第一章 戦国時代⑥
辺りを見回すと、田園風景の遠くの方で、馬に乗った男達数人が村人を襲い始めているのが見えた。それが、いわゆる野盗だと理解するのに時間はかからなかった。
「お風ちゃん、おいで!」
忠繁はお風の手を取ると、光秀の屋敷に向かって走り始めた。このままここにいては巻き込まれる恐れがあった。権蔵が買ってきてくれた刀は屋敷に置いてきてしまっている。とにかく逃げたほうが良いと判断した。とは言っても、成人している忠繁とわずか一〇歳のお風では歩幅が違う。一〇歳と言っても忠繁のいた時代の一〇歳よりはだいぶ小さく感じた。
「お風ちゃん。ちょっとごめんね。」
忠繁はお風を抱きかかえると、屋敷に向かって走った。途中、振り返ると、野盗達はさっきよりずっと近い位置まで近付いてきていた。このままでは追い付かれると思った忠繁は、道の傍らにある地蔵の蔵の陰に隠れると、お風を下ろして身を潜めた。
「声を出したらダメだよ?」
「う、うん。」
お風が不安そうにしていたので、忠繁は頭を撫でて安心させようとした。野盗達はすぐ近くまで来ているようだ。カチャカチャと何か金属がぶつかるような音が近くに聞こえていた。おそらく装備品や馬の鞍などがぶつかる音なのであろう。
息を潜めた二人の近くを、二人の野盗が馬で歩いてきた。
「この辺りに逃げてきたはずなんだがな。子供は売れば金になる。」
「隠れたんだろうよ。この地蔵の影とかな!」
片割れが地蔵の蔵を蹴飛ばした。しかし、蔵はびくともせずに忠繁達を守ってくれたようだ。しかし、驚いたお風が足を動かした時、地面に転がった枝を踏みつけて、それが折れる乾いた音が響いてしまった。
「出てこい!!」
背の高い野盗が怒鳴りつけてきた。忠繁は、お風にここから動かないようにと身振りで教えると、足元の木切れを背中に回し、後ろ手にしながらゆっくりと蔵から姿を現した。
「なんでぃ。野郎か。」
背の高い野盗は顔に傷もあり、体格こそ細かったが、その顔付きは見事な悪人面だ。お風が見たら顔付きだけで泣き出すかもしれない。
「今すぐ、立ち去れ。」
忠繁の言葉に、二人とも声を上げて笑った。正直、震えるほど怖かったが、今、お風を守れるのは自分だけだ。馬上の二人はにやにやと笑いながら刀を振り上げた。
「威勢がいいのはけっこうだが、丸腰じゃ話にならねぇなぁ。」
そう言うと、振り上げた刀を忠繁に目掛けて振り下ろした。が、忠繁はそれよりも早く身をかがめると、持っていた木切れで馬の鼻を叩いた。
「うおっ!」
驚いた馬は前足を上げ、背の高い野盗を振り落とすと、そのまま駆けて行ってしまった。忠繁は間髪入れず、もう一人の野盗の鳩尾辺りに木切れを打ち込んだ。その衝撃の重さに落馬すると、そのまま気絶してしまったようだ。
「こんの野郎!! たたっ斬ってやる!!」
最初に振り落とされた背の高い野盗が、腰をさすりながら立ち上がった。忠繁は向きを変えると、木切れを正眼に構えて対峙した。
「そんな木切れで何ができやがる!」
そう言って一歩踏み出してきたが、刀を構えるよりも早く、その右手に木切れを振り下ろした。思わず刀を落とした背の高い野盗に、続けざまにその喉元を突くと、野盗は後ろに飛ばされて気を失ってしまった。
「剣道三段なめるな!」
肩で息をしながら忠繁が悪態をつくと、
「おじちゃん!」
「お風ちゃん、まだ来ちゃダメだ!!」
たまらず飛び出してきたお風に、気を取り戻したもう一人の野盗が襲い掛かったため、忠繁はとっさにお風の手を引き寄せると、夜盗からかばうように抱きかかえた。
斬られる。そう思って、お風を抱き締める腕に力が入ったが、いつまでもその衝撃はなかった。恐る恐る振り返ると、鬼のような形相をした野盗が、やがて苦悶の表情を浮かべて倒れた。その背中には一本の矢が突き刺さっていたのだった。その少し先には、弓を構えた光秀が立っていた。
「かかれ! 野盗の群れを討ち取れ!!」
光秀の号令の下、明智家の家臣達が次々と野盗に攻撃を仕掛け、あっという間に蹴散らしてしまった。忠繁が突きを入れて気を失っていた野盗も、駆け寄ってきた光秀の家臣達に斬り伏せられた。また、義元が山口親子を斬った時と同じように、肉を斬り裂く音が聞こえ、忠繁は身を縮めた。
「おじちゃん、痛い・・・。」
腕の中でお風がもぞもぞとしたため、慌てて腕を放した。
「ごめんね。ケガはないか?」
「うん、大丈夫。おじちゃん、助けてくれてありがとう。」
怖かったであろうが、お風は安心したのか笑顔でお礼を言ってきた。忠繁は、その頭を撫でてやったが、その手が震えていることに気が付いた。
「忠繁殿、ご無事か。」
「はい、ありがとうございました。」
「隣の領地で野盗が出たという話が入ったので急ぎ戻って参った。間に合ってよかった。」
光秀はそう言うと、先ほどの木切れを拾い上げた。
「見事な気概でしたな。やはりわしの見込んだお方じゃ。だが、木切れで立ち向かうはちと無謀じゃな。野盗はいつどこに現れるかわからぬ。せめて刀は持ち歩かれるがよかろう。」
「はい、迂闊でした。」
「しかし、野盗に打ち込んだ技は見事であった。忠繁殿は、剣術の心得がおありか?」
学生時代、剣道部に所属して三段までは取得したが、この時代の剣術とは違うのだろうなと苦笑いした。
「田舎剣法をかじった程度です。」
忠繁は、そう言って誤魔化すのであった。
その日の夜、忠繁はふと起き上がると、しばらく開けていなかった自分の鞄を漁った。傍らでは、すっかり懐いてしまったお風が静かに寝息を立てている。この部屋は忠繁にあてがわれた部屋だが、どうしてもお風が一緒に寝たいというので、煕子が布団を並べてくれたのだ。
暗がりに目が慣れてくると、畳の上に荷物を広げてみた。とはいっても通勤鞄の中身である。そうそう大したものは入っていない。携帯電話に充電器、ポケットサイズの手帳と筆記具、電子タバコと携帯灰皿、鞄につけてある超小型のライト、定期入れと財布くらいなものであった。
「お、これは使えそうか。」
鞄の奥に、緊急時用の携帯充電器を見つけた。表面がソーラーパネルになっているので、太陽の光で充電できるものだ。ただ、携帯が使えるからと言って、誰と通話するわけではないため、せいぜい目覚ましにするか、写真を撮るかくらいしか使い道はなかったが。
忠繁は携帯の電源を入れると、フォルダを開いて家族の写真を映し出した。明里と楓、笑顔で映し出される二人の写真は、忠繁の心を癒すと共に切ない想いを募らせた。楓が生まれてから、こんなにも長い時間家を空けたことはなかった。帰らない夫を待つ明里の心配はいかばかりだろうか。心配をかけていることを思うと胸が締め付けられた。『おれは生きている。』しかし、それを伝える手段はどこにもないのだ。
気が付くと、画面には『No SIGNAL』の文字が出ている。無意識に、明里の携帯を呼び出していたようだ。忠繁はため息をついて携帯電話の電源を落とすと、電子タバコを取り出して庭に出た。薪割り台に腰を掛けると、電子タバコの電源を入れた。こうすることで中の金属プレートが熱を帯び、カートリッジにある煙草の板を加熱し、そこで発生した蒸気を吸うことで、実際の煙草に近い感じで吸うことができる。久し振りの煙草を肺一杯に吸い込むと、一瞬そこにため込んでから一気に吐いた。大量の紫煙が宙に舞って、やがて消えていった。カートリッジは残り一五本、開けていない一箱と合わせても三五本しかない。本体はソーラーパネルの充電器に繋げば使えそうだが、カートリッジはそうもいかない。大事に吸うしかない。それも、見つからないように。
やけに早く感じた一本を吸い終わると、携帯灰皿に吸殻を入れ、布団に戻った。お風が掛け布団を蹴飛ばしていたので掛け直してやると、忠繁も布団をかぶって寝ることにした。この時代は夜になると本当に静かになる。時折、風にたなびく草木の音が聞こえてくるだけで、都会の喧騒もなければ、周囲の生活音もない。自然に溶け込めるように眠りについた。
翌日、光秀が出仕より戻ると、忠繁は権蔵と一緒になって薪を割っていた。しかし、薪割り斧を持つ忠繁の姿はなんだか頼りなく、権蔵がハラハラしながら見守っているようだった。案の定、振り下ろした斧は薪に当たらず、その端をほんの少し削っただけだった。
「あれ?」
「ですから、薪割りなどはわたくしが。」
「いやいや。なんか役に立たないと。」
そういって二度目に振り下ろした斧は、今度こそ薪に当たったが、割ることはできず、忠繁は外れなくなって四苦八苦していた。そのあまりに一生懸命な姿に光秀は笑った。
「あ、十兵衛様。お戻りですか。」
「ああ、戻った。忠繁殿はもう少し鍛錬せねばならぬな。」
そう言って忠繁から薪付きの斧を取り上げると、器用に振り下ろし、真っ二つに割った。
「お見事。」
忠繁は照れ臭そうに笑った。
「おじちゃーん!」
お風が駆け寄って、そのまま忠繁に飛び込んだ。
「おやおや。知らぬ間にすっかりなつかれましたな。」
「はは、そうですね。あの、そう言えば義龍様は何かおっしゃってましたか?」
忠繁の問いかけに、光秀は屋敷の中に入るように促した。光秀の部屋で白湯を飲みながら一息つくと、城での出来事を話してくれた。
義龍は、桶狭間の戦いでまさか信長が勝つとは思わず、驚きを隠せなかったようだ。侮って仕掛けては痛手を受けると、尾張侵攻には慎重になったという。また、反対に信長が美濃を攻めるという噂もあるため、警戒を強めていた。事実、信長は桶狭間の戦いの後、翌月も翌々月も美濃に攻め込んでいる。
「そなたのことは詳しくは話していないが、武蔵の住人を客人として迎え入れたということだけ報告しておいた。」
「何か、おっしゃっておりましたか?」
「いや、わしの客はわしに任せると言って、大して関心は持たなかった。問題はなかろう。」
それを聞いて忠繁は胸を撫で下ろした。なんと言っても、自分はこの時代には異質の存在なのである。大事に関わりすぎないほうがいいと考えるようになっていた。
「そなたは何も心配せず、心行くまでこの明智の庄で過ごされればよい。また、やりたいことが決まったらその道へ進むのもよかろう。」
「十兵衛様のお心遣い、誠に恐れ入ります。」
それからの明智の庄での生活は、規則正しいものになっていった。朝は早くに起床し、権蔵の手伝いをしたり、庄の田畑に出向いて領民を手伝った。日が傾いてくると、岸やお風と遊んだり、夕食の準備を手伝った。始めは男がするものではないと、光秀も呆れていたが、懸命に働く忠繁や、楽しそうにしている煕子や子供達の姿を見て、やがて好きにさせるようになっていった。
野良仕事などを手伝っていくうちに、忠繁の身体はどんどん引き締まっていった。質素な食べ物と、規則正しい生活、きれいな空気、そんな生活が忠繁をどんどん健康にしていった。あの日以来、電子タバコもしまったままだ。いつまでこの時代にいるかわからない以上、何か特別な時のためにとっておこうと考えたのだが、今の健康的な生活のおかげで、わざわざ吸いたくもなくなっていたことも事実だった。
そんな、単調だが穏やかな毎日があっという間に一年過ぎた。明智の庄の住民や、光秀の家臣達ともすっかり馴染みになり、忠繁はこの土地に溶け込んでいた。光秀や煕子は相変わらず優しく接してくれている。あの日以降、野盗も姿は現さず、本当にここが戦国時代なのかと疑ってしまうほどに穏やかな日々が続いた。特に光秀とは馬が合うらしく、毎日のように美濃やこの国の将来について語り合った。光秀は真面目で領民思いで家族想い、本当に戦国武将なのかと疑いたくなるくらいに優しい人格者だった。そんな光秀がどんどん好きになり、忠繁は明智家のためにいろいろなことを文字通り泥だらけになって手伝った。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメくださいね。
お風を命がけで守って、
すっかり懐かれた忠繁です。
次回は、少し光秀の過去に付いて触れていきます。
どうぞお愉しみに!
水野忠