第六章 虎と龍と梟と魔王③
軍議は終わった。勝頼が戦準備をするように指示をすると、各将は早々に部屋を出ていった。その後、広間に残った勝頼は釣閑斎と久秀、そして忠繁の四人で細かい打ち合わせを調整すると、
「軍師殿。岐阜へ戻るにはまだ時間はあるのじゃろう?」
と、聞いてきた。
「はい。傷が癒えるまで謹慎せよとのご命令ですので。」
「釣閑斎。軍師殿を下部に連れていき湯治させよ。あのことも話してかまわぬ。」
「えっ、お話しするのですか?」
「かまわぬ。二人を信用したという証としたい。軍師殿、よく養生なされよ。信長を平らげたらまた会おうぞ。」
そう言うと、勝頼は退室していった。釣閑斎がやけに驚いた顔をしていたので、忠繁も久秀も顔を見合わせてしまった。
「久秀様、下部と言うのは何でございますか。」
「武田家ゆかりの湯治場じゃ。わしも行ったことはないがな。せっかくじゃ、ゆっくり温泉にでも浸かろうか。」
二人は釣閑斎の案内で下部にある武田家の湯治場へ向かった。ここは、武田信玄が湯治場として大事にしたと言われている。現在も山梨県南巨摩郡見延町下部に静かな温泉街が広がり山梨三大温泉の一つとして観光客に愛されている。
山間のこの温泉地は、この時代には山林に囲まれてまさしく秘境温泉と言えた。詳細な地図などがないこの時代に、ここを見付けるのはなかなか至難の業であろう。
湯治場に到着すると、さっそく忠繁は湯船に浸かった。岩で周囲を固めて作られた天然の露天風呂は、木々の間から差し込む日差しが入り、さながら高級旅館を思わせた。少し熱めの湯温に初めは傷が染み、痛みを感じたが、馴染んでくると気にならなくなり、ゆっくりと身体を休めることができた。
「どうだ、和泉守殿。」
「ああ。久秀様、お先にいただいております。」
「一週間も湯治すればだいぶ良くなるだろう。ここの温泉は打ち身や切り傷に効くという。武田の兵が戦で怪我をするとここに湯治に来るそうじゃな。」
久秀は温泉に浸かるとゆっくり息を吐いた。
「勝頼の言っていたあの事とは何のことでしょうか。」
「さぁな、包囲網の時に何度か出入りしているが、隠し事をしているようには見えなかったが。しかし、それよりもうまく勝頼を騙せたもんじゃ。そなたの苦肉の策が決め手となったな。まったく、お主には参ったとしか言えん。」
「はは。久秀様が話を合わせてくれましたから、うまくいったようなものです。私一人だったらどうなっていたことやら。」
二人がたっぷり温泉を堪能していると、釣閑斎が声をかけてきた。
「湯加減はどうですかな?」
「ありがとうございます。傷が癒されていくのがよくわかりますよ。」
「それは良かった。さて、湯から上がったら夕食の前に合わせたい人物がおる。準備ができたら声をかけてくれ。」
そう言って釣閑斎は湯治場の隣にある屋敷の中に入っていった。この屋敷は武田家が建築したもので、湯治に来た武田兵達が寝泊まりできるようになっている。さらに奥には離れがあり、屋敷よりも小さいが立派な装飾のある造りになっているあたり、かつての信玄や勝頼など、武田一門が使う建物なのであろうことがうかがえた。
二人は温泉から上がると、身なりを整えて釣閑斎に声をかけた。
「よいか。これから見聞きすることは武田家の中でも秘中の中の秘中。家中でも重臣しか知らぬことになっている。勝頼様のお許しがあったとはいえ、決して他言せぬように。」
「なんじゃ、もったいぶって。」
いぶかしげな久秀をよそに、釣閑斎はろうそくに火を灯すと離れの中に案内した。離れの中もきちんと清掃が行き届き、掛け軸や壺などの調度品も一級品であることがうかがえた。離れの廊下の奥、突き当りまで来ると、釣閑斎は壁にかけてあるろうそく台をひねった。すると、何ということか、突き当りの壁が回転し、奥に行けるようになっていた。その先は薄暗く、地下へ通じる階段になっているようだった。
「足元に気を付けられよ。」
二人は釣閑斎を先頭に、階段を地下へと降りていった。次第に、外とは違うかび臭いというか、独特の臭気が漂ってきた。たっぷり二階分くらい降っただろうか。地下の通路に出ると、さらにその奥に部屋があるのがわかった。そこからは少し明るくなっている。どうやら離れの裏は斜面になっていて、そこから明り取りの窓が付いているようだ。
「お里殿、失礼するよ。」
部屋の中には、薄明りの中に里(さと)と呼ばれた女性らしき服装の人物が座っていた。その奥には布団が敷いてあり、どうやら誰かが寝かされているようだ。
釣閑斎は部屋の灯篭台にろうそくの火を移した。次第に室内が明るくなると、やはり着物を着た中年女性と布団には初老の男が寝かされていた。そして、その男の顔を見た途端、久秀の表情が驚きに代わり、やっとのことで出た言葉は忠繁を驚かせた。
「こ、こ、これは、信玄公!」
久秀の言葉に、男はうっすらと目を開けた。
「この方が、武田信玄様・・・。」
忠繁と久秀は思わず腰を下ろして平伏した。病に臥せっているのであろうか、寝たきりであろうことをうかがわせるが、やせ細っていて、とても生きているようには見えなかった。
「お里殿。このお二人は松永弾正殿と霞北和泉守殿、此度、武田家に迎え入れた武将にございます。」
「そうですか。信玄様の側室、里でございます。」
里は根津御寮人とも言われ、信濃国(現在の長野県)小県郡の国集である根津宮内大輔元直(ねづもとなお)の娘で、天文一二年(一五四三年)に信玄に輿入れしている。
「あ、あの。釣閑斎様、信玄様は三方ヶ原の後に亡くなられたとうかがっておりましたが、まさか、ご存命だったのですか?」
「さよう。一昨年、三方ヶ原の戦いの後、野田城を落とすところまでは良かったが、いよいよ尾張に向けて出立と言う時に激しい頭痛を訴えられた後に倒られてな。医者に見せたが前後不覚のまま、時折、痙攣を起こすようになったため勝頼様の命で引き上げたのじゃ。しかし、甲斐に戻っても一向に病状は良くならず、一人で起き上がることもできず、会話もままならぬ。それゆえ、重臣達で話し合った結果、勝頼様を当主代行とし、信玄様は隠居と言う形を取ってここで養生することになった。」
しかし、忠繁にはここで疑問が生じた。いかに病に倒れ、武田家当主としての役割を果たせなくなったとしても、幽閉ともとれるこの場所に置くのにはなぜだろうと考えたのだ。
「釣閑斎様。いかに信玄様が病とは言っても、このようなところでは良くなるものも良くならないのではないでしょうか。」
「そうじゃな。これには理由がある。信玄様は倒れる直前に死期を悟ったのか、自分の死を三年は秘めよと命じられた。しかし、亡くなられたわけではない。だが、甲斐の虎と言われた信玄様が、このような状態であっては家臣達の士気にかかわる。勝頼様と家老達は、他の者にわからぬよう、この場所で静養し回復を期待したのだが、二年たってもご覧の通りじゃ。」
「病に伏せ、会話もままならない信玄公は、武田家の当主としての役割は果たせない。しかし、家臣団は神とも言える信玄公が生きておれば、勝頼様よりも信玄様を重要視する。そうであれば勝頼様は家中をまとめられん。だから表向きは死んだことにして、ここで看病していたということか。」
「そうじゃ。」
その時、信玄は軽く咳込むと、
「あぁ、うぅ・・・。あぇ、ぐぅ。」
何かを話そうとしているようだった。里は釣閑斎に手伝ってもらいながら、水を飲ませた。身体は動かず、言葉も話すことができないようだ。里が付きっきりで介護し、粥を食べさせたり、身体を拭いたり、水を飲ませたり、排せつの面倒を見ているという。
「霞北殿。このような病を治す方法はご存じないか。」
脳梗塞を起こすと、後遺症として半身の麻痺や嚥下障害が起きる。言葉が離せないのは脳の障害で失語症になっているのだろうと推察されたが、一般的なこと以外には忠繁にはわからなかった。
「申し訳ありません。脳卒中の類だという事はわかるのですが、どんな治療が有効なのか、見当もつきません。発症からこれまでご存命であること自体が、奇跡とも言えることでございます。」
脳卒中自体は軽いものだったのかもしれないが、この時代で有効な治療方法がない以上は、こうやって誰かの介護があり、ぎりぎりの状態で生きていると言える。それでも、三方ヶ原から二年もの間生きながらえているのは、本当に奇跡とでも言わなければ納得できるものではなかった。それは奇跡なのか、それとも信玄の生きたいという気持ち、上洛を果たすという執念がそうさえているのであろうか。
「そうか、知恵者のお主でもわからぬか。」
何かわかればと思ったのであろうが、釣閑斎は諦めて首を振った。そして、
「さぁ。とにかくお二方とも、せっかくお目通りが叶ったのじゃ。信玄公へ武田家への忠誠を誓いなされ。」
そう言って臣従を誓わせた。忠繁と久秀は、信玄の布団の前に近付くと、手を付いて頭を下げた。
「松永弾正。武田家に忠誠を誓い、信長打倒に尽力いたしまする。」
久秀にならって、忠繁も頭を下げようとしたが、その時、うっすらと開いた信玄の目と視線が合ってしまい、思わず動けなくなってしまった。
「武田を滅ぼしに来たか、信長の軍師よ。わしは騙されぬぞ。」
聞いたこともない信玄の声を聴いてしまったような気がした。忠繁がもう一度信玄を見ると、もう目を閉じて静かに息をしていた。
今のは幻聴だったのだろうか。忠繁は確かに、力強く威厳のある声を聴いた気がしたが、釣閑斎も久秀も何も言ってはこなかった。
「和泉守殿、どうかしたのか?」
久秀の声に我に返ると、
「い、いえ。すみません、緊張してしまいました。霞北和泉守、忠誠を誓います。」
忠繁はやっとそれだけ言うと、信玄に頭を下げた。釣閑斎は、忠繁達に信玄と武田への忠誠を誓わせると、長時間になっては身体に障ると、二人を屋敷へ戻らせた。信玄が生きていたことも驚きだったが、甲斐の虎と呼ばれた信玄が別人のように痩せ細り、病に伏していたことが衝撃過ぎて、忠繁はなかなか寝付くことができなかった。
一週間が過ぎ、痣はまだ残っていたが、腫れはすっかりなくなり、出血を伴っていた傷はふさがった。触らなければ痛みも出ない程度には回復することができた。下部での湯治が忠繁の身体を癒してくれたようだ。
あの日以来、信玄に会わせてもらうことはできなかったが、暗黙の了解と言うか、それ以降、信玄に付いては三人とも口に出さなかった。勝頼が指示したとはいえ、この複雑な武田家中の秘密を、あれこれ詮索することはやめた方がいいとも思ったのだ。
岐阜へ帰る直前、忠繁は計略の詰めとして、面倒をかけた釣閑斎に二度目の賄賂を渡した。
「釣閑斎様。いろいろとお世話をかけてしまい、心からお礼申し上げます。これはささやかながら私からのお礼の品です。お受け取りください。」
忠繁の差し出した箱を受け取ると、釣閑斎は中を見て驚いた。
「こ、これは、唐物か?」
「はい。紅(くれない)というものだそうです。」
茶道の茶器の中でも、『唐物』と呼ばれる明から流れてきた茶碗は、物によっては城が建つほどの価値を持つ。この茶碗は信長のコレクションの中でも紅色の強い茶碗で、金額は説明を受けたが忠繁にはよくわからなかった。しかし、かなりの高級品であることはわかっていた。
信長が金子のほか、勝頼に献上した武具、南蛮菓子と一緒に持たせてくれたものだった。しかし、
「これも持っていってよいぞ、高い金を払ったが、どうも色が気に食わん。」
と言って、信長が放り投げてきたことは言えなかったが。
「釣閑斎様。この度の策略は、打ち合わせ通りに行って初めて成功するものです。いまだに私達に猜疑心を持つ方も多いでしょう。どうか、釣閑斎様が作戦成功のために、皆様をお導きください。」
「おぅ、任せておけ。戦が終わったら、これを使って茶会でもしよう。」
満面の笑顔で釣閑斎は言うと、二人を国境まで送ってくれた。こうして、うまく長篠への筋道を立てた二人は、意気揚々と岐阜へ引き上げたのであった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
まさかの信玄生存でした。
実は、当初信玄登場の予定はなかったのですが、
信長、秀吉、光秀に家康。
せっかくだったら忠繫クン、信玄公にも会ってもらおうかなと、
あとから決めたストーリーでした。
ノープラン作家の弊害です。(笑)
次回もお楽しみに!
水野忠




