第八章 本能寺の変④
捕らえられた百地丹波は、すぐに安土城へ護送された。そして、城内の広場において信長と面会することになる。丹波は後ろ手に縛られ、その縄は弥助がしっかりと握っていた。表情一つ変えず信長を迎えた丹波は、弥助に促されて膝を付いた。その丹波の目元には、弥助に殴られた時の痣が青々と残っていた。
「貴様が百地丹波か。ふん、ずいぶんいい顔をしているではないか。」
「さよう。下手を打ちましたわい。まさか、こんな真っ黒い奴が茂みに潜んでようとは思いもしませんでしたな。」
「様々な名を騙り、方々で混乱を招いたのは貴様か。」
丹波はとぼけたように首をかしげながら、
「はて。混乱を招いたとはおかしいですな。織田家を壊滅させるために殺しにかかったのじゃったが。」
そう言って不敵に笑った。以前の信長だったら、この挑発に腹を立てて斬り捨てたかもしれないが、信長は眉一つ動かさず、冷静に話を続けた。
「であるか。しかし、そのおかげで徳川家は嫡男を失い、我らも重臣二人を失うことになった。貴様一人で三人もの大将を討ち取ったに等しい、大したものじゃ。だが、このようなことを許すわけにはいかぬ。何か言い残しておきたいことはあるか。」
「そうですな。一つございますかな。」
丹波はそう言うと、開き直ったようにあぐらをかき、地べたに腰を下ろした。
「織田殿は天下を統一して、その後どうしたいのか知らぬが、太平の世は必ずしも皆が喜ぶものではないということを覚えておけ。我ら伊賀衆は忍びの集団、戦のない世などになっては、働くことができずに干上がってしまう。混沌とした時代だからこそ生きていける者どもがいることを忘れるな。」
そう言って丹波は笑った。皮肉な物言いだった。確かに、戦のない世の中になれば、戦うことで存在意義を示すような者たちは路頭に迷うかもしれない。腕自慢の武将や忍び、刀匠などの武器職人、雑賀衆鉄砲隊のような傭兵集団などなど、戦があって成り立っている者達がいることは確かだ。
だが、忠繁の主は、そんなことはわかっているとでもいうように、
「たわけ! それこそ戯言よ。戦のない世になっても武将がいなければ賊は誰が退治する。戦があろうとなかろうと忍びが持ち帰る情報は重要じゃ。刀は人を斬るためにだけ存在するのではない。美しい刀はそれだけで人を魅了する。鉄砲もその腕を狩りに転用すれば、飢える者も減るじゃろう。物事何でも使いようじゃ。その能力や存在を、戦でしか発揮できぬというなど、頭の古い阿呆の発想以外何物でもないわ!」
信長の一喝に、丹波の顔からは先ほどまでの余裕が消え、殺意を持った目で信長を睨みつけた。
「蘭丸! その者を斬れ!」
「はっ。」
命じられた蘭丸が、刀に手をかけて歩み寄った。弥助が丹波の背中を押し、首を前に出させる。が、しかし、
「はーっはっはっ! 信長、ようわかった!」
丹波は大きな声で笑い始めると、いきなり大きく放屁した。と同時に辺りは煙に包まれ、吸ってしまった弥助や蘭丸は涙目に咳き込んだ。忠繁は信長をかばうようにして下がらせると、
「丹波を逃がすな!」
と、周囲の兵達に命じた。しかし、煙が晴れるころには縛っていたはずの丹波の姿は消え、縛っていた縄だけがその場に取り残されていた。
「くそ! 逃げられたか。」
大河内城での骨外しを見ていた忠繁は、丹波が逃げられないように腕ごと縄でぐるぐると巻いて捕縛していたが、それでも丹波は逃げてしまった。
「忠繁、逃げたのならよい。急ぎ出陣の準備じゃ。伊賀を平定する。」
信長はそう言うと城内へ引き上げていった。忠繁はいまだに咳き込んでいる弥助や蘭丸を介抱しながら、天下統一後の人々の在り方を信長が口にしたことを考えていた。これまでの歴史でも、短期間でも太平になった時代はあっただろう。しかし、必ずそこからあぶれる者はいた。信長の言葉には、そう言った者が出ないように苦慮しているのがうかがえた。
秋になり、夏の暑さが治まってきたころ、信長は信雄を総大将として、滝川一益、丹羽長秀、蒲生氏郷(がもううじさと)、筒井順慶など、八〇〇〇〇の大軍を持って伊賀制圧に乗り出した。後に天正伊賀の乱と呼ばれる戦いである。
伊賀には大名はいないが、伊賀一二人衆と呼ばれる丹波をはじめとした長老達がおり、彼らが国の方針を決めている。安土から戻った丹波の話を聞き、一二人衆が一致して出した答えは、『信長を殺せ。』だった。
伊賀衆は山城である比自山城と平楽寺に兵を配置し、籠城戦を試みた。兵と言っても、伊賀の領民達すべてが戦いに参加する。軍隊と言うものはない。伊賀の忍び達とその家族は、外敵には女も子供も一緒になって戦う。一向宗とは違った結束力だった。
平楽寺は寺ではあるが堀もあり、丘の上に立つ寺のため、攻めにくい構造をしていた。蒲生氏郷は比自山城攻めの先鋒として山中に陣を構え、じっくりと攻め落とせるように戦略を練っていた。蒲生家はもともと南近江を支配していた六角家に仕えていたが、観音寺城が落とされると信長に降り、氏郷の代になってからは各地で武功を上げ、重臣に上り詰めている。
しかし、山中に陣を構えた氏郷は、野営初日の夜に伊賀衆の奇襲を受けることになる。闇の中から現れた忍び達は、誰彼かまわずに斬りつけ、氏郷の陣は大混乱となった。氏郷自信も刀傷を受け、撤退をやむなくされた。次の日の夜には筒井順慶の陣が夜襲を受け多くの被害を出す。戦いの始まりは散々なものになった。
「信雄様! もう許せん、忍の好き勝手はもう我慢ならん。明日、わしに攻めさせてくだされ! 敵の本拠である平楽寺を落とす!」
氏郷は信雄本陣でそう言って息巻いた。
「氏郷殿は一昨日の夜襲で手傷を負われているではないか。」
「このような傷、怪我のうちに入りませぬ。」
兵を立て直した氏郷は、敵本陣に斬り込むと言って聞かなかった。
「信雄様。氏郷殿の加勢、我らにお命じくださるまいか。」
「おう、一益殿。行ってくれるか。軍師殿、よろしいか?」
一益の申し出について信雄に尋ねられたため、忠繁はうなずいた。
「ええ。一益様には信長様から新兵器をお渡しいただいております。伊賀衆も度肝を抜かれることでしょう。」
忠繁はそう言うと、一益と氏郷と共に平楽寺の見える場所へ物見に出た。地形を見渡し、布陣を決めると、さっそくそれぞれの兵を配置した。平楽寺は堀があるために攻められる方角が限られる。また、中は忍びの拠点らしく、迷路のような造りに様々な罠もあると言う。昔ながらの白兵戦なら、攻め落とすのには根気も兵力も必要であっただろう。
しかし、織田家は近代戦闘を取り入れて、ここまで勢力を伸ばしてきた集団である。翌朝、日の出前になると、古い考えの伊賀衆が考えもしなかった方法で攻撃を開始した。
「よし。平楽寺に向けて一斉に放て。撃てぃ!」
一益の号令の下、一斉に引き金が引かれ、辺りに轟音が響き渡った。驚いたのは平楽寺の中にいた伊賀衆である。まだ寝ている者も多かったが、轟音と共に飛び起きた。と、同時に地鳴りがしたかと思うと、方々で建物が崩れたり、木が倒れたり、土煙が上がった。
「何事じゃあ!?」
丹波は驚いて外に出ると、二度目の轟音が響き、すぐに平楽寺の本堂が吹き飛ぶのを目の当たりにした。思わず身をのけぞらせたが、そのすぐ近くで土煙が上がり、視界が遮られた。この攻撃は半刻(約三〇分)ほど続き、平楽寺の建物は砕かれ、建物の下敷きになったり、吹き飛ばされたりで多くの伊賀衆が犠牲になった。
信長が長篠の戦以降に命じて作らせた大筒が火を噴いたのだ。この時には一〇〇丁の大筒と、木津川口で大型鉄鋼船に積んだものと同じ大砲が四台投入されていた。この大筒は鉄砲を太くしたような造りで、一つの弾丸の重さは二〇〇匁(約七五〇グラム)にもなる。兵力で勝るうえに近代兵器を惜しみなく投入し、今日の緒戦で用いたことで完全に戦を有利にひっくり返したのであった。
「よし。氏郷殿、攻撃を開始してください。」
「承知いたした!」
忠繁の命で、氏郷の兵が一斉に攻撃を開始した。平時であれば、平楽寺の構造や数々の罠で敵の戦力を削いでいくが、大筒の砲撃で大門は破られ、労することなく内部に進入できた。こうなっては戦の場数に勝る織田勢の敵ではない。伊賀衆は散々に蹴散らされ、その屍が累々と転がることになった。
平楽寺の炎上を少し離れた山中から見ていた百地丹波は、
「忍びの時代は終わったか。悔しいものよ。」
そう言うと、肩で息をしながら無念そうに眼を閉じた。左肩からは今でも血が止まらず流れ続けている。先ほどの大筒の一斉射撃の際、その一弾が左腕ごと吹き飛ばしたのだ。足の悪い丹波は何とかここまで逃げてきたが、出血が酷く、自分の命数を悟っていた。
「平楽寺ではまだ戦っている同胞が多くいるのに、あなたは一人逃げ出したのですか。」
振り返ると、忠繁と弥助、蘭丸など十数人の兵が丹波を取り囲んでいた。
「あのような兵器を使うとは、お前達も無粋な者よ。」
「無粋だろうと邪道であろうと、織田家を勝たせるための策を立てるのが軍師の務め。また、あなたのような危険人物を排除するのも私の務めです。」
忠繁が手を上げると、付いてきた鉄砲隊が一斉に丹波に狙いを定めた。
「あなたは大したものです。口先だけで二人の大名を排し、一人を殺した。だが、もうこれ以上のことはさせません。」
「ふふふ。わしは確かに策を弄し、織田家を混乱させたが、それ以上にお前達は人を殺してきているではないか。わしが罪人と言うのであれば、わし以上に人を殺してきた信長はなんじゃ、悪魔か? 魔王か? それとも神になったとでもいうのか。」
目を見開き、丹波はそう主張した。忠繁は表情一つ変えず、この戦国時代に紛れ込んでから思っていたことを口にした。
「天下統一のためには、立ちふさがる敵は排除していかなければなりません。そのためには、私達はより多くの人の命を奪うでしょう。あなたと同じ人殺しです。でも、信長様はそうしてでもこの一〇〇年続く狂った乱世を終わらせたいと考えているのです。自分達の都合が悪くなるからと無用な命を奪ったあなたと、戦によって多くの民が殺される世を終わらせるために命を奪う信長様と、同じ目線で物を語るな!」
忠繁のその言葉に、丹波は一瞬だけ無念そうな表情を見せたが、すぐに不敵に笑うと、
「やれるものならやってみることだな。わしは付き合いきれんからここらで身を引くとしよう。」
そう言って懐から筒を取り出すと、その先端の紐を噛み、引き抜いた。と、同時に筒は爆散し、丹波も四肢を四散させて最期を遂げた。忠繁は兵に丹波の遺体を埋めるように指示すると、弥助と蘭丸を伴って陣へ引き上げた。
百地丹波の生涯については諸説あり、この天正伊賀の乱で死んだという話もあれば、逃げ延びてその後も伊賀で領民をまとめたとか、先に述べた石川五右衛門の師匠になったとか、百地丹波自体は何度か死んでいるが、その都度、新たに百地丹波の名を継ぐ次の忍が現れるとか、謎も多い。
丹波が各地で語った梶井小次郎、児島勘十郎、桂新左衛門、鹿嶋小重郎、加地浩二郎などの名前や、そのつかみどころのない実態と、誰にも気付かれず本願寺から影月を盗み出したり、信長を煙に巻いて逃げ出した逸話などだけが言い伝えられ、やがてこの一連の人物は果心居士(かしんこじ)という幻術使いとして語られるようになるのだが、本当かどうかは定かではない。
信長が別方面から調略を進めていたこともあり、伊賀衆の中でも寝返りや逃亡が相次いだ。大名と言う一つの中心がなかったことが災いしたのか、崩れ始めると崩壊するのは早かった。丹波が逃亡した後、ほどなくして平楽寺は落とされた。比自山城は丹羽長秀などが攻めたがなかなか落ちず、織田勢の被害も少なくなかったが、平楽寺が落ちたことをしった伊賀衆は、夜陰に紛れて比自山城を放棄し、柏原城へ逃亡した。城主である伊賀一二人衆の一人、滝野吉政(たきのよしまさ)は、代表として信長に講和の使者を送り、事実上、伊賀国は信長の手に落ちた。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
百地丹波と果心居士を同一人物にしたのは、
実は書きながら決めました。
果心居士の正体、誰にしようって悩んだ時に、
ふと年表を見て、
「あ、百地さんにお願いしよう!」
となりました。(^_^;)
ノープラン水野でした。




