった。
岩殿城。信茂は各地からの相次ぐ敗戦の報告を受け、大きく心揺らいでいた。武田家の滅亡が濃厚となってきている今、勝頼に殉じてここで果てるべきなのか、それとも降って家名を残すべきなのか。
「殿。太郎信勝様が使者としてお見えになりました。」
「なに、信勝様が?」
信茂が外に出迎えると、ずっと駆けてきたのであろう、息を切らせた信勝が馬から降り、水を飲んでいた。
「おう、信茂。」
「信勝様、ご無事でしたか。」
「新府城は廃棄して、父上と一隊がこちらに向かっておる。ここを決戦場として織田軍を迎え撃つゆえ、準備いたすよう先に伝えに参った。」
「勝頼公がこちらへ?」
信茂は内心焦った。勝頼がここへ来ては、もはや助かる見込みはない。これが信玄だったら対応は変わっていたかもしれない。しかし、勝頼は自分が一族の命を懸けてまで仕える主君なのであろうかと、そう考えてしまった。
「・・・信勝様。到着して早々に申し訳ないが、勝頼様には奥方様も受け入れるにあたって、城内の整備にしばしお時間をいただきたいとお伝え願えまいか。そうじゃな、鶴瀬に懇意にしている庄屋がおるゆえ、そちらでお待ちいただこう。」
「信茂、そんな悠長なことを言っている場合か。織田の軍勢はもうそこまで来ておるのじゃぞ。」
「わかっております。籠城にしても、ただ籠もっては囲まれて終わりじゃ。勝頼公ご到着までに伏兵の場所などを選別いたす。織田勢到着までは多少の猶予があると報告を受けておりますゆえ、鶴瀬にてしばし身体をお休めくだされ。すぐに迎えの使いを出しましょう。」
そう言われて、信勝はしぶしぶ岩殿城を後にし、勝頼への報告を急いだ。
「勝頼様、申し訳ございませぬ。お別れにございます。」
信茂はそう言うと、家臣に命じて領内への道を封鎖するように指示し、信忠に降伏の書状を書いて使いに持たせた。それだけならよかったが、さらに信茂は勝頼の下で一緒に移動している自分の家族を連れ出すように命じた。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
隆盛を誇った武田家の最後は、本当に切ないですね。
書いていても物悲しくなってしまいました。
次回も武田物語です。
ご期待ください。
水野忠




