第七章 忙殺の軍師②
少し時を戻して、九月二二日。北陸地方手取川(現在の石川県白山市)の織田の陣。北陸方面大将の柴田勝家は、諸将を集めて七尾城の長続連(ちょうつぐつら)を救援するべく、四〇〇〇〇の兵を渡河させていた。
七尾城の畠山家は能登の守護、畠山義隆(はたけやまよしたか)が二〇歳で急死すると、その嫡子である春王丸(はたけやまはるおうまる)がその後を継いだが、同じ時期に城内で発生した疫病により、春王丸はわずか五歳で急逝する。その後、家臣の長続連とその子である綱連(ちょうつなつら)が実権を握った。長親子は信長に接近を試みるが、親上杉派の遊佐美作守続光(ゆさつぐみつ)や温井兵庫助景隆(ぬくいかげたか)などがこれに反発、七尾城内で二派に分かれて分裂する。そして、九月一五日、続光や景隆の反乱によって長一族は皆殺しにされ、七尾城は落城、上杉配下になる。
しかし、謙信の徹底した間者狩りによって、七尾城落城の報が勝家の元に知らされることはなかった。そのため、七尾城の状況がわからず、勝家は四〇〇〇〇の大軍を擁していながら身動きが取れなかったのである。
昨日の軍議。いい加減、七尾城に軍を進めるべきだと主張する勝家と、物見が戻らず、落城しているかどうかもわからない状況で兵を進めるのは危険だという秀吉が対立し、
「ええい、農民出の田舎侍が総大将に口を挟むなぁ!」
と言う勝家のこの一言に堪忍袋の緒が切れた秀吉は、
「そうでござるか、では田舎侍では役にも立たぬであろうから引き上げさせていただく!!」
そう言い放って本当に兵を引き揚げてしまった。実際のところ、秀吉の軍勢が引き上げたことは大きな戦力ダウンだったが、それでも四〇〇〇〇の大軍であれば押し切れると判断し、勝家は日の出と共に、対岸に敵がいないことを確認したうえで渡河を命じた。この時期は大雨続きで手取川の水かさが増えている。渡河には小舟を使わなければいけないため、四〇〇〇〇の軍勢を移動させるには相当の時間が必要だった。
金沢の上杉本陣。織田勢が北上した報告を受けた謙信は七尾城を出て、密かに金沢まで兵を進めていた。金沢の陣では、上杉勢二〇〇〇〇の精鋭達が、織田勢を叩くべく今か今かと出陣の命を待っていた。
勝家の渡河を確認した謙信は本陣を南に移動させた。先陣は柿崎弥次郎景家(かきざきかげいえ)と小島弥太郎貞興(こじまさだおき。鬼小島弥太郎の名前で有名。)である。二人とも突撃大将、強力無双、鬼武者と、荒々しい異名を持つ上杉家でも猛将中の猛将だ。
「弥太郎。織田勢が渡河しきった直後に兵を進め、わが合図と共にその正面を突け。」
「ははっ。」
「景家。そなたは弥太郎と同じ時に出陣し、織田勢の左翼をやや南から攻めよ。織田勢が退却し、手取川を渡河し始めたら、私の本隊が着くまでは徹底的に攻めよ。」
「かしこまりました。」
謙信には勝家の動きが良く分かった。この時代に舞い込んで四〇年、七〇に及ぶ合戦を経験させられ、謙信には嫌でも戦の勘が備わっていたのだ。忠繁が戻った後、春日山城下の金物師に命じて作らせた馬上杯を片手に、謙信は忠繁が寄贈したワインを飲みながらこの戦を楽しんでいた。忠繁が自分に伝えた最期は来年の春先、自分の人生の残り時間が半年となった今、謙信の中で芽生えたのは、自分の力で思う存分に采配を振るってみることだった。自分の身に本当に毘沙門天の加護があるのか確かめてみたくなったのだ。
これまでの戦いも、軍神として常に前線に立たされてきた。家臣達の助力でここまで生き抜いてきたが、いつも戦にはいやいや参陣していた。いつまでも、何十年の時が過ぎても、自分がこの時代に迷い込んでしまった不運を嘆いていたのだ。しかし、忠繁に出会い、それまで誰にも打ち明けられなかった秘密を打ち明けたことで、この時代で初めて前畑亜季子として見てもらったことで、もう思い残すことはないと思ったのだ。そうであれば、最期くらいは上杉謙信として生きてみてもよいと思った。
「御屋形様、織田軍の渡河が完了したようです。」
近習として参陣していた樋口兼続が報告してきた。謙信は馬上杯の残りのワインを飲み干すと、
「兼続、代わりの酒を持て。」
と、馬上杯を渡した。
「御屋形様、飲み過ぎではございませんか?」
「戦に酒はつきものじゃ。霞北殿が献上した岐阜の地酒があったであろう。あれを持ってこい。」
「・・・かしこまりました。」
兼続は、戦に来たのか飲みに来たのかわからない謙信にいささかの不満を抱きつつも、荷物から地酒を取り出して馬上杯に注いだ。その様子を、そばにいた直江景綱も呆れたように見ていた。兼続は、同じく忠繁が寄贈した紀州の梅干しと、浜松から取り寄せたという塩を添えて謙信に渡した。謙信は無造作に梅干を口に放り込むと、口をすぼめて再び酒を口にした。
「兼続も飲むか?」
「私は結構です。」
「ん? 何をむくれておるのじゃ?」
「いえ、よくお飲みになるなと、思っておりました。」
謙信の酒好きは有名な話だが、そのつまみも梅干しや塩、味噌など、今で言えば絶対に医者に止められそうな組み合わせの物が多かったという。しかし、忠繁ならともかく、幼い時分にこの時代に来てしまった亜季子にそのような知識はなかったのだ。
「景綱。」
「はい。」
「全軍を織田に見える位置まで進めよ。」
謙信はいつもこうだ。酒を飲んだくれているのかと思えば、いきなり戦の指示を出してくる。いつも通り軍神の采配は健在だと思い、景綱は安堵の息を漏らした。
「ははっ。」
景綱は指示通り全軍を前進させ、織田が気付くであろう位置まで移動させた。手取川は謙信達のいる位置よりも低い。ここからでも川が増水していて、その川を背に織田勢が陣を張っているのがわかる。
「残念、信長は来ていないのか。」
「なぜ、そう思われるのですか?」
「信長は慎重な男。七尾城の状態がわからないうちに、それも対岸に我らが潜んでいるかもしれないのに、あんな増水した川を渡河などせぬ。信長なら、少なくとも水が引いた時まで待つであろう。」
塩を舐めながら馬上杯の酒を飲み、酔いに頬を紅くしている謙信を見て、景綱も兼続もため息を吐いた。
勝家は渡河が完了し、各将に態勢を整えるように指示を出していた。ここから七尾城まではまだ八〇キロ以上の道のりがある。謙信と会敵するのは、少し後だろうと踏んでいた。しかし、
「修理亮(しゅりのすけ、勝家の官位。)様! 前方に上杉軍が現れました!!」
与力である佐々成政(ささなりまさ)の報告を受け、勝家は慌てた。
「不味い! このままでは手取川を背後に戦わなければならん!」
忠繁や、秀吉の軍師である竹中半兵衛辺りであれば、これを「背水の陣」として味方を鼓舞し、上杉勢に備えたかもしれないが、勝家にそのような軍略知識はなかった。そのため、
「戻れ。手取川の向こうへ戻り、上杉軍を迎え撃つ!」
と言う、愚策に転じてしまったのだ。
「今からでは間に合いませぬぞ。」
「川を背にして戦えるか! 多少の犠牲を払っても渡河せよ。向こう岸で態勢を整えれば、今度は上杉軍が渡河して川を背に戦うことになる。反撃に転じるのはその時じゃ。」
勝家は全軍に渡河を命じ、たった今渡ってきたばかりの手取川を戻り始めた。その様子を高台から眺めていた謙信は満足そうにうなずき、馬上杯の酒を口に含んだ。忠繁が好きだと言っていた岐阜の地酒は、甘みもあって味が濃い。酔いも回っていた謙信は恍惚な瞳を見せ、
「兼続、弥太郎達に突撃を命じよ。」
と、指示した。そのあまりの妖艶な表情に兼続は思わず顔が赤くなった。
「ん? どうした兼続、顔が赤いぞ。」
「な、なんでもありませぬ。北風が強いので冷えたのでしょう。突撃を命じてきます。」
兼続はそう言って誤魔化すと、貞興達に突撃を命じるために走り出した。謙信は軍神と言われるには美しすぎるのだ。誰もそのことを口にしないが、兼続はそばに仕えるようになってからずっとそう思っていた。しかし、今は目の前の戦に集中しなくてはと、頭を振って切り替えた。
続く。
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次回、手取川の戦いの後編です。
ここにきて、ようやく利家の出番が着ます。
どうぞお楽しみに!
水野忠




