第四章 元亀争乱②
一方、徳川勢と朝倉勢も戦いは始まっていた。数で劣る家康は、先方の朝倉家臣、真柄直隆(まがらなおたか)を渡河させ、徳川先方の酒井左衛門尉忠次(さかいただつぐ)隊に対応をさせていた。直隆の刀は『太郎太刀』と呼ばれる大きな刀で、一振りで十人を切り倒すという名刀だった。直隆は遮二無二突き進み、酒井隊を切り崩していった。
しかし、これは家康の戦略で、数で劣る分、敵を深入りさせ、横から突く算段を立てていた。忠次の加勢に徳川の猛将、本多平八郎忠勝(ほんだただかつ)は、自慢の名槍『蜻蛉斬り』を構えると、
「本多忠勝推参! 一騎打ち所望いたす!!」
と、直隆に一騎打ちを吹っ掛けた。
「面白い。この太郎太刀の錆にしてくれる!」
誘いに乗った直隆は、太郎太刀を構えて忠勝に対峙した。二人はにらみ合いをしていたかと思うと、猛然と間を詰めて獲物を振るった。交錯する金属音、二人の武器の間合いの広さに、周りの兵士達は近付くこともできずに見守った。
その頃、その様子を本陣から見ていた家康は、
「使い番! 榊原隊に伝令、姉川を渡河し側面より朝倉本陣を突け!!」
そう榊原小平太康政(さかきばらやすまさ)に伝令を出し、縦に伸び切った朝倉勢を、側面から付いて分断するように指示した。
指示を受けた康政は手勢を引き連れ、景健が気が付かないように、少し深めに西側から渡河すると、朝倉勢の側面を一斉に突いた。
「それ、突っ込めぃ!!」
驚いたのは朝倉勢の大将、朝倉景健(あさくらかげたけ)だった。景健は朝倉義景の従弟に当たり、姉川の戦いでは朝倉総大将として布陣していたが、当主、義景に義理立てただけで、命を懸けて戦おうとは思っていなかった。この、大将の器の差が如実に表れてしまった。康政の奇襲を受けると、景健はそのあまりの勢いと強さに恐れおののき、
「・・・て、撤退じゃ!」
と、なんと援軍総大将が真っ先に陣を引いたのだった。
「なんじゃと! 大将自ら兵を退くなど・・・!!」
一瞬、景健の撤退に気を取られた直隆は、その胸に忠勝の蜻蛉斬りを受けることになった。瞬時に胸元が熱くなり、その直後に強烈な痛みと嘔吐感を覚え、直隆は吐血した。
「くそ、寡兵(少ない兵)に負けるとは、無念・・・。」
忠勝にもたれかかるようにして直隆は倒れ込み、そのまま二度と立ち上がることはなかった。直隆から流れ出た血は、他に打ち取られた兵士達の血と混ざって姉川を染めた。この凄惨な姉川の戦いでは、両軍の犠牲者が姉川を血で染めたという、それは、現在においても『血原』『血川』という地名が残っているように、合戦がいかに苛烈であったかを物語っている。
同じ頃、ようやく態勢を整えた織田勢は、員昌の軍勢を包囲し四方から攻め立てた。これにはさすがの員昌も持ちこたえられず、戦線を離脱して体制を整えることにした。ここに、一三段まで構えた織田の鉄壁の陣を、実に一一段目まで突破した員昌の突撃は終了する。
浅井本陣では、その様子を見ていた長政が、第二陣の浅井正澄(あさいまさずみ)、第三陣の阿閉貞秀(あつじさだひで)に出陣を命じ、戦線を維持するようにした。
しかし、信長の命で秀吉と可成の隊がそれぞれ左右から浅井勢に突撃を仕掛け、浅井本陣は大混乱となった。遠藤直経は長政を馬に乗せると、
「殿、城へお退きください。」
「直経、まだだ。まだ負けてはおらぬ!」
「そうです! ですからいち早く城に戻り、次の戦に備えてくだされ!」
そう言って、長政の馬の尻を刀で叩いた。驚いた馬は一気に加速し、城へ向けて走り出した。
「直経!」
何とかしようと長政は手綱を握ったが、興奮した馬は止まることなく、小谷城へ向けて走り続けた。その後ろを、主君を守るために普代の兵達が追いかけていった。
「殿、お別れにございます。」
直経はそう言って一礼した。この戦が始まる前から、直経には考えている作戦があったのだ。敗色が濃厚になった今、まさに逆転の一手は自分の策にかかっていると思った。
「おい。お前達も城へ戻れ、信長は必ず小谷城を攻める。殿達をお守りするのじゃ。」
「し、しかし。直経様は?」
家臣に言われ、直経は具足を脱ぎ出した。
「わしにはやることがある。お前でよい。わしと具足を取り換えよ。早うせぃ。」
直経は雑兵の貧しい鎧を身に付けると、
「よし、これでいい。後のことは頼んだぞ。」
そう言うと、織田の本陣に向けて歩き始めた。
信長は、朝倉勢に続き浅井勢が引いていくのを本陣で眺めながら、この戦の大勢が固まったことを実感していた。
「決まったな。」
信長はそう言うと、本陣に置いてあった自分の床几に腰かけた。忠繁はその姿を見てようやく肩の力が抜け、その時になって初めて、緊張でのどが渇いていたことに気が付いた。腰にぶら下げていた竹筒を取り出し、中の水を飲んだ。ぬるかったが、乾いていた身体にしみ込んでいく感覚がわかった。
「和泉守様、無事に終わってよぅございましたね。」
そう声をかけてきたのは、竹中久作重矩(たけなかしげのり)だった。重矩は秀吉の軍師として名高い竹中半兵衛重治の弟で、姉川の戦いでは信長の侍従として付き従っていた。
「ええ。だいぶ汗をかきましたから、早く風呂に入りたいです。」
「ああ、秀吉様からうかがいました。和泉守様の開発されたものですよね。兄上が風呂のおかげで体調が良くなったと申しておりました。残念ながら、私はまだ入れていないのですが。」
重矩の兄、竹中半兵衛は物心ついた時から病弱であった。稲葉山城乗っ取り事件の後、隠居した半兵衛を、秀吉が三顧の礼をもって説得し織田家に付いたのだった。重矩はその際、一緒に織田家に召し抱えられ、今では信長の近習を務めている。秀吉と親交のある忠繁は、当然竹中兄弟とも仲が良かった。
「半兵衛様が快復なさったのでしたら、それは何よりです。そうだ、岐阜に戻ったら重矩殿も我が家の風呂に入りませんか?」
「よろしいのですか? それはありがたい。」
岐阜城内に作った兵士達用の風呂は、人気が高すぎてなかなか入れないのだそうだ。温泉でも出れば、みんなが入れる大きな露天が作れるのだが、忠繁にそこまでの知識はない。また、大きな風呂桶を作ることができても、そこに湯をためて長い時間人が入るというのは、追い炊きができないために、構造的にも難しかった。
「藤吉郎様は温泉に行ったことがあるとおっしゃっていましたから、岐阜城下に温泉が出そうなところがないか相談してみましょう。」
「そうですね。秀吉様なら・・・。」
話の途中で、重矩が言葉を止めて何かを見つめた。忠繁が振り返ると、戦の大勢が付き、安堵した空気の流れる本陣の中で、一人緊張感を持って歩いている兵士がいた。
「あの者、どこかで見た気が。」
重矩の言葉に、忠繁は刀に手をかけて走り出した。重矩が気付かなければわからなかったかもしれない。それはお市を小谷城へ送った際、酒宴の席を取り仕切っていた浅井家重臣・遠藤直経だったのだ。信長の危険を感じた忠繁は、
「信長様! お逃げください!!」
そう叫んで走った。何事かと信長が忠繁へ視線を向けた時、その声に気が付いたのか、直経は持っていた槍を構えると、
「信長! 覚悟!!」
と、信長に向かって繰り出した。その槍は確実に信長の胸元を捉え、周囲で気が付いた誰もが息を飲んだ。しかし、その瞬間、信長の胸を捉えたはずの槍の矛先が奇妙に角度を変え、地面に落ちた。
「遠藤殿!」
間一髪のところで、忠繁の刀が届き、直経の槍を叩き落したのだった。
「邪魔立てするなぁ!」
直経は刀を抜くと、再び信長に襲い掛かった。忠繁は間に割って入ると、直経の振り上げた刀を正面から受け太刀した。鍔迫り合いをしながら、直経に詰め寄り、
「襲撃は失敗だ。遠藤殿、諦めてください!」
そう語りかけたが、
「ふざけるな!」
と、直経の力に弾かれてしまった。二度、三度と刀を交わし、何とかしようと次の攻撃に備えた時、交錯する刀の金属音と共に、忠繁の刀は半分の位置から叩き折られてしまった。忠繁は折れた刀を直経に投げつけ、ひるんだ隙に脇差を抜くとそのまま直経の懐に飛び込み、左脇の胴を突き刺した。雑兵の胴は古かったせいか忠繁の脇差を防ぐことはできず、そのまま真っすぐに腹部へ突き刺さった。
むせ返るような血の匂い、そして、苦悶に顔を歪める直経と組み付いたまま一緒に倒れ込んだ。すぐさま立ち上がり直経の刀を蹴飛ばすと、
「おやめください!」
そう言って眼前に脇差を突き付けた。傷が深いのだろうか、右手で左脇を抑えながら、肩で息をする直経は、忠繁の顔を見て不敵に笑った。
「おぅ。そなたはお市様を護衛してきた霞北忠繁殿。」
「はい。遠藤殿、もはや大勢は決しました。お諦めください。」
「あと一歩のところで無念じゃ。こ、この傷ではもはや助からん。討ち取って手柄にせぃ。」
そう言うと、直経は胡坐をかき、首を差し出した。しかし、あの日一緒に酒を飲んで笑いあったことを思い出すと、忠繁はとどめを刺すことができなかった。
「どうした。早うせい。」
「遠藤殿。わたしには、できません。」
「怖気づいたか!」
「違います。いや、それもありますが、遠藤殿と小谷城で一緒に酒を飲んだではないですか。一緒に語り合った知り合いを、私には・・・。」
忠繁の震える姿を見て、何を言いたいのかわかったのだろう。
「各々方! もはや抵抗は致さぬ。手出し無用じゃ!」
そう言うと具足を解き、腰刀を抜いた。
「信長殿! 霞北殿は一度の旧交を重んじ、わしに武士としての名誉を与えてくれた。わしは切腹するが、その手柄は霞北殿に与えられたい!」
直経の言葉に、
「よかろう。」
信長は一言だけ言ってうなずいた。
「まったく、甘い男じゃ。そんなことでは織田家の家臣として先が思いやられるぞ。」
「遠藤殿。」
「負けるなよ。勝者たる者、常に強くあれ。」
そう言うと直経は自分の腹に腰刀を突き立て、見事に割腹し、そして自ら首を斬って絶命した。わずか十数秒の出来事だったが、その姿があまりに衝撃的過ぎて、忠繁は動くことができなかった。
「忠繁、助かったぞ。」
信長が忠繁の肩を叩いた。
「信長様。私は、初めて人を殺しました。」
「であるか。それが戦というものじゃ。しかし、見てみよ。」
そう言われて、改めて直経の亡骸に目を向けた。
「この者。わしを討ち果たせず、戦にも負けた。さぞかし無念であったろう。しかし、この者の顔を見てみよ。敗者の顔ではない。なんと澄み切った顔であろうな。」
きっと、直経は忠繁の心遣いが嬉しかったのかもしれない。そして、信長は忠繁を励ましたかったのかもしれない。あまりのことに頭が追い付いていなかったが、直経はこの時代の、武士の一分を果たせたのであろうと思うと、忠繁には何とも言えない申し訳なさがあった。
「勝鬨を上げる! 忠繁、そなたが先導せよ。」
「へっ?」
「何を呆けた顔をしておる。勝鬨じゃ!」
「は、はいっ!」
信長に促され、集まった兵達の中央に行くと、直経を突き刺した脇差を高く掲げた。
「えい! えい!」
「「おーっ!」」
「えい! えい!」
「「おーっ!」」
「えい! えい!」
「「おーっ!」」
それは、両軍の死者の血で赤く染まった姉川が広がる平野に遠く遠く響き渡った。姉川の戦いでは、浅井・朝倉連合軍は約一八〇〇名、織田・徳川連合軍は八〇〇名ほどの死者が出たと言われている。
こうして、戦国史の野戦でも名高い姉川の戦いは、信長達の勝利で幕を閉じたのである。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
壮絶な姉川の戦いがいよいよ終わりました。
遠藤直経の本陣突入は、
あまり有名ではないのですが、
結構いろいろな書物で取り上げられています。
もしかすると、
ここで歴史が動いたかもしれませんね。
元亀動乱は続きます。
次回もお楽しみに!
水野忠




