第一章 戦国時代②
どのくらい歩いただろうか、暗がりの中にぼんやりと集落が見えてきた。すっかり日も沈んでいるため、出歩いている人もまばらだ。ここには車や電車など、街中の喧騒がない。ずいぶんひっそりとした印象だったが、不思議と寂しそうには見えなかった。
光秀に案内されて、集落の中央にある建屋に入った。ここはいわゆる宿屋で、清須城下では一番大きな宿だという。
「清須城下。ということは、領主は織田信長・・・。」
忠繁がつぶやくと、
「これこれ。ここの殿様を呼び捨てなどにして、ご家来衆に聞かれたら無礼討ちされるぞ?」
光秀は困ったように微笑んだ。中に入り靴を脱ぐと、二階の大きな部屋へ通された。ろうそくなどに火が点けられてはいるが、建物の中に入ると一層暗かった。光秀が部屋に案内してくれるまでに、何度かつまずいて転びそうになった。足の小指だけひっかけた時は痛みで悲鳴が出そうになったがぐっとこらえた。
忠繁は剣道部にいたころを思い出し、すり足と呼ばれる足を上げない歩き方でゆっくりと進むことにした。
「この部屋じゃ。まずはそなたの怪我を見ようか。」
光秀は宿の主人に水を汲んでくるように言うと、傷の泥を落とし、薬草から作ったという軟膏を塗った。ものすごくしみたが、我慢するしかなかった。幸い、擦り傷くらいで済んでいたので処置はすぐに終わったが、この時代の医療技術のことだ。何を塗られたのかは考えないようにした。
処置が終わると、権蔵は別室で休むと言って出ていった。主人と同じ部屋というわけにはいかないのだろう。光秀は明智の庄の領主だ。そして、身分に厳しい時代のことである。忠繁も権蔵と同じ部屋に行こうとした。
「あの、私も別室で・・・。」
「気づかい無用じゃ。あそこで会ったのも何かの縁、疲れもあるだろう。少し飲んだら今夜は休まれたら良い。その代わり、明日は城に参るゆえ、良ければついて参れ。」
「清須城ですか?」
「そうじゃ。清須城には、我が主、斎藤道三(さいとうどうさん)様のご息女、帰蝶様が嫁いでおられる。此度は道三様の子、義龍様の命で帰蝶様のご機嫌伺いに参る。帰蝶様はわしの従妹でもあるのじゃ。」
光秀と帰蝶(きちょう、信長の妻で濃姫ともいわれる。)が従兄妹であることは、何かの書物で呼んだ記憶がある。信長の苛烈な逸話に、帰蝶も冷酷で氷のような女性という印象が強いが、実際のところはわからない。なんと言っても、忠繁の時代には歴史の文献から判断した人物像しかないのだ。
「帰蝶様は、どのようなお方でございますか?」
「帰蝶様か? そうじゃな。天真爛漫、いたずら好きの明るいお方だ。」
天真爛漫など、思い描くイメージと違ったことで不思議に思った。それが事実だとしたら、やはり書物の知識などあてにはならないということか。
宿の主人が酒とつまみを運んできてくれた。光秀は酒を手にすると、忠繁の盃に酒を注いだ。
「ありがとうございます。」
この頃の光秀は、まだ名もない武将とは言っても、明智家の若き当主である。その光秀が、出会って間もない忠繁にここまでしてくれるのは、彼の本来の性格なのだろうと思うことにした。
「ところで、忠繁殿。城に同道させるにはそなたのことを知っておきたい。そなた、生まれはどこじゃ?」
酒を飲みながら、ふいに問いかけられたので、忠繁は困った。話は合わせておいた方がいい、しかし、ボロが出ないように細心の注意をしなければならない。少ない歴史の知識を総動員して、自分の立場を作ることにした。
「生まれは、東の武蔵になります。父は北条家で足軽の組頭をやっておりました。父も母も病で亡くなりましたので、武蔵を出て西へ旅していたところ、堺で商人の男に雇われ、船で雑用をしておりました。」
「そのいでたちは南蛮のものか?」
忠繁はスーツを着ている。会社帰りだったので当たり前だったが、この時代ではかなり浮いて見えるはずだ。街に入ったのも日が沈んでからだったおかげで、誰にも見られずにここに座っている。
「はい。遥か西の国の衣服だそうです。動きやすいので着ていました。」
「ふむ。しかし奇抜すぎるので、なにか着替えを用意させた方がいいな。権蔵、いるか?」
別室にいったはずの権蔵が、静かに障子を開けた。ひょっとしたら、廊下に控えているのかもしれない。忠繁はそう考えると、改めてこの時代の主従関係の厳しさを感じた。
「明日、一番に着物問屋に行き、この者の着物を見繕ってきてくれ。かなり大男だからな、身の丈に合うものがあればいいのだが。」
光秀の身長はせいぜい一五五センチくらいだろうか。権蔵に至ってはそれよりも低い。忠繁の身長は一七〇センチ程度で、決して大きくはないが、この時代の人達の中では大きな方なのだろう。
「かしこまりました。」
権蔵はお辞儀をすると障子を閉めた。どうやら主が休むまではそこで控えているらしい。光秀が休めば、権蔵もようやく休めるのだろう。
「そなたの髪型ではマゲも結えぬのう。」
「はは、南蛮で流行りの頭だそうです。」
「まぁよい。髪はいずれ伸びる。」
光秀はそう言って笑った。話を聞くと、光秀はあまり酒が得意ではないそうだ。忠繁はその時になって初めて、光秀が自分のためにわざわざ酒を用意してくれたことに気が付いた。
「十兵衛様。助けていただいた上にご馳走にもなりまして、お礼の言葉もございません。ですが、今の私にはお返しできるものが何もございません。」
「そのようなこと、気にすることはない。困ったときはお互い様じゃ。」
「それでは、扶持はいりませぬので、もしよろしければ、明智家でお雇いくださいませんか? たいしたことはできませぬが、雑用くらいはこなして見せます。」
これは忠繁の計算であった。いまだにここが戦国時代であるということが信じられない。夢を見ているのならかなりリアルな夢だ。しかし、肌で感じる空気、街ゆく人々、冷静になったうえで常識の足かせを少しずつ外していくと、ここは戦国時代、自分のいた時代から四〇〇年以上前の時代にいることを信じなければいけない。とも考えていた。そうであれば、ここでしばらく生きていくための足場が必要なのだ。幸い、光秀なら名前も知れている。下手に知らない者に厄介になるよりはいいと判断したのだ。
「心配いたすな。そなたに会ったのも何かの縁と申したであろう。もとより、お主さえよければこのまま明智の庄まで案内しようと思っていた。そなたは奇抜な恰好こそしておるが、瞳を見れば人柄もわかるというもの。そなたは悪人ではない。しばらく我が家で面倒を見るゆえ、そなたのやりたいことが決まるまでゆっくり過ごすがよい。」
そう言って微笑む光秀に、忠繁は深々と頭を下げた。
「そうだ、権蔵さん。」
「へい。」
再び障子が開いた。忠繁はカバンの中にある自宅の鍵から、プラスチックでできたカバのキーホルダーを外すと、
「南蛮の技術で作った物にございます。これを売ったらお金になりますか?」
そう言って権蔵に手渡した。しばらく物珍し気に見ていたが、何度もうなずいた。
「これは見たこともねぇ。売ってしまっていいのですか?」
「はい。私の衣服を買う際のお金にしてください。」
権蔵は頷くと、再び障子を閉めた。
「今のはなんじゃ?」
「プラスティックです。」
「ぷらすぅちっく? それはなんじゃ。」
「南蛮では、油を固めて作る工芸品があるそうです。船から持ち出した物ですが、もう持ち主もいないので。」
次から次へと出てくる出まかせに、忠繁は自分で自分に呆れていた。自分しか知らない自分だけの真実を話していくたび、己の営業マンとしての胡散臭さを実感していた。しかし、カバンの中の物を見ながら、もしかすると今の時代でも使えそうなものがあるのではないかと考えた。
「あのような希少な物。衣服の費用など気にせずともよいものを。」
「いえ。途方に暮れていた私を助けてくださいました。甘えてばかりもいられません。」
そう言うと、
「そなたは義理堅いのだな。」
と、光秀は微笑むのだった。明智の庄は美濃、現在でいう岐阜県の東に位置している。光秀の話では、叔父・明智光安(あけちみつやす)と共に明智領を守っていたが、四年前に美濃の大名・斎藤道三と息子・義龍(さいとうよしたつ)が対立し長良川の戦いが起こる。義龍は幼馴染でもある光秀に、自分に味方するように打診したが、どうしても道三に付くという光安と共に道三側について戦う。道三が討ち死にした後は、明智城に籠ったが、光安が光秀達の助命を嘆願して切腹。明智城は炎上し落城。しかし、光安の死をもって、義龍は光秀の領地を保証した。
翌朝、権蔵は早くから動いてくれたらしい。忠繁達が朝食を終えるころには頼んでいたものを用意して戻ってきてくれた。
「ありがとう、権蔵さん。」
忠繁は衣服を身に着けるのを手伝ってもらうと、権蔵に頭を下げた。
「いえ。それから、丸腰では物騒でございますので、これを。」
そう言って差し出したのは、一本の日本刀だった。忠繁の渡したキーホルダーを見た金貸しが、珍しい珍品が手に入ったと、上機嫌で大金を出したのだという。
「残った金子はこちらにございます。」
そう言って、残ったお金を返してきた。受け取ったお金がどのような価値かは皆目見当もつかなかったが、今後に必要かもしれないので受け取っておいた。そもそも、この頃の通貨は国ごとに統一されていなかったらしい。
「うむ。ようやくそれらしい姿になったのう。」
光秀は満足そうに微笑むと、
「では、帰蝶様に会いに行くとするか。」
そう言って立ち上がった。
続く。
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光秀に助けられた忠繁は、帰蝶と面会してあることを聞かされます。
信長のために忠繁が提案したこととは?
次回もご期待ください。
水野忠