第四章 元亀争乱③
戦が終わり、忠繁が岐阜の所領に戻ったのは、姉川の戦いから一週間後のことだった。時がたつにつれて、直経を討ったこと、その時の壮絶な死に様や、脇差で突き刺した時の感触、血の匂いが思い出され、気持ちは深く沈んでいた。
屋敷に戻ると、風花が真っ先に出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、忠繁様。」
いつもの風花の笑顔だが、忠繁の心は晴れなかった。その忠繁の異変を感じ取ったのだろう、あえて風花は笑顔で問いかけた。
「お疲れでしょう。お風呂になさいます? お食事になさいます? それとも、ため込まずにこの風花に思いの丈をぶつけられますか?」
「・・・風花?」
「お話になりたくなければ話さなくても構いません。でも、おつらそうになさっている忠繁様を見るのは、風花はつらくございます。私にできることがございましたら、なんなりとお話しください。私は忠繁様の妻なのですから。」
風花の優しい言葉に、忠繁の視界がぼやけた。ゆっくり歩み寄ると、風花をしっかりと抱きよせた。
「初めて、人を殺してしまった。」
「戦だったのですから仕方ありません。そうしなければ、忠繁様が死んでしまったかもしれません。」
「だが、私のいた時代は、人を殺すことはおろか、傷つけることも、人の物を盗むことも、それは罪として罰せられるやってはいけないことなんだ。この時代に来た時から、信長様にお仕えするようになってから、いつかこういう日が来ると思っていたが、しかし・・・。」
忠繁は自分の両手を固く握りしめた。その罪悪感、自分への嫌悪感は想像の上を行く大きなものであった。
「忠繁様はこれからも、信長様に付き従って戦に出られると思います。同じようなことをするかもしれません。その度に、風花に忠繁様の苦しみをお話しくださいませんか? 忠繁様がそれを罪だと思うのでしたら、その罪も苦しみも、私が一緒に背負います。」
風花の言葉に、少しだけ、心が軽くなったような気がした。信長が直経の亡骸を見て、澄み切った顔をしていると言ったことを思い出した。直経は無念にも討ち取られたが、満足して逝ったのだと思いたかった。
「忠繁、おるか?」
外から声が聞こえたので、忠繁は風花を離すと、二人で外へ出た。そこには可成や長秀、秀吉、光秀が荷物を抱えて立っていた。
「これは皆様、いかがなさいましたか?」
「おう、姉川の戦勝祝いじゃ。酒を持って参ったゆえ、飲もうぞ。」
そう言って、大きな酒壺を掲げた。
「それとも、夫婦水入らずのところ、お邪魔だったかな?」
そう言って意味深に笑う可成に、忠繁は微笑んだ。
「とんでもない。どうぞお入りください。」
そう言って中へと案内した。
「風花ちゃん。」
「寧々様!」
「風花殿、寧々も手伝うゆえ、酒の肴をお願いしてもよろしいか?」
「はい! お任せください。」
そうして、急な来訪から酒宴へとなった。食べきれないくらいの肉や魚を用意してもらえたので、風花も寧々も腕によりをかけて料理を作っていった。可成達は姉川の戦いでの戦話に花を咲かせ、忠繁が信長を守ったことを称えた。
話が一段落すると、可成が初めて人を斬った時のことを話し始めた。まだ一六歳のころ、父・可行(もりよしゆき)と共に領内の村を襲った盗賊征伐の際に、初めて首級を上げたという。死に物狂いだったことと、あまりに流れ出る血の多さに驚き、その日の夜は布団の中で震えて眠れなかったという。
長秀も、秀吉も、光秀も、そろって初めて人を手にかけた時のことを語り合った。皆、一様に震え、恐怖し、そしてそれを乗り越えたという。
それらの話が、忠繁が直経を討ち、それが初めて人を殺めたことで心を痛めている同胞への、彼らなりの慰めと気遣いだったことがわかる。わかるからこそ忠繁は申し訳なくもあり、ありがたくもあり、この時代に生きるには強くならなければいけないと自らを鼓舞することになった。
「皆様、私のためにお気遣いさせてしまい、申し訳なく思います。忠繁、強くならねばと心に思いました。」
「はは。なに、そなたは武将にしては優しすぎるのじゃ。」
「しかし、それが和泉守のいいところであるからな。」
可成や長秀の言葉に、秀吉達もうなずいた。
「まぁ。戦の度に気落ちされても困るがのぅ。」
可成の言葉に皆、一斉に笑った。この殺伐とした時代の中で与えられた彼らの気遣い、そして、風花の無償の支え、魔王と言い伝えられている信長の意外な優しさ。歴史の書物でしかわからなかった人達の、本当の姿に忠繁は感動していた。
夜も遅くなって、宴会はお開きになった。
「皆様、本日はありがとうございました。」
「少しでも元気になったら僥倖でござるぅ。」
「お前さんは飲みすぎだよ。」
寧々に頭を叩かれる秀吉を見て、みんなまた笑いあった。
「忠繁。実はな、わしは浅井、朝倉の抑えとして近江宇佐山城の守護を命じられた。光秀は京都の守護のために早々に戻る。信長様の傍におれぬのは残念じゃが、お主に任せたぞ。」
「頑張ってくだされ。また、近くお会いすることもあろう。達者で過ごされよ。」
「可成様、十兵衛様。どうかご自愛ください。」
挨拶を交わすと、それぞれが家路に着いた。
「藤吉郎様は浅井の抑えとして横山城を守られる。私も頑張らねば。」
「ふふ。私がお慰めするより、皆様の励ましの方が、効果がございましたね。」
「そんなことはないぞ。風花の存在は、私のなによりの救いなんだ。」
風花の肩を抱き寄せ、忠繁は仲間達が歩いて行った暗がりをずっと見続けた。
将軍、義昭の要請を受けた武将のうち、武田信玄、浅井長政、朝倉義景、そして石山本願寺は、この要請に呼応し、反織田連合を形成、信長包囲網が完成する。
元亀元年(一五七〇年)八月、再び挙兵した三好三人衆の討伐のために、信長は大軍を率いて畿内に出陣した。そして、その時になり、ついに沈黙していた石山本願寺が信長打倒のために旗を掲げたのだ。三好三人衆と本願寺の挟み撃ちに遭い、信長は苦戦を強いられる。
そんな時、浅井・朝倉連合軍が再び挙兵し、京へ南下すべく三〇〇〇〇の軍勢をもって近江宇佐山城へ殺到した。近江宇佐山城を守護する可成はわずか三〇〇〇の守備兵をもってこれを撃退する。しかし、体勢を整えて再び襲来した連合軍の前に、可成は孤軍奮闘することになる。
「ここを突破されれば信長様の本隊は壊滅するぞ! 少しでも時間を稼げ!!」
可成は自慢の十文字槍を振るい、連合軍の兵達をなぎ倒していった。その姿はまさに鬼神と言える。一度ならず二度までも、可成は連合軍を押し返していった。しかし、三度目の襲撃の際、今度は比叡山の僧兵達が、本願寺顕如光佐(ほんがんじけんにょ)の要請を受けて挙兵。可成達の家臣は次々と討たれ、やがて姿を消していった。
「もう十分であろう、降伏せよ。悪いようにはせぬ。」
朝倉家家臣、山崎吉家は、一人槍を振るう可成へ声をかけた。
「戯言を言うな! たとえこの可成一人になろうと、京へは行かさぬ!!」
「信長の援軍はない。そなた一人なんのために戦うのだ。」
吉家の言葉に、可成は苦笑した。
「朝倉は信長様を討ったとして、そのあとどうするつもりじゃ。」
「なんだと?」
「小心者の義景が天下を取るのか? それとも、あの見せかけ将軍が、本当に天下泰平を作れるとでも思っているのか?」
可成はそう言うと、十文字槍を頭の上で振り回し、石突(槍の刃のない方の先端部)を地面に突き刺すと、
「わが殿はな、本気でこの戦国乱世を終わらせようとしているのよ。貴様ら小者が、たとえ一〇〇〇人集まろうとこの戦国乱世は終わらん。それがわからぬ貴様らは、とんだ阿呆の集団じゃ!」
そう言って豪快に笑った。すでに全身傷だらけ、その手にかけた雑兵は一〇〇を超える。返り血で鎧も馬も真っ赤だ。可成の周囲に、生き残った十数名の兵士達が集まり、そして、三〇〇〇〇以上いる連合軍に向けて武器を構えた。
「者ども、飲まれるでない。敵はわずか十数名じゃ、一気に押し包み討ち取れ!!」
吉家の号令と共に、連合軍の兵士達が再び襲い掛かってきた。可成は疲れた身体に鞭打ち、十文字槍を振るった。馬上槍はバランスを取りながら槍を振るうので技術が必要だ。しかし、可成は人馬一体となって戦っていた。幾度となく、敵兵の刀を折り、槍を払いのけ、その兜を叩き割り、鎧を貫いた。
「おのれ! 弓隊、奴らを射殺せ!」
「し、しかし吉家様、お味方が・・・。」
「かまわぬ。放て!! 放てぇ!!」
吉家に蹴飛ばされ、弓隊三十名が一斉に矢を放った。弦を放れた矢は、弧を描いて可成達に襲い掛かった。敵も味方も関係なく、矢の餌食になり、不幸にもそのうちの一本が可成の首元を襲った。
「ぐっ!」
可成は馬から転げ落ちたが、十文字槍を付いて立ち上がると、血が噴き出るのも構わず矢を抜き去り、目の前の雑兵に向けて槍を繰り出した。しかし、先ほどの矢をかいくぐった兵士達が、矢を受けて動きの鈍った可成に一斉に槍を繰り出した。無数の刃が、可成の身体を貫いた。
一瞬、すべての時間が止まったかのように思えたが、可成は最期の力を振り絞って、兵士達を十文字槍でなぎ倒すと、
「信長、様・・・。」
主の名前をつぶやき、天を仰いだ。
『可成、おまえに天下を教えてやろう。さぁ、共に乱世を駆け抜けようぞ!』
かつて、信長に仕えて間もないころに言われたその一言が、天のどこからか聞こえた気がした。そして、急に空と大地が逆転したと思うと、衝撃と共に可成は地面に倒れ込んだ。仰向けになった可成は、すでに息をしていなかった。
この後、近江宇佐山城に残った城兵達は、主の死を悼みながらも懸命に戦い、とうとう信長の援軍が到着するまで城を持ちこたえた。連合軍は、信長が援軍に来るという報を聞き、戦うこともなく比叡山に逃げ込んでしまったのだ。この頃の比叡山は仏法の聖地として知られ、その一帯は治外法権が認められ、たとえ信長であっても不用意に攻め込むことはできなかった。
信長は周辺の警戒に兵を配置すると、近江宇佐山城へ上り入城した。
「三左衛門はどこじゃ?」
「ははっ、こちらにございます。」
森家の家老、各務元正(かがみもとまさ)は、信長を大広間に案内した。信長は広間に入ると、一瞬足を止め、そして瞬時に悟ると、そのまま上座に座った。その傍らには、可成が身に付けていた傷だらけの鎧が飾られていた。
「奮戦むなしく、お討ち死になさいました。十文字槍は浅井方に奪われましたが、可成様の亡骸は何とか取り返し、比叡山の麓の聖衆来迎寺に埋葬いたしました。」
「その寺は拒まなかったのか。」
「はい。亡くなられて仏になられた方は、すべて等しく仏の子だと申されまして。」
「聖衆来迎寺か、覚えておこう。」
信長はそう言うと立ち上がった。
「各務、大儀であった。代わりが来るまで、しばしここを死守せよ。」
「ははっ。」
上座から降りると、信長は足を止め、可成の鎧を見つめた。そして、乱暴に障子を全開にすると、
「可成、まだじゃ。天下はまだ、先は長いぞ!」
そう言って、そこから見える琵琶湖を眺めた。
「死に急ぎおって、たわけが。そこから天下が定まるのを見ておれ。」
その声はいつもの通りの信長であったが、表情は長年の忠臣を失った寂しさを必死に出さないように堪えていた。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
信長と可成は、
まるで兄弟のように仲が良かったとも言われています。
そんな可成が佐和山で討たれたことは、
信長にしてみてもショックが大きかったのではないでしょうか。
可成の奮戦で京を守れた信長。
反撃の狼煙は上げられるのでしょうか?
次回もお楽しみに!
水野忠




