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時霞 ~信長の軍師~ 【長編完結】(会社員が戦国時代で頑張る話)  作者: 水野忠


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第七章 忙殺の軍師⑨

 安土城で信長に事の仔細を報告した忠繁は、休む間もなく、有岡城で挙兵した荒木村重の討伐軍に参陣した。この時、調略によって村重の家臣・中川清秀やその従弟にあたる高山右近(たかやまうこん)を寝返らせると、村重の兵力は半減、信長はここで総攻撃を命じる。


 一二月八日早朝に、鉄砲隊が城に向けて一斉射撃を始め、ついで、弓隊が火矢を用いて城下を放火した。有岡城が一年に渡り籠城できたのは、その造りにあると言える。有岡城は城下町を丸ごと城壁で囲んだ城塞都市、いわゆる『総構え』であったことが挙げられる。これにより、城の中で自給自足などが完結できるため、この籠城は長引いたのだ。


 しかし、清秀と右近の寝返りで、信長は一斉攻撃が可能になったと判断した。村重はこれによく対抗し粘ったが、本願寺と毛利から、進軍が阻まれ援軍が出せないという知らせが届いた。


 この知らせを受けた村重は、本願寺の援軍もなく、また、期待していた毛利の援軍も来ないことから心労を患い、長引く籠城戦から疲れも生じ身体を壊す。忠繁は城の攻撃が弱まったのを感じ取ると、南西部の一帯の兵を引き揚げさせ逃げ道を作った。


「兵糧も少なくなり、清秀も右近も裏切ったか。将軍は何故来ないのか。毛利も来ず、本願寺も当てに出来ず。はは、四面楚歌じゃのぅ。」


 村重は趣味である茶道具を手入れしながらつぶやいた。この時、陸路は備前国(現在の岡山県)の宇喜多直家が、海路は鉄鋼船を要した九鬼水軍が毛利の進軍を阻み、援軍に向かえないでいた。


「殿・・・。」

「何も言うな。」


 妻のだし(名前は諸説あり)が声をかけようとしたが、何も言うなと制された。だしは村重が最も愛した女性として知られるが、史実ではその存在は不明なところが多い。村重の長男である村次は別の女性が生んでいるため、正室とする説と、側室であったとする説と諸説ある。


「はは、児島勘十郎にまんまと騙されたか。」


 自虐的に村重は笑った。今考えれば虫のいい話である。義昭が挙兵したところで、今の義昭は名ばかりの将軍。そんな男に同調する者が果たしてどれだけいようか。


「ふふふ。ははは!」


 茶器を片手に笑い出す村重に、だしはかける言葉もなかった。そして、その夜。何を思ったか、村重は持てるだけの茶器を持って単身有岡城を脱出、家族も家臣も置き去りにして尼崎城へ逃げてしまったのだ。当然、有岡城内は大混乱となった。


 間者から村重脱出の報を受けた総大将、織田右近衛中将信忠は、尼崎城の攻略のために主力を移動させた。有岡城攻略に残った滝川一益と忠繁は、城兵の調略を開始し、何名かの離間に成功した。


「一益様。そろそろ頃合いでございましょう。」

「よし。全軍突撃、有岡城を落とせ!」


 一益の手勢は号令を受けて一斉に攻撃を開始した。ここまで一五〇〇〇の兵と総構えの有岡城を持って、一年近く籠城を続けてきたが、中川清秀と高山右近のほか、忠繁が開けるよう指示した南西部からも脱落する兵は数知れず、続々と脱走が続いた。調略された城兵が兵糧小屋に放火する。一斉攻撃を開始した時には、城内には三〇〇〇足らずの兵が残っていただけで、総構えの広い城壁を守りきることはできず、有岡城は落城した。


 忠繁は大勢が決すると、城内に入り辺りを検分した。かつての有岡城は城下町として栄えていたが、今は大半が焼け落ち、そこかしこで煙を上げ、一部ではいまだに火を上げていた。


「兵の一部を消火に回せ。」


 そう指示すると、有岡城の本丸へ進んだ。そこには村重の妻、だしをはじめ、荒木家の家臣や家族が捕らえられていた。


「織田家臣、霞北忠繁でございます。」

「村重が妻、だしです。」

「村重殿はみなさんを置いて逃げ出したとか、心中お察しいたします。」


 忠繁が頭を下げると、だしは思いのほか穏やかな表情で、


「忠繁様と申せば、信長様の軍師。夫もいない今、もはや抵抗は致しませぬ。どうか残った兵達の命を保証していただきたい。その代わりに、私の命を差し上げまする。」


 そう言って頭を下げてきた。


「上様は、村重様謀反の報を聞いても、にわかに信じられず、誰かの流言であるとお話しておりました。それほどまでに村重様を信頼なされておりましたが、なぜに謀反など企んだのです。」

「私にも詳しいことはわかりません。ただ、少し前に児島勘十郎と名乗る者が村重に会い、それからすぐに挙兵いたしました。私にすら何も話されませんでしたが、その児島勘十郎なる者に何か吹き込まれたようでございます。」


 それを聞いて、忠繁は顔色を変えた。


「その児島勘十郎と言う者は、髭の立派な老人ではないですか?」

「ええ、そうでございます。私もちらと見かけただけではございますが。」


 それを聞いて、忠繁はこの髭の老人が名前を変え、方法を変え、各地で反信長を扇動しているものと確信した。


「だし様。城兵は三〇〇名ほどしか残っておりませぬが、助命嘆願の儀、必ず信長様へ申し伝えます。」

「かたじけのうございます。」


 そう言うと、だしはもう一度頭を下げた。忠繁は一益のところに戻ると、だしから聞いた話を報告した。


「では軍師殿は、その髭の老人が絡んでいると申されるか。」

「はい。信康様を唆したのも髭の老人、堺で村重様謀反を言いふらしたのも、各地で反信長様の吹聴をしていたのも髭の老人。名前は変えておるようですが、まず同一人物として間違いないでしょう。」

「むむむ。では、その者を捕らえて何とかしなければ・・・。」

「はい。相当口達者なようですので、村重様のように道を誤る者が連続する可能性があります。」

「わかった。上様にはすぐに報告の使者を立てよう。」


 そう言って、一益は信長への報告の書面を作りに行った。


「捕虜が見つかったぞ!!」


 そんな中、その声が聞こえたのは、日が傾きかけた夕方のことであった。忠繁は織田家の捕虜が見つかったと報告を受け、東の猪名川に面した牢屋に急いだ。そこには衣服は擦り切れ、髪も髭も伸ばし放題になった男が戸板に寝かされていた。


「しっかりいたせ。」

「あ、あぅ・・・。」

「誰か、水を持って参れ!!」


 忠繁は近くの兵に命じた。


「この方は、羽柴筑前守様の配下、小寺官兵衛殿にございます。」


 後ろ手に縛られていた身体付きの大きな兵士が口を開いた。


「貴様、断りもなく口を開くな!」

「待て、小寺官兵衛だと?」

「はい。一年ほど前、荒木様に降伏の勧告にお越しになった小寺様でございます。ずっと幽閉されておりました。」


 忠繁はしまったと思った。ちょうど徳川家に信康助命に出向いていた時、秀吉の配下である官兵衛は、村重に降伏勧告するために有岡城へ出向き、そのまま城から出てこなかったという。信長は官兵衛が裏切ったと思い、秀吉の元に預けられていた官兵衛嫡子の松寿丸(しょうじゅまる、後の黒田長政)の処刑を命じ、竹中半兵衛がこれを実行した。


「軍師様、水にございます。」

「ありがとう。」


 忠繁は官兵衛の身体を起こすと、受け取った水をゆっくりと飲ませた。起き上がらせた時のそのあまりの軽さに驚いた。官兵衛はゆっくりと水を飲み干し、一度大きく深呼吸した。


「あ、あなたは・・・。」

「上様の家臣、霞北忠繁でございます。わかりますか?」

「おお、上様の軍師様。もう、二度と会うことはできぬかと思いましたぞ。そうですか、城は落ちたのですね。」

「もう大丈夫です。少し休んだら、共に藤吉郎様のところに戻りましょう。」


 官兵衛は嬉しそうに微笑むと、


「忠繁様。その者は加藤重徳殿、この一年、荒木家の家臣ながら、わしを生かすためにあらゆる尽力をしてくださった御仁、どうか、どうか・・・。」


 そう言って忠繁の腕をつかんだ。忠繁は立ち上がると、腰刀を抜き、重徳を縛っている縄を斬った。


「重徳殿、礼を申します。官兵衛殿を良く助けてくださいました。織田家を代表して礼を申し上げます。また、知らなかったとはいえ、縛るようなことをした非礼をお詫びいたします。」

「いいえ。拙者の力では大したこともできず、最低限のことしかできなかったことをお詫びいたします。」


 重徳はそう言って頭を下げると、官兵衛と目を合わせてほほ笑みあった。それを見るだけでも、この一年の監獄生活の中で、この重徳がどれだけ官兵衛を助けたのかがわかる。加藤又左衛門重徳(かとうしげのり)は、この後、宇喜多家に仕え、晩年まで活躍する。官兵衛は重徳の助力に感激し、助かったら何か礼をしたいと申し出るが、重徳は自分への礼よりも子供を官兵衛配下として仕えさせてほしいと頼み、官兵衛は家臣ではなく我が子として預かると言って、重徳の子・玉松丸を養子に迎える。この玉松丸が後の黒田一成(くろだかずなり)で、朝鮮出兵や関ヶ原の戦いで功を上げ、三奈木(現在の福岡県朝倉市)で一万石の大名となっていく。



 忠繁と共に、官兵衛は有岡城攻めの本陣に構えていた信長の元を訪ねる。


「小寺孝隆、生きておったのか。」


 信長は驚愕し、思わず駆け寄ってその肩に手を置いた。


「上様。村重を説得できず、逆に捕虜となり、申し訳ございませんでした。」

「よくぞ生きていてくれた。しかし、しかしだ。」


 信長は官兵衛の前に手を着いて頭を下げた。その姿に、その場にいた多くの家臣が動揺した。


「う、上様。何を。」

「余は、お前が村重に寝返ったと思い、怒りに任せてお前の息子を、斬ってしまった! すまぬ、詫びの言葉もない。官兵衛すまぬ!!」


 信長の目から、一粒、また一粒と涙がこぼれた。これには忠繁も何も言えず、視線を落とすしかなかった。


「上様、お嘆きございますな。村重を説得し、捕虜にならなければ松寿丸は死なずに済んだのです。せがれを殺したのはこの身の不徳とするところ。上様が涙されるようなことではございませぬ。」


 官兵衛はそう言って頭を下げた。その時、信長の近習、竹中重矩が歩み出ると、二人の前に膝を付いて頭を下げた。


「お、恐れながら申し上げます。わが兄、竹中半兵衛重治。松寿丸殿を秘かに匿い、今は菩提山城にて健在でございます!!」

「な、なに?」

「ははっ。兄、重治は、上様から処刑せよとのご命令を承りましたが、官兵衛殿は必ず生きている。裏切ってもいないと申し、後日、官兵衛殿が戻ってきた際に、松寿丸殿の死を知れば織田家から離れることを危惧し、上様からの処罰を覚悟の上で匿いました。兄、重治が病死しているため、こ、この重矩がいかなる罰も受ける所存でございます!」


 秀吉の名軍師、竹中半兵衛重治は、昨年六月、播磨国三木城攻めの陣中で病死している。まだ三六歳であった。おのれの命数を悟っていた半兵衛は、松寿丸処刑の命令が来た時に最後の計略として松寿丸を匿った。


「重矩、一つ教えてほしい。半兵衛から松寿丸の首と言って送られてきたあの首は誰の物じゃ?」


 松寿丸処刑の命令後、半兵衛から信長へ証拠の首が送られてきた。


「あれは、兄が命じて作らせた肉饅頭にございます。」

「な、なに?」


 半兵衛は、鹿肉などを細かくして練り上げ、形を整えたり細工すると、人毛を付けてそれらしくして信長に提出したのだ。当然、時間と共に肉は腐っていくため、信長はたいして確認もせず、腐ったその肉の塊を首と思いこんだのだ。


「三国志。」


 忠繁は思わずつぶやいた。


「明の歴史の中で、南蛮を平定した諸葛孔明が帰国しようとした際、大河で荒天に遭い渡れずにいたところ、四九人の首を生贄に流せば荒天は治まるというその地の迷信を止めさせるため、馬肉を丸め、小麦粉をまぶした物を首の代わりとして捧げるようにして、毎年の生贄を止めさせたという逸話がございます。」


 諸葛孔明はこれを『饅頭(まんとう)』といい、これが今の饅頭(まんじゅう)になっていったと言われている。焼売や肉まんも、これが元になったとかならなかったとか。


「半兵衛め。最後にその能力を、余を欺くために使いおったか。」


 信長はそう言って苦笑いすると、官兵衛が捕らえられたことも、半兵衛が松寿丸を処刑しなかったことも罪はなしとして二人を許した。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/

「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、

ぜひ高評価お願いいたします!


官兵衛を匿った加藤重徳は、

実施を官兵衛の養子にしますが、

この後の黒田一成、

だいぶ巨漢だったそうですが、

なんと、特技は絵画!

ギャップに萌えそうです(笑)


では、次回もよろしくお願いいたします。


水野忠

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