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第一章 戦国時代④

 数日後、いよいよ今川の攻撃が始まったらしく、遠くで煙が上がっているのが見えた。この時代は高い建物が無いため、四キロ先の鷲津砦や丸根砦の煙がよくわかった。忠繁は光秀と共に、高台に出てその煙を眺めていた。


「砦を攻めているのは、松平元康(まつだいらもとやす)と朝比奈泰朝(あさひなやすとも)の軍勢だそうだ。」

「松平元康様は、かつて織田家に人質になっていた方ですね。」

「ようご存知じゃな。当時は竹千代殿と申して、信長様の良い遊び相手だったそうじゃ。戦国の習いとはいえ、お二方とも心中複雑であろうな。」


 秀吉はそう言いながら、周囲を見渡した。予定では、もうすぐここへ今川義元が来るはずである。進物は桶村の住民達がすぐに引き渡せるように今か今かと待っていた。この時代の人達は至極素直だ。領主である信長の命令とはいえ、よそ者の光秀や忠繁を受け入れ、農作業を一緒に、それも少し一生懸命やればすぐに仲間として受け入れてくれる。義元が来た時に進物を用意するのも、信長が義元に降る考えであるという話を、何の疑いも抱かずに受け入れたのだ。忠繁は純粋で純朴な時代だと感じていた。


「お、参りましたぞ。」


 光秀が指さす方向から、鎧に身を包んだ兵士達がぞろぞろと歩いてきた。普段は農民なのであろう、陣傘だけ身につけた者、胴丸は付けているが、それ以外はぼろをまとっている者、自分が見るドラマの軍勢は、なんと整った軍勢かと、忠繁は現実とドラマの乖離に妙に感動していた。実際の農民を混ぜた軍勢など、こんなものなのだろう。


 三人は村人達のところへ戻ると、街道を進む今川の軍勢をやり過ごしながら、声をかけるタイミングを狙っていた。そして、その中にいる一際立派な身なりの騎馬武者が通りかかった時、秀吉が前に歩み出てひれ伏した。おそらく、今川の侍大将なのであろう。


「へへぇ! 今川様の軍勢とお見受けいたしやす。」

「なんだ貴様は?」

「へぇ、この近くの村の者です。これからこの地を治められる今川様に、ささやかながら進物をご用意いたしました。伏して、ご笑納いただけましたら、村一同、恐悦の極みに存じ上げまする。」

「ほほう、それは殊勝な心がけ。よかろう、義元公に報告いたそう。まもなくここを通りかかられるゆえ、声でもかけてもらうがよい。」

「へへぇ。」


 秀吉に習い、忠繁も光秀もひれ伏した。騎馬武者はそのままかけ去っていった。そのまましばらくひれ伏しながら待っていると、神輿に乗った武将がこちらへ向かってきた。取り巻きの兵士達は鎧に身を包んでいるが、神輿の男は公家の格好をしていた。忠繁は、晩年の義元が公家かぶれとなって、公家のまねごとをしていたという逸話を思い出した。


「忠繁殿、わかっているとは思うが、義元がいいと言うまで顔を見てはいけませぬぞ。その場で無礼討ちに遭います。」


 光秀がそう言って忠繁をつついた。慌てて忠繁はひれ伏しなおし、地面に額を付けるくらいに頭を下げた。改めてそう言われると、自分がなんとも危険でギリギリのことをしているのかという実感が沸き、すぐに緊張で汗だくになった。


「止まれ。」


 少し甲高い声がした。おそらくそれが義元の声なのであろう。その声と共に、軍勢の動きが止まった。しばらく、妙な沈黙と緊張感が辺りを包み込んだ。


「その方らか、進物を用意してくれたそうじゃな。」

「へぇ。今川様が京に上られると聞き、村を上げて用意いたしました。どうか、皆様でご笑納いただければ、至上の喜びでございます。」

「ほほほ、殊勝なことよのぅ。これ、大儀である。面を上げぃ。」

「へへぇ。」


 三人はそれぞれ顔を上げ、神輿の上の義元の顔を見た。おしろいを塗ったその顔は、街道一の弓取り武将ではなく、本当に公家のようだった。大した身長ではないが、しっかり腹に脂肪を蓄えた姿は、時代の流れに沿って肥えていった管理職のような雰囲気があり、忠繁は笑いそうになるのを必死に堪えた。


「その方らの心づくし、義元感激したぞ。せっかくの馳走じゃ。この先で休憩し、兵士達に分け与えよう。」

「へへぇ! ありがとうございまする。」


 秀吉に合わせ、再び二人は頭を下げた。


「しかし。その方、ほれ、真ん中の面白い頭をしたやつ。そなたは大きいのう。本当に農民であるか?」


 その言葉を聞いて、忠繁や光秀達の背筋に嫌な汗が流れた。ここで農民でないことがばれれば、間違いなく首をはねられるはずだ。


「あの、この者は・・・。」


 秀吉と光秀が言葉に詰まると、忠繁は再び顔を上げ、満面の笑みを浮かべると、後ろ手に頭をかいた。


「面目ございません。背ばっかりデカくなるもので、みんなにも木偶の坊とバカにされるんでさぁ。人間、太る痩せるはできるみたいですが、背を低くはできないみたいで、恥ずかしいこってす。いやぁ、お恥ずかしい。義元様の前で、いやぁ。」


 そう言いながら、忠繁は頭をかき続けた。


「ほほ、さようか。」

「へぇ。ロクに働きもしねぇのに、食うは人の倍だもんで、一度寺に入れられたんですが、逃げ戻ってまいりました。剃った髪がようよう伸びてこの感じでございまさぁ。」


 おどける忠繁に、義元は気を良くしたようだ。腹を抱えて笑い出した。


「ほほほ、面白いやつじゃ。うむうむ、この義元が天下に号令をした暁には、この村が困らぬよう計らってやろう。」

「へへぇ。ありがたき幸せにございまする。」

「どこか、休める場所はないか。」


 この時、歴史は動いたと言えよう。義元は、あろうことか自分から死地を指定させようとしている。内心、もろ手を上げて喜んでいる秀吉が、これ幸いと桶狭間を案内した。


「へぇ。この先に桶狭間という場所がございます。そこでしたら広さもあるゆえ、皆様ごゆるり休めるかと存じ上げまする。」

「桶狭間じゃな。わかった。進物はそこへ運べ。」

「へへぇ。すぐにご用意いたしやす。」

「ほほほ。進め! 桶狭間で休息を取り、大高城へ参ろうか。」


 平服する三人を残し、義元は笑いながら出発していった。軍勢が通り過ぎると、三人の行動は早かった。


「それがしは村人に進物を運ぶように指示をしたら信長様に報告に参る。十兵衛殿、忠繁殿、此度はかたじけのうござった。」

「藤吉郎様も、どうかご武運を。」

「うむ。忠繁殿、とっさの農民ぶり、お見事でしたぞ!」


 そう言うと、秀吉は村人達に指示を出しに走っていった。その足の速さに忠繁は目を見張った。


「信長様が馬で駆けるのに付いていかなくてはならぬ。さすがに早い脚じゃな。」

「本当に。」

「それにしても、藤吉郎殿の申す通り、なかなかの役者ぶりでしたぞ。」


 光秀の言葉に、忠繁は微笑んだ。



 二人は権蔵と合流すると、桶狭間の見える高台に移動した。頃合いの木を見つけると、三人はそれぞれ上って桶狭間に集まった義元の本隊を見下ろした。忠繁にしては何十年振りであろうかの木登りである。恐る恐るようやく腰を落ち着けられる位置に登ったころ、先ほどまで晴れていた空が、まるで何者かが呼び寄せたように暗くなり、遠くで雷鳴が聞こえるようになった。そして周囲が湿気を帯び、雨の匂いを感じ始めたころ、ぽつぽつと、一粒、また一粒と大きな雨粒が落ちてきた。それはあっという間に辺りの視界を遮るほどの土砂降りに代わり、光秀と忠繁は身動きができなくなった。


 雨音で周囲が遮断された中、忠繁は木々の合間から一瞬だけ騎馬武者の姿を発見することができた。二人のいる木からほんの少し離れたところを騎馬隊が通り過ぎているようだ。その先頭に立つ若者は、他の者よりも見事ないでたちで、忠繁にはそれが信長であることがすぐにわかった。騎馬隊の数はざっと見て五〇〇騎が、おそらくこの土砂降りで忠繁達には全く気が付いていないようだった。と、いうことは、当然、義元も信長の接近には気が付いていないはずである。


 織田勢が通り過ぎると、まもなく前方の義元本陣から、怒号や悲鳴が雨音に交じって聞こえてくるようになった。永禄三年(一五六〇年)五月、尾張の田舎領主だった信長の名前を、一気に全国区へ押し上げた大事件、「桶狭間の戦い」が始まったのだ。



 少し前、熱田神宮で必勝祈願をした信長は、集まった兵達の前に立つと、一度、全体を見回したのち、激励の言葉を発した。


「よいか。義元は農民から配られた進物を食べるために桶狭間に駐屯している。敵は四〇〇〇〇の大軍勢といえど、義元本隊は五〇〇〇にも満たぬ。我らが全軍は三〇〇〇、数では劣るが、酒の入った敵兵と、意気の上がるそなた達とでは話にはならぬ。心して戦え!」

「「おおーっ!」」

「敵は斬り捨てにて、首など取ろうと思うな! 首を取る暇があるのであれば、一人でも多く斬り殺せ!」


 信長は秀吉が綱を引く馬に跨ると、


「行くぞ! 目指すは義元の首ひとつ!!」


 そう言って、自ら先頭に立って兵を率いた。その後は粛々と裏道を桶狭間へ進んだ。この道は、信長が尾張の野山を駆け巡っていた悪童時代に把握したものだ。付き従った重臣達でさえ知らない道を進み、いよいよ、義元本陣に近い位置まで移動した。


 茂みから覗く義元本陣では、にぎやかに小宴会が開かれていた。兵士達は義元の許しで昼間から酒を飲み、桶村や周辺の村人達が作った握り飯や魚を頬張りながら大いに騒いでいた。中には具足を外しているものさえ見受けられた。見込み通り、大いに油断しているのであろう。義元も幕舎の中で酒を飲み、好物である焼き魚を食べていた。


「この魚は美味であるな。何の魚か?」

「ははっ。ヤマメとうかがっております。」

「駿河では海魚が主だが、川魚もよいな。」


 義元はご機嫌で次の魚に手を伸ばした。これで四匹目だ。


「殿。あまり食べ過ぎると、また腹を下しますぞ。」


 近習の松井宗信(まついむねのぶ)が声をかけたが、


「美味い物は美味いのじゃ。」


 そう言って義元は聞き入れようとしなかった。宗信はため息を吐きながら、義元に付き合って魚にかぶりついた。今川と織田では多勢に無勢、負ける要素など何もないと考えていた。今川兵の誰もが、それが最期の晩餐になろうとは、まさか夢にも思っていなかったのだ。


 やがて幕舎を細かく叩くような音が聞こえてきたかと思うと、それは不規則な旋律を奏でながら轟音となって辺りに響き渡った。


「ふふ。降り出したか。」

「え、なんと?」

「雨が降り出したと言ったのじゃ!!」


 すぐ隣に立っていた宗信との会話も困るくらいの大雨だった。やれやれといった表情を浮かべ、義元は酒を煽ると、五匹目の魚を手に取った。



 信長は雨が降り始めると、それを避けようと木々の下などに右往左往する今川兵を見て、それを好機と悟った。


「この雨は天が我らに与えた好機ぞ! 者ども、かかれぃ!!」


 信長は手に取った刀を前に振り下ろした。それを号令に、織田勢は急斜面を駆け降り、目の前にいる今川兵を見付けると、手当たり次第に斬り捨てていった。驚いたのは今川の兵達である。酒が入っていたというのもあるが、突然の豪雨に気を取られ、信長達が近付いたことには微塵も気が付かなかったのだ。


 信長の兵達は、命令通り首を取るようなことはせず、手当たり次第に今川兵を斬っては、次の敵兵目掛けて斬り込んでいった。この混乱の中にあっては、多少の兵力差など関係がなかった。また、信長の兵は武家の次男以下を集め、訓練を積ませた戦闘集団。それに対して今川勢は、戦のために駆り出された農民達が多い。その経験の差も出てしまった。今川勢は散々に蹴散らされ、四散していった。


 信長の小姓・服部小平太一忠(はっとりかずただ)は、義元の幕舎を見付けて斬り込んでいった。


「うぬっ、誰もおらぬか。」


 幕舎の中はもぬけの殻で誰もいなかったが、すぐ近くで騒ぐ声が聞こえたため、幕舎を斬り裂いて奥へ進んだ。そこには、輿に乗って逃げる慌てた武将が、顔面蒼白になって、それを支える足軽達を叱咤していた。


「今川義元公、お覚悟!」


 一忠は刀を抱えると敢然と斬りかかった。輿を支えていた足軽達は、そのままでは斬られると思ったのか、輿を下ろすと我先にと逃げ始めた。


「き、貴様ら!!」


 義元は悪態をつきながら、ずいぶんと装飾の施された刀を抜いた。


「な、何奴じゃぁ!?」

「織田信長様が側小姓、服部小平太。」

「な、なに? 織田だとぉ!」


 驚く義元に、小平太は刀を繰り出していった。切っ先が義元の肩を捕らえ、白い公家装束に血がにじんだ。


「い、痛い! わしを誰じゃと思うておるか! 海道一の弓取りと言われた今川義元にあるぞ!!」


 義元はそう言って刀を振り回したが、一忠は冷静に見切ると、義元の腹部に刀を差した。


「嫌じゃ!」


 義元はその刀をはねのけると、一忠の膝元を斬りつけた。思ったよりも下への攻撃に、一忠はよけきれずに膝に刀傷を負ってしまった。


「小平太、助成仕る!!」


 追いかけてきたのは、同じ側小姓の毛利新介良勝(もうりよしかつ)だった。良勝は義元が体勢を整える前に、その喉元に槍を突き刺した。義元は、胸元に衝撃と熱い痛みを覚え、視線を下ろすと、自分の胸元が真っ赤に染まっていくのを見てしまった。


「ば、馬鹿な。このわしが、東海の覇者であるわしが、尾張のうつけなどに・・・。」


 言い終わる前に喀血すると、義元は前のめりに水たまりに突っ伏した。新助は義元に近づくと、


「御首級頂戴いたす。」


 そう言って腰刀を抜き、義元の首を斬り落とした。そして、首を槍の先に突き刺すと、これ以上ないくらいに掲げて、


「織田信長が側小姓、毛利新介 。今川義元公の首、討ち取ったぁ!!」


 周囲にわかるように大きな声で叫んだ。その時、まるで義元が討たれるのを待っていたかのように雨は止み、晴れ間が差し掛かってきたのだった。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/

「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、

ぜひ高評価お願いいたします!


また、周りの方にもおススメしてくださいね!


ついに今川義元を討ち取った信長、

それを見届けた忠繁と光秀は、

一路、美濃国明智の庄を目指します。


明智の庄では、忠繁の運命の出会いが待っています。

お楽しみに!


水野忠

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[良い点] はじめまして、偶然にもヤフ知恵から赤い糸に導かれてこちらを読み始めました。ド素人のアタクシごときが言うのもはばかり候でごじぇえますが生まれは越後国で南蛮に移り住み歌と機械の心得に励んでから…
[気になる点] 例えば奥方様に名前呼びををするものだろうか。
[良い点] 全体的に読みやすく、面白かったです。 ところどころに漂う情緒がいい味を出しているなと思いました。 [気になる点] >義龍様はよそ者を嫌う傾向が強い。 文章そのものは日本語なのですが少し違…
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