第五章 天下布武へ向けて⑤
こうして、織田包囲網は崩れ去り、元亀争乱と呼ばれた怒涛の三年間が幕を閉じる。これにより、信長は尾張、美濃、畿内に加え、近江、若狭、越前を完全に手中に収めた。市は岐阜に入った後、信長と面談した結果、子供らを伴って生まれ故郷である清州へ移動し、信長の弟である織田三十郎信包(おだのぶかね)に預けられる。
一方、三年もの間、浅井家の抑えとして横山城を守り、小谷城攻めにも大きく貢献した秀吉は、
「木下藤吉郎秀吉に、浅井旧領をそっくり与える。」
信長のこの一言によって、北近江一二万石を預かる大名となったのだ。農民から身を起こした秀吉の大きな出世の瞬間であった。寧々はじめ家族を呼び寄せ、一緒に暮らすことも許された。今で言う、単身赴任がようやく終わったのだ。
岐阜城下、秋も深まった今夜は、北近江の大名になった秀吉の送別会が行われていた。この後、北近江にある長浜に城を築き、そこを居城としていく。秀吉はこれを機に、寧々だけでなく母親である仲(なか)や、親戚から未来の武将達を集めるのであった。その中には、後の名将である大谷吉継(おおたによしつぐ)、石田三成(いしだみつなり)、福島正則(ふくしままさのり)、加藤清正(かとうきよまさ)などがいた。
「藤吉郎様。おめでとうございます。」
「忠繁殿! そなたがこれまでにたくさんの策を授けてくれたからこそ、今のわしがあるでござる!」
「そんなことはございません。すべて藤吉郎様が一生懸命に働いた成果です。」
忠繁の言葉に、秀吉は忠繁の肩をバシバシ叩きながら、
「そなたは誠に謙虚な男でござるな。」
そう言って嬉しそうに酒を煽った。今夜は、秀吉と寧々、仲だけではなく、忠繁と風花、前田利家と松が集まっていた。利家は赤母衣衆であったが、年明けから勝家の与力として北陸の制圧に行くことになっている。母衣衆とは、信長の直属精鋭部隊のことである。秀吉と利家は信長が尾張のうつけ者と呼ばれていた時代からの付き合いだ。その時から、二人は信長が必ず天下人になると信じて付いてきていた。
「忠繁殿!」
さっきまで利家とどんちゃん騒ぎしていたかと思うと、忠繁の前に急に真顔になった秀吉が手を付いてきた。
「大丈夫ですか? 飲みすぎですよ、藤吉郎様は。」
「忠繁殿。折り入って相談がござる。それも二つも!」
「はぁ、なんでしょうか。」
「一つは、北近江赴任に伴って、名を改めようと思うのでござるが、わしの新しい名を、忠繁殿に付けてほしいでござる! もう一つは、織田家臣の中には、わしの出世を面白く思っていない者もおる。その者達を牽制するために何かいい策はないか教えてほしいでござる。」
そう言って秀吉は肩を組んでくると、
「わしはまだまだ信長様の下で出世していきたいのじゃ。そのためには、普代の家臣団ともうまくやっていきたいのじゃよぉ。」
そう言ったかと思うと、そのまま鼻を垂らしながら寝込んでしまった。
「あらあら、まったく酒癖の悪いのは治らないんだから。」
「寧々様。」
寧々は秀吉の鼻水を手拭いで拭ってやると、嬉しそうに話し始めた。
「この人ね。ずっと忠繁様には感謝していたんですよ。墨俣に城を造った時も、小六殿を焚きつけて成功させてくれたし、金ヶ崎から戻る時も、忠繁様が授けてくださった計略で命を拾ったって。今回の小谷城攻めも、夫の兵達に城攻めを任せるように、信長様に進言してくださったって。」
「藤吉郎様が、そんなことを。」
忠繁は、瓢箪を抱えて眠っている秀吉を見てこれまでの秀吉との付き合いを思い出していた。思えば、この時代に放り込まれ、光秀と共に今川義元を桶狭間に誘い込もうと画策したとき、農民のふりをして助けてくれたのが秀吉だった。それから、忠繁が初めて出仕した時に、真っ先に声をかけてくれたのも秀吉だったし、織田家での生活でも、いつも気にかけて付き合ってくれたのは秀吉だった。
「私こそ、藤吉郎様にはたくさんお世話になりっぱなしです。感謝をしているのはこちらの方ですよ。」
「ん~。お市様、もう飲めないでござる・・・。」
「まぁ。私と言うものがありながら!」
そう言って、寧々は秀吉のおでこを叩いた。全く起きなかったが。
「この人のお市様好きは、昔からだからねぇ。」
「気にならないんですか?」
「秀吉は女好きよ。でも、お市様に対してだけは、なんていうか。」
「憧れ、ですか?」
「そうそうそれそれ!」
夫婦全く一緒の反応だと、忠繁は笑ってしまった。
「では。出世のお祝いと今までの感謝に、先ほどの相談にいっぺんに応えられる良策をお教えしましょうかね。」
忠繁はそう言って笑った。
数日後、秀吉は北近江赴任のあいさつに岐阜城の信長を訪ねた。
「木下藤吉郎秀吉、北近江赴任のあいさつに参上いたしました。」
「おぅ、ご苦労である。」
この日は、北陸制圧へ向かう柴田勝家や、朝倉征伐後、若狭領主となった丹羽長秀、佐久間信盛など、古参の家老達もそろっていた。特に勝家や長秀が秀吉の出世を面白く思っていないようだった。
忠繁は信長の軍師としてそばにいる時間が長くなったが、それは側近達との時間が増えたことを意味する。忠繫も出世こそしてはいるが、所領が増えたわけではなく、あくまでも信長の軍師として側仕えしているため、そこまでやっかみはなかった。しかし、秀吉は北近江を手にしたことで、織田家中では立場こそまだまだ低いが、管轄する領地では一番大きな領土を与えられたことになる。
「この秀吉。北近江赴任に際し名を改めたく、信長様のお許しを賜りたいと考えております。」
「ほぅ、名を変えると申すか。して、なんと改める?」
「はっ。このたび北近江を拝領するにあたり、それがしのこれまでの功績は織田家中にあって、尊敬する諸先輩方のおかげと思っております。まだまだ若輩の身、お許しいただけるのでしたら、柴田様と丹羽様から一字ずつ頂戴し、羽柴藤吉郎秀吉(はしばひでよし)と改名したく存じます。」
驚いたのは勝家と長秀だった。それまで、秀吉の出世を苦々しく思っていた二人が、途端に笑みをこぼした。
「サル。わしらの一字を使いたいと申すか。」
「ははっ。それがしに足りぬものを補いたく、まずはお二方の名を頂戴し、これからも日々、精進していきたいと考えております。柴田様の武勇と丹羽様の政治手腕。この二つを身に付けたく、お名前頂戴したく存じます。」
秀吉はそう言って頭を下げた。
「権六、五郎左。サルの申し出、どうじゃ。」
信長の言葉に、勝家も長秀も頭を下げた。
「わしが一字を使いたいとは光栄な話。この柴田権六、異存はございませぬ。」
「それがしも同じでございます。わが一字、ぜひ使ってくだされ。羽柴殿。」
二人ともまんざらでもないようで、勝家などはあご髭をなでながらにこにことしていた。全く単純な話だが、忠繁は名を大事にするこの時代にあって、自分達の字を使いたいと言われて、悪い気はしないのであろうと考えていた。
「しかし、サル。なぜわしの字が五郎左の下なのじゃ。柴羽でもよかろう。」
ちょっと不満そうになった勝家が意地悪い顔でそう言った。
「申し訳ございませぬ。わが妻が、柴羽と羽柴、丹柴、羽田、いろいろ組み合わせた中で一番響きがいいと申しまして。羽柴にさせていただきました。」
申し訳なさそうに頭をかく秀吉を見て、
「はーっはっはっ! 寧々殿に言われては仕方ないのぅ。尻に敷かれておるな、サルよ。」
勝家は満足そうに声を上げて笑った。
「よし。では、本日より羽柴秀吉を名乗るがよい。今後の働きにも期待しておるぞ。」
「ははっ。」
会合が終わり、忠繁が岐阜城内を歩いていると、後ろから秀吉に叩かれた。
「忠繁殿、助かった。」
「ようございました。藤吉郎様の相談を受けた時、ピンとくるものがございましたので。藤吉郎様にも勝家様にも長秀様にも、気に入っていただいてよかったですよ。」
「本当に、そなたには世話になりっぱなしじゃったな。」
「気になさらないでください。それ以上に、私が藤吉郎様から受けた恩恵は大きいものでしたから。」
ピンと来たと言うのは、あくまで忠繁の知る歴史の中で、秀吉が名前を変えるタイミングだったからと言うだけだったが。
「それぞれの役目があるゆえ、またしばらくは会えぬが、息災でな。」
「藤吉郎様も。また、お会いしましょう。」
「うむ。」
そう言って、秀吉は北近江へ赴任していった。その後も、忠繁のこれまでの戦略などを学んだ秀吉は、北近江の統治もそつなくこなし、やがて中国の毛利討伐の総大将とさらに飛躍していくのである。羽柴の姓は、秀吉が正親町天皇から豊臣姓を与えられるまで使われることになる。
続く。
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秀吉の付けた「羽柴」姓、
今ではあまり聞かないのですがあるのでしょうか?
私の本名はよくある苗字なので、
珍しい苗字には憧れます。
次回は珍しく信長が悩みます。
どうぞお楽しみに!
水野忠




