第六章 虎と龍と梟と魔王⑩
翌日、天王寺砦。光秀は三日の間、懸命に兵達を鼓舞して本願寺の攻撃を防いだ。しかし、砦は包囲され、もはや蟻の一匹も逃げる隙間もないほどであったが、一斉に攻撃を仕掛けてくるようなことはなかった。そのため陥落せずに済んでいたが、光秀には顕如の作戦がわかり、見張り台から本願寺軍を睨みつけて歯噛みしていた。
「殿、本願寺は囲んでから攻撃をしてきません。兵糧攻めにでもしようと言うのでしょうか。」
三宅弥平次が声をかけてきた。
「違う。あやつらはここを囲み、わしを餌に上様をおびき出すつもりじゃ。」
「なんですと?」
「ああ、くそっ! わしはなぜ援軍を頼んでしまったのじゃ!! 上様、お退きくださいませ。ここへ来てはなりませぬ。」
光秀は空を見上げ、東から白みがかかってきた空の星々に祈った。しかし、光秀の願い空しく、北側の一部から接近してくる集団があることに気が付いた。
「上様っ!」
光秀はもう少しで落ちそうになるくらいに身を乗り出して集団を凝視した。その先頭に日本のものではない奇妙な形をした兜に、西洋の羽織をたなびかせる男が刀を片手に騎馬で突撃してくるのが見えた。
「かかれぃ! 本願寺、何するものぞ!!」
信長の援軍に気が付き、頼廉は戦闘隊形を指示したが、先頭が信長だとわかると、兵達に動揺が走るのがわかった。まさか、総大将が先陣を切って突撃してくるなど、戦の常識からすれば考えられないことだった。信長はその一瞬の隙を突いて、本願寺軍に突入した。
「上様をお守りしろ!」
「上様、お待ちくだされ!!」
秀吉達が必死に追いかけるが、信長はお構いなしにどんどん前へ前へと突き抜けていった。本願寺軍は信長自身が先陣を切ってくるとは思わず、また、そのあまりの勢いにたじろいだ。忠繁は信長のすぐ後ろに付き、時霞を抜いて僧兵達の槍や刀を防いでいた。
「上様、後ろが付いてこれません。少しお控えください!!」
「阿呆、これだけ囲まれてはもう遅いわ!」
そう言いながら目の前の雑兵を斬り捨てる信長は、なぜか楽しそうに笑みさえ浮かべていた。忠繁は近付く僧兵達を時霞で叩いていった。この刀は刃の部分がしっかりと太めに作られていて丈夫だ。峰打ちにしても有効に打撃が与えられるように作られている。信長が関兼定に注文した時に、
「どうせあやつは人を斬れぬであろう。であれば、丈夫な刃で作ってくれ。」
と、注文していたのだ。致命傷にならなくても、峰が当たれば骨も砕けるし、戦闘意欲も削げる。可成が鍛えてくれたおかげで、忠繁の剣筋は確かなものになっていたため、僧兵達は二人を取り囲んでこそいるが、有効な傷を負わせることができずにいた。
秀吉達は次第に距離を詰めつつあったが、大挙する僧兵達の前に、なかなか思うように前へ進めないでいた。信長の姿は見えるが、まだ距離があった。そんな混戦の中、久秀は秀吉達と信長の中間の距離にいた。信長は僧兵に気を取られて近くしか見えていない。久秀の姿にも全く気が付いていないようだった。
「久通、鉄砲じゃ。」
「はっ。」
久通から鉄砲を受け取ると、火蓋を切って照準を信長に合わせた。この距離なら、確実に当てることができる。久秀の待ちに待った絶好の機会が訪れたのだ。ここで信長を討ち取れれば、再び天下は乱れる。そうすれば、久秀の活躍の場はまだまだ続くのだ。
「この距離なら外しはしまいて。信長、死ねぃ!!」
久秀は引き金に指をかけた。
『単純に、信長様が好きなんですよ。』
その時、躑躅ヶ崎館に向かう途中で、どうして身を犠牲にしてまで信長に尽くすのか聞いた時の忠繁の言葉が頭に過った。あの時、忠繁は本当に嬉しそうに信長のことを語っていた。その忠繁が、信長の隣で歯を食いしばって戦っている。きっと、自分のためではなく、命がけで信長を守ろうとしているのだ。
「父上?」
久通は、なかなか引き金を引かない久秀に声をかけた。久通も久秀の子である。ここで父が信長を狙っているのはよくわかっていた。
「愚か者め。」
そう言うと、久秀はいま一度照準を合わせて引き金を引いた。
乾いた音と共に弾は放たれ、その弾丸はまっすぐに空気を切り裂き、そして、忠繁の背後に迫った僧兵の後頭部に命中した。忠繁は倒れた僧兵の先に、久秀が鉄砲を構えて笑みを浮かべているのを見つけた。
「少将殿! 後ろががら空きだぞ!」
そう言うと、久秀は鉄砲を久通に投げ渡し、刀を抜くと配下に突撃を命じた。松永勢が一斉に突撃を開始したため、秀吉達も勢いを盛り返し、ようやく信長達に合流することができた。
「開門せよ! 信長様を中へお迎えするのじゃ!!」
光秀は砦門の前に走り、信長の姿を見付けると駆け寄った。
「上様!」
「おぅ、光秀。死に損なったな。」
そう言って笑う信長の前に、光秀は膝を付き、
「私のためにかような小勢で、まして先陣を駆けるなど、なんと無謀なことを・・・。」
そう言って頭を下げた。
「なに、貴様が死ぬと、余は家臣を見捨てた薄情者とそしりを受ける。それに、忠繁が毎日泣くのを見るのは鬱陶しいからのぅ。」
「なんと、もったいない。」
「光秀、しばし休息したら敵を蹴散らす。そなたの力を存分に発揮せよ。」
「ははぁっ!」
その時の光秀は、感激と申し訳なさで人目をはばからず涙を流した。信長は残った自軍をすべて砦内に取り込むと、しばしの休息の後、再び出陣の準備を行った。
「忠繁。そなたの戦略通り、正面突破でここまで来たが、次はどうする。」
「ははっ。先ほどの僧兵共の動きでよくわかりましたが、雑賀衆の鉄砲隊はほとんど来ていないようです。で、あれば、砦の兵と我ら援軍と二段に構え。敵将、下間頼廉の本陣へ向けて突撃いたします。」
顕如も信長がこの人数で攻めてくるとは思わず、主力ともいえる雑賀衆は石山本願寺に配置させていた。その判断が、今回の突入を成功させてしまったと言えた。
「よし。本願寺の坊主共を今度こそ蹴散らす。者ども、かかれ!」
そう言って信長は、またも自ら先陣を切って砦を飛び出した。今度こそ後れを取らないようにと、各将がこぞってそれを追いかけ、そして、迫る僧兵達をなで斬りにしていった。忠繁の作戦通り、信長達が突撃し、その勢いが弱まると敵のやや側面へ光秀達が突撃、そしてその動きが止まると、再び信長達が突撃をしていく。この波状攻撃に僧兵は押され、とうとう頼廉は石山本願寺への撤退を命じたのであった。
撤退が命じられてからも信長は追撃を緩めなかったため、石山本願寺へ追い払うまでに、本願寺側は三〇〇〇近い兵を失った。織田勢は援軍も含めて三〇〇ほどの死傷者を出したが、兵力と戦果を考えれば完勝と言える結果であった。
信長は、深追いは危険だとして追撃を中止。石山本願寺内に嫌と言うほどに聞こえるよう勝鬨を上げた。その勝鬨を、輪の少し外側から眺めている男がいた。松永弾正久秀だ。
「わしは、なぜ撃てなかったのかのぅ。あやつにほだされたか。愚か者め。ふふ・・・ぐぁっ!」
「父上っ!」
久通が駆け寄るのを、久秀は両手で制した。目立たぬように袖裏で口元を拭うと、赤黒い血がべっとりと付いていた。
「父上!」
「騒ぐな。幸い誰も気が付いてない。黙っておれ。」
そう言うと、久秀は口の中に残った血を、つばと一緒に吐き出した。
信長は、石山本願寺の囲みを佐久間信盛と松永親子に命じると、いったん若江城に戻り、曲直瀬道三を呼ぶように命じた。戻って早々に医者を呼びつけたことを不審に思った忠繁は、信長の様子を見に歩み寄った。そこには、縁側に腰かけ苦しそうにしている信長の姿があった。
「う、上様!」
忠繁は駆け寄って信長の足元を見た。袴の柄でわかりづらかったが、左足の太もも辺りが赤く染まっていた。
「お怪我をなされたのですか!?」
「大したことはない。忠繁、広間に入る。肩を貸せぃ。」
そう言うと、信長は忠繁につかまって広間へ入った。忠繁は信長の袴を破り、傷の具合を見た。一部が一寸大(約三、四センチ)ほどえぐれていて、いまだに出血を伴っていた。
「なぜ、黙っておられたのですか。」
忠繁は、小姓に水と清潔な布を用意するように命じると、懐から手ぬぐいを取り出し、傷を圧迫した。俗にいう圧迫止血法だ。
「ふふ、光秀のあの顔を見たか。人目もはばからずに泣きおって。そのうえ、わしが撃たれたなどと知れば、腰を抜かしてその場で腹を斬ったかもしれんぞ。」
痛そうにこそしているが、信長は笑っている。まったく、あの状況を存分に楽しんでいたということか。しかし、信長を先陣に相手の動揺を誘う戦略を考えたのは忠繁でもあったので、文句も言えなかった。
布が来ると太もものあたりを縛り、しばらく圧迫して血が止まったころに、道三が到着した。道三は忠繁と交代すると、的確に治療を施した。
「上様はもはや織田の頭領ではなく、日の本の天下人にあらせられます。あまりご無理はなさいますな。」
道三はそう説教したが、作戦を考えたのは忠繁だったため、二人は顔を見合わせて苦笑いした。
その年の秋になると、信長は朝廷より正三位内大臣に任じられる。同じころ、光秀の妻・煕子が病に臥せっているとの連絡を受け、忠繁は風花と繁法師を連れて坂本城へ急いだ。煕子は忠繁にとっては恩人の妻であり、風花にとっては母親代わりともいえる。
坂本城に付くと、沈んだ面持ちで光秀が出迎えてくれた。
「十兵衛様!」
「おぅ。忠繁殿、風花殿も遠路手間をかけたな。」
「煕子様は?」
「うむ。今日は調子がいいようだ。会ってやってくれ。」
忠繁達は、光秀に案内されて煕子の部屋に移動した。部屋では煕子が布団に横になり、そのそばで、長男の十五郎(後の明智光慶。あけちみつよし)、次女の玉が心配そうに見守っていた。
「煕子様。お加減はいかがですか?」
「ああ。これは忠繁様、お見苦しいところを・・・。」
「あっ、起きなくていいです。横になっていてください。」
「そう言うわけにも参りませぬ。忠繁様はあのころと違い、今は右近衛少将様。失礼があっては明智家の恥になります。」
無理やりにでも身体を起こしたため、慌てて光秀がその身体を支えた。
「煕子様。かつてお願いしたではないですか。織田家で十兵衛様がご活躍されても、いつまでもあの時と変わらぬお付き合いをお願いしたいと。私達夫婦にとって、十兵衛様も煕子様も恩人でございます。何が失礼になどなりましょう。」
忠繁の言葉に、煕子は優しく微笑んだ。
「煕子様、お久しゅうございます。」
「お風、いや、風花殿。すっかりきれいになられて、幸せそうでよかった。」
「はい。煕子様が、たくさんのことをお教えくださいましたので、これまで忠繁様のおそばにいさせていただいております。」
痩せ細った煕子の姿を見て、風花は今にも泣きそうだった。煕子はそんな風花を見てほほ笑みかけると、風花が抱く赤子に目を移した。
「お子が生まれたのですね。よかった。」
「繁法師です。抱いてやってください。」
風花は繁法師を支えながら煕子の腕に抱かせた。煕子は繁法師の顔を覗き込みながら、何とも優しく微笑んだ。
「繁法師殿。忠繁殿のように強く、風花のように聡明な子になりなされ。ふふ、よく寝ております。十兵衛様、風花の子であれば、我らにとっては孫のようなものにございますなぁ。」
「そうじゃ、我らの初孫じゃ。」
光秀はそう言って、繁法師を抱く煕子の腕に自分の腕を重ねた。
「煕子。信長様が早ぅよくなれと、たくさんの果物と薬を送ってくださった。早く元気になってご挨拶に参ろう。」
「ふふ、すみませぬ。それは叶いそうにありません。ねぇ、十兵衛様。私は、妻木家から十兵衛様に輿入れし、明智の庄にいる時も、放浪の旅で各地をご一緒した時も、越前で苦労した時も、そして今も、ずーっと、幸せでございました。この戦国乱世において、これほど幸せな人生で嬉しゅうございます。夫は出世してよき友に出会い、子にも恵まれ、こうして孫まで抱かせてもらった。もう思い残すことはありませぬ。」
「煕子!」
「十兵衛様。どうか、子供達をお願いいたします。そして、十兵衛様の思いのまま、駆け抜けていってくださいまし・・・。」
そこまで言うと、煕子は眠るように目を閉じ、そのまま息を引き取った。天正四年(一五七六年)一一月四日、明智光秀の最愛の妻・煕子は四二年間の生涯を終える。煕子の法要が終わると、光秀は詳細を信長に報告した。そのあまりの落ち込みぶりに、
「光秀、丹波攻略を進めよ。おぬしが妻を誰よりも大事に思っていたことはわかっておる。だからこそ丹波攻略へ行け、その方が気もまぎれ、思いつめることもないであろう。」
そう言って、丹波攻略に戻るよう指示をした。光秀は悲しみを胸に、丹波攻略へまい進していくことになる。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
久秀の葛藤もうまく描けたでしょうか。
忠繁が久秀を尊敬するように、
久秀にとっても忠繁はかわいい後輩なんでしょうね。
さて、煕子の賢妻ぶりはお松と並んで有名ですね。
こんな奥さん欲しかったなぁ。
といったら嫁にぶっ叩かれそうですが・・・(;^_^A
大河ドラマ「麒麟が来る」でも、
木村文乃さんの演技が素敵すぎでした。
次回、忠繁クン、
織田家結束のために新しいことにチャレンジします。
現代じゃ、飲みュニケーションはご法度なんだがなぁ。(^_^;)
お楽しみに!
水野忠




