第七章 忙殺の軍師④
四月に入り、暖かい日が増えてきたある日の安土城下、そのはずれにある忠繁の屋敷。日が沈み、あたりが暗くなったころ、忠繁の元に一通の手紙が届けられた。
「拙者。上杉忍軍が一人、和雪の的兵衛(わせつのまとべえ)と申します。主、上杉景勝様からの密書をお届けに上がりました。」
忍びと言うにはガタイのがっちりした男が書状を差し出してきた。その書状には、忠繁宛てに景勝からの言葉が書き記されており、最後には景勝と兼続連盟の署名があった。おそらく兼続が代筆して書いたものであろう。書状には、謙信が死んだことのほか、これからの織田家とのことが書かれていた。
「そうか、謙信様は亡くなられたのか。」
「はい。三月一三日、まだ雪が残る日でございました。」
忠繁は書状をもう一度読んだ。
「これはわが主、信長様に申し伝えてよいのかな?」
「はい。景勝様が申されるには、跡目争いが終わり、上杉家を掌握した暁には、再び織田家とは友好を結びたいと。」
「わかりました。信長様にお伝えしましょう。」
忠繁は的兵衛に路銀を持たせてやると、自室に入り、引き出しから亜季子のカセットテープを取り出した。
「そうか。亜季子さん、死んじゃったんだね。」
この時代に舞い込んでしまった者同士、謙信とは不思議な友情を築いたと思っていた。たった一度しか会ったことはないが、それでも未来を知る仲間がいなくなってしまったのはさみしかった。
「忠繁様、どうかなさいましたか?」
風花が心配そうに部屋に入ってきた。忠繁はカセットテープをしまうと、風花に振り返った。
「明日、上様にお会いしてくる。上杉謙信公が亡くなったそうじゃ。」
「まぁ、そうでございましたか。」
「越後で面会した時はとてもお世話になったからね。」
亜季子は、忠繁に会うまで自分のことを話せずにいた。四〇年間の戦国生活は、孤独でさみしかったものだろう。それは、この世界に舞い込んできてしばらくの自分にもあった気持ちだ。
「忠繁様?」
「私には風花がいてくれてよかった。君が私を理解してくれているから、私は生きていける。」
その表情が寂しそうだったのだろう。風花はそっと忠繁に近づくと、腕を回して抱きしめてくれた。
「忠繁様がいらっしゃるから、風花もまた、幸せに生きていけるのでございます。」
風花は慰めてくれているのだろう。忠繁は礼を言うと、その頭を撫でた。
翌朝。安土城、信長の仮屋敷。
「な、なんじゃと!?」
謙信の死亡が伝えられると、食事中だった信長は、箸でつまんだ漬物を落とした。ここは安土城天守閣ができるまでの信長の仮屋敷であり、今は朝食の真っ最中だった。
「はい。私が春日山で世話になった樋口兼続殿から密書が届きました。」
忠繁は兼続からの書状を信長に手渡した。その書状には、謙信が病死したことと、世継ぎが決まっていなかったことで景勝派と景虎派で派閥がわかれ、跡目を決める混乱が生じていること、兼続は景勝派として上杉家を落ち着かせたいが、その後は織田家と懇意にしたいため、信長に取り計らってほしいとの内容が書かれていた。
「上様。この機に越後を攻められますか?」
忠繁の言葉に、信長はしばらく考えていたが、
「この混乱に乗じて上杉を攻めれば、越後まで手中に収めることもできるかもしれんが・・・。おまえはそうでもないみたいだな。」
そう言って笑みを浮かべた。
「悩んでおります。」
「ほう。」
「この混乱に乗じて加賀、能登、越後と攻め上るのも一つの策。しかし、武田、上杉が弱まった今こそ、本願寺や毛利など、西側に心血注ぐのも策でございます。」
実は忠繁の歴史の知識に、謙信が死んで以降から本能寺の変までの流れはいまいちよくわかっていない。知っているのは安土城天守閣が完成して間もなく本能寺の変があり、それまでの間に武田家の滅亡や秀吉が中国毛利と戦うことがあるという知識くらいだ。歴史の年表を見れば、それはほんの数行の出来事かもしれないが、実際には数年の時間がある。
「であれば、今は西側に力を入れよう。毛利が本願寺に物資を送り続けているおかげでいっこうにカタが付かん。それに、海上封鎖のための鉄鋼船ができるのが近いからな。」
「わかりました。それでは、本願寺に注力することにしましょう。」
「だが、当初の予定であった加賀と能登は手に入れたい。勝家にはそのように指示しよう。」
「承知いたしました。」
そう言って、図面を広げると、
「では、勝家様は引き続き北陸方面大将として加賀と能登方面。秀吉様は中国方面大将として備中から西国方面。信盛様は対本願寺。丹羽様は紀伊方面、滝川様は信忠様と共に対武田、そして関東方面。光秀様は引き続き畿内取締りと丹波、丹後の攻略。この辺りでよろしいでしょうか。」
各方面の重臣達の配置図を作り上げた。
「それでよい。」
「中国、四国、北陸と攻略が進めば、あとは九州と関東、東北です。上様の天下布武にまた一歩近付きます。」
忠繁はそう言ってみてから、ずっと聞きたかったことを口にした。
「あの、上様。お聞きしてもよろしいでしょうか。」
「なんじゃ?」
「この国の天下統一がなされたら、上様はそのあとどうされるおつもりですか?」
信長が天下統一後の絵図面をどう描いていたかは不明だ。西欧諸国や明に負けない強国を作るために海外へ進出しようとしていたとも、貿易を盛んにして経済大国を作ろうとしたとも、確実な資料はなかったように記憶している。
信長はその質問を聞くと、まるで子供が秘密の隠し事をするときのような無邪気な笑みを浮かべ、
「まだ、内緒じゃ。」
とだけ言った。それからいくら聞き出そうとしても答えてはくれなかったが、あの表情を見る限り、ある程度は固まっているのかもしれない。忠繁が信長からこの話を聞くのは、もう少し後の話になる。
「忠繁。上杉景勝には、加賀と能登はいただくが、その後は西に目を向けると書状を返しておけ。」
「かしこまりました。」
忠繁は退室する際、部屋の一角に、フロイスから送られた地球儀が置いてあることに気が付いた。あれを献上された時の信長の興味津々な表情と、矢継ぎ早の質問には驚いた。自分が初めて世界地図を見て、日本の小ささに驚いたのはいつのころだったか。自分のことを思い出そうとしたが、遠い昔過ぎて覚えていなかった。
六月、三河国岡崎城。一人の老人が、徳川信康の前にひれ伏していた。全身みすぼらしい格好をして、長いひげを蓄え、髪も結ばずに伸ばし放題。その異様な姿に、信康は顔をしかめていた。
「おぬしが、将軍義昭公の使者、か?」
「はい。梶井小次郎(かじいこじろう)と申します。」
「義昭公がなぜ父ではなくわしに使者など送ってくるのじゃ。」
「義昭様は、かねてより信康様のお噂を聞き、お会いしたいと申されておりました。武勇、知略、政治、どれをとっても信長殿や家康殿を勝っていくであろうと、期待されております。」
そう言われて、信康としても悪い気はしなかった。信長は自分の思いのまま天下統一に突き進み、気に入らなければ滅ぼしてしまう乱暴者だ。家康はそれに媚びて尻尾を振っている犬に過ぎない。
「将軍様は、わしに何をさせたいのじゃ?」
信康は、この使者が父ではなくなぜ自分のところに来たのか考えていた。ただ、父の元へ行かずにここへ来たということは、信長がらみであろうことは予想が付いた。
「昨今の情勢を見れば、織田家が勢力を伸ばし、その間に武田信玄公、上杉謙信公が相次いで亡くなられ、その勢いは歯止めが利かないところまで来ております。」
「そうじゃな。あと一〇年もすれば、信長殿の天下に収まろうかの。」
「信康様は、それでよろしいので?」
「どういう意味じゃ?」
「ふぉふぉふぉ、気づいておいでであろう。このまま信長の天下になれば、徳川家は同盟国として用済み、いずれは織田と敵対することになりますぞ?」
小次郎の言うことももっともで、今は信長が西国へ注力するために、徳川家は東への備えとして壁の役割をしているに過ぎない。
「そうなった時に、徳川家は織田家に勝てまするかな?」
「梶井殿、もったいぶるな。将軍様はわしに何をご所望じゃ?」
小次郎はそう問われると、懐から一枚の書面を取り出した。そこには、義昭を頂点とした天下の体制が記されていた。そこには、龍造寺山城守隆信(りゅうぞうじたかのぶ)、島津義久(しまづよしひさ)、毛利輝元(もうりてるもと)、長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)武田勝頼、徳川信康、北条氏政(ほうじょううじまさ)、伊達政宗(だてまさむね)、最上義光(もがみよしあき)などの名前が書き連ねてあった。
「これは?」
「義昭公が考えられる天下の仕置表でございます。信長を成敗し、義昭様が天下を掌握した暁には、若い信康様達の時代として各地を統治し、太平の世を築きたいと考えております。すなわち、九州は龍造寺家と島津家。山陰山陽は毛利家、四国は長宗我部家、甲信越は武田家、関東は北条家、東北は伊達家と最上家が統治します。信康様は、中部から畿内までの日の本の中央を治めていただきたいのです。」
「待て待て、それでは義昭公はどこを統治される。」
今の割り振りでは、足利家が入る余地がなくなってしまう。
「義昭公は京において天下の政を行います。つまりは、各地区の大名達の頭領として、征夷大将軍たる仕置きをするとおっしゃっております。そのためには、日の本全土を見れなければいけません。統治は各地区の大名に任せ、その運営を義昭公がなされる。これが、義昭様のお考えになられている天下太平案です。」
深く考えれば、それがいかに荒唐無稽な話であったかわかるはずだ。しかし、まだ若く、信長の傀儡ともいえる家康に不満を持つ信康は、小次郎のこの話を魅力的だと思ってしまった。
「その話、詳しく聞かせてたもれ。」
戸が開くと、そこには見事な花柄模様の着物を召した中年の女性が立っていた。
「母上。」
「そのような話、家臣が近くにいる時に話すことではないぞえ。外にいた小姓達には下がらせました。」
信康の母・瀬名(せな)は『築山御前』『駿河御前』ともいわれ、今川義元の姪にあたる。その立場から、義元が桶狭間で信長に討たれ、その後、家康が今川家を放れて信長と同盟を結んだことで実父は切腹している。その頃から家康との折り合いが悪く、家康が居城を浜松城に移った後も、岡崎城にとどまり別居状態となっていた。一説には、岡崎城下の寺を住まいとしていたため、家康との離縁が成立していたのではないかと言う話もある。
「母上、お聞きになっておられたのですか?」
「そのような大事。大きな声で話すものでもあるまい。信康、小次郎殿、用心なさいませ。」
そう言うと、部屋の中に入ってきて信康の隣に座った。
「小次郎殿。義昭公はわが信康に期待を寄せておるのじゃな?」
「はい。徳川家の事情もよくご存知です。家康殿が長い人質生活を終え、この岡崎城に戻られた時に、家臣一同が涙を流して喜んだという話は存じております。その話をされては、徳川はようやった、よう辛抱したと義昭公も涙されておりました。しかし・・・。」
そこまで言うと、小次郎は声を低くし、小声で二人へささやいた。
「信長と同盟を組んで以降、徳川は織田の東側の壁として対武田最前線に置かれ、高天神城落城の折には、援軍も出さずに金だけ渡して納得させたとか。これで同盟国と言えましょうか。同盟と言うのは双方が対等で初めて成立するものです。」
「その通りじゃ。わしも父にはよく申しておる。いつまで織田の下風に立つおつもりかと。しかし、その話を出すと必ず不機嫌になられ、おしかりを受ける。」
信康にも野心はある。今でこそ徳川家は、三河と遠江を有する大名だが、三河武士の強さと戦略をもってすれば、もっと大きな国にできると思っているのだ。
「義昭様の考えられる天下太平案は、地域を支配する大名同士は対等、下々の者達が安心して暮らせる世の中を作ることにあります。そのためには、信長の台頭を許すことはできず、また、これまでのような旧態依然とした仕組みを壊さなければなりますまい。」
小次郎は二人に懇々と天下泰平を解いた。信康にしてみれば、天下の一翼を担う好機であり、自分を軽んじる父に一泡吹かせることもできると考え、瀬名にしてみれば、大恩ある今川を裏切った家康に対する復讐が果たせると考えたのだ。
「それで、どのようにして動けばよいのじゃ。」
小次郎は、東側の連携を取るために、武田勝頼と北条氏政と三者会合をして、来るべく決戦に備えることを話した。
「小次郎殿。そう言うことであれば駿河の光鏡院を使いなされ、そこは今川家にいたころのわが一族所縁の寺、勝頼殿の躑躅ヶ崎館からも、氏政殿の小田原城からも、ちょうど中間の距離になろう。住職にはわらわから書状をしたためておく。」
「それはかたじけない。では、拙者はさっそく躑躅ヶ崎、小田原と廻りましょう。」
小次郎はそう言うと、すっかり暗くなった岡崎城から夜陰に紛れ、躑躅ヶ崎へ向かった。
「母上。蜂起の際、父上は隠居してもらいますが、命まで取ろうとは思いません。それでよろしいか?」
「ほほほ、信康は私が夫の首を取れとでも言うと思ったのかえ? されど、隠居だけでは夫になびく将も出てこよう。そうじゃな、数名の供を付け、本願寺にでも預ければよい。剃髪して僧にでもなれば、あの夫のことじゃ、ひとかどの坊主になるかもしれませんね。」
そう言って笑う瀬名の瞳には、深い闇を見ることができた。瀬名の父親は今川義元の有力家臣だった関口親永(せきぐちちかなが、瀬名義広を名乗っていたことがある。)で、義元の娘(諸説あり)を妻にしていることで、今川一門衆の待遇を受けていた。その瀬名が家康の正室になったことで、家康は今川家の人質から一門衆並みの待遇を保証されたことになった。しかし、桶狭間で義元が討ち死にすると、その恩を忘れ岡崎で独立を宣言し、信長と同盟を結んだ。瀬名にしてみれば、主家である今川家と父を裏切ったことになる。その恨みは相当なものであったようだ。
信康の正室は信長の娘の徳(とく、嫁いでからは岡崎殿と称された。)で、女子を二人産んだが、男子を産まないと瀬名の怒りに触れ、瀬名は信康に側室を用意している。瀬名にしてみれば信長は父の仇、自分の子の嫁が仇の娘であることが許せなかったのだろう。徳は何度か信長への手紙の中で、姑と夫の愚痴をこぼしている。一説には、それが信康と瀬名への怒りをかったとも言われている。
瀬名は自室に戻ると、酒を片手に満月を見上げた。
「父上。瀬名はようやっと、裏切り者への復讐の機会が参りましたぞえ。」
そう言って怪しく微笑んだ。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、
朝倉家臣・氏家直利。
上杉の忍・和雪の的兵衛。
次回登場する信康の妻、徳の侍女・弥生。
このキャラクターはオリジナルで、
作者の同級生の名前をもじっております。
たまにやる作者のいたずらです。
さて、次回、雲行きが怪しいです。
お楽しみに!
水野忠




