第五章 天下布武へ向けて⑥
年の瀬が近くなり、忠繁は寒さに身を縮めながら湯を沸かし風呂の準備をしていた。下男を新たに雇ったために沸かし方を教えていたのだ。
「熱湯になってかまわないからね。あとで井戸水足してちょうどいい温度まで調節すればいい。」
「へ、へぇ。」
そこへ、慌てた様子で風花が駆け寄ってきた。
「忠繁様。」
「どうした?」
「あの、信長様がお見えです。」
「えっ?」
忠繁は慌てて屋敷の中に入った。部屋の中には信長が座っていて、忠繁のことを待っていた。
「信長様。かようなところまでいかがなさいましたか。御用でしたら、使いを出していただければ、すぐに参上いたしましたのに。」
「なに。遠駆けのついでに寄ったまでじゃ。」
忠繁は信長の前に腰を下ろすと、
「何かございましたか?」
そう言って、信長の用件を聞いた。
「うむ。ちと、相談があってな。」
何とも、歯切れの悪い言い回しだ。信長にしては珍しい。忠繁は首を捻って次の言葉を舞った。
「市の、ことなんじゃが。」
「お市様が、どうかなさいましたか?」
聞けば、小谷城落城後、信長とは一切目を合わさず、声をかけても交わすのは二言三言のみ。
「夫である長政を討ったのはわしじゃ。市がわしと話もしたくないと言うのはわかる。しかし、兄としてこのままというのは少しつらいものがある。」
忠繁はなるほど、と思った。兄妹の悩みを城で話すことはできないだろう。かといって、他に相談する人もなく、思い余ってここに来たということだろう。普段、自分のことで悩みなどは見せない信長だったため、忠繁もなんとかしたいと考えた。
「本来なら、時間が過ぎていくのを待つのが最良だと思います。ただ、一度お市様にお会いしてお話してみましょう。」
「やってくれるか。」
「時間はかかるかと思います。ただ、お市様の心が少しでも休まるように心を砕きましょう。」
それを聞いて、信長は安心したようにうなずいた。
「頼むぞ、忠繁。」
信長はそれだけ言うと岐阜城へ引き上げていった。信長が帰ると、忠繁は風花に事の次第を相談した。
「難しい問題でございますね。私も、もし信長様が兄上で、忠繁様が信長様によって討たれたら、おいそれとは許せません。それは、時間が過ぎても同じことでございます。」
「そうだよなぁ。」
「ただし、一つだけ可能性があるとすれば・・・。」
風花はそう言ってにっこり微笑んだ。
「女は、夫第一でございますが、子供が生まれれば夫は第二です。」
「・・・そうか。万福丸様と万寿丸様、それに茶々様達だな。」
そう言うと、
「風花。ありがとう、藤吉郎様に相談してみる。」
そう言って屋敷を出た。忠繁はそのまま長浜の秀吉の元を訪ねた。秀吉は浅井旧領を任された後、長政の嫡子である万福丸(あさいまんぷくまる)と万寿丸(あさいまんじゅまる)を捜索し、捕らえるように信長に命じられていた。
長浜は築城中で、ここに秀吉の居城となる長浜城ができる。今は仮住まいに秀吉はいた。
「うーん。万福丸と万寿丸の助命か。」
忠繁から事の仔細を聞いた秀吉は、腕を組んで考え込んでしまった。
「禍根を断つために、男子は年齢問わず処刑されると言うのはわかります。しかし、そうすれば、お市様は二度と信長様と顔を合わせることはございますまい。」
「忠繁殿はどうするつもりでござるか?」
忠繁は考えている計画を打ち明けた。それを聞いて秀吉は仕方ない、というようにうなずいてくれた。
「わかったでござる。とにかく、わしは子供らを探すのに全力を尽くすでござるよ。」
「すみません。」
「なに、ほかならぬ忠繁殿の頼みじゃ。この秀吉にお任せくだされ。」
秀吉の返事に、忠繁は安堵した。
岐阜に戻ると、市との面会のために、風花と二人で城下に買い物へ出かけた。岐阜城下は龍興が逃亡した際に町割りを改め、楽市・楽座を取り入れた。街は活気にあふれ、ここで揃えられない物はないのではないかと言われている。
「お子らは三人とも幼いからなぁ。何がいいかな。」
市達に面会するのに、お土産を選んでいたのだ。市には花柄の着物生地と櫛を選んだ。茶々達はまだ幼いために、着物生地のほか、お菓子を用意することにした。
「何か、遊びに仕えそうなものがあればいいのですが。」
そう言うと、風花は街をかけていき、食器などを売っている焼き物屋へ入っていった。そして、店主に何かいろいろと話をして、お金を払うと何も受け取らずに出てきた。
「なにをしてきたんだ?」
「お市様のお子様は姫君三人でございますので、ちょっと。」
風花は意味ありげに笑うと、
「出発の日までにはそろいますゆえ、今日は帰りましょう。」
と言って家路についた。その後、風花は忠繁が出仕している間もせっせと裁縫をして、人形を作ってくれた。その人形は大小五体あり、大きな人形の一人が男で、あとは女の人形だった。
数日後、風花は先日の焼き物屋から小さな食器を受け取ってきた。実用するには小さすぎるその食器の数々を見て、忠繁はようやく人形を作った意図がわかった。
「これ、おままごとの道具だったんだね。」
「はい。姫様達はまだ小さいので、こうやっておままごとをして配膳を覚えていただけたらと思いました。」
「人形は、長政様とお市様、そして姫君三人か。」
茶々達に配膳を覚えさせる練習、そして、亡き長政に対しての陰膳をさせようと言うのだろう。そうすることで、幼い姫達が長政のことをいつまでも忘れず、大切に思うように教育してほしいという願いなのだとわかった。
「よく気が付いてくれた。風花、ありがとう。」
「お市様への訪問、私もご一緒してはいけませんか?」
風花は小牧山にいることも、帰蝶の呼び出しで、寧々や松と一緒に登城している。当然、市とも面識がある。
「そうだな。お願いできるかい?」
「はい。喜んで。」
こうして、風花と二人で清州城へ出向くことになった。
年末になり、忠繁と風花は用意した土産物を持って清州城へ出向いた。
「ふふ。」
「どうした?」
「すみません。こうやって二人で旅をするのは、美濃から清州へ信長様の所に来た時以来だなと思いまして。」
無邪気に笑う風花を見て、忠繁はやれやれと苦笑いしたが、そう言えば、二人で遠出することなんて今までなかったことを思い返した。
「すまないな。忙しさにかまけて、風花をほったらかしにしっぱなしだ。」
「お気になさらないでください。忠繁様が織田家で頑張る姿を見ているのが、風花の幸せでございます。」
「本当、よくできた妻だよ君は。」
二人はゆっくりと三日かけて尾張に入り、宿に出かけることを伝えると、日が沈みかけた夕刻に清州城を訪問し、城主の信包に面会を申し出た。
「軍師殿。殿から書簡をいただきお待ちしておった。」
「お世話になります。お市様の様子はいかがですか?」
「小谷が落ちてからは塞ぎ込んでおったが、ここしばらくは、子供らが心配するからと笑顔を出しておる。じゃが、無理をしているのがわかるだけに不憫でな。わしが心配で声をかけても大丈夫の一点張りじゃ。」
信包はそう言うとため息を漏らした。信包は信長の弟にあたる。つまり、市の兄にもなるのだが、どうやら心を開いているわけでもなさそうだ。
清州城内に通されると、しばらくして市が三姉妹と一緒に部屋に入ってきた。茶々は五歳、初は四歳、江は今年生まれたばかりだ。
「あ、空飛ぶ忍者の忠繁だ!」
茶々はそう言うと駆け出し、忠繁の膝の上に座った。
「少し見ないうちに、大きくなられましたな。茶々様。」
「何といっても、茶々は初と江の姉上じゃからな。」
そう言って胸を張る茶々は、もうすっかりお姉さんの顔になっていた。市にたしなめられ、乳母の元に戻されると、忠繁は改めて頭を下げて挨拶した。
「お市様、ご無沙汰いたしております。」
「忠繁殿、小谷落城の際は世話になった。」
「今日は信長様の使いとして、妻、風花と共に参上いたしました。少し、おやつれになられましたか。」
挨拶を済ませると、忠繁はそう言って市に聞いてみた。小谷城から横山城へ案内した時よりも、顕著に瘦せてしまっている。
「ちゃんと、食事を取られていますか?」
「たいして喉を通りませぬ。」
「それはいけません。しっかり食べねば身体に毒です。それに、お子らが心配します。」
忠繁はそう言うと、信長からの贈り物だと言って着物生地を取り出した。その柄を見て、茶々達も乳母も感嘆の声を上げた。
「こちらはお市様に。こちらの生地は茶々様達に。それぞれ、柄は一緒ですが地色が違います。お揃いで着物を仕立ててください。きっと、お似合いになるはずです。」
それ以外にも、用意してきた品々を献上した。
「お市様。当ててみてください。」
風花はそう言うと、生地を持って市の肩に当てた。
「ほら、お市様は色白の肌が美しゅうございますので、濃紺の生地が良くお似合いです。常におきれいにしてくださいませ。」
「風花殿。着飾ったところで、見せる方もおりませぬ。」
「そんなことはございません。長政様はきっと、いつでも見守ってくださっているはずです。」
風花はそう言ってほほ笑むと、自分の両親が幼い時に死んだことを伝えた。
「今は、幸運にも光秀様に救われ、忠繁様に育てられ、幸せに過ごしておりますが、父も母もきっと見守ってくれていると信じて、いつもきちんとしておこうと心掛けております。」
生地を肩に合わせたまま、
「お茶々様。この生地、母上様にはいかがでございますか?」
そう言って茶々に聞いてみた。
「これを着物にするの?」
「そうでございます。ほら、茶々様達の生地もあるんですよ? 色違いで、母上様と一緒の柄でございます。」
茶々と初は、自分達に用意された生地を見て喜んだ。
「母上様。茶々は、同じ柄の着物が着たいです!」
「着たいですぅ。」
茶々と初の無邪気な姿に、市も微笑んだ。
「では、仕立ててもらうとしましょう。」
「はい!」
風花はにこにこしながら生地をたたみ、木箱へしまった。そして、茶々達に用意した物を送りたいと、大きな木箱から膳に使う食器と人形を取り出した。
「お人形だ!」
茶々と初が喜んで駆け寄る。
「本物は大きくて重いですから、お二人はこれを送らせていただきます。」
「おままごと?」
きょとんとする茶々に、風花は笑って答えた。
「そうですよ。これを使って、お二人は給仕のお稽古をなさってください。ままごとでも練習です。この人形は練習用のお人形ですが、母上様と父上様に毎日の陰膳を差し上げるのです。けっして、忘れてはいけませんよ。そして、いつかきちんと給仕ができるようになって、素敵な女性になってくださいませ。」
「父上にも?」
「そうです。父上様にも、日々の陰膳を用意してくださいね。」
「わかった!」
二人は嬉しそうに給仕練習用のままごと道具と、人形を手に取って遊んだ。ままごとの歴史は意外と古く、文献では平安時代の貴族の子供達が紙人形を作って食事や祭りの真似事をして遊んだのが始まりといわれている。江戸時代に入って庶民にも広まり、現在のままごとに繋がっていくのだ。
しばらく遊んでいた茶々が、思い出したように風花に歩み寄ると、
「父上は死んでしまったそうな。死んでしまうとは、どういうことじゃ? ここへ来てから、父上に会えておらぬ。父上はどこにいるのじゃ?」
そう言って、風花の袖を引っ張った。
「それは・・・。」
困ったように風花は言葉を飲み込んだ。茶々は、まだ長政が死んだことを本当の部分で理解していないのだ。それは、初も同じなのであろう。そろって同じような顔をして風花を覗き込んでいた。
「茶々様、初様。こちらへ来てください。」
忠繁は二人を連れて庭に出ると、両腕に抱き上げて空を見るように言った。
「あそこに、柄杓の形をした七つの星があるのはわかりますか?」
「えー。どれ?」
風花も駆け寄り、空を指差した。
「あそこでございますよ。」
「あ、わかった!」
「初もわかった!」
二人は空を指差した。その先には七つの柄杓の形をした星々、北斗七星が輝いていた。そして、その先には北極星が輝いていた。忠繁のいた令和の時代とは違い、この時代の星はとてもよく見える。それだけ空気がきれいなのであろう。
「水をすくう側の星をまっすぐ下に行くと、一つだけ輝いている星があるでしょう?」
「あった!」
「あれがお父上様ですよ。人は、死んでしまうとね。私達の前からはいなくなってしまうけど、ああやって空のお星様になって、いつでも茶々様や初様を見守ってくださっているんです。話をしたり、触れることはできなくなっても、茶々様達が忘れない限り、お父上はずっと、お空から見てくれています。」
二人はしばらく、北極星を眺めた。
「忠繁。茶々は、父上に褒められるように、給仕の稽古、頑張るから!」
「初も頑張る!」
「ええ。お二人がお市様のように素敵な女性になられますよう、忠繁は楽しみにしておりますね。」
城の中に戻ると、忠繁は茶々達を乳母に任せて別室にやると、市の前に座り直した。
「すまぬな。母として、本当は私からわからせなければいけないものを。」
「お茶々様達に、人の死を理解させるのはまだ早うございます。いつか、嫌でもわかる時が来るのです。それまでは、あれでいいのだと思います。」
「お二人の気遣い、かたじけない。」
市が頭を下げてきたので、
「お、お待ちください。お市様に頭を下げていただくようなことはしておりません。」
慌てて忠繁は話した。市は頭を上げてほほ笑むと、
「風花殿は良い殿方に嫁がれた。私の分も幸せになりなされ。」
そう言ったが、風花は首を振った。
「嫌でございます。お市様にも、幸せになる権利がございます。私だけではなく、お市様にも幸せになっていただきたいのです。」
「風花、やめなさい。」
「お市様の苦しみを何度も考えました。もし、信長様が私の兄で、もし、忠繁様の命を奪ったとしたら、私だって許すことはできないかもしれません。しかし、血の繋がった兄と妹、仲違いしたままでは、誰も幸せになれませぬ。」
そう言うと、風花は市の手を取り、
「今は無理でも、いつかはまた、信長様と笑顔で話す日が来るように。風花はそう願っております。信長様がお市様を心配するように、お市様もまた、信長様のことをお慕いしていることを、風花は存じております。」
そう言ったのだった。帰蝶達と一緒にいる時に、お市が信長の話を良くしているというのは聞いたことがあった。つまり、それだけ兄妹仲は良かったはずである。
「今は無理でも、ですか・・・。」
「はい。」
風花のまっすぐな目に、市もいつしか穏やかな表情になっていた。
「お市様。今日、ここへ来たのは贈り物をするためだけではございません。」
忠繁は、秀吉から届けられた書状を差し出した。
「秀吉殿からの書状?」
そこには、小谷城下の寺に逃げ隠れていた長政の長男の万福丸と次男の万寿丸を見付け、秀吉が保護したということ、信長の許しを得て、いずれ二人は僧になって長政や久政はじめ、浅井家のために戦って散っていった者達の菩提を弔うと書いてあった。
「信長様は、長政様のご嫡男の命まで取ろうとは考えておりません。落ち着いたら、お市様との面会も叶うであろうとおっしゃっております。」
万福丸と万寿丸は正確にいえば市の子ではない。長政の側室の子であったが、生母が急死したため、市が自分の子のように育ててきた。行方がわかっていなかったために心配していたのだろう。二人の生存を聞いて安心したのか、涙を流し始めた。
「二人は、助かるのですね。」
「はい。信長様の名において、お二人の命は保証されています。」
「ああ、よかった・・・。本当に良かった。」
市に本当の意味の笑顔が戻る日はまだ先の話かもしれないが、小谷城を出てからもずっと気にしていたことが、一つ解決できたのだ。
小谷城落城後、万福丸と万寿丸は捕らえられたが、僧になって浅井家の菩提を弔うと聞き、信長は二人を見逃した。そこには忠繁からの提案で、市への配慮が込められていた。万福丸は不幸にもすぐに病で早世してしまうが、万寿丸は僧となり、名を『正芸』と称して、近江国の福田寺の住職になっていく。
「忠繁殿、風花殿。今すぐには無理ですが、お二人の気遣いに報いるよう、時間がかかっても、兄上を許せる日が来るように、私は努力をしてみたいと思います。」
清州城での面会が終了し、忠繁と風花が帰路につく際、市はそう言って二人に頭を下げてきた。今すぐには無理かもしれない。しかし、市と信長が歩み寄ることで、いつかはわだかまりが溶けるのではないかと二人は考えていた。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
市と信長のために心を砕く忠繁。
二人が和解する日が来ることを祈りたいです。
次回もどうぞお楽しみに!
水野忠




