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時霞 ~信長の軍師~ 【長編完結】(会社員が戦国時代で頑張る話)  作者: 水野忠


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第四章 元亀争乱⑦

 数日後、宇佐山城で秀吉と合流した忠繁は、信長の命を果たすべく比叡山に向かった。麓の坂本の町では、僧兵らしき男達と、普通の農民が行きかっていた。


「ずいぶん僧兵が多いですね。まるで町が大きな寺にでもなっているかのようです。」

「さよう。比叡山の中で暮らすよりも、麓の坂本で暮らした方が楽じゃからな。しかし、我らが攻めてくると知れば、すぐに寺に立てこもるのであろう。」


 二人は麓で面会を求めると、いかつい僧兵に囲まれて山頂の延暦寺へ案内された。僧と呼ぶには屈強過ぎる僧兵に囲まれ、二人とも生きた心地がしなかった。しかし、延暦寺の境内では、僧兵とは違って、細身の僧達が十人ほど掃除をしたりお経を唱えたりしていた。


「延暦寺座主(僧の長)、覚恕(かくじょ)ともうします。」

「織田家臣。木下藤吉郎秀吉、霞北和泉守忠繁でございます。お目通りいただきありがとうございました。早速ですが、主、信長様からの口上を述べさせていただきます。」


 秀吉は、改めて浅井や朝倉に味方をすることを止めることと、中立を保つように依頼した。そして、それが聞き入れられれば、織田領の関係寺社はすべて返却することも改めて伝えられた。しかし、覚恕は黙って首を横に振った。


「木下殿、霞北殿。織田殿の再三の申し出、この覚恕はありがたいと思うております。しかし、もはや延暦寺は私の力ではどうすることもできないものになっております。」


 覚恕はさみしそうに現在の僧兵達の力と、自分達修行に励む僧達の考えの乖離を語った。以前、信長が使者を立てた時に、覚恕は中立を提案したが、僧兵達は断固反対し、あまつさえ戦うための金銭や武器の手配を強要してきたのだという。


「それでは、戦を理由に覚恕様にたかっているのと同じではございませんか。」


 あまりの僧兵達の傍若無人ぶりに、忠繁は腹が立ってしまった。そして、この覚恕という高僧は、延暦寺の中にあっても人格者であることも感じ取ることができた。その証拠に、境内にいた僧達が心配そうにこちらを見ていた。


「織田殿であれば、やると言ったらやるのであろう。開山以来、七〇〇年の間、この根本中堂に灯った不滅の法灯も、いよいよ消える時が来たということじゃ。消えるのであれば、潔くありたいものよ。」


 不滅の法灯とは、延暦寺根本中堂に設置されている。菜種油を浸した皿に灯芯を入れ、それに火を付けるという原始的な方法で灯されている。これは延暦寺の開祖・最澄(さいちょう)が、『仏の光であり、法華経の教えを示すこの光を、弥勒如来(みろくにょらい)様がお出ましになるまで、消さぬようにこの比叡山でお守りし、すべての世の中を照らし続けるように。』と願いを込めたものだという。以来、七〇〇年もの間、この法灯は灯り続けてきたのだ。


「覚恕様。信長様はこの比叡山を焼き払い、そこに新しきものが出てくればいいと考えております。どうか、ここにいる修行僧と共に山を下り、再建に力を入れていただくわけにはいきませんか?」

「そうですな。もし、お願いできるのであれば、ここにいる僧達は、戒律を守り、真面目に修行に励んでおります。彼らだけでも助けてやってほしい。」

「覚恕様は?」

「私には、この延暦寺をここまで堕落させた罪がございます。神妙に、仏の下に参りたいと思います。」


 その後、二人で再三説得を試みたが、覚恕は聞き入れなかった。そして会談は終了し、覚恕は僧達に二人を麓まで案内するように命じた。


「困ったものじゃな。あの様子では死んでも動かぬじゃろう。」


 横山城に戻り、秀吉は腕を組んで考え込んでしまった。


「こうなったら、当日山頂までいち早く駆け抜け、無理やりにでも連れ出すしかございませんね。」

「ふむ、そうじゃな。なかなか難しいが、やってみるでござる。」


 こうして、着々と運命の時間が過ぎていったのであった。



 元亀二年(一五七一年)九月、信長は比叡山を攻めるべく、主要な武将に出陣を命じ、比叡山を攻めるために集結させた。この日、比叡山攻めに集まった織田勢は約二五〇〇〇と言われている。信長の口から比叡山攻めを告げられ、忠繁達のように事前に聞かされていた者、長秀や利家のように薄々感づいていた者、勝家や信盛のように全く気が付いていなかった者、その反応は様々だった。


 光秀は信長の前に歩み出ると、頭を下げてから先陣を申し出た。


「信長様。」

「おぅ、光秀か。今更考え直すようなことはないぞ。」

「いえ、殿のお考えを理解できずに、先日は失礼なことを申し上げました。本日の比叡山攻め、何卒、この光秀に先陣をお命じください。」


 光秀の申し出が意外だったのか、信長は目を丸くして驚いた。しかし、すぐに気持ちを切り替えたのだろう。いつにない冷静で、冷たい視線を向け、


「であるか。では、明智十兵衛光秀、そなたに先陣を任せる。」


 そう指示を出した。


「犬千代(前田利家のこと)はおるか?」

「ははっ。」

「おまえは麓にある聖衆来迎寺へ行き、わが兵達が間違っても火をかけぬように守ってやれ。」

「はっ、聖衆来迎寺ですね。」

「そうじゃ、そこに可成が眠っておる。」

「承知仕りました。」


 利家は手勢を引き連れると、聖衆来迎寺へ向かった。この時、比叡山にある寺社はことごとく焼き払われていくが、聖衆来迎寺だけは、可成を葬った功績により守られたという。


 光秀を先陣として、織田勢は麓にある坂本の町へ向かった。忠繁は部下や久秀から預かった兵達と共に坂本の町に先行し、そこにいる女や子供が戦に巻き込まれないように、町から避難するように案内をして回った。織田勢現わるの報を聞き町は騒然となった。冷静に琵琶湖畔へ逃げるように誘導し、一部、比叡山に駆け込んだ者達を除き、本隊が到着するまでにはほとんどの町民が避難を完了することができた。


 覚恕達のことは光秀に相談済みで、先陣を戦う光秀が覚恕達を保護し、逃がすように手配している。忠繁はこの戦いに参加こそしていたが、信長の命で戦闘には参加しないことになっていた。直経を討ち果たしたことで気落ちしていたことを信長が気にしてくれていたのだ。甘い指示だとわかっているが、信長の気遣いに忠繁は感謝していた。この時代に来て長くなったとはいっても、やはり人を斬り、血を見るのは慣れなかった。


「ここにいれば戦には巻き込まれません。信長様は戦わないあなた方に危害を加えるようなことはなさいません。戦が終わったら、また、元の通りに生活が送れます。」


 集まった町民達を安心させるために、取り乱さないようにと声をかけて回った。


「あたい達、殺されないで済むの?」


 赤ん坊を抱えた女が心配そうに声をかけてきた。赤ん坊は着物にくるまってすやすやと寝息を立てていた。


「この子を大事に育ててください。今日、比叡山は焼き払われますが、この子達が大きくなった時に、安心して暮らしていけるようにしましょう。」


 そうこうしているうちに、比叡山の中腹から火の手が上がった。前線では、山門に立てこもった僧兵達に、光秀の鉄砲隊が一斉に射撃を開始したのだ。間断なく続く銃声と、距離があるはずなのに山中での悲鳴や怒号が聞こえてきた。坂本の町には多くの織田勢が入り込んでいたが、ほとんどの町民がここに集まったために大きな混乱はなかった。


 歴史文献では、比叡山焼き討ちは数時間で終了したという。中腹から延暦寺のある山頂付近までが炎に包まれ、その煙は天高く舞い上がっていった。今日は快晴で風もほとんどない。立ち上った煙は京の町からもよく見ることができるであろう。今頃、二城御所の将軍・義昭はこの狼煙(のろし)を見て震え上がっているかもしれない。



 朝から始まったこの比叡山掃討作戦は、夕方には完了し、山中から勝鬨が聞こえてきた。無理もない。昨年はここに三〇〇〇〇近い浅井朝倉勢が立てこもっていたが、それが引き上げた今、比叡山を守るのは堕落した三〇〇〇ほどの僧兵のみ。そして、薙刀が最新の鉄砲と、十倍近い戦力に敵うはずがなかった。あとで秀吉や光秀から聞いた話では、戦った僧兵達は一人残さず討ち取られ、山中にその屍を累々と横たえたという。


 勝鬨が聞こえてから間もなく、信長が勝家や光秀達と共に兵を引き連れて湖畔にやってきた。返り血を浴びた兵士達の姿に町民達は恐れおののき、やはりこれから殺されるのではないかと震え上がった。忠繁は今一度、町民達に落ち着くように声をかけると、信長の前に出て頭を下げた。


「戦勝、おめでとうございます。」

「たわけ。今日の比叡山攻めに勝敗などはない。初めから勝ちは決まっていた。それよりも、その者達はなんじゃ?」


 信長の冷たい視線に、町民達の動揺が伝わってきた。


「ははっ。ここの者達は、坂本の町に暮らす下々の者でございます。」

「比叡山に関係する者は、すべて殺せと命じたはずだが。」

「はい、それは承知しております。ただ、この者達はただの町人にて、比叡山とは関係ございません。戦えない老人や、女や子供ばかり、これから育っていく者が大半でございます。」

「であるか。」


 忠繁はそう言ったものの息を飲んだ。町民達を助けるということは、信長本人の口から聞いたわけではない。あくまでも、忠繁がこれまでの信長の人となりを見て判断したことだった。勝家や長秀達も緊張しているのがわかった。今回の命令は『比叡山に関係する者をすべて討ち取り、焼き払え。』であるからだ。戦えずとも、ここにいる町民達は少なからず僧兵達に関係している。事実、山門から延暦寺までに残っていた女や子供、非戦闘員もすべて殺された。忠繁の言葉を信じずに山へ駆け込んだ者達だ。


「これから育っていく者達か。」

「・・・はい。」


 信長は忠繁をにらみ付けると、鋭い声でその名前を呼んだ。


「忠繁!!」

「ははっ。」


 だが、信長は笑みを浮かべると、


「・・・それでよいのじゃ。」


 そう言うと、引き上げを指示して京へ帰っていった。驚いたのは勝家達だ。信長の気性ならば、てっきりここにいる町民達も皆殺しにするものだと思っていた。京へ引き上げる信長の後ろ姿に、忠繁は大きく息を吐いた。


「忠繁殿。ご苦労であったな。」

「十兵衛様はお怪我ございませんか?」

「ああ、大丈夫じゃ。覚恕殿は若い僧達を引き連れ、延暦寺から退去なされた。」

「そうですか。しかし、よく説得できましたね。」

「申し訳なかったが、ふんじばって連れ出した。今頃は弥平次達が京の外へ案内しているであろう。」


 比叡山を生き延びた覚恕は、放浪の末、甲斐の武田信玄の元に保護される。この頃の信玄は、表向きは織田家と同盟を結んでいたが、信長の強引な領地拡大には辟易し、義昭の包囲網参加に前向きな返答をしていた。覚恕は信玄の庇護を受け、試行錯誤して比叡山を再興するために尽力するが、四年後の天正二年(一五七四年)に病没している。


 この比叡山焼き討ちは、瞬く間に全国に知れ渡った。将軍・義昭が、信長の悪逆非道を許すなと各地に檄を送ったからだった。この時の檄に、僧兵も善僧も女子供に至るまで、すべて容赦なく斬り殺していったと書かれていたため、後の歴史として、比叡山焼き討ちは信長の残虐な行いとして伝えられていくのである。しかし、多くの弱者は生かされ、今に伝わる由緒正しい比叡山本堂を作っていったのである。これが、比叡山焼き討ちの真実だった。


 比叡山の僧兵を排除したが、依然、信長包囲網は衰えていなかった。東に武田信玄、北には朝倉義景と浅井長政、西は本願寺一向宗と鉄砲の傭兵部隊で名を馳せる雑賀衆。織田徳川同盟軍は、いまだに窮地を抜け出せていなかったのだ。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/

「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、

ぜひ高評価お願いいたします!


また、周りの方にもおススメしてくださいね!


比叡山を滅ぼすのが目的ではなく、

よみがえらせるのが目的でした。


次回はいよいよ信長と義昭の確執が高まります。

ご期待下さい!


水野忠

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― 新着の感想 ―
[一言] 史実では女子供を助けた秀吉は、何ら信長から処分は受けなかったので、この裁定は違和感はないです、信長程真面目な僧を大事にし支援した戦国大名はいませんでしたからね! 其れだけに売僧や破戒僧も嫌っ…
[気になる点] 覚恕は信玄の庇護を受け、試行錯誤して比叡山を再考するために尽力するが、 四年後の天正二年(一九七四年)に病没している。 覚恕様亡くなったの最近なのですね? 前の事ですが坂井政尚の坂井が…
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