第六章 虎と龍と梟と魔王⑧
堂の中は三畳ほどの空間に灯篭が用意され、一番奥に大きさ五〇センチほどの毘沙門天像が祭られていた。謙信は堂の扉を閉めると、忠繁に座るように促した。毘沙門天像や灯篭、机などの内装品を除くと、二人が向かい合って座るのがやっとの空間しか残っていない。狭い空間で謙信と向かい合って座っていることに、忠繁の緊張感はさらに高まった。
薄暗い堂の中では、灯篭のろうそくの明かりが揺らめき、それが二人の顔に反射していた。謙信は忠繁の顔をじっと見つめたまま、何から話そうか迷っているようだった。
「霞北殿。率直にうかがおう、違っていればすぐに開放し、広間で話の続きをしよう。」
「は、はい。」
「そなたはどの時代から来た?」
「えっ?」
最初は、謙信が何を言っているのか理解できず、きょとんとしてしまった忠繁だったが、すぐに、謙信の言葉が自分にとってとんでもなく重要な意味を持っていることに気が付いた。
「まさか。謙信様、あなた様は未来人。」
「私は昭和三九年生まれだ。横浜出身で、七歳の時にこの世界に迷い込んだ。」
謙信の話では、七歳の時、つまり昭和四六年、この年は解散したビートルズのギタリスト、ジョン・レノンがのちに世界中で大ヒットする楽曲『Imagine』を発表した年だ。
この日は、兄と一緒に横浜市内の百貨店にレコードを買いに行く途中だったという。兄の影響ですっかりビートルズにハマってしまった謙信は、兄に作ってもらったビートルズのカセットテープをお気に入りの黄色いカバンに入れた。このカセットは、歴代の楽曲だけではなく、最新のImagineを兄がわざわざラジオから録音してくれたものだ。お気に入りのカセットテープだった。
大興奮で家を出て、はやる気持ちから兄の反対を押し切って、駅までの近道である川沿いの道を歩いた。しかし、数日前まで大雨が降らせた雨のおかげで道がぬかるみ、誤って川へ転落してしまったのだと言う。
「気が付くと、私は越後領内にいた。城下にある林泉寺の境内だった。忘れもせぬ、小雨の降る日でな。兄、晴景が、虎千代殿をからかったせいで、誤って境内の階段を踏み外して死なせてしまったのじゃ。その瞬間に、私は立ち会ってしまった。」
長尾晴景(ながおはるかげ)は、上杉謙信の年の離れた実兄だ。長尾家を統率することができず、若くして隠居し、当時、長尾景虎と名乗っていた謙信に家督を譲って隠居したのだった。
「虎千代と言うのは、謙信様の幼名・・・。もしや!」
「そうじゃ。本当の上杉謙信は、謙信を名乗る前に事故で死んでしまったのじゃ。慌てた晴景は、たまたまそこに流れ落ちた私を替え玉にし、私が死んだこととして虎千代殿を林泉寺に葬ったのじゃ。」
幼少期の謙信は、父、長尾為景(ながおためかげ)から愛されず、聡明過ぎたがゆえに疎まれ、滅多に顔を合わせることもなかったという。林泉寺に入れられたのも、僧になれば顔を見ずに済むという理由だった。
この仕打ちには諸説あるが、謙信が産まれた時、為景は四四歳。母の虎御前(とらごぜん、長尾房景の娘。)は一八歳、人生五〇年と言われるこの時代の人間にとって、四四歳と言う年齢は決して若くはない。そのため、為景が虎千代を本当に自分の子なのかどうか、猜疑心や年齢による劣等感から、変に思い込んでしまったことが、謙信を遠ざける理由になったとされている。
「早くに寺に入り、父やほかの家臣達ともほとんど顔を合わせていなかったのでな。誰も虎千代が入れ替わったとは思わなかったようじゃ。ただ、母だけは、私が虎千代ではないことに気が付いた。じゃがな、虎千代の不幸と私の不運を悲しんだ母は、本当のことが明るみになれば殺されてしまうだろうと、私を本当の虎千代として育てていってくれたのじゃ。」
虎御前は九年前、永禄一一年(一五六八年)に五六歳で亡くなるまで、謙信を我が子として一心に愛してくれたという。一方の晴景は、自分が誤って虎千代を殺したとは公表できるはずもなく、虎御前に罵られた後、誰にも真実を打ち明けず、天文一七年(一五四八年)に三九歳の若さで早々に謙信に家督を譲り、天文二二年(一五五三年)に四二歳の若さで病死している。
「母は、私が武将として生き残っていけるように、早くから教育係を付けたり、武術の師を付けたりしてくれてな。私はこの世界で生き残るために、男として必死になって生きてきた。」
「そうだったのですか。」
数々の戦を経験してきた謙信だが、それは幸運の連続であったり、側で優秀な家臣団が支えてくれたからだということもわかった。川中島の合戦では、うっかり信玄の本陣に突入してしまい、本当は泣きそうなほど怖い思いをしたと話してくれた。
「じゃが、年齢と共に困ったことにもなった。家臣達が私に妻を娶るように勧めてくるようになったのじゃ。」
そう言って、謙信は視線を落とした。
「そりゃ、誰しも謙信様のお世継ぎ誕生を願うことでしょう。」
「違う。私には子は作れないのだ。」
そう言うと、謙信はおもむろに立ち上がり、行人包みを取り、衣服を脱ぎ始めた。途中ですべての意味が飲み込めた忠繁は、思わず視線をそらした。
「霞北殿。見てほしい、私のすべてを。」
「し、しかし。」
「私が死ぬまで誰にも打ち明けられぬ秘密じゃ。じゃが、そなたと私は同じ未来人という言わば同志ではないか。死ぬまで女としては見られぬこの身。せめて、おなごである私を見てほしいのじゃ。それ以上は望まぬ。」
そこまで言われて、忠繁はゆっくりと顔を上げた。そこには、剃髪して髪こそなかったものの、ふくよかで色白な美しい中年女性のまっさらな裸があった。
「謙信様。」
「亜季子じゃ。私の本当の名前は前畑亜季子(まえはたあきこ)と言うのです。さぁ、普通に話しましょう。この時代の話し方は疲れます。」
「わかりました亜季子さん。あなたは本当にお美しい。女性として生きられれば、きっと、素敵な人生を送れたことでしょう。」
忠繁は立ち上がると、そっと、その細い肩に衣服をかけてやった。
「夏とは言え、そのままではお風邪を召されます。」
忠繁に促され、衣服に袖だけ通すと、亜季子は前をはだけさせたまま腰を下ろした。この時の姿には、先程の軍神の姿は面影もなく、前畑亜季子と言う一人の女性の姿となっていた。
「霞北さん。あなたは何年からやってきたのですか?」
「私がいたのは、亜季子さんの産まれた時代から五〇年ほど後になります。私が生まれたのは一九九三年、昭和は終わり、時代は平成になっています。平成五年生まれです。最後にいたのはその次の令和三年になります。」
「昭和が終わって、平成、令和と時代は移ったのですね。」
「はい。」
「私がいた時代よりも五〇年もあとの世界はどうなっていったのですか。何でもいい、教えて。」
亜季子は目を輝かせながら忠繁の話を聞きたがった。忠繁は、太平洋戦争以降、日本は戦争に巻き込まれていないという話、バブルがはじけてもう何十年も景気が停滞している話、家庭用固定電話から携帯電話が主流になったという話、女性も社会にどんどん進出して活躍している話。昭和三九年に開通した新幹線が、今ではもっと速くなり、さらにほぼ全国を走るようになってきている話。テレビが箱型から薄型に変化した話。一つ話せば、亜季子はもっと知りたいと話を聞きたがった。
それは、軍神と祭られた上杉謙信ではなく、七歳でこの世界に迷い込んでしまった前畑亜季子と言う少女の好奇心であった。忠繁は、思いつく限りの話を亜季子に聞かせてやった。本当ならば、亜季子が生きて、その目で見ていくはずだった人生の話だ。ただ、ビートルズの熱心なファンである彼女に、ジョンが暗殺されたことだけは伝えないでおこうと思った。
「王は何本ホームラン撃ったの?」
「たしか、引退までに八六八本打ったはずです。いまだに世界記録ですよ。」
「わぁ。見たかったなぁ。」
など、さんざん話をした後、堂の中の棚から湯飲み茶わんと酒を取り出してきた。
「干し魚もあるから、つまみにしましょう。」
「亜季子さんは本当にお酒が好きなんですね。」
「初めてお酒を飲んだのは一二の時でね。ふらふらしたけど、ぽわーんっていい気持になっちゃったの。それからは毎日飲むようになっちゃった。もう、元の世界に帰れないと思ったら、お酒でも飲まなきゃやってられないってね。」
そう言って亜季子は笑った。こうやって話していると、歳の近い飲み友達のようだった。普通のどこにでもいる中年女性。それだけに、軍神と称えられて越後をまとめてきたことは、忠繁には想像できない苦労と恐怖と孤独があったに違いないと感じた。
二人のささやかな酒宴は夜まで続いた。
すっかり日も沈み、外からの光も入らなくなったころ、
「ねぇ。霞北さんは、歴史に詳しいんでしょう?」
「そんなに詳しいわけではありません。ただ、本で読んだり、ドラマで見た程度の知識ならありますが。」
「・・・私は、上杉謙信はあとどのくらい生きられるの? 最期は病死? それとも戦場で死ぬの?」
それを聞かれて、忠繁はどう返答しようか悩んだ。それは、つまり死の宣告をすることと同じだからだ。
その気持ちを察したのであろうか。亜季子は立ち上がると、衣服を整え、行人包みを巻き付け、前畑亜季子から上杉謙信へと戻った。
「霞北忠繁殿。遠慮はいらぬ、私がこの後どのようにして生き、いつどのように亡くなるのか答えてほしい。これは上杉謙信としての質問じゃ。」
その姿に、亜季子の決意をくみ取った忠繁は、背筋を伸ばし、一度お辞儀をしてから話し始めた。
「謙信公におかれましては、このあと、越中と能登を平定し所領といたします。その後、天正五年に手取川において、進撃してきたわが織田軍を打ち破りますが、進軍はせずに春日山に戻られます。そして、天正六年春先に亡くなられます。」
「死因は?」
「わかりません。脳卒中だったとも、癌だったとも諸説あります。」
「そうか。天正六年春先じゃな、わかった。」
謙信は立ち上がると、堂の棚の引き出しからひとつの袋を取り出してきた。謙信が差し出してきたので、忠繁は恐る恐る受け取ると、袋の中身を見させてもらった。
それは、ビートルズの楽曲が入ったお気に入りというカセットテープだった。裏にはひらがなで『まえはたあきこ』と書かれていた。
「霞北殿にお願いしたい。もし、元の時代に戻れることがあったら、これを兄に渡してほしい。きっと、私が川に流されたことでレコードも買えず、自分の責任だと思って心に傷を負った人生を歩んでしまったのではないかと思うのじゃ。」
懐かしそうな顔をしているのは、兄の姿を思い出しているのだろうか。
「兄の反対した川沿いの道で、はしゃいで落ちたのは私じゃ。兄は何も悪くはない。レコードを手にできなかったのは残念じゃったが、私は何よりも兄と遠出ができることが一番嬉しかったのじゃ。そんな、大好きな兄を、悲しませるようなことをしてしまい申し訳なかったと、そう伝えてほしい。」
「しかし、私も戻れる保証はありません。」
「それならそれでかまわぬ。私が上杉謙信ではなく、前畑亜季子だということを知っているそなたに預けたい。頼まれてくれ。」
そう言って頭を下げる謙信の姿に、とうとう忠繁も折れた。
「わかりました。それでは、お預かりいたします。もし、元の世界に戻ることがあったら、この約束は必ず果たします。毘沙門天様に誓いましょう。」
忠繁はそう言って、毘沙門天像に手を合わせた。
深夜になって、ようやく堂から姿を現した謙信と忠繁に、長可や景綱はじめ、上杉家臣一同は胸を撫で下ろした。なんだか楽しそうに話をしている二人を見ていると、堂の中で何があったのかさっぱりわからなかったが、穏やかな笑顔を浮かべる謙信の姿に家臣達は安堵した。
謙信は、勝手な家臣団をまとめるために春日山城から隠居を宣言して飛び出したことがあったという。比叡山を目指したとも九度山を目指したとも言われているが、真偽のほどはわからない。亜季子にしてみれば、本当に逃げ出したかったのだろう。身勝手なことをして申し訳なかったと家臣団に謝らせ、結束を固めたという逸話が残っている。景綱にしてみれば、またそんなことにならないかひやひやしていたのだろう。
それから数日、謙信は忠繁達のために酒宴を開き、一〇月半ばには岐阜に帰参するのであった。忠繁は信長に事の仔細を報告したが、謙信が未来から迷い込んできた人で、実は女性であったということは話さなかった。自分が未来人であること以外、信長に隠し事をしてこなかった忠繁の初めての隠し事だった。
上杉謙信女性説にはいくつか根拠があり、宣教師がスペイン国王にあてた手紙の中で、謙信のことを『上杉景勝の叔母』と書いていたり、上杉謙信を描いた肖像画の髭の部分を外していくと女性の顔になるとか、信ぴょう性の高いものとしては、生涯、妻を持たなかったという事実と、景綱が言っていたように、毎月数日、堂に籠ることがあったという文献もあるみたいだが、これは女性特有の生理を現し、生理痛が酷いために一人になった。という見方もできる。
いずれにせよ。諸説あるのだが、忠繁は自分が出会った前畑亜季子と言う人物が、昭和から時空を超えて、上杉謙信の替え玉にされてしまった数奇な運命を心にしまい込んだ。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
謙信女性説は、
歴史のIFの中でもけっこう有名な話です。
最初は、松永久秀あたりを未来人にしようかとも思ったのですが、
謙信女性説+未来人。
この方が物語としては展開するかなと思いました。
亜季子の想いを胸に、
忠繁はもうしばらく戦国を駆け抜けていきます。
次回もお楽しみくださいね!
水野忠




