第六章 虎と龍と梟と魔王⑨
天正四年(一五七六年)二月、信長は、近江国蒲生郡(現在の滋賀県近江八幡市安土町)に安土城を築くと、岐阜城から移りここを居城とした。安土城へ移ったことで京に近くなり、朝廷や公家衆との交渉事もしやすく、周辺を領国で固めているために政もしやすくなった。まさにこれからの信長には絶妙な位置と言えた。また、琵琶湖を活用して流通も盛んにできる土地であった。
信長は長篠の戦いの後、朝廷より位階昇進の打診があったが、自分のことよりも頑張った配下の者達に官位を与えてほしいと申し出た。正親町天皇はこれを快く認め、秀吉は筑前守、光秀は日向守、滝川一益は伊予守、丹羽長秀は惟住などの官位を与えられた。
信長は朝廷より従三位権大納言に任じられ、右近衛大将を兼任する。これはかつて、源頼朝が同じ役職に任じられた先例に基づいたものだと言われている。これ以降、信長は『上様』と称されるようになっていく。
また、ここから信長の天下布武は次の段階に入る。まず、信長は織田家の家督を嫡男の織田勘九郎信忠(おだのぶただ)に譲った。これは、『織田家』と言うものは信忠に任せ、自分は天下統一と言う事業に注力するということだ。
そして、柴田勝家には越前を中心に三〇万石の領地を与え、北陸方面の大将とした。やがては、丹羽長秀は四国方面、秀吉は山陰・山陽方面、滝川一益は関東方面と、各方面大将を決め、その攻略に当たらせていく。これは今までの日本にはない新しい組織編成の考え方であった。
わかりやすく解説すると、株式会社織田家があったとしよう。信長を社長とし、信忠は織田家と言う部署の責任者。そして、事業本部長たる各方面大将が、それぞれの分野で業績を競う。事業本部長は配下の侍大将達、つまり部長、課長達に具体的に攻略の指示を与え、足軽大将や足軽と言った、係長、一般社員達を使って敵と戦う。と言うように現在の会社組織構成を取り入れたと言えた。当時の日本ではだいぶ画期的な発想であったのではないだろうか。
忠繁は、信長の許しを得て甚兵衛に霞北姓を与え、霞北甚兵衛和成(かほくかずなり)を名乗らせ、富と一緒に岐阜の領地を守るように指示した。屋敷を出た忠繁達は、新たに安土城下に屋敷を建て、そこへ移り住んだ。新居は安土城からやや南西に位置するところに構えた。当然、新たに風呂を作り直し、繁法師が遊びやすいように庭も広くした。近くには野洲川が流れているので釣りをすることもできる。安土城下にある信長配下の屋敷でも一番立派なものとなった。
「ちょっと広すぎだったかな。」
「そうですか? 少将様のお屋敷にふさわしいものでございます。」
この時、信長に命じられ、忠繁は和泉守から正五位上右近衛少将に昇進していた。この役職は秀吉や光秀よりも上の扱いとされる。長年の忠繁の功績に対しての信長の評価である。
信長は忠繁に国を与え運営させようとしたが、忠繁は軍師として信長の傍で働くことを希望し、その熱意に信長もそれを認めた。国持ちになっては、本能寺の変に向けて動きが取りづらくなると考えたのだ。しかし、ここまで高位になってくると、なかなか実感もわかなかった。
「あまり目立ちたくはないんだけどなぁ。」
「ふふ。でも、四季折々の自然が見れ、素敵な家にございます。」
「風呂場から外が見えれば、花を見ながらゆっくりできると思ってね。」
忠繁は野洲川から水を引き込み、庭に水車を造った。この水車からくみ上げられた水が、釜で温められて風呂桶に流されていく。半自動的なシステムを作ったのだ。庭は桜の花を中心に植え、春には花見ができるようにしている。信長が茶会をしたいと言った時に、すぐに用意できるようにしたかったのだ。また、いずれ繁法師が訓練できるようにと、稽古用の広場を用意した。この広場は多目的で、剣術も弓矢の練習も、乗馬もできるようにしてある。現在にも滋賀県野洲市三上に、水車の模型が設置してある『霞庭園』と言う公園があるが、これが霞北家に所縁がある物かどうかは定かではない。
屋敷には、庭師や風呂の管理、料理の管理などで複数の使用人を雇ったが、風花が良く取り仕切ってくれているので忠繁は助かっていた。
この屋敷を拠点として、信長の本能寺の変を回避するための忠繁の戦いが始まっていく。繁法師を抱きながら、どうやって行くか思案していく忠繁だった。
信長の嫡男である信忠が東美濃の岩村城を攻め落とすと、信長は城主である秋山信友を長良川に磔にした。岩村城が婚姻開城になった際、信友の妻になった信長の叔母おつやは、甥に合わせる顔がないと、落城の際に自害したという。
勝頼は信友を救援するために援軍を発したが、信友は長篠で傷付き、まだ立て直せていない武田軍が、これを皮切りに織田軍と全面衝突すれば、今度こそ武田は滅亡すると考え、援軍来るの報を受けると同時に、降伏、開城したのだった。信長は信友のその潔さに感銘を受け、磔の前夜、今生の別れとして酒とご馳走を振舞ったという。
武田の脅威がなくなったと判断した信長は、四月下旬に明智光秀、細川藤孝、荒木村重、原田直政(はらだなおまさ)の四将に本願寺の包囲を命じた。四方から石山本願寺を囲み、兵糧攻めにしようと考えたのだ。
「心配するな。長島の二の舞にはせんよ。」
信長は忠繁にそう約束すると、軽々しく仕掛けないように諸将に厳命した。また、門徒である領民が逃げ出すのなら逃がしてよいとも指示を出した。
四将は本願寺を効率よく囲み、本願寺は完全に孤立したように見えた。しかし、石山本願寺には一向宗の門徒や僧兵だけでなく、顕如が雇った僧兵集団がいた。雑賀孫一(さいかまごいち)率いる雑賀衆鉄砲軍団である。
五月三日早朝。本願寺の軍将・下間頼廉(しもつまらいれん)は、孫市と共に兵を挙げ、直政の陣に攻撃を仕掛けた。直政は一〇〇〇〇の兵をもって陣を構えていたが、頼廉の猛攻と、孫市の鉄砲に攪乱され、短時間で壊滅状態に陥った。孫市の鉄砲隊は待ち構えて撃つのではなく、移動しながら狙撃し、移動しながら弾込めをするため、四方から飛び交う銃弾によって混乱させられたのだ。
そして、光秀の陣へ退却を命じようとした時、孫市の狙撃が直政の心臓を捕らえたのだ。直政は討ち死にし、勢いに乗った本願寺軍は守りの手薄な天王寺砦へ向かった。
「本願寺軍が、ここへ進軍してきております。その数、一五〇〇〇!」
天王寺砦に陣を構えた光秀達の兵は三〇〇〇。まともに正面からぶつかっては、勝ち目はなかった。
「砦の門を閉めよ。守りを固め、上様に援軍を要請するのだ。」
「殿、いったん京へ退いて態勢を整えてはいかがでしょう。」
「馬鹿者! ここで退けば本願寺は再び勢いづく。そうなれば原田殿や、これまで本願寺のために死んでいった者に顔向けができん。すべて無駄死にさせたことになるのだぞ。三日でよい、三日持ちこたえさせれば必ず上様は援軍に来る!」
光秀はそう言って援軍を要請する使者を送ると、自ら鉄砲を手に取り、本願寺の襲来に備えた。天王寺砦は平城と言っても若干台地になった場所に建ててある。そのため、本願寺の動きはよくわかった。光秀は小屋の畳や砦の建築で残った厚めの木板などを盾にするように命じ、徹底防戦に入った。
この時、信長は朝廷との折衝のために京の本能寺に宿舎していた。光秀の急使を受け、すぐさま援軍の準備を命じたが、忠繁は険しい表情で信長に報告した。
「上様。本願寺包囲の主力である原田様が討たれた以上、京の周辺に救援に行ける武将がおりません!」
先般の方面隊構想の準備などで、大多数の兵が各方面に散らされていたのだ。
「近隣の将に援軍を指示せよ。全軍そろわなくともよい。動かせるだけの兵を動員せいと伝えよ。」
信長自身もわずか数百程度の兵を連れて本能寺を出た。河内国若江城で各将が到着するのを待つこと半日、
「上様、援軍の将が出そろいました。」
「であるか。」
忠繁に促され、信長が広間に入ると、そこには佐久間信盛、丹羽長秀、羽柴秀吉、細川藤孝、松永久秀、滝川一益など、錚々たる武将が顔をそろえていた。しかし、諸将の顔色は優れなかった。
「皆、どうしたのじゃ。」
異常を感じ取った信長が声をかけると、忠繁が諸将を代表して状況を説明した。
「あまりの突然の招集でしたので、将はそろいましたが兵がそろいません。ここに集まったのは三〇〇〇ほどでございます。」
本願寺の攻め寄せた軍勢は一五〇〇〇と報告受けている。五倍の兵力を相手に、寡兵で挑むのは無謀と言えた。
「三〇〇〇、であるか。」
信長の言葉に、佐久間信盛が頭を下げた。
「何分、急な要請でございましたので、このような状況でございます。」
しかし、信長は顔色一つ変えず、
「忠繁、そなたはどう思う。勝ち目はないか?」
そう尋ねてきた。忠繁はこの天王寺での戦いがどういう経緯でどのように展開するのか記憶にない。しかし、少なくとも本能寺の変までは信長は死なないということだけは知っている。
「上様。そして、お集りの皆様。わが方は圧倒的に不利な数の兵力しかございません。しかし、日向守光秀様は、これまで織田家のために尽力してきた武将、そして、ここで本願寺の好きにさせては、せっかく織田家に傾きかけた流れを壊すことにもなりかねません。」
そこまで話して、忠繁は視線を落とした。
「忠繁殿、どうしたのでござるか?」
黙り込んでしまった忠繁を不審に思った秀吉の問いかけに、忠繁は諸将の前に出ると、膝を付いて頭を下げた。
「きれいごとは抜きで、皆様に伏してお願い申し上げます。十兵衛様をお救いください。あの方は、路頭に迷っていた私を助けてくれた、この忠繁の恩人。十兵衛様がいらっしゃらなければ、私はそのまま野垂れ死んでいたはずです。しかし、私には十兵衛様を助けるだけの兵力も腕力もありません。上様、皆様。どうか、十兵衛様救出にお力をお貸しください!」
自分が無茶なお願いをしていることは十分承知している。また、軍師ともあろう立場の自分が、戦略も何もなく、寡兵で大軍に挑んででも光秀を助けてほしいというのは、自分のエゴに過ぎない。織田家の重臣がこれだけ集まり大敗すれば、織田家自体が傾く大事になりかねないのだ。それはわかっている。わかっていたが、それでも頭を下げて頼むしかなかった。
「皆、忠繁の言葉を聞いてどう思う。」
信長が低く冷静な声で諸将に問いた。しばらくの静寂の後、最初に口を開いたのは秀吉だった。
「寡兵でも、ここに集まったのは有事に動かせるようにと、忠繁殿の指示で訓練を積んだ精兵中の精兵ばかり、また、光秀殿は織田家中にあってなくてはならない人物。わしは、行くでござる。」
「藤吉郎様。」
「少しでも有利になるよう、忠繁殿には知恵を絞ってもらわねばな。それに、わしは個人的に忠繁殿には返しきれない借りがある。今こそそれを返させてもらうでござるよ。ほかの諸将も、忠繁殿には少なからずなにかしら借りがあるのではなかろうか。」
秀吉の言葉に、諸将の多くが頷いた。
「仕方あるまい。軍師殿に頭を下げられて断るは、武士の面目が立たぬ。」
「そうじゃな。少将殿に言われずとも、これ以上本願寺の好きにさせるのは癪に障る。」
信盛や長秀もうなずいた。
「よし。では準備が整い次第、天王寺へ向けて出陣する。忠繁は光秀救出のための戦略を考えよ。」
「ははっ。ありがとうございます。」
忠繁はいま一度頭を下げて礼を表した。しかし、この集まった中で一人だけ険しい表情のままの男がいた。戦国の梟雄・松永久秀だ。久秀はこのような情に訴えたことは好きではない。いつも現実的に物事を考える。現実主義と言えば信長もそうだが、それ以上に冷静で冷酷に現実を判断する。久秀の心の中で、信長を葬る絶好の機会なのではないかという黒い考えが沸き上がってきてしまったのだ。
「もしかすると、いけるか。」
そうつぶやいた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
天王寺砦の戦いは、
意外と知らない方も多いようですね。
信長の行った、
おそらく最後の無茶な戦いです。(-_-;)
次回は天王寺砦の戦い本番です。
どうぞご期待ください!
水野忠