第七章 忙殺の軍師⑥
信長は完成した安土城本丸天守閣から城下を見渡した。琵琶湖に接した安土城は、日本で初めて大型の天守を持ち、地下一階地上六階建てで、天守の高さは約三二メートル、その独創的で豪華絢爛な造りはそれまでの日本の城の概念を大きく変えたと言われている。
完成記念の会食が行われたその日、城内には各地の家臣や堺の商人、公家衆など、有力者達が集まり、信長の権勢にひれ伏し、そしてその象徴とも言える安土城の完成を祝っていた。そんな中、忠繁は家康からの使いが来たと報告を受け、中座して対応に当たった。
「家臣の霞北忠繁と申します。家康様のご使者様はあなたですか?」
「はい。徳姫様の腰元で弥生と申します。」
「上様は天守完成記念の会食中です。申し訳ないのですが、別室でお話をうかがいます。」
忠繁はそう言うと、別室へ案内して話を聞いた。家康からの書状を確認し、信康の謀反を知ると、忠繁の顔から穏やかな笑みが消えた。
「すぐに上様にご報告いたします。しばらくお待ちください。」
忠繁は弥生を待たせると、足早に信長の元へ戻った。広間では会食も一段落し、来場した者は歓談に盛り上がっていた。忠繁は信長に歩み寄ると、弥生が来たことを報告した。
「上様。浜松の家康様より急ぎの使者が参っております。」
「なに。武田が動き出したか?」
「そうではございませんが、それよりも深刻な状況です。」
忠繁の言葉に、信長も中座すると、すぐに弥生のいる部屋へ向かった。弥生から家康の書状を確認すると、
「信康が謀反を企んでいると申すか。」
鋭い目で弥生を問い質した。
「はい。血判状には、信康様が武田勝頼、北条氏政と同盟し、上様を攻めると。」
「義昭め、方々に書状を出していると聞いているが、家康のせがれまでが唆されおったか。」
信長は書状を忠繁に渡すと、
「来て早々悪いのだが、家康の元に戻り、よく話し合い、穏便に済ませるように伝えてくれ。信康はまだ若い、ゆえに世の中のことが見えぬ。徳川家は苦労人が多く、そう言った者達に、これから多くを学べばひとかどの武将になろう。」
そう言って、弥生へ家康に便宜を図るように伝言を頼んだ。思いがけない信長の言葉に弥生は頭を下げ、
「必ず申し伝えます。」
そう言って安土を去っていった。
「忠繁。」
「はい。」
「信康のことと言い、村重の謀反と言い、義昭の裏で糸を引いている者がいると思わぬか?」
「はい。義昭公は各地に上様打倒の檄文を送り続けておりますが、客観的に見て、これから挽回して天下に覇を唱えられるとは到底思えません。それを信じさせるように説いて回っている迷惑な不届き者がいるように思えます。また、もしかするとこの者、義昭公の思惑とは別に動いている可能性もございます。」
忠繁の言葉に信長もうなずいた。そうなると、信康が饒舌な弁に、勝手な妄想を膨らませている可能性も否定できない。
「忠繁。堺に行き納屋衆に探りを入れてくれ。奴らなら何か情報を持っておるやもしれぬ。」
「かしこまりました。」
忠繁は会食が終わり、客人が引き上げると、準備を整えて堺へ向かった。
摂津国天王寺砦、ここは畿内方面大将である佐久間信盛の陣である。
「ほう、堺の豪商達がこれをわしに?」
「はい。佐久間様はここしばらく本願寺ににらみを利かせております。そのおかげで堺の納屋衆も、心安らかに商いができているというもの。陣中で茶会は出来ぬでありましょうが、本願寺が片付いた時に、慰労の茶会を開き、その時にでもお使いください。」
信盛は堺の納屋衆から陣中見舞いとして茶器の献上を受けていた。納屋衆とは堺の商人達のなかでもとりわけ有力者で構成されている。いわば堺の代表だ。
「石山本願寺が扉を閉ざして久しくなりますが、まだまだ侮れませんからな。佐久間様にはこれからも畿内の総大将としてご期待申し上げております。」
そう言って頭を下げたのは、堺納屋衆の代表として来訪した鹿嶋小重郎(かじまこじゅうろう)と言う老人だった。小重郎は名物と言われる唐物の名茶器、影月(かげづき)を信盛に差し出し、今後の活躍を祈った。
「本願寺を落とせれば、織田家中においても、佐久間様の名声はぐっと高まりましょうなぁ。」
「ははは。まだまだ、秀吉や光秀達には負けられぬからのぅ。」
信盛は影月を手にすると、いろいろな角度から眺めた。漆黒の茶碗の一部が、まるで三日月のように白く模様が入っている。影月と言う名の由来なのであろう。見れば見るほど芸術品だった。
「さて、陣中で長居しては失礼になります。わしも行商の途中でございますゆえ、そろそろお暇いたしますわぃ。」
「うむ。忙しいところ、面倒をかけたな。納屋衆の者達に礼を伝えてくれ。」
「ふぉふぉふぉ。かしこまりました。」
小重郎は立ち上がると、
「それでは佐久間様、どうぞご武運を。」
そう言って頭を下げると天王寺砦を出ていった。信盛は改めて影月を眺めると、
「早う本願寺を落として、茶会でも開くとしようか。」
そう言ってニコニコと影月を箱へ戻した。この茶器の受け取りが、信盛の人生を大きく左右するほどの影響を持つとは、この時の信盛は微塵も感じ取れなかった。
忠繁は堺に出向くと、納屋衆の一人である今井宗久(いまいそうきゅう)に面会を求めた。宗久は商人であるが優れた茶人としても有名で、千宗易、津田宗及(つだそうぎゅう)と並び、天下三宗匠と称せられた。
「なんや。織田様んとこの軍師はんやないですか。そないに慌ててどないしたんですか?」
「ちょっと、お聞きしたいことがございまして、急いできてしまいました。」
「まぁ、とにかく中にお入りなさい。」
宗久は忠繁を中に通すと、冷たい茶と茶菓子を出してくれた。のどを潤して息を整えると、
「今井様。梶井小次郎と言う名前に聞き覚えはございませんか?」
さっそく本題に入った。
「梶井小次郎・・・。はて、聞いたことありまへんな。その、梶井何某がどないしたんですか?」
「ご存じないですか。最近、各地で将軍の使いとして動いているようなのですが。」
「すんまへん、記憶にありまへんな。」
宗久はそう言うと、商人仲間に知っている者がいないか確認するように手配をしてくれた。
「忙しいのに申し訳ございません。」
「お気になさらず、ほかならぬ織田様のご要望ですさかい。」
しかし、堺の有力者達に聞いても小次郎の情報はなく、忠繁は落胆した。それからしばらく堺に滞在したが、有力な情報は入ってこなかった。
「そう言えば、摂津の荒木様が謀反を起こしたとか。」
「そう言うことは本当に耳が早いですね。」
「商いをしておりますと、いらん噂もよう聞こえてくるんですわ。摂津を押さえられると、毛利や本願寺と手を組みやすくなり、なんや、織田様も難儀ですなぁ。」
村重謀反の話は、織田家中でも秘中の扱いである。疑問に思った忠繁は、
「その噂。どこから入ってきたんですか?」
追求してみることにした。
「わてが聞いたのは港で商談している時やったと思いますが・・・。そうや、九州からの商船を扱っていた桂新左衛門(かつらしんざえもん)と言う男からですわ。」
「桂新左衛門。それは、どのような人物でしょうか。」
「なんや、えらい立派な髭を蓄えた老人でしたなぁ。船は商談を終えて九州に戻りましたが、その桂はんは陸路を行くゆうて、摂津から西に向かったはずですわ。」
立派な髭を蓄えた老人、桂新左衛門。忠繁の記憶の中にもそのような名前はない。
「その桂と言う人は、よく堺に商談に来る方ですか?」
「初顔でしたなぁ。本人も堺は初めて言うてたと思いますが。えらい気前が良くて、わてらも仰山儲けさせてもらい、覚えておりましたわ。ただ、軍師はんのお探しの梶井小次郎とは関係あらへんですが。」
「そうですね。ただの商人でしょうし。」
新左衛門の話を聞き、それ以上の情報が見つからなかったことで忠繁は安土へ引き上げることにした。
安土城。忠繁が戻った時には七月も中旬に入り、暑い日差しが降り注いでいた。今年は例年になく日差しが強い。いつになく暑い夏となりそうな気配がしていた。
信長への報告を済ませると、信長は各地へ梶井小次郎についての情報提供を呼び掛けた。すると、各地からそれらしい情報がいくつか寄せられた。
神戸城(現在の三重県鈴鹿市)の神戸家へ養子に出された信長の三男・神戸三七郎信孝(かんべのぶたか、後の織田信孝。)は、将軍義昭の使者と名乗るひげを蓄えたみすぼらしい老人が訪ねてきたが、胡散臭いので門前払いしたという話。北陸の勝家からは、甥である佐久間盛政(さくまもりまさ)が、武田勝頼の配下を名乗る老人から、北陸からは撤退した方が良いと言われたという話。光秀からは、娘婿の細川忠興が領内を馬で遠乗り中に体調を崩した老人を助けたが、それが義昭の側近で、まもなく義昭が大軍をもって攻めてくるから、万が一の時は降った方がいいと話をされたなど、他愛もないような内容ばかりであったが、
「共通しているのは、髭の老人か。」
と、信長は考え込んだ。
「あ、そう言えば。堺の今井宗久様が、荒木様の謀反を知っている老人に遭ったとおっしゃってました。その方も立派な髭があり、名前は確か、桂新左衛門と名乗ったとか。」
しかし、時期を聞いても実に短期間のことである。その短期間に各地をこれだけ移動しているとなると、相当な距離を移動していることになる。
「いかがなさいますか?」
「正体がわからぬ以上は、これ以上は何もできん。」
そう言って、捜索は打ち切りになった。忠繁は各方面大将に向け、髭を蓄えた老人が接触してきたら捕らえるように指示書を出し、いったんこの件は終わりになった。
八月三日、家康は予告なく岡崎城を訪問した。共の者は鉄砲隊を中心に五〇〇名、その後ろには万が一を考えて本多忠勝に三〇〇〇の兵を待機させていた。物々しい家康の登場に、岡崎城内は騒然となった。
「父上、ご連絡いただければ・・・。」
家臣から連絡を受け、急いで外に出迎えに来た信康は言葉を失った。家康は平服ではなく、甲冑を着込んできていたからである。まるでこれから戦にでも行くような姿に、
「何事でございますか。」
信康はそう言って膝を付いた。
「信康、そなた瀬名と何を企んでおる。」
「なんの話でございましょうか。」
瞬間的に背中に嫌な汗が流れるのがわかった。まさか、あの目論見が露見したというのか。いや、書状は自室にあるのを確認している。証拠がなければいくらでも言い訳はできる。信康の頭の中で目まぐるしく計算が立てられていった。
「そうか、シラを切ると申すか。信康、おまえは武田、北条と結託して何をしようとしておるのじゃ。そこまで言わねばわからぬか。」
「わ、わかりませぬ。」
家康は信康に歩み寄ると、流れる動作で殴り飛ばした。突然のことに信康の身体は宙に浮き、地面に叩きつけられた。
「何をなさいますか!」
瀬名が飛び出してきて信康をかばった。そして、鋭い目つきで家康を睨みつけると、
「突然やって来ていきなりわけのわからぬことを並べ立て、息子を殴り飛ばすとはいかなること。わが夫と言えど許しませんぞぇ!」
と、捲し立てた。
「黙れ! 瀬名、そなたは母として徳川の嫡男たる信康に何の教育をしてきたのじゃ!」
「何の話かわかりませぬ!!」
本多正信が家康に歩み寄ると、用意してあった書状を家康へ渡した。その瞬間、二人の顔色が真っ青になっていくのがわかった。しまったという表情、場の空気が変わるとはこのことだろう。
「信康。お前と武田勝頼、北条氏政の結託を示す血判状じゃ。これでもなおとぼけるつもりか!」
「バカな。その書状は・・・。」
自室に保管してあったのを、昨日も確認している。
「バカな、その書状は、わしの部屋にちゃんと保管してあるのに。とでも言いたかったか。そなたの部屋にあるのは、これに似せてわしが作らせた偽物じゃ!」
弥生が信長の元から戻ってくると、家康は信長からの言葉を聞いて申し訳なさそうに笑ったという。穏便に済ませてほしい。その気遣いが申し訳なかったのだ。そのため、正信に命じて書状を書き写した偽物を作り、弥生に命じて信康の部屋に偽物の書状を戻させておいたのだ。
そうしておいて、弥生にこの一ヶ月ほどの信康の周辺を調べさせた。また、家康配下の忍びを使って、信康や瀬名の評判を探らせたが、それは酷いものであった。信康の気性は激しく、普段から粗暴な行いが多い。徳にも家臣にも、気に入らないことがあればすぐに怒鳴り散らす。時には手を上げることもあったという。
また、岡崎城下の農民が盆踊り祭を開いている中に侵入し、踊りの下手な者を笑いながら射殺したとか、鷹狩りに出かけて、たまたま出会った僧に対して、『狩場に僧がいると獲物が取れなくなる。』という迷信を信じて絞殺したりとやりたい放題であった。特に、盆踊りの射殺事件に関しては、瀬名も一緒だったと言うのだから始末が悪い。
ほかの忍びからも、二人の素行の悪さが報告され、瀬名に至っては徳やその腰元達につらく当たるだけではなく、このところ腰痛が酷いと言って招き入れた医者の減敬(げんきょう、文献によってはげんけいと称されるものもある。)と密通、つまり不倫がわかったりと、穏やかで辛抱強い家康も頭を抱えるほどの乱れっぷりだった。
「申し開きはあるか。息子よ。」
「・・・。」
「瀬名はどうじゃ。」
「・・・そなたが悪い。」
「ん?」
「家康殿が今川を顧みず、織田の犬になり下がったのがすべて悪いのではないか! 呪ってやる。呪ってやるぞぇ!」
瀬名が血走った目で家康を睨みつけ、今にも掴みかかりそうに身を乗り出したため、信康が慌ててそれを制した。
「母上、おやめくだされ!」
「おまえは悔しくないのかぇ? こんな犬にいいように言われ、このままでは、このままではそなたもわらわも・・・。」
信康が観念したように首を振ったため、瀬名も諦めたのかへなへなと地面に座り込んでしまった。
「正信、二人を羽城(現在の愛知県碧南市)へ移動させ謹慎させよ。」
「ははっ。」
「信康、瀬名。徳川家、並びに織田家へ謀反を企んだ罪で羽城にて蟄居を命ずる。」
家康はそう言うと、岡崎城の中へ入っていった。信康と瀬名は正信の兵に取り押さえられ、翌朝、日の出前に羽城へ送られることになった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
次回、いよいよ信康編完結へ向かいます。
お楽しみに!
水野忠




