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第一章 戦国時代⑤

 信長の本隊は約三〇〇〇と言われている。それに対する義元本隊は約五〇〇〇。しかし、この土砂降りの中、酒が入って酔いの回った義元勢と、織田家の存亡をかけて義元の首を狙う織田勢では、もとより話にはならなかった。昼前に始まったこの戦いは、突撃からわずか二時間足らずで決着がついた。歓声が上がったかと思うと、しばらくして勝鬨が上がった。離れているはずのこの場所にも、三〇〇〇人の勝鬨は大きな地鳴りとなって聞こえてきた。この頃には雨も上がり、あたりは澄んだ空気が広がっていた。


「信長様が勝たれたようじゃな。」


 光秀はそう言いながら木を降り始めた。忠繁は、義元本陣を見つめながら、何かを考えているようだった。


「忠繁殿、どうかしたのか?」


 光秀に声をかけられ、ようやく視線を落とすと、複雑な思いを口にした。


「いえ。織田家の勝利は、私が余計なことを申し上げたからではないかと。」

「どういう意味じゃ?」

「あそこでは、たくさんの死者が出ています。そのきっかけを自分が作ったのかと思うと、いたたまれなくなりました。」


 この気持ちは、きっと光秀にはわからないであろう。本来ならば、信長からは褒められてもいいような提案だったはずだ。しかし、そのために義元は命を落とすことになった。その取り巻きの兵士達も多くが討ち死にしたに違いない。一緒に木を降りると、光秀は忠繁の肩を叩き、意外な言葉をかけてきた。


「おぬしは優しいな。わしも同感じゃ、戦はしないに越したことはない。ひとたび戦が起きれば大勢が死ぬ。それはきっと、悲しいことじゃ。しかし、そなたの策のおかげで、信長殿も私の従妹の帰蝶様も無事だったのじゃ。わしはおぬしに感謝しておるよ。」

「十兵衛様。」

「さぁ、我らの役目は終わった。美濃へ帰ろう。」


 光秀はもう一度忠繁の肩を叩くと、忠繁を連れて美濃へと進路を取った。



 美濃へはそのまま北へ向かう。天候には恵まれたが、慣れない草履と舗装されていない道、そして、国内を移動するといっても桶狭間から稲葉山城は約五二キロの距離がある。光秀達には慣れていることでも、普段通勤でも電車の移動がメインで、仕事中はデスクワークが中心の忠繁にとっては、この行軍はなかなかしんどいものであった。一〇キロも歩くと足が棒のようになってしまった。


「忠繁殿、大丈夫か?」

「はは、申し訳ありません。体力には自信があったつもりですが、なかなかどうにも・・・。」

「この先に斎藤家のゆかりの寺がある。そこでしばし休むとしよう。」


 光秀は笑ってそう言ってくれた。権蔵も気にして、忠繁の荷物を持ってくれた。そのおかげか、さっきよりも少し楽に歩けた。


 三キロほど進んだ場所に寺が見えてきた。ここが斎藤家ゆかりの寺らしい。和尚に声をかけ、そこで足休めを挟み、また歩いたが、やはり足へのダメージと疲労は回復せず、明智の庄へ到着したのは二日後のことだった。宿にて足を洗ったが、足の裏にひどい肉刺(マメ)を作ってしまっていた。中学の部活以来だと、忠繁は苦笑いした。


 明智の庄は長良川の戦いで明智城が落城した後は、城を建て直す金子もなく、光秀は元々代々の家であった屋敷に住むようになっていた。時折盗賊が米などを奪いにやってくるが、比較的穏やかで平和な場所といえた。


「帰ったぞ。」


 夕方の暗がりの中、光秀が屋敷の中に声をかけた。すると、幾人かの足音が近づくのが聞こえてきた。当然ながらこの時代には街灯や電球などはない。日が沈んでしまえば月明かり以外に頼る明かりといえば、ろうそくに灯したわずかな明かりだけだった。


「お帰りなさいませ。」

「父上、お帰りなさいませ!」


 女性はおそらく光秀の妻・煕子(あけちひろこ)であろう、暗がりの中でもしなやかな気品漂う姿は、帰蝶とは別の美しさがあった、どこか儚げで、それでいて芯が通っていて凛とした姿に、忠繁は見とれてしまった。


「十兵衛様、そちらの方は?」

「うむ。尾張で会うた。霞北忠繁殿と申してな。ゆえあって、我が家に客人として迎えることになった。」

「それはようこそお越しくださいました。十兵衛光秀の妻、煕子と申します。こちらは娘の岸でございます。」

「武蔵の出身で、霞北忠繁と申します。仕事を失くし路頭に迷っていたところを、十兵衛様に拾っていただきました。御厄介になります。何でもお手伝いしますので、なんなりと申しつけてください。」

「まぁまぁ、お客様としてこられたのですから、どうかお気になさりませぬよう。さぁさ、お疲れでしょう、中にお入りください。」


 煕子は妻木家から光秀に輿入れし、才色兼備、内助の功とは彼女のことで、光秀を懸命に支えた戦国の女性である。二人の夫婦仲は戦国の時代には貴重なほど深く。光秀は生涯側室を持たず、煕子の身を唯一の妻とするのだ。


 一方、一一歳になる娘の明智岸(あけちきし)は信長の側近である荒木村重の長男に嫁ぐが、村重が謀反したために離縁される。その後、光秀の従弟に当たる明智秀満に嫁ぐが、本能寺の変後、夫と共に自害する壮絶な人生を送る。細川忠興に嫁ぎ、関ヶ原の戦いで非業の死を遂げる細川ガラシャこと明智玉(あけちたま)は、まだ生まれる前らしい。


 部屋に通されると、光秀と忠繁は煕子が作った夕食をとることになった。


「なにもない田舎なもので、お恥ずかしい限りですが。」


 雑穀米に大根の汁物、川魚と漬物。簡単ではあるが、令和の時代のような余計な味付けがなく、質素ではあるかもしれないが、素朴な素材の味を楽しむことができた。もともと、忠繁はシンプルな味付けが好きだ。ラーメンで言えば濃厚魚介豚骨よりもしっかりした醬油を好み、肉を食べるにしても、たれを付けるより、塩胡椒だけの方が好きだった。


「いやいや。路頭に迷うまでは、商船の粗雑な食事ばかりでした。こうして煕子様が温かく心を込めて作ってくださった食事、なによりのご馳走、大変おいしゅうございます。」


 忠繁が頭を下げると、


「まぁ、忠繁様は礼儀正しい方なのですね。煕子様などと、初めて言われました。」


 煕子は嬉しそうに言って、忠繁の器を取り上げると、お代わりをよそってくれた。


「忠繁殿。明日は稲葉山城の義龍様に桶狭間でのことを報告しに参る。」

「あ、ではわたくしも一緒に・・・。」

「いや、そなたには申し訳ないが、義龍様はよそ者を嫌うお人じゃからな。まだ大丈夫であろうが、そなたの桶狭間での活躍が義龍様の耳に入るとちと面倒じゃ。」


 義龍というのは保守的で内向的な人物なのかもしれない。そう考えると、忠繁が稲葉山城に行くのは確かに得策ではないかもしれない。


「わかりました。それでは、十兵衛様がお戻りになられるまで、私はおうちの手伝いでもさせていただきましょう。」


 忠繁はそういって、雑穀米と漬物を口に入れた。


「ん~。美味しい。」


 その姿に、光秀と煕子は破顔するのであった。



 翌日、光秀は権蔵や側近達を伴って稲葉山城へ出発していった。


「煕子様、何かお手伝いすることはございませんか?」

「本当にお気遣いは無用でございます。武士はでんと構えていてくださいませ。」

「はは。それでは、明智の庄を見て回ってきます。」


 そういって外に出た時だった。庭先で岸と遊んでいた少女が忠繁を見てきょとんとしていた。


「おじちゃん、だあれ?」


 少女は忠繁に駆け寄ると、物珍しげにその顔を覗き込んだ。年齢は岸と同じくらいだろうか、みすぼらしい衣服をまとっているが、少女とは思えないような不思議な雰囲気を持っていた。また、母に似たのだろうか、とても整った顔立ちをしていて、まだ幼いといっても、きっと美人に育つであろう要素を兼ね備えていた。


「これ、失礼ですよお風(おふう)。」

「煕子様、お気になさらないでください。お風ちゃんというんだね、私は霞北忠繁、十兵衛様のお友達さ。」

「十兵衛様の、お友達? じゃあ、お風ともお友達になってくれる?」

「これ、お風。」

「ははは。こんなおじさんでよければ、お風ちゃんのお友達にしてくれるかい?」

「うん!」


 困る煕子をよそに、お風は屈託なく微笑んだ。


「あとで明智の庄を見て回るから、よかったら一緒に行くかい?」

「ほんと? 行く!」

「じゃあ、後で呼ぶから、岸様と遊んでてくれるかな。」

「うん。」


 お風はそう返事をすると、岸のもとに駆け戻っていった。


「煕子様。あのお風という子は、明智家のお子様ですか?」

「いえ。あの子は、先の戦で亡くなられた十兵衛様の叔父、光安様の家臣の子です。両親も兄弟も、明智城落城の際に亡くなりました。身寄りがないあの子を不憫に思った十兵衛様が引き取り、ここで面倒を見ているのです。」


 お風は今年一〇歳になったばかりだという。


「忠繁殿。岸は少々風邪気味ですので、お風にうつしてはいけません。あの子に案内させますので、どうか遊んでやってくださいませ。」

「かしこまりました。それではさっそく参るとしましょう。」


 忠繁はお風を呼ぶと、一緒に明智の庄を見に出かけた。日が昇ると、この明智の庄に広がった美しい田園風景が目に入った。昨日は日が沈んでいたために気が付かなかったのだ。一面に広がる田畑には、その持ち主であろうか、農民達が一生懸命に手入れをしていた。確か、桶狭間の戦いは初夏の出来事だったはずである。令和の初夏と言えば、もう暑い日が続き、夏への前哨戦の気温が続くが、ここは風もさわやかで日差しの下でも不快には思わなかった。


「地球温暖化というのも、あながち間違いではないのかもしれないな。」


 木陰に腰掛け、田畑で働く農民達を眺めながら、忠繁はそうつぶやいた。お風は大木の根っこに腰掛け、煕子が持たせてくれた握り飯を食べている。


「おんだんか?」


 お風が首を傾げたので、忠繁は笑ってしまった。


「お風ちゃんには難しい話だったな。」

「お風、岸様と一緒に読み書きのお稽古してるから、そのうちわかるようになるもん。」


 そう言って、頬を膨らませるお風を見ていると、ふっと、忠繁の脳裏に明里と楓の顔が浮かんだ。元の時代では、自分はいったいどうなっているのだろう。まだ、ようやく歩き始めた楓を抱えて、明里はどうしているのだろうか。今更どうしようもないことだが、忠繁の心は痛んだ。


 そんな忠繁の様子を感じ取ったのか、お風が忠繁の顔をのぞき込んできた。


「おじちゃん。どうしたの?」

「うん? ああ、家族に会いたいなと思っちゃって。」

「会えないの?」

「うんと、遠くにいるんだ。もう、会えないのかもしれない。」

「ふーん。そうなんだ。」


 握り飯を食べ終わったお風は、近くの大木の根っこからぴょんと飛び降りると、くるっと回って忠繁に笑顔を見せた。


「じゃあ、お風と一緒だね。」

「えっ?」

「お風の父上も母上も、戦で死んじゃったんだ。だから、お風と一緒。」

「そっか、そうだな。」

「じゃあ。お風がおじちゃんと一緒にいてあげるよ。だから、元気出してね。」


 そう言って、お風は笑顔で近付くと、小さな手で忠繁の頭を撫でた。お風の屈託のない笑顔に、この時代に来て初めて癒される気持ちになった。元の時代に戻れない不安、絶望、そういったものを考えないようにしていたのだが、不意に襲う絶望感に、お風の笑顔は救いになった。


「はは。こんな女の子に励まされるとはな。」


 なんだか泣きそうな気持になったが、お風を心配させると思って我慢した。忠繁がお風に礼を言おうと立ち上がった時、遠くで悲鳴が聞こえたような気がした。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます。\(^o^)/

「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、

ぜひ高評価お願いいたします!


また、周りの方にもおススメしてくださいね!


そう言えば、大河ドラマ「麒麟がくる」の煕子役だった木村文乃さん。

とってもきれいでしたね~。

木村さんの笑顔をイメージして書いたってのは内緒話です。


次回は一つの事件が描かれます。

お楽しみに!


水野忠

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木村文乃さんかぁもう再婚されてお母さんになりましたからね
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