第七章 忙殺の軍師⑧
忠繁が浜松城に付いたのは、奇しくも八月三一日、瀬名が討たれた翌々日のことであった。浜松城に到着し、織田家の使者であることを告げると、門番はすぐに本多正信に取り次いでくれた。
「これは忠繁殿。どうぞお入りください。」
「ありがとうございます。いやぁ、今年は暑いですね。参りました。」
「はは、後ほど冷たい物でも用意させましょう。」
正信はそう言って城内に通してくれたが、忠繁は城全体が、何か異様な空気と言うか、殺気立っていることを肌で感じ取った。ここへ来るのは三方ヶ原の戦いの時以来である。あの時は、城全体が武田との決戦に向け、誰もが士気を高めていた。しかし今は、城全体を包み込む暗さが忠繁にのしかかってくるような気がした。そして、その嫌な予感が、家康に面会することで当たっていたと思い知った。
広間に入ると、疲れ切った家康の前に置かれた一つの木箱。忠繁もいい加減それがなんであるかわかっている。死者の首を入れる首壺だ。
「霞北忠繁にございます。あの、家康様、その箱は・・・。」
忠繁は挨拶もそこそこに尋ねた。家康は力なく顔を上げると、
「おお、忠繁殿。よう参られたな。はは、すまぬな、ちと、呆けておった。」
そう言うと、一度大きく深呼吸し、
「これは、瀬名の首じゃ。」
そう言って力なく笑った。
「これまでの素行を詫びながら自害したそうじゃ。竹林の、それは寂しい場所でな。あの派手好きな瀬名にしては、不思議な場所を最期に選んだものじゃ。」
その物言いや家康の表情から、自害したにせよ討たれたにせよ。不本意な最期であったであろうことがうかがえた。忠繁は身を正し、瀬名の首壺に手を合わせた。
「ご使者殿に失礼になる。瀬名の首を下げよ。」
家康はそう言って首壺を下げさせた。いよいよ猶予がないと思った忠繁は、さっそく本題に入ることにした。
「家康様。信康殿をお許しください。」
「なんじゃと?」
「信長様は、このたびの信康殿謀反の疑いを、若気の至りであるとおっしゃっております。そのうえで、苦労を重ねてきた徳川の重臣達に育てられれば、将来必ずひとかどの武将になるであろうと申されておりました。この度はしばらくの謹慎で灸をすえ、しかる後に、重臣のどなたかにお付けになって、天下太平の意義を教え込まれてはいかがでしょう。」
信長の言葉と、忠繁の提案。それは家康にとっては願ってもいないことであったが、家康は黙って首を振った。
「家康様。徳姫様も、自分が申し出たせいで信康殿が切腹になっては死んでも死に切れぬと申されております。何卒、お許しいただきますよう、この忠繁からもお願い申し上げます。」
忠繁としても、実の子に切腹を命じるという重荷を家康に負わせたくはなかった。
「忠繁殿。遠路お越しいただき、愚息のために頭を下げさせて申し訳なく思う。しかし、信康の処分はすでに決していること。なにも申されるな。」
「では、なぜ岡崎で詰問した時に切腹を命じなかったのでしょうか。家康様のお心の中でも、死なせたくないと思っていらっしゃるからではないのですか?」
忠繁に核心を突かれ、家康は閉口してしまった。その通りだ、どこに我が子を殺したいと思う親がいるであろうか。ましてや信康は嫡男、いずれはこの徳川家を継ぐはずだった子である。
「忠繁殿、お聞きくだされ。この家康、憎くてわが子を殺そうとしているのではない。むしろ信康がかわいくて仕方ないのじゃ。」
「ならばなぜ。」
「最後まで聞きなされ。天下は信長公を中心に、天下統一へ向けて突き進んでおる。このままいけばそれも近い将来にそうなっていくであろう。我らも同盟国として総力を挙げてそれに協力するつもりじゃ。しかしな、統一後も強い日本であるためには、太平をひっくり返そうとする思想は決して許してはならんのじゃ。」
家康の言葉には、太平の世の中に対する気持ちが込められていた。
「しかし、信康殿はまだお若い。これからいくらでも学び、太平の一翼を担う方になっていけるはず。」
「そうかもしれぬ。じゃが、家康は太平の世よりもわが子を取ったとなれば、もし、天下泰平に異を唱える輩が出てきた時に、この家康は何も言えなくなってしまう。家臣達の刀も鈍るであろう。そうはさせてはならぬのじゃ。わかってくれぃ。」
「わかりません! わが子がかわいいと思うのなら、なおさら間違いを正し、真実の道に導くことこそ、親の務めではありませんか。」
忠繁も食い下がったが、
「平らかな世であればそれもよいであろう。しかし、今はまだ群雄割拠の戦国時代、家臣の過ちには、たとえ我が子でも心を鬼にしなければならぬ。」
「ですが。」
「くどい! 忠繁殿、これは徳川家の問題。これ以上の口出しは無用じゃ。」
家康はそう言うと、それ以上言ってくれるなと首を振った。その決意が岩よりも固いことを感じた忠繁はそれ以上何も言えなくなってしまった。
浜松城を出る時、家康はわざわざ城門まで見送りに来てくれた。
「家康様。お見送りまでさせてしまい申し訳ございません。」
「いいのじゃ。これは親として言わせてくれ、信康のためにあそこまで食い下がってわしを説得しようとしたのは家臣にもおらなんだ。父として礼を申し上げる。」
忠繁は家康の言葉に頭を下げると、浜松城を後にした。家康への説得は叶わなかったが、忠繁はまだ諦めたわけではなかった。
浜松城を出た忠繁は、夜になるのを待って堀江城に移動した。堀江城は浜名湖の東、内浦と言う湾になった畔にある。忠繁は夜陰に乗じて城に近付いた。城は少し高台になっている場所にある。忠繁は明かりの少ない場所を探すと、足元を確かめながらゆっくりと登った。
城壁まで来ると、周囲を確認し、壁ではなく柵になっている部分から乗り越え、壁などに身を隠しながら信康のいる建物を探した。出来れば誰かに連れ出して逃がしてほしい。そんな家康の思いなのだろう。警備している兵は少なかった。
城の中央、少し小さめの小屋から明かりが漏れているので、そっと近づいて中を覗くと、信康は一人で書物を読んでいた。
「信康殿、信康殿。」
小声で声をかけると、信康は驚いたように戸を開け、忠繁の姿を確認した。
「そなたは、織田家の軍師。」
「霞北忠繁でございます。」
「とにかく中に入れ。」
信康は戸を開けて忠繁を招き入れた。
「まったく、織田家の重臣がこのような夜更けに何をしに参ったのじゃ。」
「助けに参りました。」
「な、なにっ?」
忠繁は信長の考え、そして、家康の思いを伝えた。
「羽城にしろ、堀江城にしろ、海に近く逃げ出しやすい場所です。家康様はできれば脱出し、逃げ延びてほしいと思われております。」
「まさか、父上がそのようなことを。」
「そうでなければ、すでに切腹の沙汰があったはずです。時間を稼いでいるのは、誰かに連れ出してほしいからでございましょう。」
しかし、信康は首を振った。
「これまで誰もわしに会いには来なかった。わしの日ごろの行いじゃ。領民も家臣もこの信康に味方しようという者はおらなんだ。」
「この忠繁がございます。あなたはまだお若い、やり直しがききます。でも、諦めてしまったら、死んでしまったらすべてが終わりです。笑うことも、太平の世を見ることもできなくなるのです。」
信康は、先ほどまで目を通していた書物を閉じた。表紙は達筆すぎてわからなかったが、家康の署名が書いてあるのはわかった。
「父上が書かれた兵法書じゃ。この国の戦術だけではなく、明の歴史の戦術も記されておる。そうじゃ、そなたが三方ヶ原の際に用いた空城の計も書いてあったな。兵法だけではなく、田畑の耕し方、領民への接し方、いろいろなことが書かれておった。蟄居を命じられて、暇すぎてな。父上の書いた書物などバカバカしいとほったらかしにしておったが、もっと早う読んでおけばよかった。」
「今からでも、教えを乞うて学べばいいのです。」
「ふふ、今さら教えを乞うことなどできぬ。忠繁殿、母上は討たれたのであろう?」
突然切り出された言葉に、忠繁は言葉を飲んでしまった。瀬名の処刑が伝えられたのは今朝のはずだ。それを謹慎中の信康が知るはずがなかった。
「隠さなくともよい。この信康、曲がりなりにも徳川家康の息子じゃ。羽城からここへ移された時、母と別れさせられたのを見てそう思った。」
「信康殿を唆し、謀反をけしかけたことを詫びながら、ご自害なされたとうかがっております。」
「ははは、あの母が父に詫びながら自害などするものか。おおかた移動中に殺されたのであろう。自業自得と言えば自業自得、不憫と言えば不憫じゃ。」
笑いながら言ったが、信康は泣いていた。自分の行いで母親を死なせてしまったことを後悔しているのであろうか。悪妻と言われている瀬名でも、信康にとってはよき母であったのかもしれない。
「忠繁殿。ここまで来てくれたは嬉しい、その心、わしには感じ入ったぞ。」
「では。」
「いや。母が死んだのであれば、なおさらわしは死ななければならぬ。徳川のせがれは謀反を働いておきながら、母の命を質に自分だけ助かりおったと言われるのが関の山じゃ。それにな、母の素行の悪さは寂しさからであった。父は徳川家当主として、徳川を守るために日々働かれておる。しかしな、母は寂しかったのじゃ。彼岸に一人では寂しかろう。」
後で知った話だが、義元健在のころ、瀬名と家康は誰が見ても羨むような仲の良い夫婦であったと言う。それが桶狭間で義元が討たれると、家康が独立して信長と同盟を組んだ。その辺りから瀬名とは疎遠になり、やがてその距離は瀬名の狂気へと変わっていった。
「忠繁殿。ここまで忍んできてくださったそなたの行為に報いたいが、あいにく蟄居中で何も差し上げる物がない。」
「信康殿、そのような気遣いは無用にございます。」
忠繁はそう言って固辞したが、
「そうじゃ。この父の書、そなたに進ぜよう。わしの代わりに、これからの政に活かしてくだされ。」
信康はそう言って、先程まで読んでいたという家康の兵法書を手渡した。口調こそ明るいが、信康がすでに死を覚悟しているであろうことがうかがえ、忠繁もこれ以上の説得はできないと判断した。
「一つお伺いしてもよろしいですか?」
「なんじゃ。」
「あなた様をたぶらかした梶井小次郎と言う男。何者でございますか?」
「わからぬ。今となっては将軍の使いと言うのも本当かどうかはわからぬが。そうじゃな、白髪で長いひげを蓄えておったが、顔は醜くなかったぞ。何というか、老人にしてはしわが少なかった。ひょっとしたら、見た目よりも若いのかもしれないな。」
数正にも正信にも、髭の老人のことは話してある。信康から聞いた特徴は改めて報告しておいた方がいいだろう。
「徳姫様に何かお伝えすることはございますか?」
「何もない。何もないが、そうじゃな。もし徳と会うことがあったら、本当の幸せを見付けよ。とだけ伝えてくれ。」
忠繁は返事の代わりに何度も頷いた。
「さぁ、もう行かれよ。そろそろ見張りが回ってくる頃じゃ。」
「わかりました。それでは、お別れにございます。」
「うむ。」
忠繁は戸を開けて外に出ようとしたが、ふと思い当たったことがあって振り返った。
「信康様。あなたと家康様の親子の共通点を見付けました。」
「なんじゃ?」
「お二人とも、頑固なところです。」
一瞬、不思議そうな顔を見せた信康だったが、やがて口元は緩み、楽しそうに笑った。
「そうかそうか、わしの頑固は父上譲りか。ははは、これは良い。」
満足そうに笑う信康に別れを告げ、忠繁は堀江城を後にした。信康はこの堀江城でしばらく謹慎したが、九月に入ってすぐに二俣城へ移され、九月一五日に家康の命で切腹した。享年二一歳。生き抜けば家康の後、江戸二代将軍になるはずだった男の短すぎる生涯であった。
史実の徳は信康の死後、娘を徳川家に預け織田家へ返されたが、信長が本能寺の変で信忠ともども命を落とすと、兄の信雄に保護され、その後、豊臣秀吉の人質になり京に居を構える。寛永一三年(一六三六年)一月に七七歳で死去するまで、誰にも嫁がず、世の流れを見守りながら静かに過ごしたという。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
関ヶ原の戦いにおいて、
秀忠が遅参した際、
家康は、「信康がいれば・・・。」
とつぶやいたとされています。
我が子を殺したい親なんていない。
そんな風に思ったのは私だけでしょうか。
信康の死を止められなかった忠繁は、
一連の騒動の扇動人を探すことになります。
では、次回もよろしくお願いいたします。
水野忠




