第八章 本能寺の変⑤
安土城で、忠繁から百地丹波の最期を報告された信長は、
「であるか。ならばこれ以上、唆されて道を誤る者は出ないであろう。」
そう言って伊賀国平定をまとめた。
「はい。ようやく一安心ですね。」
二人を悩ませ、大きな被害の出た髭の老人事件はようやく完結した。しかし、それよりも忠繁は、着実に本能寺の変へ向けて時が流れていることが気がかりだった。比叡山の焼き討ちや、有岡城でだし達を助けたことなど、少なからず歴史に干渉した部分はあったが、桶狭間の戦い以降、信玄の西進も、足利義昭による織田家包囲網も、本願寺との戦いも、本質的な歴史は変わっていないように思えた。
そんな忠繁の危惧が伝わってしまったのか、
「忠繁、何か悩んでいることがあるのか?」
と、信長が心配そうに聞いてきた。考えてみれば、信長との付き合いも二〇年になろうかとしている。信長にしても、忠繁が何を考えているのかがわかるのであろう。しかし、自分が未来人であり、本能寺の変を回避させたいということはまだ言うべきではないと考えていた。
本能寺の変を話すということは、自分が未来から来たことを打ち明けるということであり、それは、今までの忠繁の功績と呼ばれるものは、すべて自分の知っている歴史をなぞっているだけであることがわかり、言いかえれば、信長を騙しているということにもなってしまう。ここまで信長との関係を築いてきた忠繁にとって、その関係を壊すようなことは怖くて言い出せなかったのだ。そうなってしまえば、本能寺の変を回避するより先に、自分の身が危うくなりかねない。
「いえ。大したことではありません。上様のお手を煩わせることではないので、自分で対応いたします。もし、私の手に余るようでしたら、その時は相談させてください。」
そう言って笑って見せた。まだ、言い出すべき時ではない。本能寺の変を回避させるために、ここまで、信長と光秀が決定的に仲違いするようなことは避けてこられたはずだった。今は、この状態が維持できるようにしていけばいい。そう判断した。
「忠繁、これまでのそなたの織田家での功績は非常に大きい。余はそなたを織田家の軍師としてだけではなく、兄とも友とも思うておる。これは信長の本心じゃ。余に出来ることは何でも手を貸す、あまり思いつめずに遠慮なく申せよ。」
こういった言葉も、この時代に来る前の忠繁だったらとても意外な言葉に思えただろう。しかし、忠繁はこの時代にたどり着き、織田信長という人物が家族想い、家臣思いだと言うことを知っている。
「上様、身に余るお言葉、ありがとうございます。」
この優しき主君のために、忠繁はもうひと踏ん張りしたいと誓ったのだった。
天正九年(一五八一年)一月。信長は忠繁に命じ、年始の会を催すことになった。毎年恒例の年始の参賀とは別に、各方面大将や重要な関係者を集め、今後の政策を共有すべく発表の場を設けたいとのことだった。この内容に関しては、けっきょく信長は忠繁にすら明かしていなかった。
「上様は、わらわにも話してくださらぬのじゃ。忠繁殿にも話していないとすれば、本当に誰にも話していないのじゃな。」
会合前に、帰蝶が忠繁のところに来てそう言って頬を膨らませた。もう、四六歳になったというのに、帰蝶は昔から見た目も性格も変わらない。天真爛漫で面白いことが好きで、信長を何よりも大事に思い続けている。変わったことと言えば、忠繁の屋敷での会食以降、信長に遠慮するなと言われて酒の量が増えたことくらいか。
見た目が変わらないと言えば、忠繁も四九歳になるのだが、昔から変わらないと言われることが多くなった。特に風花は明智の庄にいたころから変わっていないというものだから、さすがにそれはないだろうと笑っていた。
年始の会は安土城内の広間で執り行われた。この日は、信長からの話があるため、今まで通りの形式での食事となった。今日集まったのは、柴田勝家、丹羽長秀、羽柴秀吉、明智光秀、滝川一益ら各方面大将と、同盟国である徳川家康、従属している北条家から北条氏直の代理として板部岡江雪斎、禁裏関係者として准三宮(太皇太后、皇太后、皇后に准じた称号)の近衛前久、権大納言の山科言継、堺衆の今井宗久、イエズス会からはルイス・フロイスとアレッサンドロ・ヴァリアーノなど、そうそうたる面々であった。
「皆、今日はよく集まってくれた。その方らの働きもあり、織田家は尾張の田舎大名家から、今では右大臣を預かるまでになった。そなた達の忠節、礼を申す。この数年の戦で、我らの天下統一はだいぶ近付いたと言えよう。残るは西の毛利。四国の長宗我部。九州の龍造寺、大友、島津。東は武田、上杉、佐竹。そしてあとは東北じゃ。任命している各方面大将には確実な成果を期待している。」
「「ははぁ。」」
そこまで言うと、信長は忠繁に用意させていた日本地図を指差し、
「一〇年じゃ。あと一〇年でこの日の本全土を織田家の影響下に置く。今日はその後の政策を話すゆえ、おのおの把握しておいてほしい。」
そう天下平定も大詰めに入ってきていることを宣言した。
「その後の政策と申されますと、天下統一が成った後の話でございまするか。」
勝家の言葉に、信長はうなずいた。
「そうじゃ。天下を統一しても、それを維持できなければこの乱世を終わらせたとは言えぬ。天下統一後は、この日の本を五分し、それぞれの方面大将が中心となって天下泰平のために政を行ってほしい。」
信長の説明はこうであった。天下統一後は、日本全土を五つの地域に分割、つまり、北日本、東日本、中日本、西日本、南日本に分け、それぞれに統治者を置くというのだ。そして、その中心たる中央政権を置き、運営に当たるのだと言う。
「各方面の大将は織田家の重臣を中心に家康殿などにも参加してもらう。北日本は滝川一益、東日本は徳川家康殿、中日本は柴田勝家、西日本は羽柴秀吉、南日本は丹羽長秀を考えておる。そして、京において中央政権を取りまとめる司令官には、明智光秀、そなたを考えておる。」
この発表には、その場にいたすべての者が驚き困惑した。斬新な信長の構想案にもだったが、その構想の中に信長自身の名前が入っていないこともあったからだ。中央政権を光秀に任せるということは、信長自身の立ち位置はどうなると言うのか。
「う、上様。あまりにも大きな話に、この光秀、いささか困惑しております。その構想の中では、上様はどのような・・・。」
光秀の言葉は、他の者の疑問でもあったため、その場にいた全員が信長の次の言葉を待った。特に禁裏代表で出席している前久と言継は冷や汗を流した。天皇を廃し、信長が王になるとでも言いだしたら大事だからである。
信長は、フロイスが初めて訪問してきた時に献上した地球儀を取り出した。信長が初めて、世界は丸いということと、日本は小さいということの二つの衝撃を受けた地球儀だ。それをくるくると回していたが、
「権六。これは日本や明や、南蛮諸国など、この世界を描いた地球儀なるものだ。この色のついているところが各地の国を現している。わが日本はどこかわかるか?」
信長の質問に、勝家は狼狽した。信長が目配せしたので、忠繁が地球儀を勝家の前に置く。恐る恐る地球儀に触れながら、勝家は暑くもないのに額から汗を流した。
「あ、いや・・・。そうですな、この辺りですかな。」
勝家が指さしたのは遥かロシアの地だった。信長は苦笑して首を振ると、
「長秀、わかるか?」
と、長秀に話を振った。
「いや、この辺りでしょうか。」
長秀が指したのは、この時代はまだ未開の土地であったアメリカ大陸であった。同じように、秀吉や一益、光秀と順番に応えさせたが、明確な答えは出なかった。日本の中での織田家の領土は広い。しかし、世界の中ではそうでもないのだ。そのことが、方面大将の各将ですら、わからない時代だった。
「忠繁。お前にはわかるか?」
「はい、失礼いたします。」
忠繁は一礼して地球儀を受け取ると、
「南蛮と言っても広くなりますので、ヨーロッパのスペインがこの辺り、弥助の産まれたアフリカ大陸がこちら、この辺り一帯が明であり、わが日本は、この島国になります。」
みんなに見えるように地球儀を掲げながら説明した。まさかその小さな島国が日本であるとは思いもしなかったのか、フロイスとヴァリアーノ以外は驚いたように注目した。
「我が国は、そんなにも小さきものなのか。」
「勝家様、その中でも織田家の領土はこの小さい日本のさらに三割程度です。」
「ううむ。なかなか驚きましたな。」
勝家は大きくなった織田家がこんなにも小さい地域であったことに驚愕したのだろうか、腕を組んで座り込むと頭を抱えてしまった。天下に手が届きかけたほどの織田家が、世界で見れば全くの小国であることに衝撃を受けたのだ。忠繁から地球儀を受け取った信長は、
「わかったであろう。たとえ日の本全土を統一しても、外に目を向ければ大国ばかりじゃ。すでに、南蛮の者共は遥か彼方から船を用いて世界各地へ侵攻している。例え、この国を統一しても、世界から見ればまだまだ小国じゃ。この小国の狭い領土で群雄割拠などと争うのは、愚の骨頂だとわかったか。」
そう言って再び地球儀を回し始めた。そして、ぴったりと明を指差すと、信長はいよいよ自分の考えを伝えるために口を開いた。
「明じゃ。日の本の統一が完了したら、余は海を渡り、明を攻める。そして、明を足掛かりに北と南に攻め上り、周辺諸国を従え、この日の本が他国の侵略を受けぬ強い国になるようにしたい。」
そう宣言した。その時の信長の顔は、右大臣と言う要職の者ではなく、心躍らされる少年のように期待と希望に満ちていた。
「余がイエズス会と交流を持ったのは、他国へ渡る船の技術が欲しかったからじゃ。木津川を塞いだ鉄鋼船ではなく、もっと実用的に長旅に耐え、それでいて多くの兵員を輸送できる船を造る。」
信長の話では、ヴァリアーノ達の布教は、キリスト教の布教だけではなく、やがて、あわよくば母国の領地にするためのものでもあった。しかし、ヨーロッパではポルトガルがスペインに併合され、ヴァリアーノ達の母国はなくなってしまった。イエズス会はスペインの下で布教活動を続けることになったのだったが、そのイエズス会が日本の次に布教をしたいと考えていたのが明だった。しかし、明は大国で、宣教師だけではつけ入る隙がなかった。明に布教を広げたいと考えるヴァリアーノ達イエズス会と、海を渡り明に攻め上りたいと考える信長の利害が一致したのだ。
「かつて、ヴァリアーノ達の母国ポルトガルは世界に進出する強国であった。しかし、そのポルトガルもスペインに飲み込まれてなくなってしまった。我が国への海外の脅威は、もうそこまで迫っているのじゃ。この日本が、海外諸国のいずれにも屈せぬようになるには、国を強くするしかあるまい。」
そこまで言うと、信長はおもむろに立ち上がり、戸を開けて外の空気を入れた。冬の寒気が一気に流れ込み、広間の暖気が流れていった。今日は正月明けでも特に気温の低い日だった。その寒気の強さに、光秀達は身を縮めた。
「寒いか。暖かな日本を、このように外から来た冷気によって凍える寒い国にしてよいのか? そうならぬように、暖かく強い国を作ろうぞ。これは我々の代だけでの話ではない。一〇〇年の計画を持って、この日の本を他国に侵略されぬ強国にしようぞ。」
そう言って、信長はピシャリと戸を閉めた。初めて信長の考えていることがわかり、そして、それが未来へ続く国造りであり、自分達がその先駆者になろうという決意に、諸将は頭を下げた。
信長の描いた日本を強国にするという、そのための一〇〇年と言う壮大な計画に感銘を受けた忠繁だったが、頭を下げたその内側で、その素晴らしい発想が叶わぬ夢となっていくのを知っていることに、悲しさを覚えた。
各方面大将は、現在進行中の作戦を確実に進めることと、堺衆には、ますます交易を栄えさせ、軍資金を蓄えていくこと、ヴァリアーノ達には、造船技術他、明へ侵攻するのに有益な情報交換を呼び掛けた。さらに禁裏には、信長の考えをよく把握してもらいたいと理解を求めた。
この後に催された宴席では、信長の壮大な考えに触れた諸将達が、それぞれ情報交換をしながら、天下統一へ向けて突き進んでいけるように心を通わせた。皆、初めてはるか先、未来のことを考えたと言ってもよかった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
初めて語られた信長の天下未来図。
史実の信長の野望はどこまでを描いていたのでしょうか。
ぜひ、信長本人から聞いてみたいですね。
次回もどうぞお楽しみに!
水野忠




