第七章 忙殺の軍師③
謙信の命令通り、まずは渡河の最中で混乱する織田勢の正面から貞興の手勢二〇〇〇が突撃を開始した。
「うはは! 死ねぃ! 死ねぃ!!」
鬼小島の異名をとる貞興である。その突撃は勇猛果敢にして豪快、すっかり浮足立った織田勢を所かまわず突き崩していった。織田勢は我先にと逃げ出し、小舟につかまってかろうじて渡河する者、泳ぎ達者な者は増水しているにもかかわらず飛び込み、対岸へ向けて泳いだ。しかし、中には途中で力尽き、あるいは泳げずに流され、溺死する兵も多数いたという。
貞興の突撃の後、景家は謙信の指示通りやや南寄りから攻めかかり、ここでも数百の兵が討ち取られた。
勝家は配下の兵達の渡河を指揮していたが、いよいよ後方に上杉勢が迫ってきた。貞興は恰幅が良く、立派な装備品を身に付けている武将が総大将の柴田勝家と判断し、猛然と襲い掛かった。
「大将首、もらったぁ!」
勝家は眼前に槍の穂先が迫り思わず目を閉じた。が、金属音と共に槍は弾かれ、目を開けると、目の前には槍を構えた一人の武者が立っているのが見えた。
「叔父貴殿! ここはわしが引き受けた。早う渡ってくだされ! それがしが殿仕る!」
「又左!」
「者ども! 叔父貴殿を早く!」
前田利家の言葉に、勝家は兵士達に引きずられる様に小舟に乗り込んだ。
「又左衛門!!」
心配して叫ぶ勝家の船が、次第に岸から遠ざかっていくのを確認すると、
「邪魔立てしてすまなかったな。大将首は渡せぬが、この槍の又左がお相手しよう。」
利家はそう言って、貞興に向かって槍を構えた。
「殊勝な奴。大将首は逃したが、そなたの首で満足してやろう!」
貞興の鋭い突きを利家は見切ってかわすと、折り返しに自分の槍を繰り出した。利家の得意とする三段突きだ。しかし、貞興も身をそらすと、後ろに飛んでこれをかわした。二人は間合いを取り、相手の強さを認め合った。それから何合か穂先を交わしたが、お互いの身体に傷をつけるまでには至らない。
「こやつ、やりよる。」
利家はそうつぶやくと、一呼吸おいて上段に構えた。槍術の上段は相手への攻撃を早く繰り出し、また、その構えは威圧にもなる。背丈で勝る利家が構えるとより大きく見せることができる。しかし、上段に構えると胴ががら空きになるため、よほど自分の腕に自信がないと危険ともいえる構えだった。
「貞興、助太刀いたす!」
南側から走ってくる景家を見て、貞興は舌打ちした。興を削がれた二人の緊張は解け、これ以上の一騎打ちはできないと判断した。
「邪魔が入ってしまったな。」
利家はそう言って構えを解くと、用意された小舟に向かった。
「貴様、名は?」
振り返ると、貞興が仁王立ちしてこっちを睨みつけていた。
「織田方北陸方面大将、柴田勝家様が与力。前田又左衛門利家。」
「わしは、上杉謙信様が家臣、小島弥太郎貞興と申す。越後では、鬼小島と呼ばれておる。」
それを聞いて、利家は笑みを浮かべると、
「貞興殿。鬼退治できず、無念じゃ。」
そう言って小舟に乗った。貞興はそれを聞いて声を上げて笑った。ようやく景家が到着したが、貞興はその頭を軽く殴った。
「一騎打ちに横やりなど、無粋な真似をしおって。」
「やかましい。助太刀いたすと申したであろう。」
「おまえごときの助太刀なぞいるか! しかし、あやつはなかなかの腕であった。」
二人の元に、謙信が馬で近付いてきた。
「御屋形様。申し訳ござらぬ。大将を逃してございました。」
「織田方は討ち取られた者、溺れた者が多数じゃ。それに対して我が方はほとんど被害はなし。これを勝利と言わずなんと言おうか。」
そう言って謙信は馬上杯を傾けた。やれやれ、戦中にまた飲んでいるのかと、二人とも呆れた顔をしてため息を吐いた。
そのやり取りを、小舟の上から利家が見ていた。馬で寄ってきた行人包みの男が、まさしく上杉謙信だと直感した。
「おい。その鉄砲は撃てるのか?」
利家は小舟に座り込んで安堵している足軽に声をかけた。
「は、はい。」
「貸せ。」
河岸から約三〇間(約五〇メートル)、利家は謙信に照準を合わせ、そして引き金を引いた。一発の乾いた銃声。その時、急に強い北風が辺りを吹き抜け、放たれた弾はわずかに逸れ、謙信が手にしている馬上杯を打ち砕いた。
「お、御屋形様をお守りせよ!!」
慌てて上杉兵達が謙信をかばって前に躍り出てきた。謙信は手持ち部分だけになった馬上杯を眺めると、
「ふふ。やはり私は毘沙門天様の加護に守られているようじゃな。」
そう言って笑った。
「おのれ。追撃じゃあ!」
「お待ちなさい!」
謙信は続いて渡河し、追撃しようとした景家を制止した。
「なにゆえにございますか。」
不服そうに唇を尖らせる景家に、謙信はまっすぐ対岸を指差し、
「柴田勝家は猪武者ですが凡将ではありません。見なさい、対岸の織田兵の一部はすでに態勢を整えています。渡河すれば今度は我らが川を背に、不利な状態で戦わなければなりません。今度は被害も大きくなりましょう。」
「しかし、ここで叩かねば、織田はまた攻めてきましょう。」
「織田、何するものぞ。大した兵ではない。いつでも相手になろう。」
そう言って、謙信は馬を返して引き上げていった。上杉家はこの後もにらみを利かせ、勝家を足止めしている間に、加賀と能登の二国を完全にその勢力下に置いたのだった。
利家は弾が逸れたことを見届けると、
「くそっ! 明智殿に鉄砲の指南を受けねばならぬな。千載一遇の好機を逃してしまった。」
そう言って持っていた鉄砲を足軽に返した。正確な数字はないと言われているが、この手取川の戦いで、勝家率いる織田勢は一〇〇〇名以上が討ち取られ、数百に上る兵士が溺れ死んだと言われている。勝家は兵をまとめて北ノ庄城へ引き上げると、来たるべく次の決戦に備えたが、謙信がそれ以上西上してくることはなかった。
手取川の戦いには諸説あり、実は信長が参陣していたとも、そもそも戦い自体がなかったのではないかとも言われている。信長公記の著者で知られている太田牛一(おおたぎゅういち)の記録の中でも、手取川の戦いに関しては大した記述がない。これは戦がなかったことの証拠とも言われるが、
「牛一、この戦の記録を残したら許さん!」
と、勝家に脅されたと言う話まである。信長公記自体が年代を間違えていたり、順番を間違えていたりするそうなので、何とも言えない。
手取川の戦いで勝利した謙信は、加賀と能登を平定すると、雪が降り積もる一二月一八日に春日山城へ凱旋した。謙信は堂に入ると、これまでの戦と同じように毘沙門天に戦勝を伝え、自分の身を守ってくれたことに感謝した。
「これが戦国時代か。人を殺すことには慣れないが、人を動かすことは面白かった。」
そうつぶやくと、堂を出て空を見上げた。今朝、春日山城に帰城した時にはすでに降っていたが、昼を過ぎて吹雪いてきたようだ。
「御屋形様、冷えてまいりました。お身体に障るといけません。城へお入りください。」
景綱がそう言って駆け寄ってきた。
「景綱、しばし休む。」
「ははっ。」
謙信は自室へ戻ると横になって休んだ。手取川の戦いの後、謙信は酒を飲んだ後にしばしば手足がしびれるたり震えることがあった。脳卒中の予兆であったかもしれないが、謙信にそんな知識もなく、それでも酒はやめられなかった。
一二月二三日、景綱に呼ばれ軍議を開くことになった。次はどこを攻めるのか指針を出すためだった。そこで謙信は、雪解けが終わるころに兵を大動員すると発表したが、実のところ謙信の中では軍議を終わらせるための口実であっただけで、どこを攻めるとは明言しなかった。
それから冬の間、豪雪に阻まれ、春日山城で過ごした謙信は、堂に籠っては好きな酒を好きなだけ飲み、雪解けを待った。忠繁に言われた自分の寿命はあと少し。その時間を好きに過ごそうと思ったが、酒を飲む以外にしたいこともなく、そこで初めて、自分の人生が寂しいものだったと感じるようになった。何も知らず、天真爛漫に過ごした少女時代。そして、戦国の世に飛ばされ、突然、虎千代の替え玉にされ、自分の意志とは関係なく長尾家を相続し、そして、言われるがまま上杉謙信としての人生を送ってきた。
毘沙門天の像を前に、今日も酒を煽っていると、ふいに涙がにじんできた。
「寂しい・・・。」
それは、毘沙門天の化身と言われた上杉謙信のものではなく、前畑亜季子と言う一人の女性の本心の言葉であった。
そして、いよいよ雪が解け、春の気配を感じるようになってきたある日、謙信は堂に入り毘沙門天像に祈りを捧げると、城の自室に樋口兼続を呼び出した。今日も朝から右手がしびれる。酒のせいで朦朧とすることもあった。いよいよなのかもしれないという自覚があったが、死への恐怖よりも、ようやく解放されるという思いの方が強かった。
年明けくらいから、謙信は自分の気持ちがわけもわからず高揚したり、同じようにふさぎ込むことを繰り返した。これは、若い時からたびたび起きる現象であったが、ここ最近は特に酷い。これは現代で言う双極性障害、つまり躁鬱であったと言える。文献にも、謙信はこの症状が出ていたことが書かれているものがある。戦に明け暮れ、軍神と称えられる謙信は次第にこの症状とも戦っていたのではないだろうか。
「兼続、参りました。」
「入りなさい。」
兼続は緊張した面持ちで謙信の前に座った。
「兼続、いろいろ考えたのだが、君しか適任者が見当たらなかった。今から、若い君に伝えておきたいことがある。」
「は、はい。」
兼続は背筋を伸ばして聞く姿勢を取った。
「私も、人生五〇年と言われるこの時代に、もう少しでその歳になろうかとしている。そこで、君に頼んでおきたいことがある。」
いきなり自分が死んだ後の話を切り出したため、兼続は戸惑ってしまった。
「御屋形様、そのような縁起でもない話は・・・。」
「いいから聞きなさい。私に何かあった時は、この姿のまま荼毘に付してほしい。死に装束などに着替えさせることなく、この姿のまま荼毘に付すのじゃ。」
「御屋形様・・・。」
「よいな。しかと申しつけたぞ。」
謙信のいつになく真剣な表情に、兼続は戸惑いながらうなずいた。
「御屋形様。この兼続、承りましたが、まだお世継ぎも決まっておりません。どうか、そのような話はこれきりにしてください。」
「はは、そうじゃな。」
謙信は妻も取らず、当然、子もいないため、北条家から上杉三郎景虎(うえすぎかげとら)と、上田長尾家から上杉喜平次景勝(うえすぎかげかつ)を養子に取っている。表情を出さず寡黙、しかし家臣思いの景勝と明朗快活、社交的で武勇にも優れる景虎。年齢は景虎の方が二つばかり年上だが、正室の子でない以上、どちらが跡取りになってもおかしくはなかった。
「とにかく、頼んだぞ兼続。」
兼続が頷くのを確認すると、謙信は満足そうに微笑み、立ち上がった。
「御屋形様、どちらへ?」
「厠じゃ。」
「ご無礼なことをお聞きしました。明日は、大動員とお世継ぎに関して御屋形様のお言葉を承りたく、朝から重臣方がお集りになられます。堂での祈願が終わりましたら、お顔をお出しください。」
「わかった。」
謙信はそう言うと、本丸の天守にある厠へ向かった。ここは、天守に籠城しても用が足せるように作られたものだが、難攻不落の春日山城が攻められるようなことがないため、使われたことがなかった。
謙信は、震える手で厠の梁に縄をぶら下げると、
「忠繁さん。あなたは元の時代に戻れるといいわね。」
そう呟いて縄の先に自分の首をくくった。この時代に流れ落ちて四〇数年、毘沙門天の化身、軍神と称えられ生きてきた。
「越後の龍。毘沙門天の化身。軍神。ふざけるな・・・。私は、私の名は前畑亜季子! 私は女だーっ!!」
そう叫ぶと、無意識に笑いがこみ上げてきた。そして、笑ったまま亜季子は全身の重みを首に乗せた。
帰りがけ、謙信の様子がおかしかったことが気になった兼続は、なんとなく謙信の様子を見に行こうと本丸へ戻り、天守へ出向いた。
「御屋形様、兼続にございます。」
天守への階段の下から声をかけたが、返事はない。その代わりに、何かがきしむような不思議な音が聞こえていた。
「御屋形様?」
再び声をかけたが、先程の音以外に返事はない。虫の知らせと言うか、なんともなく不安に駆られた兼続は、
「御屋形様、失礼いたします。」
そう声をかけ、天守へ駆けあがった。天守に謙信の姿はなかった。思い過ごしかと胸を撫で下ろしたとき、再びあの何かがきしむ音が聞こえてきた。それが天守の厠の扉からであると気が付き、兼続は歩み寄ると恐る恐る扉を開けた。そして、そこで首をくくっている謙信を見付けたのだ。
「ああっ、御屋形様!!」
兼続は、とっさに厠の中で首を吊っている謙信を抱きかかえると、腰刀を抜き、起用に持ち替えて頭上の縄を斬った。途端に謙信の全体重がのしかかり、重なるようにして天守の中に転がった。
「御屋形様! 御屋形様! しっかりしてくださいませ!!」
兼続は何度も謙信の身体を揺さぶったが、謙信はぐったりして息をしていなかった。あまりに強く揺さぶったせいで、謙信の法衣が乱れた。慌てて直そうとして、兼続は男であるはずの謙信に乳房があることに気が付いてしまった。驚愕のあまり飛び退いたが、そこで自分の死後、謙信がいつもの姿のまま荼毘に付すように命じたことを思い出した。
「御屋形様・・・。」
兼続は、なぜ謙信が生涯妻を持とうとしなかったか、なぜ法衣のまま弔うように命じたのか瞬時に理解した。
「御屋形様、何かございましたか?」
階下から、直江景綱が声をかけてきた。兼続は慌てて謙信の法衣の乱れを治すと、景綱の名を呼んだ。
「景綱様。」
「与六か? そんなところで何をしておる。」
階段を上がると、横たわった謙信の姿に景綱は目を見開いた。
「お、御屋形様!!」
慌てて駆け寄るが、兼続は謙信が女であるのがばれぬようにと、景綱を制した。
「景綱様、落ち着いてくださいませ。」
「これが落ち着いていられるか。いったい何があったのじゃ!」
「御屋形様は、自ら命をお断ちになりました。」
「なんじゃと!?」
取り乱しそうになる景綱を何とかなだめると、兼続は事の仔細を説明し、謙信が自ら首をくくったことを話した。兼続の報告を聞いて、
「なんということを・・・。」
景綱はよろよろと腰を下ろした。
「謙信様からのご遺言です。自分に何かあった時は、死に装束などに着替えさせず、いつもの姿のまま荼毘に付すようにと。」
「そんなことを・・・。待て、お世継ぎに関しては何か申されていなかったか。」
「いえ。それは最期まで申されませんでした。」
「大動員の行き先は。」
「それどころではなくなりましたが、関東か京か、それも申されませんでした。」
「何ということじゃ。」
景綱はうなだれたまま、謙信の顔に視線を向けた。首を吊ると苦しさのあまり苦悶の表情で死ぬと言われているが、謙信の姿はまるで眠っているようで、その死に顔も実に穏やかな顔をしていた。
「景綱様、謙信公はご病気で亡くなられました。」
「なんじゃと?」
「軍神と称えられた謙信公が首を吊ったなどと知れれば、家臣は動揺し、他国へ走るものも出かねません。御屋形様はお酒がお好きでしたので、卒中で急死したと皆には申し伝えましょう。」
兼続のその意見には、景綱も賛同した。越後の龍、毘沙門天の化身、軍神と称えられた関東管領・上杉謙信は、天正六年(一五七八年)三月一三日、脳卒中で急死したと発表された。四八歳であった。兼続は謙信から言われた遺言を守り、周囲の重臣達を説き伏せて、法衣のまま荼毘に付した。亜季子の思惑通り、上杉謙信が女性であった秘密は守られ、兼続は生涯口を閉ざし、この後、主になる景勝にすら話さなかった。
この後、上杉家は景虎派と景勝派に分かれ、後に御館の乱と呼ばれる争いにて景勝側が勝利し、上杉家を掌握していくことになる。景勝は直江家を継ぐことになった樋口兼続と共に戦国を駆け抜け、豊臣時代、徳川時代をしぶとく生き抜いていく。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
謙信女性説、
ないとは思うのですが、
いろいろな逸話を聞いていくと無きにしも・・・。
なんて考えてしまいますね。
それにしても小島貞興、
「鬼児島弥太郎」なんてインパクトありすぎです。
対する前田利家の幼名は「犬千代」、
秀吉は「サル」、
ってなると、信長が「桃太郎」ってことですかね。
ん??
キジはだれだ??
水野忠でした(^_^;)




