第六章 虎と龍と梟と魔王①
登場人物紹介
霞北忠繁 ・・・元会社員。信長の家臣として和泉守を名乗る。
風花 ・・・光秀が保護していた少女。忠繁の妻となる。
織田家
織田信長 ・・・尾張からのし上がった大大名。
帰蝶 ・・・信長の妻。
松永久秀 ・・・織田家臣。弾正忠。戦国の梟雄。
明智光秀 ・・・織田家臣。十兵衛。
煕子 ・・・光秀の妻。
羽柴秀吉 ・・・織田家臣。藤吉郎。
寧々 ・・・秀吉の妻
佐久間信盛・・・織田家の家老。
柴田勝家 ・・・織田家の家老。権六。
丹羽長秀 ・・・織田家の家老。五郎左。
細川藤孝 ・・・織田家臣。教養高く剛腕。
村木村重 ・・・織田家臣。摂津守。
滝川一益 ・・・織田家臣。左近将監。
原田直政 ・・・織田家臣。
前田利家 ・・・織田家臣。又左衛門。
松永久通 ・・・織田家臣。久秀の子。
森長可 ・・・織田家臣。可成の子。
織田信忠 ・・・信長の子。
北畠信雄 ・・・信長の子。北畠家養子。
金森長近 ・・・織田家臣。
煕子 ・・・光秀の妻。
明智十五郎・・・光秀の子。後の光慶。
玉 ・・・光秀の子。後の細川ガラシャ。
三宅弥平次・・・明智家臣。
永 ・・・長可の母。
松 ・・・利家の妻。
甚兵衛 ・・・霞北家屋敷の使用人。
富 ・・・甚兵衛の妻。
徳川家
徳川家康 ・・・信長の同盟者、三河の大名。
酒井忠次 ・・・徳川家の重臣。
武田家
武田信玄 ・・・甲斐の虎。
武田勝頼 ・・・甲信の大名。信玄の子。
長坂釣閑斎・・・武田家臣。
山県昌景 ・・・武田家臣。四名臣の一人。
馬場信春 ・・・武田家臣。四名臣の一人。
内藤昌豊 ・・・武田家臣。四名臣の一人。
高坂正信 ・・・武田家臣。四名臣の一人。
穴山梅雪 ・・・武田家臣。信君。
小山田信茂・・・武田家臣。
甘利信忠 ・・・武田家臣。
土屋昌続 ・・・武田家臣。
真田昌幸 ・・・武田家臣。
真田信綱 ・・・武田家臣。昌幸の兄。
真田昌輝 ・・・武田家臣。昌幸の兄。
秋山信友 ・・・武田家臣。
おつや ・・・信友の妻。信長の叔母。
里 ・・・信玄の側室。
上杉家
上杉謙信 ・・・越後の大名。越後の龍。
直江景綱 ・・・上杉家臣。大和守。
樋口兼続 ・・・上杉家臣。与六。後の直江兼続。
長尾晴景 ・・・謙信の兄。
長尾為景 ・・・謙信の父。
虎御前 ・・・謙信の母。
本願寺家
本願寺顕如・・・浄土真宗の宗主。光佐。
下間頼廉 ・・・僧兵。本願寺軍事司令官。
雑賀孫一 ・・・雑賀衆の傭兵。鉄砲の名手。
その他
フロイス ・・・イエズス会の宣教師。
沢彦宗恩 ・・・信長の師。
曲直瀬道三・・・医聖と呼ばれる名医。
千宗易 ・・・京の茶人。
二月上旬。家康から信長の元に、武田が戦準備を始めたという報告が入った。信長は間者の数を増やし動向を探った。しかし、多くの忍びが捕らえられ自害したか処刑されたため、有力な情報は手に入らなかった。
忠繁は信長に呼び出され、岐阜城へ登城した。
「お召しでございますか。」
「おぅ、来たか。」
信長は戦略地図を広げながら待っていた。その地図は関東から近畿まで、日本の中部をそっくり書き写した広域の地図だった。それぞれ、織田、徳川、武田、上杉、北条などの家名が書き込まれ、まだまだ織田家の敵が多いことを物語っていた。
「うむ。すっかり顔色もよくなったようだな。」
「さすがに休み過ぎました。いつでもどこでも行けます。」
「ふふ、頼もしいな。家康から、武田が軍備を始めたという報告が入ったが、詳細を知りたくても忍び達が戻らん。準備はほぼ整っているゆえ、いよいよ武田との一戦に備えたいのじゃ。しかし、情報がないので手の打ちようがない。」
「武田領内は間者の取り締まりを厳しくしているということですね。」
「次の武田戦はお主の考えた策を用いりたいのじゃが、勝頼が出てこないことには話にならん。顕如が怯んでいる今が、武田を叩く好機なのじゃが。」
忠繁は地図を見ながら次の手を考えた。武田との決戦と言えば長篠の戦だが、決戦場になる長篠城下の設楽原に武田勢をおびき寄せるにはそれなりの餌が必要だ。
「信長様。忍びが情報を持てぬのであれば、私が武田に餌をまいてきましょう。」
「どういうことじゃ?」
「勝頼に会って戦うように進言してきます。」
「な、なんじゃと?」
さすがの信長も、忠繁が休みすぎて気がふれたと思ったのだろうか、驚いた表情で忠繁を見つめた。
「勝頼に会ってどうするつもりじゃ。」
「設楽原は見通しもよく、一見、騎馬隊に有利な地形に見えますが、実はそうではありません。時間をかければ、武田側は設楽原が不利な場所であると気が付いてしまいます。そこで、調虎離山(ちょうこりざん)の計をもって、勝頼をおびき出します。」
「調虎、なんじゃと?」
「調虎離山です。明の歴史の中に出てくる兵法で、敵を自軍に有利な場所へおびき出して戦う計略のことを言います。」
項羽と劉邦の時代。劉邦の大将軍、韓信は、大河を背にして布陣することで自ら退路を断ち、兵士達に『退けば溺れ死ぬだけ、ならば敵軍を倒して活路を見出そう。』と鼓舞し、趙軍を砦からおびき出し、これを撃破したという。『背水の陣』で有名な井陘の戦いでの計略である。
「それを勝頼にどうしかける?」
「織田方の有力武将を武田に寝返らせます。」
「な、なに?」
忠繁は、自分が考えている策を信長に打ち明けた。まさに虎穴に入る策略に、信長は大きくため息をついた。
「小谷城に行った時にも思ったが、お前は大胆と言うか、かと思えば長島願正寺では心労で倒れるほど繊細だったり、不思議な男よ。」
「お褒めの言葉として頂戴いたします。」
そう言って笑うと、忠繁は一礼して退室した。
忠繁は準備を整えると尾張の佐久間信盛を訪ねた。信盛は尾張において、対武田の先鋒役として、徳川家と協力できるように準備していた。信盛は意外な人物の来訪にいささか戸惑ったようだ。
「軍師殿が来られるとは思いもしなかったぞ。」
「ご無沙汰しております。信長様の命で武田勝頼に接触するので、そのご報告に参りました。」
「なに、勝頼に接触?」
「はい。信盛様こちらを。」
忠繁はそう言うと、一枚の紙を取り出し信盛に差し出した。紙を受け取った信盛はその文面を見てみるみる顔色を変えた。
「こ、これは。離反の書状ではないか!?」
「しーっ、声が大きゅうございます。この離反の書状に、信盛様の名をご記名いただきたいのです。」
「なんじゃと?」
信盛には全く話が見えていなかったようだ。佐久間信盛と言えば、先代、信秀の代から織田家に仕える重臣中の重臣で、家中ではかなり立場も高い。その信盛が、織田家を離反する書状に記名することなど、無礼この上なしの話だった。
「軍師殿は、わしに武田へ降れと言うのか。」
「あ、いえ。そうではございません。勝頼をおびき寄せるために、餌をまくのです。信盛様ほどの重臣が寝返ったとなれば、勝頼もきっと出て参りましょう。」
しかし、信盛にはまだ得心が行かない様子で、いぶかしげに忠繁を睨みつけてきた。信盛にもプライドはある。嘘でも裏切り者の名を騙るのが嫌なのだろう。
「おそれながら申し上げますが、信盛様だからこそ適任なのです。」
「どういう意味じゃ?」
「失礼ながら信盛様は、先般の三方ヶ原の合戦においては、援軍大将として駆けつけましたが徳川軍は大敗を喫しました。刀根坂の戦いでは、信長様に油断するなと命じられておきながら追撃に遅参するなど、他家から見れば失態ともとれることが続いています。ですので、それを咎められ、織田家での身の危険を感じたため、武田に降りたいと申せば、勝頼も信じましょう。」
「あまりいい気はしないがな。」
「無論、ご無礼は承知です。しかし、今の現状で他に適任者がいないのでございます。武田は必ず勝たなければならない相手。どうか、お願い申し上げます。」
忠繁は頭を下げた。それでも信盛が渋っていると、部屋の外から一人の男が入ってきた。
「信盛様、私も連名で書状に名を書きましょう。」
「え、久秀様?」
「おぅ。久しいな和泉守殿。」
松永久秀は、信盛の与力として尾張に来ていたという。忠繁は二人に、より詳細な作戦の内容を提案した。
「信盛様、わしも和泉守殿の計略には賛成じゃ。勝頼は強い。一筋縄ではいかぬであろう。それに、武田を叩かねば織田の明日はまだまだ安泰とは言えん。」
久秀の助言もあって、
「・・・わかった。不本意じゃが、これも織田家のためじゃ。」
ついに信盛はそう言って折れると、離反の書上に名を連ねた。そして、久秀もその隣に名を記入し、
「せっかくじゃ。せがれの名前も足しておこう。」
そう言って、自ら嫡男である久通(まつながひさみち)の名前を書き込んだ。しっかり字体を変えて記入するあたり、やはり油断のならない男だと感じた。忠繁は自分の名前を最後に書き加えると、書状を大事にしまった。
「かたじけなく存じます。準備をしたら勝頼の元へ参ります。」
「そのことなんじゃが。わしも一緒に行こうではないか。」
「久秀様が?」
「信長様の包囲網に参加していた時に、信玄とは何度かやり取りし、面会もしておる。その時に勝頼にも会っているのでな。おぬしが一人で行くよりは入り込みやすいであろう。松永がまた織田を裏切ったかと、武田家臣の呆れる顔が楽しみじゃのぅ。」
そう言って久秀は豪快に笑った。信盛と忠繁が唖然としたのは言うまでもない。しかし、過去に信長を裏切った経験があり、破天荒な経歴を持ち、なおかつ口の上手い久秀が同行してくれるとなれば、忠繁の生還率はぐっと上がるというものだろう。忠繁は久秀の申し出に甘えることにした。
「久秀様、ここから甲斐の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた、武田家の本拠)へはどのくらい日数がかかりますか?」
「そうじゃな。馬を使えば、まぁ、六日もあれば十分じゃろう。」
「わかりました。では、出発は明後日でお願いします。信盛様、竹棒をご用意いただけますか? それから、人がうつぶせになれる台、その台に被せる厚手の布があると助かります。」
忠繁に言われ、信盛は配下に用意するように指示した。しばらくして長さ一メートルほどの竹棒と布で覆った背もたれのない長椅子ともいえる木箱が用意された。
「これをどうするのじゃ?」
忠繁は台にうつ伏せになると、
「私の背中を一〇〇回叩いてください。」
そう言って、台の端をつかんだ。
「なんだって?」
「武田に降ったと見せかけるには、私も信長様の不興を買ったという事にしなければなりません。」
「しかしな。」
信盛が躊躇していると、
「わしがやろう。」
久秀は信盛から竹棒を受け取ると、忠繁の傍らに立った。
「老いてはおるがわしも武将の端くれ。覚悟は良いか。」
「はい。遠慮なさらずお願いします。」
「よい心掛けじゃ。治療はするゆえ安心せよ。」
そう言って、久秀は竹棒を振り下ろした。鈍い音と共に、忠繁の背中に衝撃と激痛が入った。二度、三度、と繰り返されるうちに、忠繁の目には涙がいっぱいにあふれてきた。また、すぐに全身から汗が噴き出てくるのがわかった。脂汗と言うものだ。
「ふぐぅ!」
「情けない声を出すな。我慢せいっ!」
再び襲う衝撃と激痛、
「の、信盛様!」
「なんじゃっ。」
「布を、口にくわえる手ぬぐいをください!」
信盛はそう言われて、すぐに手ぬぐいを差し出した。忠繁は礼を言ってそれを受け取ると、口に咥えて猿ぐつわの代わりにした。そうでもしないと、激痛のあまり歯を食いしばりすぎて怪我をしそうだったからだ。
五〇回を超えたあたりで、音が変わってきた。どうやら竹棒が割れてしまったらしい。しかし、久秀は構わず打ち続けた。信盛は見るに耐えられず、目を背けてしまった。衝撃の重さが軽くなった代わりに、割れた竹が皮膚を引き裂く痛みが増した。そうやって叩かれていくうちに、忠繁は頭の芯がぼぅーっとなっていく感覚を覚えた。
忠繁は、暗がりの中で目を覚ました。この感覚は最近二度目だ。長島願正寺攻めで倒れた時と同じ感覚。ただ、あの時と違うのは背中に激痛が走っていることだ。後半、気を失う手前では、もう背中の感覚が麻痺していたのか、痛みより衝撃しか感じないくらいだった。
身体を動かそうにも力が入らない。痛みで思うようにも動かせない。どのくらい気を失っていたのか、なんだかすっかり日は沈んでいるようだ。そして、今は台の上ではなく、布団の上に寝かされているらしい。頬に触れる布団の綿の感触がなんとも心地よかった。
「気が付いたか。」
暗がりから久秀の声が聞こえた。すぐ近くにいるようだ。荒い息遣いが聞こえた。どうやら事後、それほど時間は過ぎていないらしい。
「今、せがれに水と薬湯を用意させている。動かないでそのままでいなされ。」
次第に目が慣れてくると、忠繁のすぐそばで久秀が上半身裸のまま無造作に座り込み、肩で息をしながら自らを扇子で仰いでいた。久秀は永正五年(一五〇八年)生まれである。今年で六七歳の老齢のはずだが、歴戦を潜り抜けてきたことはその身体付きを見ればわかる。
「父上。薬湯と水、それから佐久間様から軟膏を頂戴してまいりました。」
「おう、ご苦労。和泉守殿、せがれの久通じゃ。」
久通は今年三二歳、まさに伸び盛りと言った風貌で、優しそうな顔立ちだったが、目は鋭く、身体付きは父に似てとても恵まれている。
「失礼します。」
久通は、忠繁に薬湯を飲ませると、桶に組んだ水で手拭いを浸して冷やし、硬く絞って忠繁の背中に乗せた。瞬間、背中にピリッと電流が流れたような痛みが走る。
「ご辛抱ください。だいぶ腫れておりますので、まず冷やし、それから軟膏を塗ります。」
「すみません。お願いいたします。」
「和泉守殿。せがれは多少医術の心得がある。安心して任せてよい。しばらくは痛むであろうが我慢せいよ。」
「ありがとうございます。なに、久秀様は骨や内臓を傷つけない様にうまく叩いてくれましたから、腫れが治まれば大丈夫ですよ。」
忠繁はそう言って笑って見せたが、実のところ声を出すのも痛くてかなわなかった。しかし、ここまでやらなければ勝頼を信じさせることは難しいと思っていた。
「・・・苦肉の策、じゃな?」
久通の用意した水を飲みながら、久秀はそう言ってにやりと笑った。
「ご存知でしたか。さすが弾正久秀様、その通りでございます。」
「父上。苦肉の策、とはいかなるものでございますか?」
「勝頼に降ったことを信じさせるためには、書状だけではなく証拠があった方がより信じ込ませやすい。和泉守は自らを犠牲にすることで生き証人となったのじゃ。この傷を見て、信長に愛想を尽かしたと言われれば、人は、まさか自分を騙すためにここまで大けがをしてきたとは思わないじゃろう。明の歴史にそう言う場面があったのは知っていたが、ははは、まさか実践する阿呆がいるとは思わなんだぞ。」
久秀はそう言って豪快に笑った。口では阿呆と言っているが、心底感心したような口ぶりだった。
「とにかく、出発まではゆっくり休め。面倒は久通が見る。」
それから三日、予定を伸ばして忠繁は久秀の屋敷で静養することになった。久通は配下の者達と交代で忠繁の看病をし、冷やしては薬を塗ることを繰り返した。献身的な看護のおかげか、出血は止まり、腫れは残っているが初日よりはだいぶ引いてきた。ただし、感覚が戻ってくると同時に痛みは増していったが。
「ちょっとやりすぎたかな。」
躑躅ヶ崎館への出発の前夜、布団に入って休みながら、忠繁は一人苦笑いするのであった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
苦肉の策を用いた忠繁。
果たしてそれが吉と出るか凶と出るか。
次回、いよいよ躑躅ヶ崎館突入です。
どうぞお楽しみに!
水野忠




