第五章 天下布武へ向けて⑪
石山本願寺。本願寺顕如は、生き残って戻ってきた門徒達から長島願正寺の戦いの報告を受けると、めまいを起こして倒れたという。
「信長は、本気じゃ。本気でこの本願寺を滅ぼすつもりじゃ。一向宗門徒、その最後の一人まで滅するつもりじゃ。」
「顕如様、お気を確かに。」
「毛利へ再度、援助の使者を送れ。」
顕如は堅牢である石山本願寺に籠城することを決め、毛利家へ援助を申し出ると、力を蓄えるためにしばらく地下に潜る。このため、信長は本願寺からの攻撃の心配がなくなり、いよいよ武田勝頼との決戦に注力できるようになったのである。
忠繁は、次の決戦に備えて英気を養うようにと、長島願正寺攻め後、療養を兼ねて休暇を言い渡された。久しぶりに岐阜城下の自宅屋敷で風花とゆっくりした時間を過ごした。寧々が秀吉と共に長浜城へ移ったため、少し寂しかったようだ。
「忠繁様。言われたとおりに作ってみましたがいかがですか?」
この日、街で鯛が手に入ったため、油を熱して天ぷらを作ろうと思ったのだ。フロイスの伝手で小麦粉が手に入ったため、家畜として飼っている鶏の卵と合わせて作れるのではないかと思ったのだ。
忠繁は、風花が上げた鯛の天ぷらをひとつつまんだ。
「まぁ、忠繁様ったらお行儀の悪い。ふふ。」
「うん。よくできているな。風花、塩を振って食べてごらん?」
風花も促されて、ひとつに塩を振って口に入れた。すると、途端に満面の笑顔になり、
「ん~、美味でございますぅ~。」
漫画ならきっと瞳がハートマークになっているであろう幸せそうな顔をしながら頬を手で押さえた。
「忠繁様、これはなんという食べ物ですか?」
「天ぷら、と言う料理だよ。」
「天ぷら、でございますか。」
「そう。同じようにして、シソの葉やシカの肉、ナスとかでやってごらん。きっと美味しいよ。」
風花はそれを聞いてさらに目を輝かせると、作ってくると意気込んで厨房に戻った。忠繁はもうひとつつまみ、指をなめると、
「さすがに天つゆの作り方まではわからないんだよなぁ。」
そう言って苦笑いした。しかし、大根おろしに塩をかけて食べたものは美味しかった。いろいろ工夫はしてみるものだ。
そもそも、天ぷらが日本に伝わったのは、ポルトガルから鉄砲が伝わったころだとされている。そう、つまり天ぷらは元々を辿ると南蛮料理だったのだ。しかし、この時代、油は貴重品で、高価なものであったがゆえに、今のように気軽に使えるものではなかったため、庶民には広まらなかったとされる。文献に『天ぷら』が初めて登場するのも江戸時代に入ってからのようだ。
また、『天ぷら』と言う言葉には諸説あり、主にポルトガル語を語源とする説が多い。ポルトガル語で四季に行う祭事をテンポーラと言い、それが語源になった説。調味料を意味するテンペーロ、金曜日のお祭りをテンポラス、ポルトガルの精進料理を指すテンプロ、などなど。
忠繁はこの休暇中に、今までかまってやれなかった風花との時間を多く持とうと考えていた。そして、せっかくなら、風花の好きな料理を一緒にしたいと思ったのだ。昨日は熱した鉄の板に油を薄く引き、カモ肉を焼いた後に卵を落とし、カモ肉の目玉焼きを作った。一昨日は、刻んだシカ肉と野菜を米と炒めて炒飯を作った。
この鉄板も、この休み前に職人に作らせたものだ。忠繁の立場なら、織田家に出入りする業者から油を買うことは可能だったが、それでも貴重品のため、再利用できるように薄い鉄板に小さな穴をたくさん開けた油こしを作り、使用した油が再利用できるようにした。
「それにしても、忠繁様がこんなにお料理上手だとは思いませんでした。」
「はは、作ってるのは風花じゃないか。君の腕がいいから美味しいんだよ。私は作り方を教えただけだ。」
甚兵衛と富を呼び、今日も楽しく食事をした。季節は秋から冬になろうとしていて、次第に風が肌寒くなっていた。
「しかし、これだけ休んでしまうとさすがに心配になってくるな。」
忠繁は甚兵衛達に見られないように久しぶりの電子タバコを吸いながらつぶやいた。何年この時代にいても、忠繁の会社員グセは取れないらしい。数日の休みの後に出仕したら、信長に休めと怒られた。次には一週間後に行ったら、
「おまえと言うやつは、働き者と言うか、真面目と言うか、わしが出仕せよと言うまで出仕せずともよい。鍛錬は怠らず、来るべき戦に備えよ。武田との決戦の目処が立ったら使いを出す。よいか、休め!」
そう言って追い返された。現代人がこんなに何ヶ月も休むことはまず無職でもない限りあり得ない。
「時間が有り余って、どうしよう。」
紫煙を燻らせながら苦笑いした。風花と料理をするほかは、書物を読み、計略を学び、身体がなまらないように鍛錬の時間を持ち、熱めの風呂に長湯し、新陳代謝を上げ、夜は座禅を組んで精神集中し、集中力を養った。それでも、毎日の多くの時間を持て余していた。
そうこうしているうちに年は暮れ、あっという間に正月を迎えた。天正三年(一五七五年)の正月は、この数年には珍しい豪雪で始まった。甚兵衛と協力して雪下ろしをしないと屋敷がつぶれるかと思ったくらいだ。しかし、この雪をかき集めて釜に突っ込み、風呂には何度も入れるようにした。湯冷めしないように気を付けながらだったが。
忠繁は雪を転がしながら雪だるまを作った。その時には近所の子供達も集まって、一緒になって面白がって作ってくれた。子供達がどうしても二つ作りたいというので、大きな雪だるまの隣に一回り小さい雪だるまを作った。
「忠繁様と風花様の完成!!」
「おいおい、こんなに丸っこくないぞ。」
雪だるまと鎌倉と、そして、鎌倉の上には滑り台を作って子供達を遊ばせた。子供達は初めての滑り台に何度も何度も鎌倉に上っては、滑って遊んでいた。
「あ、風花様!」
風花が屋敷から出てきた。子供達、特に女の子はみんな風花によく懐いていた。風花は領内の女の子達を集めては、料理や裁縫を教えている。寧々がいなくなってから寂しそうにしていたが、今ではたくさんの後輩に囲まれているようだ。
すると、風花が女の子達と一緒に何か相談をしていたが、やがて小さめの雪だるまを作り、二つの雪だるまの間に置いた。
「風花、それって?」
忠繁が聞くと、風花は頬を紅くして嬉しそうにお腹をさすった。
「まさか。」
「はい。稚児(やや)ができました。」
「本当か!」
忠繁は思わず風花を抱き上げた。
「忠繁様、みんなが見ております!」
「やった。やったな! 大事に、大事にしてくれ。」
「はい。」
風花の懐妊の報告に、忠繁の心は一気に明るくなっていった。失われる命あれば、生まれてくる命もある。風花の身体に芽生えた小さな命は、忠繁がこの時代にいるなによりの証だった。冬空の太陽が暖かな日差しを降り注ぎ、二人の間にできた新しい命を祝福してくれた。
第六章へ続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
将軍家、浅井・朝倉連合との戦いの決着。
そして長島願正寺など、
盛りだくさんの第五章でした。
第六章では、
戦国時代といえばこの人たち!
という方と忠繁のエピソードをご紹介します。
どうぞお楽しみに!




