第四章 元亀争乱⑪
忠繁は浜松城に戻ると、信盛や一益の姿を探した。しかし、二人とも浜名湖方面へ退却していたので、浜松城には戻らなかったとされている。仕方なく忠繁は家康の姿を探した。広間に行くと、家臣に囲まれて家康が震えているのを見つけた。
「殿、いかがなさいますか!」
「間もなく武田勢が攻め寄せてまいります!」
家臣団に囲まれ、次の指示を請われていたが、今の家康は混乱の極みで、まともな精神状況ではなかった。
「何故、わしはなぜ出陣した!」
肩で息をしながら、身体を震わせながら、家康はつぶやいていた。それは、出陣を後悔するものであった。
「意地だけで出陣し、多くの家臣を死なせてしまった。わしの我がままと引き換えにしてよい命であったか? そもそもわしは本当に勝てると思ったのか?」
視点が合わずに虚ろな表情でつぶやく様を見て、忠次はじめ家臣達が家康と距離を取り始めた。気がふれてしまったとでも思ったのであろうか。
「殿・・・。」
「わしは何故、信玄に挑んでしまったのじゃ。」
「殿ぉ!」
「もう、何もかもおしまいじゃ。」
「しっかりなさいませ。殿ぉ!」
忠繁は一度大きく息を吐き出すと、徳川の家臣団を押し退け、家康の前に立った。
「家康公、ご免!」
乾いた音が広間に響いた。歩み寄った忠繁がおもむろに家康の頬を張ったのだ。上下関係の厳しいこの時代に、その場で無礼討ちされても文句の言えない行動だったが、家康を正気に戻すにはそれしかないと思ったのだ。
「しっかりなさいませ! まだ、まだ終わっておりません! 家康様、思い出してください! あなたの役割を!!」
忠繁は祈るような思いで家康の肩をつかみ揺さぶった。信長が切り開き、秀吉がその後を継ぎ、そして、家康が終わらせる。この狂った戦国乱世を終わらせる継投の最後を締めるのは家康なのだ。それが、こんなところで死んでいいはずがなかった。
「わしの、役割・・・。」
「そうです。あなたの役割です。戦国乱世を終わらせるんでございましょう!?」
「・・・そうじゃ。信長殿と共に、この戦国乱世を終わらせるのは、わしの役割じゃ。」
ようやく、家康の焦点が忠繁に合わさった。そして、元の家康の顔つきに戻っていった。
「忠繁殿。かたじけない、わしはもう大丈夫じゃ。」
家康の笑顔を見て、忠繁は全身の力が抜けるような感じがした。そして、そのまま座り込むと深々と頭を下げ、
「ご無礼を仕りました。」
と、心の底から詫びた。しかし、家康はしゃがみこむと、忠繁の手を取って立ち上がらせた。
「何が無礼なものか。そなたはわしを正気に戻してくれた恩人ぞ。」
そう言うと、安堵している家臣団に、
「武田はすぐに来る。籠城の準備を急げ!」
そう指示を出していった。城に戻ったのは五〇〇〇程度の兵達である。その誰もが疲れ切っているはずだ。
「忠次!」
「はっ。」
「握り飯じゃ。」
「はっ?」
「握り飯を作らせよ。味噌をたっぷり塗って、皆に振舞え。腹が減っては戦はできぬ。」
「ははっ!」
家康の命で、すぐさま米が炊き出され、味噌握りが作られた。全員が二つずつ、都合一〇〇〇〇個のおにぎりを作るのも大変なことであったであろう。城に逃げ込んできた農民達から味噌握りを受け取ると、忠繁は家康と共にそれを頬張った。香ばしい味噌と甘みのある米が混ざり合って、何よりのご馳走に思えた。
「戦時中ゆえ、このような物しか出せずにすまぬな。」
「いえ。しみじみ、美味いなと思っておりました。」
「はは、そなたも味噌が好きか。」
「はい。味噌握りも味噌汁も、おでんに付ける味噌も好きでございます。」
もっとも、この時代のおでんと言えば、豆腐に味噌を付けるものくらいであったが。一度、風花が作ったものを美味しく食べたことがあった。
「霞北和泉守殿、そなたに知恵を借りたい。この状況、どうやって打破すればよいか。」
家康が神妙な面持ちで尋ねてきた。
「しかし、私などの意見など・・・。」
「かまわぬ。三河武士はその忠義においては日本一じゃが、策を考える軍略家はおらぬ。信長殿の軍師とも言えるそなたの知恵を貸してほしい。」
忠繁は広間を見回した。徳川普代の武将達が、真剣な面持ちでこちらを見ていた。三河武士は忠義の犬と言うが、主君である家康が全面的に信用した忠繁のことを、家臣は何の疑いもなく信じているのだ。忠繁は一か八かで、昔読んだ物語の作戦をそのまま使ってみることにした。
「城門を、すべて開け放ってください。」
「うん?」
「そして、城門を掃き清め、出せるだけのかがり火を焚いて、この浜松城を闇夜に浮かぶ光の城のようにしてください。」
忠繁の意図がわからず、家康も家臣達も目を丸くしていた。
「酒井様、本多様。戦える方は外から見えない位置に配置し、もしも敵が城内に入ってくるようでしたらこれを討ち果たしてください。上手くいけば、この戦いを終わらせることができますし、仮に上手くいかなくても、城内に入ってきた敵の先鋒隊を討ち取ることはできます。その時は、最期まで戦い抜きましょう。」
いまだに意図はつかめていないようだったが、忠次は不敵に笑うと、
「そうじゃな。どのみちこのままでは落城は必至、ならば、三河武士の意地、存分に見せつけてやろうかの。」
そう言って立ち上がった。
「そうじゃ。武田勢がどれだけ攻め寄せようと、この蜻蛉斬りで突き崩して見せようか。」
忠勝もそう言って立ち上がると、兵士達の配置とかがり火の準備に向かっていった。
「家康様。あの鼓をお借りしてもよろしいでしょうか?」
忠繁が指差したのは、酒宴の時に使う鼓であった。
「ああ、かまわぬが。」
「では、お借りします。」
忠繁は鼓を持つと、広間を出て城門前に移動した。忠繁が城門までやってくると、忠次達の指示で方々にかがり火が焚かれ、まるで昼間のように明るかった。忠勝は精鋭達を連れて、城門の陰になるように兵を配置し、外から攻め込まれたときに一斉に仕掛けられるように準備をしていた。
「武田勢が見えました!」
物見櫓からの報告で、忠繁は城門前の広場に行くと、鼓を肩に担ぎあげた。
「ぃよぉ~!」
そして、鼓を一回打った。その後も、掛け声とともに鼓を打ち、その音は城内外に響き渡った。忠繁の掛け声と、鼓の音、そして、時折聞こえるかがり火の爆ぜる音以外は何も聞こえなかった。幻想的とも言えるその光景に、本丸から見下ろしていた家康はしばらく見とれた。
武田勢はと言えば、浜松城の城門前に兵を整列させ、いつでも戦える配置についていた。そして、かがり火のおかげで忠繁からもその姿が見えていた。このままなだれ込まれれば、命はないかもしれない。その恐怖心はあったが、それでも掛け声を上げ続け、鼓を叩き続けた。
「・・・っ! 武田勢が。」
どのくらいの時が過ぎたであろうか。月が雲に隠れ漆黒の夜陰が訪れた時、静かに武田勢が退却を始めた。忠繁はその姿が完全に見えなくなるまで鼓を打ち続けた。やがて、鼓を打つのを止め、天を見上げながら大きく息を吐くころには、武田勢は浜松城前から完全に姿を消していた。
「酒井様。もう大丈夫でしょう、念のため城門を閉めて守りを固めてください。」
「おぬしは、物の怪か何かか?」
いまだに訳が分からず、キツネにつままれたような顔でそう尋ねてきた。
「はは。狙い通りに行き、よかったですよ。」
「忠繁殿!」
本丸から家康が降りてきたのだろう。息を切らせながら駆け寄ってくれた。
「本当に武田勢は戦わずに引き揚げていったぞ。そなた、いったいどんな妖術を使ったのじゃ?」
「空城の計です。」
「くうじょうのけい? それはなんじゃ?」
「中国の・・・。いえ、明の国の歴史で、蜀の諸葛孔明が、魏の司馬懿仲達に大軍をもって攻められた際、城を開放してその中央で琴を弾いて相手の動揺を誘ったという計略があります。策略家でもある司馬懿は、孔明に策ありと疑って、圧倒的有利だったにもかかわらず、戦わずして兵を退いたのです。武田勢はこの後、信長様との決戦を控えています。無駄に兵は損じたくないはずです。その上、攻め寄せた浜松城は城門を開放して煌々と明るく照らされていたため、何か策があって伏兵や罠があるのではないかと疑ったのです。今日の戦いで徳川勢は痛手を受けました。手負いの徳川勢を攻めて無駄に兵を損ずるよりも、尾張に進むことを優先したのでしょう。」
そこまで説明すると、家康は忠繁の手を取り、
「そなたは稀代の名軍師じゃ。さすがは信長殿の軍師!」
そう言って褒め称えた。かくして浜松城へ押し寄せた武田勢は、戦うことなくして兵を引き揚げた。そして、遠江の刑部で年を越し、翌年早々に三河の野田城を包囲しこれを落城させるが、三月に入りその進軍を停止させ、中旬には信濃路から甲斐へ向けて引き上げを始めたのである。家康は各地に忍びを放ち、情報収集にあたったが、信玄に何かあったということは掴めたが、何が起きたのかはわからなかった。
忠繁は信玄が上洛の途中で病没することを知っていたが、それを話せるわけでもなく、四月に入る前に家康に願い出て、岐阜へ引き上げることにした。
「長らくお世話になり、ありがとうございました。」
「いや。三方ヶ原の戦いの後、速やかにお返ししなくてはならぬところを、信長殿の計らいもあって残ってもらい助かった。礼を申すぞ。」
「少しでも力になれたならよかったです。」
「おぅ。そなたに叩かれた頬の痛みは生涯忘れぬ。」
左頬を撫でながら、そう言って家康は笑った。
「いや、本当に。徳川家のご主君の頬を叩くなど、本来ならばあるまじき行為。斬り捨てられても文句は言えません。それを笑って許してくださる家康様の懐の深さに、ただただ感謝申し上げます。」
「なにをいう。そなたがいなければ徳川はとうに滅んでおった。この礼は後日改めてさせていただく。また、織田殿と共に戦うこともあろう。それまで達者でな。」
「はい。家康様も、どうかお元気で。」
元亀四年(一五七三年)三月末日、半年近く滞在した浜松城を後にし、忠繁は岐阜へ帰参した。間もなく信玄が病死し、そのために武田勢が甲斐へ引き揚げたことが判明し、義昭の画策した信長包囲網の主力が崩れたことになった。信長の生涯で最も危険であったこの元亀争乱をようやく乗り越える目処が立ったのだ。そして、信玄の死を確信した信長は、いよいよ天下統一へ向けて反撃に移ることになる。
第五章へ続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
作者の水野忠です。
家康の危機も救った忠繁。
いよいよ信長の天下布武に向けて歩き始めます。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
では、次回もよろしくお願いいたします。
水野忠




