第六章 虎と龍と梟と魔王⑤
武田本陣。
「と、殿! 鳶ヶ巣山から煙が上がりました。」
「まさか、鳶ヶ巣が落ちたのか。」
「いかん! 鳶ヶ巣山が取られれば、我らは退路を失うぞ。」
煙を見て家臣達が動揺し始めた。馬場信春が勝頼を見ると、不思議と慌てた様子はなく、その顔には笑みさえ浮かべていた。そして、大きく息を吸い込むと、
「ガタガタ騒ぐなっ! 貴様らはそこらの雑兵と同じか! 最強騎馬軍団が聞いて呆れるぞ。この程度のことで騒ぎ、わしを失望させるな!!」
信長の陣まで聞こえるのではなかろうかと言う大声で喝を入れた。
「し、しかし・・・。」
「退路が無くなっただけじゃ。ならば、織田と徳川を蹴散らせばいいだけの話であろう!」
そう言って、信長達のいる方角を指差した。信長達の兵力はせいぜい二〇〇〇〇弱、勝頼から見える織田・徳川の陣の旗指物はそのくらいであった。
「山県、内藤、土屋隊を前に出せ!」
勝頼としても、信長が鉄砲をそろえているという事は知っている。しかし、鉄砲は一度発砲すれば次の装填に時間がかかる。いかに急勾配になっていると言っても、その時間差で騎馬隊が駆け抜けられるはずだ。
指令を受けた内藤昌豊、土屋昌続ら第一陣は、自慢の騎馬隊をもって押し出した。鍛え抜かれた騎馬隊は二列横隊で突き進み、武田側の緩やかな斜面を下っていった。そして、織田・徳川陣の第一の馬防柵へ迫った。
武田の騎馬隊は、甲斐の山奥で生産される駿馬の中の駿馬だ。足が速く体力もあり、騎馬隊で使用するにはうってつけの馬達であった。昌豊も昌続も、自分達の騎馬隊が国内最強だと信じているし、実際に騎馬隊はこれまでも大きな戦果を挙げている。この戦いでもその効果をいかんなく発揮するものと思っていた。
「まだ撃つな! 十分に引き付けてからでも遅くはない。慌てるでないぞ!」
土煙がどんどん迫り、鉄砲を構える兵士達が落ち着きがなさそうにざわざわしはじめた。
「落ち着け! 今撃っても大した効果は出ないぞ!!」
「し、しかし、利家様。騎馬隊がそこまで・・・。」
「慌てるな! もうっと引き付けるまで待つんだ。慌てる暇があったらよく狙え!」
鉄砲隊の指揮を執る前田利家は、慌てないように声をかけ続けた。そして、距離にして一町、つまり約一〇〇メートルを切ったところで狙いを定めさせた。
「放てぇ!!」
利家の号令と共に一〇〇〇丁の鉄砲が一斉に火を噴いた。乾いた音ではない。これだけの鉄砲が集まって一斉に射撃をすると、その音は耳元に雷が直接落ちたのではないかと錯覚するほどの轟音になった。
硝煙が立ち込め、辺りは一瞬何も見えなくなった。先ほどの轟音や騎馬隊の蹄の音が嘘のように消え、あたりは静寂に包まれた。利家の耳に、誰かが唾を飲み込む音が聞こえたような気がした。
しばらくして、風が設楽原を抜けていくと、そこには累々と武田騎馬とその兵士達が転がっていた。しかし、静寂と思ったのもつかの間、その後方から馬蹄の響きが聞こえてきた。先鋒隊の合間を縫って、昌豊の騎馬隊が攻め寄せたのだ。
「進めぇ! 鉄砲は弾込めに時間がかかる。今のうちに攻め寄せよ!」
昌豊は敢然と突き進んだが、その時、馬防柵からのぞいていた鉄砲が引っ込んだかと思うと、すぐに次の鉄砲が顔をのぞかせた。そして、昌豊が疑問に思う間もなく、先程と同じように轟音を響かせながら筒先が火を噴いた。
「!」
それが見えた瞬間だった。昌豊は見えない力によって後方へ弾き飛ばされて落馬した。地面に背中を打ち付けた衝撃を感じると、さっきまで見えていた馬防柵や鉄砲は見えず、一面の青空が視界に入った。
「あ、あれ。わしは、どうなったの・・・じゃ。」
そう呟いたが、言い終わった時には、昌豊の目はもう何も映し出していなかった。昌豊の周囲に流れ出た血が広がり、それはやがて地面に吸い込まれていった。鉄砲隊の放った弾が何発も昌豊の身体に突き刺さったのだ。
「昌豊様! おのれ、信長ぁ!!」
土屋昌続は目の前の馬防柵を乗り越えようと手足をかけたが、目の前に飛び出してきた鉄砲隊に狙撃され、心臓を撃ち抜かれて後方へ吹き飛ばされた。
「勝頼様。これは、野戦では・・・な、い。」
昌続は大量の喀血をすると、そのまま前のめりに倒れ込み絶命した。
勝頼は、大量の鉄砲が発射されたことはわかったが、本陣のある今の位置からでは戦場がどうなっているのかわからなかった。
「殿、とんでもない数の鉄砲が使用されています。いったん引き上げの指示をお出しください。」
真田昌幸は勝頼に進言したが、
「鉄砲は一回撃てば弾込めに時間がかかる。それよりも騎馬隊が到達する方が早い。」
そう言って進言を退けた。しかし、勝頼の予想に反して二度目の鉄砲が放たれる轟音が響き、しばらくして三度目の轟音が聞こえた。
「陣を移す!」
勝頼はそう言うと、本陣を設楽原が一望できる位置まで移動させた。その間にも、鉄砲は間断なく放たれている。
「釣閑斎。あの連続した鉄砲をどう見る。」
「軍師殿の計略かと、あれだけの鉄砲の数で、あの勢いで撃ち続ければやがて弾が付きましょう。その時が戦の流れが変わる時です。我らが一斉に討って出れば、佐久間殿も弾正殿も反旗を翻しましょう。」
「わしもそう思った。あの勢いで撃ち続ければまず火薬が持たぬ。多少の犠牲は仕方あるまい。突撃を続けよ!」
いまだに何の疑いも持たない勝頼はさらに進撃を命じた。すでに忠繁の計略に陥り、泥沼の中に足を突っ込んでいようなどとは夢にも思わなかったのだ。
武田の出陣太鼓は鳴り響き、そして、それを遮るかのように間断なく轟音が響き渡った。山県昌景は自軍の騎馬隊を指揮しながら、鉄砲の射線上に入らないように側面側から馬防柵を越えようと試みた。
「山県様! 斜面が急で馬が、ぐっ!」
何かを言いかけた家臣の一人が鉄砲に撃たれて落馬した。昌景が横を見ると、他の騎馬隊が果敢に攻め寄せては鉄砲の餌食になっていた。そして、横から見て初めて計略にかかったことを理解した。
「その方。本陣へ戻り、勝頼様に突撃を中止するように進言せよ。急斜面過ぎて先陣と後陣がつかえているのじゃ。あれでは的になっているようなものじゃ!」
「はっ!」
「それから、佐久間信盛の動き、誠に奇妙とも伝えよ!」
寝返ると約束していた信盛は、いまだ陣から動こうとはしていなかった。信盛の陣はこの馬防柵をもう二つ越えたところにいるはずであった。昌景は馬を降りると、身を低くして馬防柵に近付き、そして、引き連れた部下と共に突撃した。柵の中に見えた鉄砲隊の足軽に槍を突き立てるとてると、
「今じゃ、柵を乗り越えよ!!」
と、自らも馬防柵を乗り越えた。策を飛び降りて前を見ると、そこからはさらに斜面の上に次の馬防柵が見え、そこには瓢箪の馬印が確認できた。秀吉の陣だ。武田の本陣からはわからなかったが、これはただの斜面ではなかった。
「これは、まるで城ではないか。」
振り返ると、自分に続いて柵を乗り越えられたのはわずかに十数名だけだったことに眉をひそめた。二〇〇〇名近い自分の騎馬隊が、たったのこれだけになってしまっていることに驚愕したのだ。
「放てぇ!」
秀吉の号令で再び轟音が聞こえると、ほぼ同時に、昌景の目の前で何か火花が散った。いや、目の前で何かが爆発したと言った方が良かったか。その直後に何やら全身に衝撃が走った。
「ん。どうして、地面が、見え・・・。」
「昌景様ぁ!!」
配下の一人が昌景に駆け寄って抱き起したが、昌景の兜は吹き飛び、その頭は右目の上のほとんどが吹き飛んでいて、虚ろな目のまますでに息をしていなかった。
武田本陣では、繰り返す轟音のほかは硝煙のため視界が悪く、戦況がどうなっているのかよくわかっていなかった。
「釣閑斎。織田勢はどうして連続して鉄砲が撃てるのじゃ。」
鉄砲は一度撃ったら、筒先から火薬を入れ、その次に弾を込め、朔杖(かるか)と呼ばれる長い棒でそれらを押し固めるようにし、狙いを定め、火蓋を切り射撃する。慣れた者でも三〇秒はかかってしまう。その欠点を補うために、忠繁は三〇〇〇丁の鉄砲を三組に分け、順番に活用することで連射を可能にさせた。
事前に信長と忠繁が研究していたのはこの鉄砲三弾撃ちだったのだ。(三弾撃ちに関しては実際に運用されたか諸説あり。)また、昌景が気付いたように、織田・徳川連合軍の陣地は急斜面にある。これは、車の渋滞ができる原理と同じで、武田側の緩やかな傾斜で速度を上げた騎馬隊が、織田・徳川軍側の急斜面で急に速度を落とすため、後続の騎馬隊は先発隊に阻まれ速度を緩めざるを得ない。引き付ければ引き付けただけ、狙いやすくなったという事だった。
さらに、この急斜面に幾重にも設置された馬防柵が城で言う城壁の代わりとなり、乗り越えようとすれば狙い撃ちされ、乗り越えたとしても次の柵まで斜面を駆け上がらなければならない。後に野戦築城と呼ばれるこの陣形は、日本では信長が初めて用いたとされている。勝頼は織田・徳川連合軍と野戦をしているつもりであったが、実は立派な城攻めをしていたことになる。
「撃ち方止めぃ!」
武田方の攻め方が緩んだため、信長は様子を見るために攻撃を一時止めた。恐ろしいほどの静寂が設楽原を包み込み、忠繁は硝煙が晴れるのを息を飲んで見守った。やがて、風が設楽原を抜けていくと、そこには数えきれない人馬が転がり、動かぬ者、かろうじて這いつくばっている者、槍を杖代わりに何とか前進しようとする者など、無事な者は一人もいなかった。
信長は設楽原の様子を満足そうに見下ろすと、
「時は来た。者ども姿を見せぃ!!」
と、号令をかけた。信長の言葉を受けて、設楽原周囲に隠れていたすべての兵士が、一斉に旗指物を立て姿を現した。ここまで、馬防柵の中で戦っていたのは、織田・徳川合わせてもせいぜい一三〇〇〇程度、入りきらなかったすべての兵士は山林に隠れ、合図があるまで隠れていたのだ。
「お、おお。敵の伏兵じゃあ!」
「あんな大軍では、勝ち目はないぞ!!」
突如現れた大軍を前に、設楽原で動ける兵士は度肝を抜かれ、そして我先にと後退し始めた。
「ふふ、勝負あったな。」
「はい。」
「おぬしの戦略、見事であった。」
信長はフロイスから送られたビロードでできた南蛮のマントを翻すと、自分の陣小屋へ引き上げていった。
この長篠の戦いでは鉄砲三弾撃ちのほか、野戦築城など、これまでの日本史を根底から覆すような近代戦が取り入れられたのである。まさしく、日本の歴史が一歩進んだ瞬間であった。
勝頼は設楽原いっぱいに広がる味方の屍に目を見張った。先ほどまで、つい数時間前まで戦国最強を疑わなかった武田騎馬隊が、完膚なきまでに叩き伏せられたのである。そして、歓声と共に現れた織田の伏兵の数に、驚きのあまり目を丸くした。
「報告! 内藤昌豊様、討ち死になさいました。」
「なに、宿老の内藤が、死んだ?」
勝頼は思わず力が抜け、床几に腰を掛けた。
「伝令! 山県昌景様より、突撃を中止するように進言がありました。また、佐久間信盛の動き、誠に奇妙と。」
「わかった。ご苦労。」
釣閑斎はその時になってようやく、実は自分達は騙されたのではないかと思い始めた。見たこともない鉄砲の数、そして途切れることのない射撃、騎馬隊が攻め寄せても越えられない馬防柵の数々。
「勝頼様。我らは、騙されたのでは・・・。」
釣閑斎が勝頼に声をかけると、
「報告! 山県昌景様、お討ち死に!!」
伝令が昌景の死を伝えてきた。それからも、昌続や、他の普代の家臣達の討ち死にの報が相次ぎ、勝頼は頭の中が真っ白になった。
「軍師殿は、我らを騙したのか。躑躅ヶ崎館へ来たあの時のことは、すべてあやつの計略であったというのか。」
「殿、申し訳ございませぬ。この釣閑斎がおりながら、やつらの策略にまんまとかかるとは。」
釣閑斎は地団太を踏んで悔しがったという。それほど、忠繁と久秀の演技に騙されてしまったのだ。
「穴山梅雪様、撤退を開始しました!」
「な、なにっ?」
穴山梅雪(あなやまばいせつ、穴山信君とも言われる。)は信玄の娘を正室に迎えている武田一門衆の一人である。いわば、勝頼の義理の叔父にあたるのだが、親戚に当たる梅雪は負け戦と判断し、主君である勝頼に相談もせずに退却を始めたのであった。それは、この戦が武田の負けであることが決定的になった瞬間でもあった。
「もう、気は済みましたかな。」
そう言って、馬場信春が勝頼に歩み寄った。
「我らはまんまと敵の計略にかかり、設楽原におびき寄せられた。霞北忠繁が躑躅ヶ崎館に来た時から、いや、それよりも前から綿密に計画は立てられ、あやつは自らを傷つけてまで我らを信用させ、この合戦を完勝に導いた。あの男は稀代の名軍師です。我らが相手をしてはいけない人物でしたな。」
「・・・おのれ、かくなるうえは、このまま残る全軍で討って出て、信長に一矢報いてやろうぞ!」
立ち上がってこぶしを握る勝頼に、
「いつまで阿呆なことを申されるか。」
冷たく信春は言い放った。
「あなた様が今やらなければいけないことはただ一つです。おわかりにならぬか。」
「わしが、やらなければならないこと・・・。」
「勇猛果敢で強すぎたる将。それゆえに、あなたは信玄様のようにはなれんのです。あなたは強すぎた。だからこそ、これまで武田の領土を過去最大のものとし、そして、今日負けたのです。」
信春はそこまで言うと、配下に退却の法螺を吹くように指示した。
「勝手なことをするな。まだ負けてはおらぬ!」
「まだわからぬか! この戦は負けたのじゃ!! 霞北忠繁が躑躅ヶ崎館に来たあの時に、この負けは決まったのじゃ!!」
信春は胸ぐらをつかむと勝頼の頬を張った。そして、息を整えて冷静になると手を放し、頭を下げた。
「ご無礼いたした。お許しくだされ。」
「・・・馬場。わしがせねばならぬというのは、なんなのじゃ。」
「お逃げください。恥も外聞もかなぐり捨てて、逃げて逃げて、生きて躑躅ヶ崎に戻るのです。そして、誰に遠慮することなく、真に強い武田家をお作りください。」
その時、織田・徳川の陣から大歓声が上がった。集結した三六〇〇〇の兵士が、頃合いと見て一斉に討って出たのである。
「釣閑斎。勝頼公を頼む、必ず躑躅ヶ崎館へ返せよ。」
「馬場殿は?」
「知れたこと。殿(しんがり)仕る。」
信春はそう言うと、勝頼に深々と頭を下げ、槍を手にして兵の指揮に戻った。
「昌幸、お前も勝頼様と行け。」
「兄上!」
昌幸に声をかけたのは、真田源太左衛門信綱(さなだのぶつな)と真田兵部少輔昌輝(さなだまさてる)、昌幸の兄達であった。
「信春様だけでは抑えきれぬであろう、我らも足止めに残るが、そなたは生きよ。」
「私も、お供させてください。」
「ならぬ。真田家においてそなたは一番の知恵者。そなたなら真田家の家名を残してくれるにふさわしい。後のことは頼むぞ。」
そう言って、信綱も昌輝も信春と共に殿として残った。昌幸は断腸の思いで勝頼を迎えに行くと、
「行きましょう、躑躅ヶ崎館へ。残る者、死んだ者のために帰りましょう。」
そう言って動かない勝頼を促し、釣閑斎やわずかな兵と共に退却を始めた。信春と真田兄弟は少ない軍勢で織田・徳川連合軍を良く抑え、勝頼達の退却部隊が峠を越えたあたりまで見届けると、敵陣に突撃を敢行し討ち死にした。
長篠の戦いでは、実に一二〇〇〇の武田兵が討ち死にし、勝頼はわずか数百の旗本に守られながら信濃の高遠城まで退却したのであった。武田家は馬場信春、山県昌景、内藤昌豊、真田兄弟のほかにも、土屋昌続、原昌胤(はらまさたね)、など、普代の重臣達を多く失うことになる。昨日までの意気揚々とした武田騎馬隊を考えれば、事実上の壊滅と言われても間違いではなかった。
しかし、織田・徳川勢も武将は失わなかったものの、繰り返された武田の突撃や、殿で残った信春達の猛攻を受け、数千の死傷者を出したため、それ以上の追撃戦は行わなかった。
長篠の戦いの後、武田家は勝頼を中心に何とか盛り返そうとしていくが、衰退の道を進むことになってゆく。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
長篠の戦において、
鉄砲三弾撃ちがあったかどうかは議論があるようですが、
私はあったものと信じている派です。
それにしても、
三〇〇〇丁の鉄砲が一斉に火を噴いたら、
ものすごい轟音だったでしょうね。
近代戦闘を取り入れた信長。
次回からもどうぞご期待ください!
水野忠




