第六章 虎と龍と梟と魔王⑦
わが子を愛でる暇もなく、忠繁は長可を伴って春日山城を目指した。岐阜からは三〇〇キロの行程である。半月ほどかけて移動した。信長からの贈答品を壊さないように進み、越後の国境を越えたころには八月も下旬になっていた。
「涼しい時代と言っても夏は夏だ。暑いなぁ。」
忠繁は額の汗をぬぐった。山道に入ったというのにこの数日は暑かった。長可や荷駄隊に水分を取るように伝え、熱中症対策を行った。この時代に熱中症の概念はないのであろうが、倒れられては困る。
休憩を挟みながら北上していくと、手取川を越えて越後に入った。ここからは上杉領である。先に使いを出していたおかげか、春日山城から案内役として、直江大和守景綱(なおえかげつな)が派遣されてきた。
「霞北和泉守殿とお見受けする。拙者、上杉家家臣、直江大和守景綱と申す。」
年齢は松永久秀と同じくらいか。見事な白髪の老父で戦国武将らしからぬ細身の姿で、真っ白なマゲを結っていた。
「織田信長が家臣、霞北和泉守忠繁でございます。この者は、同じく森長可。わざわざお迎えいただき、恐れ入ります。」
「わが殿は霞北殿の到着を心待ちになされております。早速、春日山城までご案内仕る。」
景綱はそう言うと、連れてきた配下の者達と連れ立って春日山へ進み始めた。忠繁達を左右取り囲むように景綱の兵達が同行した。守られていると言えばそんな感じもするが、まるで、護送されていくような気持ちにもなった。なぜならば、景綱の家臣達は一様に無表情で、その心中が読めなかったからだ。
「不愛想な連中だな。」
長可がボソッとつぶやいた。幸い聞かれてはいないようだったが、
「長可殿。思ったことを不用意に口に出すうちはまだまだですぞ。」
失言がないように、忠繁は先に伝えて牽制した。
「ごめんな。みんな悪いやつらじゃないんだけどさ。この辺りは野盗が多いから、荷物を狙ってくるかもしれないから守りを固めてるんだ。」
立派な馬に跨った少年が、馬を寄せて笑顔で話しかけてきた。
「これっ、与六! ご使者殿になんという口の聞きようじゃ。」
「上杉の武士は能面ヅラが多すぎるんだよ。ご使者殿が怖がってる。」
与六と呼ばれた少年はケタケタと笑いながらそう言い返した。屈強な兵士達の中で、この少年だけは天真爛漫で自由な印象を受けた。周りが無表情なだけに、余計にそう見えるのかもしれない。
「大人しくするというから連れてまいったというのに。ご使者殿、ご無礼をお詫び申し上げる。」
「いやいや、元気でよろしいではないですか。」
忠繁はそう言うと、少年に馬を寄せて話しかけた。
「お名前をうかがってもよろしいですか。」
「はい。上杉謙信様の近習、樋口兼続でございます。」
名前を聞いて、この少年がやがて謙信の後継者である上杉景勝(うえすぎかげかつ)の名参謀として活躍する直江兼続(なおえかねつぐ)であることに気が付いた。
「君が兼続殿か。」
「私をご存知なのですか?」
「あ、いや。」
以前、大長編大河ドラマの主人公になったとは言えない。愛想笑いを浮かべながら、
「君はそのうち、愛に満ちた武将になりそうな気がするよ。」
そう言ってごまかしたが、兼続にはその言葉が嬉しかったようだ。
「本当でございますか!? 私も常々、この世の中には愛が足りないと考えておりました。ご使者様の言うとおり、敵にも味方にも領民にも、愛をもって接することのなれる武将になります!」
満面の笑顔でそう宣言すると、よっぽど嬉しかったのか、春日山城に到着するまでずっと嬉しそうに微笑んでいた。これが『愛』を旗印に戦国の世を駆けまわる直江兼続の少年時代だった。
春日山城は、現在の新潟県上越市春日山町に存在し、標高一八九メートルの山頂に位置している。日本海まではわずか三キロ弱、城からは城下が一望できる。北は日本海、東には関川が流れ、南と西は山林に囲まれた要害にあると言える。上空から見ると、山を丸ごと城にしたような造りになっているのだ。
忠繁達は東の城下町から回り込み、山頂の城を目指した。同盟国とは言え、本拠地の城に呼び出すなど、よほどこの城の守りに自信があることがうかがえた。
本丸のある山頂部に入ると、景綱は外に面した広間に忠繁達を案内した。外から見てもわかる。中央の奥、壁に掛けられた『毘』の旗の前に、行人包(ぎょうにんづつみ。僧が頭に巻く頭巾)を付けた小柄な男性が座っていた。それが上杉謙信だ。
忠繁は、一礼して広間に上がると、謙信の前に腰を下ろした。すぐ左後ろに長可も腰を下ろした。
「参議(さんぎ。この頃の信長の官位)、織田信長が家臣にて、霞北和泉守忠繁にございます。謙信様の質問状に関し、主、信長より弁明を預かって参上いたしました。」
「うむ。大儀である。顔を上げよ。」
謙信の言葉に従って、忠繁は顔を上げた。近くで見ると謙信の顔立ちは女性のように目鼻が整って、色白で、肌もきれいだった。今年四五歳になるはずだが、歳の近い忠繁よりもずっと若く見える。透き通るような声も涼やかで高め、服装が違えば美しい女性のようだとも言えた。
「謙信様からの質問状を拝見し、お怒りはごもっとものこと。しかし、事実と違う事情も多々ございましたので、このたび、僭越ながらこの和泉守からご説明させていただきたいと存じます。」
「うむ。霞北殿、この数年の織田殿の行動は、遠くこの春日山にも届いておる。あまりに天下に傍若無人な振る舞い。織田殿は、天皇家を廃してこの日の本の王にでもなるおつもりか。」
「いいえ、いいえ。そのような野心はございません。主、信長が掲げる天下布武は、武をもってこの天下を太平にするというもの。信長様の大望は、この国から戦をなくすことでございます。しかし、そのためには武をもって制するのが一番早い方法であるとも考えておりますが、決して、いたずらに戦火を広げたいと考えているわけではございません。」
「では、このしばらくの行動には、しかと意味があるというのじゃな。」
「はい。」
「よかろう。では私から質問するゆえ、事実を即答せよ。言い淀んだり、偽りを申せば、そなた達を斬り、毘沙門天の名のもとに、即座に織田征伐の兵を挙げる!」
そこまで言われて、謙信の怒りが相当なものであることが理解できた。後ろで長可が息を飲む音が聞こえた。振り返ると、今にも謙信に飛び掛かりそうな形相をしている。
「長可、落ち着け。大丈夫だ。」
そう声をかけると、忠繁は襟を正して謙信に正対した。謙信は忠繁の準備が整ったと判断したのか、一度ゆっくりと呼吸をした後に口を開いた。
「仏教の聖地、比叡山延暦寺を焼き払ったのはいかなる理由があった。」
「はい。仏教の聖地と言っても、そこにいる大多数の僧兵は、経典を読まず、魚肉を食らい、酒を飲み、女人に手を出す腐れぶり。延暦寺座主の覚恕様も統制ができていない状態でした。また、坂本の町の領民も、この僧兵達にたかられ、飲食や金銭、女人を奪われ疲弊しておりました。信長様が比叡山を焼き討ちしたのは、この腐った坊主共を一掃するため。それが証拠に、覚恕様はじめ、真面目に修行する僧達は、明智光秀の兵によって避難し、坂本の町の領民達は私が守りました。信長様は、焼き討ちした後に、新しく権威ある比叡山を作り直せばいいとおっしゃっております。」
「ふむ。では、僧の道に反した者どもを成敗したというのだな。わかった。」
そう言うと、謙信は次の質問をしてきた。
「将軍、足利義昭公を追放し、室町幕府を滅ぼした大義はどこにある。」
「はい。義昭公は、信長様のおかげで将軍宣下を受けたことを忘れ、すべてが思い通りにいかないとかんしゃくを起こし、無差別に各地へ信長様討伐の檄文をばら撒きました。そのため、それに呼応した武田信玄殿は、三方ヶ原で徳川家と戦を起こし。本願寺は各地で一向一揆を発生させ、多くの領民が犠牲になり、朝倉義景は、幾度となく京を脅かしました。また、朝倉家との旧交を重んじた義弟の浅井長政殿は、信長様と対立し小谷城で自害。信長様は長政様を討ったことで心を痛めたばかりでなく、妹のお市様は夫を失う不幸を味わいました。天下泰平を掲げる征夷大将軍が、いたずらに戦火を広げ、多くの命を失うことになりました。その不幸を断ち切るために、義昭様を追放したのです。」
「戦火を広げるのを防ぐために追放したというのか。」
「その通りでございます。それですので、将軍様のお命を奪うようなことはなさらず、京から出ていただいたのでございます。」
「戦火を広げないために将軍を追放したか。命は奪わず慈悲を見せたのじゃな。わかった。」
それ以外にも、長政達の首級を見世物にしたのはなぜか、改元や蘭奢待切り取りを強行したのはどういうことか、いくつもの質問が矢継ぎ早に飛んできたが、忠繁はそのすべてに返答し、謙信を納得させていった。
実に、謙信の質疑は一時間にも及んだ。さすがに忠繁には疲れが見えてきた。話し続けたことで喉は乾き、その重圧はとてつもない物であった。一方の謙信は背筋を伸ばしたまま、微動だにせず、淡々と質問を続けていった。忠繁の護衛だと意気込んでいた長可は、二人のやり取りの内容を必死に追いかけながら、何があっても忠繁を守れるように周囲に気を張っていた。
「・・・誰ぞ、霞北殿に飲み物を用意せい。」
謙信の指示で、忠繁に茶が振舞われた。忠繁は謙信に一礼すると、ゆっくりとその茶を飲み干し、
「ありがとうございました。あの、謙信様は、飲まれませんか。」
そう聞いてみた。
「私はよい。気遣い無用じゃ。」
「謙信様はお酒がお好きだとうかがいましたので、本日は、岐阜の地酒のほか、堺へ南蛮船で運ばれてきた珍しい南蛮の酒を持参しております。もし、よろしければ、お飲みになりながらお話の続きをいたしてはいかがでしょうか。私共は、謙信様がお酒を飲まれながらでもいっこうにかまいませんので。」
酒の話を出した途端、表情こそ変わっていないように見えたが、かすかに眉が動いたのを忠繁は見逃さなかった。
「ほう、南蛮の酒か。」
「はい。ワイン、と言うものにございます。果実から作った西洋の酒ですが、謙信様は、召し上がったことはございますか。」
「ものは知っておる。が、飲んだことはない。」
「でしたら是非! あ、と言っても、お口に合わなかったら、岐阜の地酒をご用意いたします。こちらは、私がお勧めできる美味しいお酒でございます。」
「わいんと言うものは不味いのか。」
「いえ。我が国の酒と南蛮の酒は原料が違うので、当然味も大きな違いがございます。私は好きですが、好みは個人差がありますので、謙信様のお口に合わなければ、飲みなれた我が国のお酒をお出しします。」
「ふふ、お主は素直な男だな。変にご機嫌を取る輩よりもよっぽどよい。では、そのわいんとやら、いただこうか。」
忠繁は長可に命じ、贈答品の中から赤ワインを持ってきてもらった。酒の弱い信長だったが、ワインは気に入ったようで、帰蝶と一緒に食事の時に飲んでいた。
「失礼いたします。」
「ほう、これは面白い形をした杯だな。」
「はい。南蛮ではワイン用の盃があるのですが、残念ながら見つかりませんでしたので、岐阜の陶芸家に指示して作っていただきました。このように指で挟んでお使いください。」
堺からワインを取り寄せた時に、一緒にワイングラスを探してもらったのだが見つからなかったため、信長に相談して焼き物の名人に作らせたものだった。
盃を手に持ち、その形をしげしげと見つめ、
「なかなか持った感じが安定して良いな。これならば、馬上でも酒が飲める。」
そう言って今日、初めての笑顔を見せた。忠繁は思いもよらなかったが、この時、信長から送られた盃を見て、馬上でも酒が飲めるようにと作らせた物が、後に『馬上杯』と呼ばれる謙信の名物の一つとなる。
「ようやく笑顔をお見せいただき、この忠繁、安堵いたしました。」
忠繁はそう言うと、盃にワインを注いだ。ワイン特有の果実とアルコールの香りが辺りを包んだ。謙信はその香りを存分に堪能すると、
「よい香りじゃ。」
そう言って、ワインを口にした。しばらく口の中で味をしっかりと確かめているようであった。そして、たっぷり堪能したあと、
「うん・・・。イマジン。素晴らしい味だ。」
と、感嘆した声を漏らした。
「え? イマジン、Imagineとおっしゃいましたか?」
忠繁がそう問いかけると、謙信の恍惚とした表情が一変した。しまったというような、まさかというような、そんな顔をしたのだ。そして、謙信は真剣な表情で忠繁を見つめた。次に謙信から出た言葉に、今度は忠繁が驚いて答えを口にした。
「ジョン・レノンは知っているか。」
「ザ・ビートルズです。」
その時、謙信はいきなり立ち上がり、
「人払いじゃぁ!!」
周囲の者達に大声で叫んだ。しかし、周囲を見回して、そこが外からも見える広間であることを思い出すと、
「いや、堂に入る。景綱、私と霞北殿が出てくるまで誰も近付けるな!」
「ははっ。」
「霞北殿、しばしお付き合いいただきたい。」
言うが早いか、謙信は忠繁の腕をつかみ引っ張った。長可が何事かと立ち上がったが、
「長可。大丈夫だ、戻ってくるまでここで待っていなさい。」
そう制すると、謙信に連れられて城内にある堂へ入っていった。謙信は毘沙門天の熱心な信者だ。この小さな堂の中には毘沙門天の像が祭ってある。謙信は朝晩ここへこもって精神統一を図るという。
「長可殿、驚かせてすまない。」
「あのお堂はなんでございますか?」
「殿は毘沙門天を信仰しておる。毎日あの堂の中で祈りを捧げておるが、毎月一度は三、四日こもりっぱなしになることもある。あの中は誰も入ることを許されておらん。掃除すらさせない堂に、まさか初対面の客人を入れるとは・・・。」
突然のことと前例のないことに、景綱も戸惑っているようだった。長可は忠繁に命じられた手前、景綱に頼み、堂が見える位置で見守ることにした。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
まさかの展開になりました。
次回も目が離せませんね。
謙信の秘密が明かされていきます。
どうぞご期待ください!
水野忠




