第八章 本能寺の変⑥
一月下旬に、信長は光秀に命じて準備をさせると、禁裏東の馬場において大々的な馬揃えを行った。馬揃えと言うのは、現在で言うところの観閲式、観艦式などに当たり、もっとわかりやすく言えば織田家による軍事パレードである。この馬揃えは禁裏内で行われたため、正親町天皇の御前で行うことになった。
当初の計画では、京の町中で行うことが予定されていたが、
「せっかくだ。陛下にご覧いただこうではないか。」
と言う信長の意向もあり、禁裏内の馬場を使用することになった。正親町天皇は乗り気ではなかったが、信長直々の参列希望にうなずくしかできなかった。
馬揃えは二月二八日に行われた。この日は朝から快晴で、多少風があったために過ごしやすく、よく旗指物が風に揺らぎ、参加した武者達をいっそう勇ましく見せた。
第一番は四国方面大将の丹羽長秀と摂津衆、若狭衆。第二番は蜂屋頼隆(はちやよりたか)と河内衆、泉衆など。第三番は畿内方面大将の明智光秀鉄砲隊。第四番は村井貞成(むらいさだなり)、そのあとに織田信忠、信雄、信孝など、織田一門衆が続き、六番目には近衛前久を先頭に公家衆が参列、その次には、十六夜に乗った忠繁を先頭に信長の馬廻り、蘭丸や弥助などの小姓達が続いた。霞北家の旗印である北斗七星が風にはためいた。八番目に北陸方面大将の柴田勝家、前田利家、金森長近が、最後方から右大臣織田信長が青鹿毛で参列を締めくくった。残念ながら秀吉は中国方面の制圧が佳境に入っていたために参列が叶わなかったという。
多くの人々が織田家の馬揃えに感嘆の息を漏らす中、ただ一人穏やかならぬ胸中の人物がいた。新年の会での信長の統一後の政策案、信長の明国進攻の話や方面大将案、そして今まさに見せつけられた織田家の軍事力に震え上がった。天下を統一した信長が、自分をどのようにするのか想像もつかず、自分がどうなるのか、不安や不信感が募ったのだ。
「誰か、信長を殺してくれ・・・。」
そうつぶやいた言葉は、大歓声の中に消えていった。その不穏な心に、信長も忠繁も気が付くことはなかった。
馬揃えを執り行ってから間もなく、正親町天皇は信長を左大臣に推任し、その使者を安土城へ送った。馬揃えの大盛況は正親町天皇もその目で見たことだ。勢ぞろいした織田勢の勇壮さは、正親町天皇の知るどの軍勢よりも頼もしかった。
「陛下からの使者はなんと?」
安土城の昼下がり、禁裏からの使者が帰った後に忠繁は信長に質問した。
「正親町天皇から左大臣の推任があった。」
「それはおめでとうございます。」
左大臣になれば、あとの上位の官位は太政大臣。あるいは関白、征夷大将軍と言った役職しかない。
「それはおめでとうございます。」
「何がめでたいものか。これ以上役割を押し付けられてはかなわんわ。」
信長はそう言って笑った。忠繁は信長が官位などの地位や名誉、役職にほとんど興味がないことを良く知っている。それらよりも、天下統一とその後の事業のことの方で頭がいっぱいで、むしろ、趣味の茶器集めの方がよっぽど興味があると言えた。
「皇室もしばらく譲位して上皇になられた例がなかったからな。正親町天皇が譲位し、誠仁親王(さねひとしんのう)が即位したときにでも考えると返事をしておいた。」
天皇は次の代に譲位し、上皇になるのが習わしでもあるが、ここしばらくは禁裏のある京は荒廃し、公家衆が困窮していたため行われていない。信長はそれを危惧し、たびたび正親町天皇に譲位を提案している。金銭は一切織田家が負担することも伝えてあり、信長が禁裏を大事にしている表れでもあった。これは、信長の父である信秀の影響が大きかったとも言える。
五月初めに越中国で河田豊前守長親(かわだながちか)が急死すると、勝家は越中進攻の好機と見て挙兵、その南半分を勢力下においた。利家はようやく北陸に動きが出たことを喜んで、勝家に声をかけた。
「叔父貴殿、やりましたな。」
「うむ。じゃが、まだ越中の半分を押さえたにすぎぬ。上様はあと一〇年で天下を統一すると宣言された。そのために、我らももっと励まなければならぬな。」
勝家はそう言って利家の肩を叩いた。この頃の勝家は、越中や加賀の攻略を進めながら、伊達家の家老、遠藤基信(えんどうもとのぶ)と盛んに連絡を取り、伊達家には背後から上杉家を脅かすように依頼したり、早めに織田家に降るように外交政策を取っていた。まさしく遠交近攻である。猪武者としても知られる勝家だったが、年齢と共に視野を広く考えるようになっていった。それは、信長の影響もあり、忠繁の影響でもあった。
「わしは、槍を振るうことでしか自分を誇示してこれなかったが、これでも織田家の筆頭家老、上様や忠繁のように、人を武ではなく仁で従えさせる武将になりたいものよ。」
居城である北ノ庄城の天守から越後の方角を眺めながら勝家はつぶやいた。しかしこの勝家の考えが、仁義を重んじるあまり、後の北ノ庄城での悲劇につながっていく。
各地の武将達が、信長の考える天下統一構想と言う共通の目的に対し、それぞれの役割を懸命に進めていった。
そして、いよいよ運命の天正一〇年(一五八二年)を迎える。
忠繁は、自宅屋敷にて年始を迎え、風花と繁法師と共にゆっくりした時間を過ごしていた。しかし、忠繁には半年後に起きる本能寺の変を確実に回避できたかどうかの確信が持てず、悶々とした時間を過ごしていた。
今のところ、光秀と信長の間が険悪になったということはない。むしろ、関係は良好と言える。その証拠に、信長は天下統一後の中央政権は光秀に任せると言っていた。光秀が謀反を起こす理由はない。このまま杞憂に終わるのではないかとも思えるが、六月に回避できるまで安心はできないと考えていた。だが、だからこそこれ以上できることがなく、時間を浪費するばかりだったのがもどかしかった。
「忠繁様。何を悩んでおられますか。」
「風花。」
「ふふ、どうせお話しくださらないんでしょう?」
風花はそう言って微笑んだ。心配を駆けさせまいと、ずっと打ち明けていなかったのだ。
「繁法師は?」
「お昼寝してます。」
「そうか。」
忠繁は風花を誘って水車の脇にあるテーブルに移動した。ここは茶会で使った桜の木の下だ。水車が近いために、周囲に声が漏れづらい。屋敷での大事な話はここに限ると思っていた。
「どうかしたのですか?」
ようやく話す気になったのを感じたのか、風花は聞く姿勢を見せてくれた。
「私が四〇〇年先の世から来たことは以前に話したね。」
「はい。」
「私の知る歴史では、上様は天下統一を果たされないまま命を落とされる。」
「えっ?」
驚くのも無理はない。これまでも、二人きりの時は未来のことを聞きたがった風花にいろいろな話をしてきた。しかし、それはあくまで現代での話であって、この国の歴史について触れたことはほとんどなかった。聞かれなかったというのもあるが、不用意にこの時代のことを話して混乱させたくなかったのだ。
「信長様が亡くなられるのですか?」
「そうなんだ。私はそれを回避したい。信長様に、天下を取っていただきたいのだ。だが、これ以上、何をすればいいのかわからないんだ。」
「信長様はどうして亡くなるのですか?」
「ある方の謀反に遭う。まだ、名前は言えないが、織田家の重臣だ。」
風花は察しがいい、そこまで聞けば、忠繁の悩む理由もよくわかった。重臣ということになれば、それが誰でも忠繁と親しく近い人物になる。
「謀反を起こされる理由、信長様とその方が仲違いをした理由は何ですか?」
「それが、わからないんだ。風花が驚いたように、周りにはその謀反がなぜ起きたのかわからないほど急な話だったようなんだ。私のいた時代でも、けっきょく真相は明かされていない。いろいろな可能性があるだけなんだ。」
「でも、忠繁様はあらゆる可能性を考慮されてきたのでしょう。花見の会も、そのためだったのではないですか?」
風花の推察に忠繁はうなずいた。そうだ、光秀が謀反を起こしそうになることは極力回避してきたし、助言もしてきた。やれることはやってきたつもりだ。
「だったら、あとはお仲間を信じて、それ以外に出来ることをやりましょう。」
「それ以外に、できること?」
「そうです。その方の謀反が回避されればそれでよいではありませんか。でも、最悪のことを考えると、やっぱり謀反が起きてしまうことですよね。謀反が起きてしまった場合の最善策を考えておけば、万が一の時に、最終最後、信長様を助けることができるかもしれません。」
風花のアドバイスに、忠繁は目を丸くした。自分は今までどうしたら本能寺の変を回避できるかということばかりに注視していたが、起きてしまった時の対策を考えていなかった。
「そうか! 風花、ありがとう。君は最高の妻だよ。」
「ふふ、私は信長様の軍師殿の妻ですからね。」
「私より名軍師だよ。」
忠繁はそう言うと、風花の手を握り、その手を手繰り寄せるとお礼のキスをした。
二月三日、信長は武田討伐のための大動員令を発令する。まず、先鋒隊として森長可を先鋒大将として出陣させ、その目付役として川尻秀隆が付けられた。長可が信濃に兵を進めると、恐れをなした武田勢は次々と降伏して織田家に寝返り、長可の先鋒隊を信濃へ招き入れた。
遅れること二月一二日には、武田討伐の総大将を務める織田信忠と、軍師として忠繁、そして補佐役として滝川一益が出陣、岩村城(現在の岐阜県恵那市)に兵を進める。
「岩村城も難なく落とせよう。しかし、武田の弱体ぶりはどうじゃ。本当にこれが戦国一といわれた武田家なのか?」
信忠は岩村城攻めの本陣でそうつぶやいた。長篠の合戦の後、勝頼は権威回復のために無理な戦を繰り返した。かさんだ戦費は税金として農民達に重くのしかかり、その心は次第に武田から離れていったのだ。
「勝頼が長篠の敗戦の後に、少なくとも五年は内政に力を入れていたら、こうはならなかったでしょうね。」
「重税に次ぐ重税で、武田家に対しての怨嗟の声が上がっていることはわしも知っておる。我ら武士は、偉そうにしていても、けっきょく農民が作った作物がなければ生きていけぬからな。」
「そうですね。信忠様がそのお気持ちをお持ちですので、岐阜の領民は安心して暮らしていると・・・。」
そこまで忠繁が言いかけた時、突然地鳴りと共に地面が揺れだした。一瞬、何が起きたかわからなかったが、それが地震だと認識すると、忠繁の行動は素早かった。
「信忠様、こちらへ! 頭を守りながら大木の下に。」
忠繁がそう言って信忠や周りの者を促すと、近くの大木の下に移動し、腰を低くした。
「地震か?」
「はい。でも、そこまで深刻ではないと思います。」
現在の地震にして震度四程度であっただろうか、大きめの地震ではあったが、命に危険を感じるほどの揺れではなかった。しばらく足元がうねうねと揺れている感覚だけが残り気持ち悪かったが、ほどなくして治まっていった。
「驚きましたね。信忠様、一益様、大事はございませんか?」
「ああ、大丈夫じゃ。」
「こっちも問題ない。しかし、なぜ木の下に逃げたのじゃ?」
忠繁に促されるまま移動してきた一益が不思議そうな顔をしていたので、
「地震は地面が揺れますので、このような根の張った大木の下は安全なのです。」
そう説明した。
「なるほど。根が張っているから、地面をしっかりつかんでいるゆえに安全なのじゃな。」
「はい。その通りでございます。特に山中などでは、その方が地滑りの危険もなく安全性が高いのです。」
「さすが、忠繁殿は博識じゃのう。」
一益は感心して頷くと、揺れが収まって安心したのか、ようやく安堵の微笑を見せた。奇しくも、信忠が岩村城に兵を進めたこの日、北信濃の浅間山が噴火したのだ。その噴煙は京の町からも見えたという。
その被害を最も被ったのは他でもない武田家であった。浅間山周辺の城や街には甚大な被害が出た。道が寸断されたところもあり、これにより武田家は組織的な行動が難しくなっていった。
甲斐国躑躅ヶ崎館。勝頼は浅間山からの噴煙を苦々しく見つめていた。揺れはしたが、甲府辺りはそれほど深刻な被害は報告されていない。しかし、この噴火と地震の影響で、北信濃との連携が取りづらくなったのは間違いがなかった。
織田勢が武田討伐のために大軍を発したことは勝頼にも報告が入っていた。この武田討伐には、木曽から信濃に攻め入った信忠の本隊のほか、飛騨側から金森長近、駿河方面からは徳川家康、相模からは北条氏直がそれぞれ兵を進めていた。まさに四方からの一斉攻撃と言ってよかった。
「おのれ、このような時に・・・。」
武田家がまとまらず、一枚岩になれていないことは勝頼もよくわかっていた。今更ながらに、内政重視の政策に切り替えねばならないと考え始めた矢先の織田家侵攻である。勝頼は噴煙を見つめながら唇を噛んだ。浅間山の噴火は、これからの武田の命運を物語っているかのようだった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
すこしづつ、暗雲が立ち込めてきました。。。
武田家滅亡の際に浅間山が噴火していたというのが、
何というか、武田家の滅亡を予期していた気がして、
何とも言えない気持ちになります。
では、次回もよろしくお願いいたします。
水野忠




