第六章 虎と龍と梟と魔王⑥
天正三年(一五七五年)八月、長篠の戦いが終わり、東側の脅威がなくなった信長は、本願寺や毛利など、西側の敵に対しての備えを強化していった。家康は勝頼が撤退すると、すぐに旧領復帰のために兵を挙げた。勝頼は躑躅ヶ崎館に戻ると、再起を図るためにただ一人残った四名臣の高坂昌信を頼り、今後の武田家について話し合うようになった。
そんな中、越後の上杉謙信から信長へ質問状が届いた。上杉家と織田家は、お互い表面上は中立を守っていたが、元亀から天正に入るまでの信長の振る舞いに納得のいかない謙信は、信長に対してその行動を問い質したのだ。
上杉家とは中立を保ち、信義に反さない限りお互い領土を侵さないように取り決めがしてあった。義昭の再三の出陣要請にも謙信が動かなかったのは、織田家とのこの取り決めがあったからこそだった。
「謙信からの質問状じゃ。どう思う。」
「拝見します。」
忠繁は書状を受け取ると内容を確かめた。そこには、比叡山の焼き討ちや長島願正寺の虐殺、将軍追放、同盟者である浅井家の討伐、改元や蘭奢待切り取りなど、この数年に信長が行ってきたことを詰問する内容であった。朝廷や民をないがしろにしていると怒っているのだ。
「だいぶ、厳しいお言葉が並んでますね。」
「そうじゃな。それから、最後の部分を見よ。次の使者にはお前を指名してきている。」
そう言われて見直すと、確かに文面の最後の方に、『次回使者を手配されるときは、軍師殿を使わされますよう。』とあった。
「どういうことですか?」
「さあな。軍神も、お前の戦略に興味があるのかもしれん。」
信長は小姓に命じ、長可を呼びに行かせた。
「お召しにございますか、信長様。」
一七歳になった森長可は、忠繁が十文字槍を返還しに行った時よりも身体付きが大きくなり、立派な若武者になっていた。
「長可。忠繁の護衛として越後に行ってもらいたい。」
「承知仕りました。」
二つ返事で長可は答えた。
「忠繁。謙信に面会し、質問状に関しての弁解と、友好のための贈答品を献上してきてくれ。いずれは上杉とも戦わなければならぬ。がしかし、今ではない。」
「かしこまりました。謙信様が私を指名してきたことも気になりますし、信長様が決して朝廷や領民をないがしろにしていないということをお伝えしてまいりましょう。」
こうして、忠繁と長可は、織田の使者として越後国春日山城へ上杉謙信に会いに行くことになった。
「長可殿は、ずいぶんお父上に似てまいりましたな。長島でも長篠でも活躍されたとうかがっております。可成様もお喜びでございましょう。」
「ありがとうございます。この長可、腕っぷしばかりが強くなり、母にも思慮が足りないとよく叱られてございます。越後へ同行できると聞き、和泉守様にご恩返しできるよき機会をいただいたと喜んでおります。いろいろご指導いただきとうございます。」
「はは。ご期待に沿うよう、頑張りますよ。」
長可は長島一向一揆で敵の僧兵二七名を討つ武功を上げたほか、先般の長篠の戦いでも、敗走する武田兵を追撃し、二〇以上の首級を上げている。
「永様はその後、お変わりないですか?」
「はい。父が亡くなってしばらくは気落ちしていましたが、最近は元気です。」
「それは良かった。」
忠繁は準備が整い次第使いを出すことを約束し、長可と別れた。
夕方、屋敷に戻ると、風花が大きなお腹を抱えてぱたぱたと出迎えてくれた。
「風花、走っちゃだめだって言ってるだろう。」
「ふふ、すみません。お帰りになられたので嬉しくて。」
「数日後にまた出なければいけなくなった。」
「まぁ、今度はどちらに行かれますの?」
「信長様の命で、越後の上杉家に親善の使者として出向くことになった。」
それを聞いて、風花は目を丸くして驚いた。
「それはそれは、また遠いところまで行かれるのですね。」
そう言いながら自分のお腹をさすっていると、
「あ、蹴飛ばした。」
と嬉しそうに笑った。
「最近はよくお腹を蹴飛ばすんです。きっと、男の子ですね。」
「いや、お転婆な姫かもしれないぞ。まぁ、どちらでもいい。元気な子を産んでくれ。」
忠繁も屈んで風花のお腹を撫でてやった。確かに、ポコポコとお腹を蹴る感触がしたので、忠繁は微笑んだ。顔を上げると、風花が苦痛に表情を歪めていたため、忠繁はその肩を支えて声をかけた。
「風花、どうした?」
「あ、あの。産まれます。」
「へっ?」
忠繁は慌てて富を呼んだ。
「お富さん! お富さん!! ちょっと来てくれ、風花が!」
ただ事ではないと顔を出した富は、風花の様子を見て察知したのか、
「産気付いたのですね。あんた、産婆さんを呼んできてちょうだい。」
夫の甚兵衛に指示すると、湯を沸かし、風花を着替えさせた。屋敷の一角には、数か月前に出産用の小屋が建てられてあり、風花はそこへ移動した。この時代の出産は、現在のように分娩台に横になって行われるのではなく、天井から下げられた産綱を握り締め、立ったまま出産するのが一般的であった。
今と違って、出産時の死亡率も高かったこの時代では、出産自体が穢れであり、魑魅魍魎が集まってきて祟りをなすと考えられていたという。そのため、現在のように神聖なものではなく、邪気と戦うと言った意味合いが強かったそうだ。出産用の小屋は家と穢れを離す意味合いで建てられ、出産が済むと取り壊すらしい。忠繁達は屋敷の敷地内に建てたが、多くは街の通りに面した広い場所に設けられ、その造りも粗悪なものであったという。
まもなく産婆が弟子と一緒に到着し、富と一緒に出産小屋に入っていった。産婆の弟子が風花を押さえ、産婆が赤子の取り出しを、富が産湯や手ぬぐいなどを用意し二人を手伝った。
忠繁は出産小屋を覗いては庭をうろうろ、庭をうろうろしては出産小屋を覗いて、右へ行ったり左へ行ったり落ち着かない様子だった。楓が産まれた時も、産婦人科病院の中や外を行ったり来たりして、駐車場に行って煙草を吸って、病院の中に入ってはモニターで明里の出産を見守った。何度も両親に『落ち着け』と言われたが、時代が変わっても、たとえ二回目でも、落ち着かないものは落ち着かないものだった。
風花の出産は思いのほか時間がかかり、日は沈み、満月が明るく顔をのぞかせていた。そして、天の川が見え始めたころ、夜陰の静寂の中をかき分けるように、頼りなくとも力強い赤子の鳴き声が響いてきた。
「忠繁様! 産まれましたぞ!!」
甚兵衛が出産小屋の前で小躍りして声をかけてきた。忠繁は転がりそうになりながら駆け寄り、出産小屋の戸を開けた。
「風花!」
そこには、出産を終え全身汗だくになって、肩で息をしている風花が座り込み、産婆が赤子を産湯に漬けて、その身体を拭ってやっていた。忠繁は風花に駆け寄ってその肩を抱いた。慌てて産婆が、
「ああ、穢れが付きます!」
と言ったが、
「穢れなんてあるものか。無事に産まれたんだ、魑魅魍魎も吹っ飛んださ!」
そう言って忠繁が笑ったため、産婆はやれやれとため息を吐いた。
「忠繁様、男の子ですよ!」
富が、おくるみに包まれた産まれたばかりの赤子を忠繁に見せた。
「お富さん。抱っこしていいかい。」
「え、ええ。」
言うが早いか、忠繁は赤子を受け取ると、風花に見えるように抱きかかえた。
「よく頑張ったな。身体は大丈夫か?」
「はい。無事に産まれてよかったです。」
「ありがとう、本当によく頑張ってくれた。」
その時、おくるみに包まれ気持ちよさそうにしていた赤子が、小さな声で泣き始めたので、二人はその泣き顔を見てほほ笑んだ。
「名前はいかがなさいますか?」
「信長様のお師匠様である沢彦先生にお願いして、幼名を付けていただいたんだ。霞北家の繁栄と、天下布武を目指す信長様のようにまっすぐ育つよう、名前は繁法師(はんぼうし)だ。」
沢彦宗恩(たくげんそうおん)は、信長の幼少期の教育係で、稲葉山を岐阜と改名したり、天下布武を進言したのも沢彦と言われている。
「繁法師・・・。忠繁様と、信長様の幼名、吉法師様が一緒になってよい名です。ふふ。繁法師、父上や信長様のように、立派な男になりなされ。」
わが子に微笑みかける風花は、明智の庄でのあの日、忠繁に微笑みかけた少女のものではなく、慈愛に満ちた母のものであった。天正三年八月四日、それは、忠繁と風花に男子が産まれた日である。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
戦続きの忠繁に、
とっても素敵な幸せが舞い降りましたね。
また新たな歴史を刻んだ忠繁。
次回からの展開もお楽しみください。
水野忠




