第四章 元亀争乱⑧
信長は浅井・朝倉連合軍牽制のため、また、比叡山攻めなどの論功として、光秀に近江坂本の領地を与え、城を築くように指示した。これにより、織田家での光秀の地位は群を抜いて大きくなったのである。
忠繁の計らいで生き残った坂本の人々は、新たな領主として赴任した光秀と、自分達を守ってくれた忠繁が親しいのを知り、街造りや城造りに率先して手を貸したという。
一方、比叡山攻めを義昭に報告した信長は、余計な書状を出さぬようにさらに厳しい一七条の書状を突き付けたという。義昭は憤慨したが藤孝らになだめられ、その場は事なきを得た。しかし、これで義昭と信長の関係は決定的に破綻したと言ってもよい。
岐阜に戻った忠繁は、信長から呼び出しを受け、岐阜城へ登城した。
「忠繁、参りました。」
「おぅ、待っていたぞ。」
忠繁は広間の中央、信長の前に腰を下ろした。
「坂本城築城はどうじゃ?」
「はい。坂本の町民達が良く働いてくれていますので、滞りなく進んでおります。秋には完成するでしょう。」
「そうか、大儀であった。忠繁、比叡山攻めに際しては、サルや光秀が世話になったそうじゃな。」
「いえ、私は何もしておりません。信長様の計らいで、戦いにも参加せず、誠に情けない限りでございました。」
「しかし、よくわしの考えを察してくれた。今、坂本が治まっているのはそなたの功績が大だと思っている。今日は褒美を用意したので受け取れ。」
信長は小姓に命じ、忠繁の前に一振りの刀を用意した。
「可成の十文字槍を作った刀匠、関兼定(せきかねさだ)に打たせた。そなたの刀は姉川でわしを守るために折れてしまったからな。その刀をつかわす、これまで以上に励め。」
「ははっ。ありがとうございます。」
忠繁は受け取った刀を持ち、信長の許しを得ると鞘から刀身を抜き出した。白銀に輝くその一刀は、忠繁の腕にもよく馴染み、重すぎず軽すぎず、不思議な持ち応えであった。また、重厚さはあるが、刀身の刃文も独特で、これが人を殺すための武器であることを忘れてしまうような美しさがあった。
「このような素晴らしき刀を、ありがとうございます。名工と名高い兼定様の一刀となれば、これは霞北家の家宝になりましょう。この刀、名はございますか?」
「そうじゃな。忠繁は突然わしの前に現れ、その力は掴みどころがない。霞のようでもあり、霧のようでもあり、しかし、その存在は確実に時代を推し進めることに一役も二役も買っておる。うむ。『時霞』(ときがすみ)と言うのはどうじゃ。」
「時霞・・・。霞北家の字もあり、よい名でございます。この時霞と共に、これからも織田家のために尽力したいと思います。」
「うむ。」
関兼定の技術は後世にも伝えられ、この後、江戸時代末期にも伝えられていくことになる。『和泉守兼定』(いずみのかみかねさだ)などは、新選組副長としても知られている土方歳三も愛用した。
秋になり、坂本城が完成する頃、岐阜城の信長の元に家康から救援を求める使者が相次いだ。この頃の信長は、包囲網の各将から攻め立てられ、戦力を分散し、打開策が出ないまま厳しい毎日を過ごしていた。そして、ついに甲斐の虎・武田信玄が織田家との同盟を破棄して上洛の兵を挙げたのである。この時の甲斐は、上杉家との戦などで鍛えに鍛え抜かれた精鋭達で、特にその騎馬隊は全国でも類を見ない強さを誇っていた。まさに戦国最強と言える。信長が最も恐れていた信玄の侵攻が始まった。
時を同じくして、畿内でも混乱が強まる。義昭の要請を受けていた大和国(現在の奈良県)を守護する松永久秀が反旗を翻し、信長包囲網に加わったのである。ここに、将軍・義昭が画策した信長包囲網がついに完成したのだ。しかし、岐阜の信長はまだそのことに気が付いていない。
京、将軍御所。
「なんですと!?」
藤孝はあまりのことに身を震わせた。
「何度も言わせるな。松永久秀が我が檄に呼応し、信長に反旗を翻した。甲斐の武田信玄も上洛の兵を挙げたし、浅井朝倉連合、本願寺一向宗に雑賀衆。ここに余の信長包囲網は完成したのじゃ。はーっはっはっ! 信長ぁ、死ねぇ。早ぅ死ねぇ。」
義昭は小躍りして喜んだ。
「お言葉ながら義昭様。松永弾正はあなた様の兄、義輝公を殺害した張本人ですぞ。兄の仇を味方に引き入れたと申すのですか。」
「くどいぞ藤孝! 昨日の敵は今日の友と言うであろう。兄上を討ったのは確かに松永じゃが、それよりも信長を成敗する方が先じゃ! 信長が片付いた後で、ゆっくり松永の罪を問えばよいではないか。」
そのあまりの節操のなさに、これが征夷大将軍かと藤孝はあきれ果てた。そして、そのような主君に仕えている自分を恥じた。
「これは一大事だ。」
藤孝は小躍りする義昭をよそに、執務室へ戻ると一枚の書状をしたためた。そして、配下の者を呼びつけ、
「至急、これを岐阜の信長様にお届けするのだ。」
そう言って送り出した。
信長は、何とか事態を打破したいと考え、五〇〇〇〇の大軍をもって小谷城を攻めたが、信玄が来るかもしれないと思うと強気な城攻めができなかった。この時には朝倉勢も援軍に来たが、すぐに大嶽砦に立てこもったために、これにも対処ができなかったのだ。
その間にも、本願寺の指示で一向一揆が各地で起こり、その鎮圧にも兵を割かなければならなかった。まさに四面楚歌と言えた。そんな中での、松永久秀謀反の知らせである。
「裏切ったか、久秀!」
信長は悔しさのあまり叫んだという。同じくして、藤孝からの書状が信長に届き、久秀の謀反が確定した。久秀にどう対応しようか悩んでいるうちに、次の報告が舞い込んできた。
「信長様! 岩村城が落城いたしました!!」
岩村城は美濃の東端にある城で、城主であった遠山景任(とおやまかげとう)の死後、その妻のおつやが城代として取り仕切っていた珍しい城である。おつやは信長の叔母に当たる人物であった。
「岩村城が落ちたか。城代のおつやはどうした。」
「はっ。武田家の重臣、秋山信友と婚姻し、開城したようでございます。」
「な、なに!?」
信長が驚いたのも当然で、このとき岩村城を攻めた武田家重臣、秋山伯耆守信友(あきやまのぶとも)は、城代であるおつやの美貌に一目惚れし、死なせてしまうには惜しいとのことで、自分の妻になれば城兵を助けるという条件を出した。おつやはこれを承諾し、史上まれにみる婚姻開城となったのだ。(諸説あり)
岐阜城では、再三来訪する家康の急使に対応ができず、信長は歯ぎしりして悔しがった。信玄襲来に備えて準備をしてはいるのだが、いかんせん時間が足りなかった。なんとか兵をやりくりし、三〇〇〇ばかりの援軍を用意したが、おそらく焼け石に水と言うのがわかっていた。
「信盛、一益、汎秀。その方ら、三〇〇〇の兵をもって家康の援軍として三河へ行け。」
この援軍に白羽の矢が立ったのが、普代の重臣、佐久間信盛と、かつて信長の教育係として帰蝶との縁談をまとめ、斎藤道三を後ろ立てにした平手政秀(ひらてまさひで)の子・平手汎秀(ひらてひろひで)、そしてのちの織田四天王となる滝川一益だった。
「三〇〇〇でございますか。」
「そうじゃ、今はそれ以上の兵は割けぬ。家康の軍勢と力を合わせ、浜松に籠城すれば早々には落ちまい。」
「しかし、信玄は二五〇〇〇の軍勢とうかがっております。徳川様の兵と合わせてもその半分にもなりませぬ。」
信盛の申し出はもっともなことであったが、これが汎秀ならいざ知らず、重臣中の重臣である信盛の言葉とは思えなかった。
「そうか、では戦わずともよいから行け! 戦が始まったら逃げ帰ればよかろう。『退き佐久間』の異名を持つお前なら、労せず戻ることもできようが。」
『退き佐久間』とは、退却戦が得意な信盛の異名だが、退却戦とはつまり負け戦であるから、忠繁はあまり褒められた異名ではないんだがなと思っていた。信盛はこれ以上の意見は信長の逆鱗に触れると考えたのか、一益と汎秀を連れて出陣の準備に向かっていった。
「忠繁。」
「はい。」
「おまえに無理なことを頼まなければならぬ。」
信長は岐阜城の広間から戸を開け岐阜の町を見下ろした。岐阜城は山中にある城のため、この広間からは角度的にちょうど岐阜城下が眺められるのだ。
「三河へ行ってきてくれぬか? 援軍を送ったところで、信玄に敵うはずもないとわかっておる。しかし、かといって家康を見殺しにはできぬ。籠城すれば勝機も見えよう。」
忠繁の知る歴史の知識では、この戦いで家康が死ぬことはない。信玄は京に武田菱の旗を立てることなく病没し、武田の兵は途中で撤退するのだ。しかし、本当に自分の知る歴史の通りになるのかどうかは、自分がここにいる以上わからないのだが。
「かしこまりました。家康様の元に行き、微力を尽くします。」
「うむ。家康を・・・、竹千代を助けてやってくれ、力を貸してやってほしい。」
「承りました。」
忠繁はそう言うと、広間を出て出立の準備に入った。信盛の話では、明日の朝に岐阜を立つという。一度家に帰り、風花に出陣を告げた。
「三河の家康様のところへ援軍に行くことになった。また、しばらく家を空けることになる。」
「我が家のことはご案じくださいますな。」
「いつも任せっきりですまないな。」
「私が家で好き勝手出来るのは、忠繁様がしっかりお働きなさっているからでございます。岐阜には寧々様もいらっしゃれば、おまつ様もいらっしゃいます。いざとなったら、帰蝶様に相談することもできます。何も心配ございません。それよりも、武田信玄が攻めてきているとうかがっております。忠繁様、どうか、ご武運を。」
おまつは前田利家の妻で、寧々とも風花とも仲が良く、寧々同様、風花を妹のように大事にしてくれていた。帰蝶は時折この三人を岐阜城へ呼び、今でいう女子会を開いてくれることもあるという。
夕食を共にし、その日の夜はゆっくりと休むことができた。そして翌朝、忠繁は身支度を整えると、時霞を腰に差し、下男が準備していた馬に跨った。青鹿毛のこの馬は、時霞と共に信長が与えてくれた名馬で、名を十六夜(いざよい)という。
「忠繁様、これを。」
風花が差し出したのは小さな巾着袋だった。中には風花が幼い時に使っていた黄色い髪留めの紐が入っていた。たしか、煕子が風花のために編んでくれた紐だったとかで、大人になって使わなくなった今でも大事にしていたのは知っていた。
「お守りでございます。どうか、どうかご無事で。」
すがるような思いで風花は頭を下げた。風花でさえ、武田信玄が強敵であることはよくわかっている。まして、その最前線に夫を送り出すのだ。しかし、この時代に行かないでとは言えない。こうやってお守りを渡し、無事を祈るしかないのだろう。
「風花、心配するな。必ず帰ってくるよ。」
忠繁はそう言うと、馬を走らせた。風花を妻にしてもう三年が過ぎていた。おかしいもので、明里との結婚生活と同じ時間を過ごしたわけだが、幼少期から知る風花は、母親を除けば、忠繁の周辺で最も長い時間一緒にいる女性になった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
忠繁達は、家康の援軍のために浜松城へ向かいます。
待ち受ける運命とはいかなるものか・・・。
水野忠




