第四章 元亀争乱④
可成の奮戦により、浅井・朝倉連合軍が京へ上ることはなかった。信長は再三比叡山に向けて、中立を守り、朝倉勢、浅井勢を下山させれば、織田領内の配下にあるすべての寺を返還すると条件を出したが、比叡山からの返事はなかった。そして、季節は冬に差し掛かり、正親町天皇の勅命をもって和議が成立し、朝倉・浅井、本願寺、そして織田も兵を退くのであった。
可成の死は織田家に衝撃を走らせた。信長は、可成の正妻である永(えい、名前に関しては諸説あり。)に直接詫びて頭を下げたという。永はもともと帰蝶の腰元であった。妻を取る気のない可成に、信長の仲介で永を勧めたのだ。その席に同行した忠繁は、長可と弟の蘭丸、坊丸、力丸らを慰めた。長可はまだ一二歳。蘭丸五歳、坊丸四歳、力丸三歳である。
「和泉守様、大丈夫です。父上は、織田家のために立派に戦われたのです。これより、この長可が、森家を受け継ぎ、父に負けぬ働きをいたします。」
まだ幼さの残る長可は、気丈にもそう言って拳を握った。見れば肩が震えている。この時にはすでに長兄である可隆は亡く、そのまま森家は長可が継ぐはずだった。しかし、何と言ってもまだ一二歳の子供なのだ。
「長可殿、無理はしなくていい。可成様は立派にお役目を果たした。しかし、それと父親を失ったことは別だよ。もう二度と会えないんだ。悲しい時は泣いてもいいんだ。それは弱さじゃない。大切な人が死んだ時は、悲しんで当然なんだ。」
そう言う忠繁が、真っ先に泣いてしまった。織田家に来て、可成は身分差も関係なく、いつも対等に自分に接してくれていた。剣の稽古も全力で、そして忠繁がケガをしないように細心の注意をしながら教えてくれた。人としても、武将としても、心から尊敬できる人であった。
「和泉守様、わしは、わしは・・・。」
涙ぐむ長可を、忠繁は抱き寄せた。その瞬間、我慢していた何かが切れたのだろう。止めどもない涙を流し、父親を失った悲しみに暮れた。
正月が明けると、忠繁は信長へ一つの願いを出した。
「なに? 浅井に使者に行きたい?」
「はい。」
「死にたいのか?」
「違います。お市様へのご機嫌伺です。敵対しているとはいえ、お市様は信長様の妹、兄が妹に気を使って悪い通りはございません。」
忠繁としては、小谷城に入れれば、敵情視察もできると思ったのだ。ただ、目的はそれだけではないが。
「生きて戻れる保証はないぞ?」
「お見受けした限りでは、長政殿はお市様への使者を斬るような浅慮はなさいません。」
これは、元営業マンとしての勘ではあった。信長はしばらく考えていたが、
「ずいぶん長政を信用したものじゃな。よし、忠繁の言うことだから何か考えがあるのだろう。贈答品はこちらで用意する。出発は明後日じゃ。」
「かしこまりました。」
二日後。風花に見送られて、忠繁は北近江の小谷城を目指した。荷物持ちと護衛の剣士数名だけの、ささやかな使者部隊であった。美濃から北近江に入る際、北近江領内では何度も関所で厳しい詮議を受けたが、信長の持たせた金子がものを言い、五日後には小谷城下まで来ることができた。
城門前で信長の使者であることを伝えると、にわかに城門内がざわつくのがわかった。無理もない、ついこの間まで敵対して戦っていたのである。
しばらくすると、城門上の見張り台へ長政が姿を現した。
「使者の口上を伺おう。」
「織田家臣、霞北和泉守でございます。戦時下ではございますが、主、織田信長様より、妹のお市様へ、二人目のお子様のご出産の引き出物をお預かりし、お持ちいたしました。また、今年の冬は一層寒さ厳しいため、お市様が風邪を引かぬようにと、奥方の帰蝶様より、着物をお預かりしております。」
出産の引き出物と聞いて、明らかに長政が動揺しているのがわかった。
「よし、わかった。中に通すゆえ、入って参られよ。」
「ありがとうございます。」
城門が開いたので、忠繁達は小谷城内へ入った。そこには、長政のほか、殺気立った兵士達が槍を構えて待ち構えていた。正直なところ震えるほど怖かったが、いくつかの戦いで少し度胸が付いたのか、忠繁は腰から刀と脇差を抜くと、
「面会中、武具はお預かりいただきたい。そなたらも預けよ。」
そう言って門番兵に差し出した。敵意がないことを示したかったのである。
「そなたは、確か市が輿入れした際に護衛についていた。」
「はい。覚えていていただき光栄でございます。霞北和泉守忠繁でございます。」
「とにかく話を聞こう。」
忠繁達は、小谷城の本丸の広間に通された。忠繁の配下達が、手早く贈答品を並べると、頭を下げて退室していった。
「まずは、お聞き届けいただき誠にありがとうございます。こちら、お市様の出産祝いの品々でございます。どうかお納めください。」
信長が用意したのは、岐阜の名産品や、大量の砂金、反物であった。帰蝶が用意したのは、冬場に羽織れる、今でいうコートのような、綿を詰めた大き目の着物であった。忠繁が提案すると、面白そうだと作ってくれたのだ。
「織田家と浅井家については、先年、和睦をしたと言っても、一触即発の戦時下と言えます。きれいごと抜きで、雪が解ければ再び相まみえることでしょう。」
「そうじゃな。」
「しかし、時の流れとは申せ。信長様は妹のお市様と、一度は義弟と呼んだ長政様と戦をするのは不本意だと思っていらっしゃいます。同じに並び、共に歩むことができぬのであれば、せめて、妹の気遣いくらいはしておきたい。というのが、信長様のお考えでございます。」
「そして、ついでに小谷城の内部を調べるように言われてきたか。」
長政が言うと、忠繁は笑って答えた。
「はは。滅相もございません。小谷城は、岐阜城と並び、天然の要害を利用した天下の名城。私ごときが調べたところで、落とせるような簡単な城ではございませぬ。」
「そうかな。聞くところによると、そなたは六角家の鉄壁の守りをたった数日で打ち砕く策を出したというではないか。もはや、立派な信長の軍師だと認識しているが、違ったか?」
ここしばらくの織田家の話が、長政には伝わっているようだ。内心、嫌な気配を感じたが、それを打ち消すように忠繁は笑った。
「はは。長政様にはかないませぬ。私は、武芸はさっぱりですが、小賢しい頭はあるようです。六角攻めは、単純な算盤勘定でございました。」
「なに、算盤じゃと?」
「はい。六角家はせっかくの二〇〇〇〇の軍勢を、わざわざ一八の支城に分配してしまいました。これでは、一つの城に配置するのはせいぜい一五〇〇程度、主要の城を先に攻め落としてしまえば、あとは簡単に落とせると計算したのでございます。もしあの時、六角家が全軍をもって織田勢を迎え入れていれば、勝敗がどうなったかわかりません。」
「なるほどな。義兄上が気に入るわけじゃ。よし、ではこの長政からも問いかけよう。そなたが大将なら、この小谷城をどうやって攻める。」
そう聞いてきた。
「いや、それは・・・。」
「せっかく参ったのだ。おぬしの意見を聞かせてくれ。さぁ。」
長政は忠繁の手を取ると、本丸近くにある見張り台に連れ出し、その上へと案内した。見張り台からは小谷城の周囲が一周見れるようになっていた。見張り台の兵士は降りるように指示をされたために今はいない。それを見て、長政が何をやっているのかと、見張り台の周辺には浅井の家臣達が集まってきている。
無理もない。浅井家の当主が敵方の武将と二人で見張り台に上っているのだ。突き落とされでもしないかとひやひやしているのだろう。忠繁としては高さが怖かったが、それ以上に山中に吹き降ろす風が寒かった。
しかし、ここからの眺めは絶景で、小谷城周辺はもとより琵琶湖畔も見える。山中のためか空気も澄んでいて気持ちよかった。
「いい眺めですね。」
「そうであろう。わしも何か考え事がしたい時にはここへよく上るのじゃ。わしに付いてお市もここへ登ってくるのは少し困るがのぅ。」
「はは、お市様もここまで上がられるのですね。本当に長政様とお市様は仲がよろしゅうございますね。」
「うむ。義兄上が良縁を与えてくださったおかげで、この数年は本当に幸せじゃよ。」
遠くを見ながら話す長政は、決して信長との敵対が本意ではないことを物語っていた。いかに政略結婚と言っても、信長が実の妹を嫁がせたほどだ。よほど長政の才覚を気に入ったと言える。しかし、旧派は朝倉を選び、浅井家の中でその勢力が根強いのも事実だ。それに、姉川の戦いもあり、もはや修復は不可能と言えた。
「大嶽砦。」
「なに?」
「私なら、まず大嶽砦を取ります。小谷城の支城ですが、あそこならここより標高が高いので、小谷城内が丸見えです。大嶽砦を取り、そこから戦略を練ります。」
大嶽砦は、本丸のある小谷城よりも高い山頂付近にある。確かに、そこを落とせれば小谷城内は丸見えだ。弓矢や鉄砲が届くような距離ではないが、こちらが丸見えになる分、気持ちのいいものではないだろう。
「・・・それは本心ではあるまい。」
「へ?」
「おぬしがここで作戦を打ち明けたら、義兄上が激怒してお主の首はないぞ。」
「はは、ばれましたか。しかし、大嶽砦が重要であると思ったのは本当です。そこを攻めるようなことがなければいいのですが。」
「遅かれ早かれ、義兄上は私を攻めるであろう。もう言うな、仕方のないことじゃ。」
「・・・はい。すみません、無駄なことを言ってしまいました。」
「気にするでない。義兄上がお主を気に入っている理由がよく分かった。忠繁殿は優しすぎるな。この戦国乱世、それでは生き残っていけぬぞ?」
「はい。ですので、なるべく前線には出ないようにしております。」
そう言うと、長政は目を丸くして笑ったのだった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
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長政との交渉に挑む忠繁。
その心を動かすことはできるのでしょうか。
どうぞお楽しみに!
水野忠




