第四章 元亀争乱⑥
森家を後にすると、忠繁は約束通りに藤吉郎の屋敷に出向いた。藤吉郎は横山城の守りを任せられているが、信長の要請に応じて一時的に戻ったのだ。明日には横山城に戻るという。
寧々が用意した酒と食事をいただきながら、秀吉はようやく今日の出来事を話し始めた。
「一向一揆が各地で兵を挙げているのはご存知じゃな?」
「ええ。浅井と朝倉の兵と組んで、あちこちで兵を挙げているのはうかがっています。私の領地でも、宗徒が徒党を組んで襲ってきましたから、撃退いたしました。」
忠繁の屋敷の周辺に配置してある配下の兵達が対応し事なきを得たが、逃げ遅れた老夫婦が斬り殺されている。その報告があり、信長は忠繁の領地に守兵を配置している。
「あやつらは不利とみるとすぐに比叡山へ逃げ込んでしまうそうじゃ。光秀殿がその報告をなさった時に、信長様は譲歩案を出された。」
「比叡山が中立を保ち、浅井や朝倉の兵を山から追い出せば、織田家領内の関係寺社はすべてお返しするというものですね。」
「そうじゃ。しかし、その使いを出してから、返事もなく、まったくなしのつぶてじゃ。信長様の堪忍袋がついに切れたのでござる。」
「それが、先ほどのお怒りに?」
「さよう。本来であれば、わしと光秀殿が行くはずであったが、比叡山への最後通牒の使者を任されたのじゃ。」
「比叡山の焼き討ち、ですか?」
先に言ってしまうと、秀吉が驚いて目を見開いた。
「お、おぬし。なぜそれがわかったのでござる??」
僧兵が立てこもると聞いて、ピンと来たのが比叡山延暦寺の焼き討ち事件である。しまったと思ったが後の祭りだった。光秀と秀吉を呼び出して話したということは、極秘事項のはずであった。忠繁が知っているはずのない情報だ。
「信長様のご気性、それくらいは考えられるであろうな、と。」
そう言ってとっさにごまかした。
「・・・。」
秀吉が忠繁の顔を覗き込んで腕を組む。秀吉の探るような表情に忠繁は平静を装うことに集中した。そして、秀吉は言うのだった。
「・・・。さすが、信長様の軍師殿じゃな。」
「はは。」
勝手にそう思い込んでくれた秀吉に感謝しつつ、苦笑いを浮かべた。
「比叡山は開かれるでしょうか。」
「無理であろうな。降るならとっくに降っているでござるよ。」
「そうですよね・・・。」
「最後に使者を出し、そのうえで比叡山を焼き討ちする手はずでござる。光秀殿は反対したが、信長様は断固焼き討ちするとおっしゃってな。それであの雷じゃよ。腐りきった古き坊主共を駆逐し、たとえ滅ぼしても、そこに新しきものが育てばいいとおっしゃっておった。」
「ん? 藤吉郎様、今、なんと?」
「腐りきった坊主を駆逐する。でござるか?」
「いや、そのあとの部分です。」
「ああ、たとえ滅ぼしても、そこに新しきものが育てばいいと。」
「・・・それだ!!」
「どうしたのでござる?」
「十兵衛様はわかっておいででない。藤吉郎様、後日、横山城にてお会いしましょう。今夜はごちそうさまでした。」
そう言うと、忠繁は秀吉の屋敷を飛び出していった。秀吉と寧々は、不思議そうに忠繁を見送った。
自宅へ戻ると、庭先にいた下男へ馬を用意するように言うと、屋敷の中にいた風花に荷造りを頼んだ。
「まぁまぁ。今度はどちらへ行かれますの?」
「留守ばかりですまないな風花。ちょっと、宇佐山まで十兵衛様に会いに行ってくる。その帰りに横山城の藤吉郎様のところへ行き、戦までには戻ってくる!」
旅用の荷物を受け取ると、忠繁は用意させた馬に跨り、屋敷を飛び出していった。目指すは一路、宇佐山城の光秀のもと。
風花はその後姿を見送りながら、
「何か、吹っ切れたようでございますね。」
そう言うと安心したように微笑んだ。
岐阜から京へ駆け上り、光秀が本拠地としている宇佐山城に向かった。かつては皇室が衰退し、度重なる野盗などの襲撃で荒廃していた京の都も、義昭を迎え、光秀や藤孝が管理するようになり、今ではかつての賑わいを取り戻しつつある。信長が上洛して初めに行ったのは、この京の都の整備であった。野党に襲われ犠牲になった領民の遺体を片付け、道を整備し、建物を修復した。兵士達が取り乱さないよう、窃盗や強姦、強盗をするような者がいれば、たとえそれが笠一つ、小銭一銭でも見せしめとして斬り捨てた。その徹底ぶりが、京の都に住む人々の心をとらえ、信長支持に繋がったのだ。
この頃、光秀が居城としていた宇佐山城は、京の二城御所から北東に、比叡山の反対側に位置していた。可成の死後、光秀が城主として入っていたのだ。この時間であれば光秀は政務を取り仕切っているはずである。門番に面会をお願いすると、すぐに光秀は応じてくれた。
「忠繁殿! わざわざお見えになるとは、驚きましたぞ。」
「お忙しいところすみません。先日の一件でどうしてもお伝えしたいことがあって、どこかでお時間いただけませんか?」
「今日は幸い仕事も少ない。すぐに片すゆえ、しばらくお待ちくだされ。」
聞けば、午後から茶会があるという。ぜひ参加してほしいと光秀から話があった。そのため、光秀の仕事が終わるまで、忠繁は別室で待つことになった。季節は夏に差し掛かろうとしていて、今日は外の日差しが強かった。しかし、風通しのいい部屋のためか、それともまだ自然の多いこの時代だからなのか、さわやかな風を感じることがあっても、汗ばむような嫌な暑さは感じなかった。
この時代、時間をつぶすために携帯電話をいじったりすることができないため、現代人の忠繁には、この待ち時間がなかなか苦手であった。風を感じながら時間をやり過ごそうと思っていた矢先、廊下を歩いてくる足音が聞こえ、
「おう! これは珍しい方がいたもんじゃ。」
元気よくそう言いながら入室してきた男が忠繁の前に座った。この威勢のいい男は、金ヶ崎から撤退するときに、信長の命を救った松永久秀であった。
「これは、久秀様。ご無沙汰をいたしております。朽木谷の際は大変お世話になりました。」
「あぁ、よいよい。堅苦しい挨拶は抜きじゃ。和泉守殿に会えるとは思ってもいなかったぞ。」
「はは。少し思うところがあり、十兵衛様に相談をしに参りました。」
二人は近況を報告しあった。以前は破天荒だった久秀も、このところはずいぶんと落ち着いたらしい。所領の運営がうまくいっているようだった。
「午後からは茶会のようですね。」
「そうじゃ。和泉守殿も出るのか?」
「さきほど、十兵衛様に是非にと言われてしまいましたが、何の作法も存じ上げませんのでどうしようか困っております。」
「なんじゃ。わしでよければ教えて進ぜよう。」
「本当ですか? それはありがたい。ぜひ、お願いいたします。」
久秀は敷地内にある茶室に移動すると、入り方から座る順番など、一からの作法を教えてくれた。二人が入室すると、茶室にいた剃髪した初老の男性が、慣れた手つきで茶道具を扱っていた。
そもそも茶の湯には、『薄茶』と『濃茶』の二種類がある。現代に伝わっているよく目にする抹茶は『薄茶』を指す。薄茶と濃茶の違いは、薄茶は『点てる』と言うのに対して、濃茶は『練る』と言う。言葉の通りで、濃茶は薄茶に比べると、かなりドロッとしたお茶になる。
練り上がった茶は、正客から順に回し飲みするのも濃茶の特徴で、この時代では、戦の前に濃茶を飲み、自らを鼓舞し奮い立たせたと言われている。茶室にいた剃髪した初老の男性が、木箱からいくつかの茶器を取り出した。忠繁が察するに、きっと貴重な品物なのであろう。何度か信長が自分の茶器を自慢していたが、忠繁にはどこがどういいのかさっぱりとわからなかった。かといって、機嫌を損ねることもしたくないので、相槌は打っておいたが。
「そちらの方は初めての茶席でございますな。ほな、光秀はんには悪ぅございますが、先に練習で一服立てて進ぜましょう。」
きれいな京都弁でそう言うと、器を取り出し、お湯を入れてて茶を作り始めた。その作法の一つ一つを、何をしているのか久秀が教えてくれた。今から飲むのはどうやら『濃茶』らしい。茶特有の匂いが茶室内に広がった。
「さて、お待たせしました。」
久秀がまず飲み、続いて忠繁が教えてもらいながら濃茶を飲んだ。現代人の飲む食後のお茶とはまるで違う、凝縮した茶の味が口いっぱいに広がった。何の作用なのであろうか、目が開き神経が研ぎ澄まされていく不思議な感覚を感じることができた。
「どうじゃ。初めての茶は?」
「はい。想像していたよりも、なんというか、全身隅々まで茶の成分が染み渡っていった感じがします。」
「ははは。面白いことをいうやつじゃ。千殿、お客人は茶が気に入ったようじゃぞ。」
「それは、えらいおおきにですな。」
千と呼ばれた男性は、忠繁に深々と頭を下げた。その時に、この男が日本茶道の祖ともいわれる千宗易(せんそうえき。後の千利休)であることがわかった。忠繁も頭を下げ、いただいた茶と練習させてもらったことの礼を述べた。
午後になり、光秀と合流すると、予定通り茶会が開かれた。今日は光秀と久秀、そして飛び入りの忠繁と宗易の四人だけだった。一通り茶を堪能すると、一区切りついて雑談の時間になった。
「実はな。先日の一件で相談をしたくて久秀殿をお招きしたのじゃ。」
「はい。私もそのことで十兵衛様にお伝えしたいことがあって来ました。」
光秀は、歴史ある比叡山の焼き討ちなど、今後の天下統一への織田家のことを考えるとするべきではないと、信長に進言し逆鱗に触れてしまったという。比叡山は治外法権の仏教の聖地、そこを攻めるということは、仏教徒の多くを敵に回すことになってしまう。
「だが。信長様の申されよう、この松永にはわかる気もするがのぅ。比叡山の坊主どもは腐りきっている。おかげで真面目に励んでいる僧達はいい迷惑だそうじゃ。いい機会だと割り切って、なで斬りにするのも致し方ないであろう。」
久秀は稀代の梟雄だ。なんと言っても、将軍を暗殺し、大仏を焼くなど、今まで破天荒な生涯を送ってきている。
「十兵衛様、比叡山攻めについて、信長様が何とおっしゃったか覚えておいでですか?」
「腐りきった古き坊主を駆逐するということか? だが、そのために比叡山にいるすべての者を皆殺しにするなど、到底許されるものではない。」
「そのあとが重要なんです。たとえ滅ぼしても、そこに新しきものが育てばいい。信長様はそうおっしゃたのではないですか?」
「たしかに、そう話されたような。」
やはり光秀には伝わっていなかったようだ。忠繁は、信長が考えているであろうことを話すことにした。
「比叡山は仏教の聖地と言われていますが、そこの僧兵は酒を飲み、女性を連れ込み、魚肉を食らって好き放題と聞きます。しかし、もともと比叡山には女も子供もいなかったはずです。仏を思って念仏を唱えていればいいですが、そうではなく、そうであることを忘れた坊主達がはびこっているのです。」
事実、僧兵達は村へ押し入っては、仏敵信長と戦うために資金や食べ物、女性を差し出せと、事実上の押し込み強盗を行っている。浅井家も僧兵の援軍が必要なため、厳しく取り締まれないでいるのだ。
「信長様はこの腐った坊主達を一掃し、そのうえで、生き残った女子供や真面目な僧達が、本当の権威ある新しい比叡山を作っていってくれればいいと考えているのです。」
「では、女子供も皆殺しにと言うのは?」
「それは、比叡山皆殺しの言葉が独り歩きしているだけでございます。信長様は、そんなことはおっしゃっていないはずです。戦えない弱き者は助けてやるべきです。」
「しかし、それをどうやる。攻め込めば嫌でも巻き込むことになってしまうぞ。」
「藤吉郎様と比叡山へ最後通告に参った際、真面目な僧と女子供にはあらかじめ逃げることを伝えます。中には真面目に話を聞く方もいるでしょう。信長様の考えているのは比叡山の再建です。滅ぼすことではありません。」
忠繁の言葉に、光秀は思うところがあったのか。なぜあのように信長が怒り出したのか、少し考えることができたようだ。
「私は、信長様のお心を理解できていなかったというのだな。しかし、そうであればそう言ってほしかった。」
「言いたくても言えないのではないでしょうか。」
「ん?」
「信長様は、弟の信行様はじめ、今回の長政様など、信頼されている方々から何度も裏切られる思いをなさってきました。思いをすべて伝えてしまい、謀反を考える者がそれを逆手にとっては、大事な家臣達を無駄に死なせることになります。だから、必要最低限のことしか話さないのです。」
忠繁の言葉に、光秀は腕を組んで考え込んでしまった。その時、どこからともなく茶の香ばしい香りが漂ってきた。見ると、宗易が三人分のお茶を点ててくれたようだ。これは先ほどとは違って薄茶のようだ。人数分がそろっていた。
「少し、休憩されてはいかがでっしゃろ。なんや。和泉守はんのおっしゃってることは、難しゅうてようわかりまへん。けど、信長はんが真面目な僧や、子供達を守ろう思うてるんでしたら、家臣の皆さんは、どうやって守るのか知恵を出せばええんでないでしょか。」
宗易の言葉に忠繁もうなずいた。
「比叡山へ行くのに私は横山城へ行きます。十兵衛様、久秀様、比叡山の子供達を逃がすにはどうしたらいいか、知恵をお貸しください。」
忠繁は宗易が出した茶を飲み干すと、横山城へ行こうと立ち上がった。
「待たれよ。忠繁殿、比叡山はここからの方が近い。秀吉殿にはここへ来るように使いを出すゆえ、しばらく休まれよ。そなたは働きすぎじゃ。また、倒られても困る。」
そう言うと、光秀は家臣の三宅弥平次に使いを出すように命じた。三人は、戦に巻き込まないようにするにはどうすればいいか知恵を出し合った。
「よし。比叡山攻めの際には、わが手勢の一部を避難の案内に回そう。」
そう言いだしたのは久秀だった。久秀は稀代の梟雄、その申し出に忠繁は驚いた。
「なんじゃその意外そうな顔は。大仏を焼いたからと言ってわしは天魔ではない。わしとて仏の子じゃ、助けられる命は助けてやりたい。」
「はは。申し訳ございません。久秀様はどっちかと言うと、面倒だから皆焼き尽くせとかおっしゃると思ってました。」
「いったいお主の中のわしの印象はどうなっておるのじゃ。」
考えてみれば、朽木谷を超えた時も、久秀の機転で助かったようなものである。それに、新参者を軽視するこの時代において、久秀もまた、忠繁を最初から対等に扱ってくれている一人だ。破天荒な人生を送っているはずだが、忠繁はこの親しみやすい久秀の性格が好きだ。
それぞれが打ち合わせを終えると、忠繁は光秀が用意した宿に宿泊し、久秀は準備を整えておくと言って所領へ戻っていった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
比叡山焼き討ちは、
僧も女性も子供も構わず斬っていったと伝えられています。
はたして、そんな虐殺はあったのか。
次回もご期待ください。
水野忠




