第三章 再会と新たなる苦難⑧
撤退を決めてからの信長の動きは早かった。各々引き上げることだけ伝えると、久秀や忠繁ら、数名の供を連れて陣を離れた。さすがに馬廻り衆は焦って追いかけたが、合流できたのは翌日の夜になってからであった。
この先には、近江の豪族、朽木元網(くつきもとつな)の陣がある。元網は朝倉義景から織田家を攻めるように要請が来ており、この街道を通れば一戦構えようと待ち構えていたのだ。数にして数百程度であったが、今の信長の下には数十名の従者しかいない。
「さて、朽木を説得して参りますかな。」
久秀は馬を降りると、首を回しながらそう言った。
「できるか。」
「わかりません。朽木が多少でも利口であればいいんですがねぇ。」
久秀はそう言うと、
「和泉守殿、何か良策はございますかな?」
と聞いてきた。
「利害をしっかり説明すればいいと思うのですが、朽木様がどのような方かわかりませんので、何とも言えません。」
「信長様。和泉守殿をお借りしてもよろしいか。」
信長は忠繁を見ると、
「かまわぬ。どのみち朽木が刀を納めなければ皆死ぬのじゃ。」
そう言ってうなずいた。忠繁にしてみればとんだとばっちりであったが、たしかに、ここを越えなければいずれにしても殺されるのは間違いない。一瞬、脳裏に風花の笑顔が浮かんだ。彼女の下に帰るためにも、ここは越えなければいけないのだった。
「わかりました。久秀様、参りましょう。」
そういうと、久秀と一緒に朽木の陣へ歩いて行った。
「久秀様、何か説得する材料はございますか?」
「ないな。わしが朽木ならすぐにでも襲い掛かって、信長様の首級を上げるであろうよ。」
「そんな物騒な。」
「なんのためにお主を連れてきたと思うのじゃ。何か策をめぐらせぃ。」
久秀はそう言うと声を上げて笑った。忠繁はだんだん心配になり、ここまで来たことを後悔してため息をついた。やがて陣が見えてくると、中の兵士達が忠繁達に気が付いたようで、一斉に弓矢を構えた。
「待たれぃ! 松永弾正、霞北和泉守が朽木元網殿に面会したいと参上いたした。お取次ぎ願おうか。」
久秀が声を上げると、しばらくして陣門が開かれた。二人は門の前まで馬で進むと下馬して、供の足軽に馬を預けた。忠繁は陣の周囲を見回した。朽木勢は殺気立っており、すぐにでも襲い掛かってきそうな雰囲気だ。時代劇などでは、使者が問答無用で斬られることもあった。忠繁の額に嫌な汗が流れた。
「堂々としていなされ。人間死ぬ時は死ぬ、生きる時は生きる。」
「久秀様のように、肝は据わっておりません。」
「はは、心配するな。朽木は大した武将ではない。利害を解けば必ず味方に付く。」
二人は陣の奥、幕舎で囲まれた中に通された。そこで刀を預け、中に入る。まさに丸腰と言える。幕舎の中、中央に立派な身なりの若武者が座っていた。歳はまだ二十歳くらいであろうか。確実に有利な状況のはずなのに、何か追い詰められて今にも倒れそうな顔付きをしていた。
「おぅ、朽木殿。京での茶会では世話になったな。」
「お、おお。ご無沙汰しております。」
「織田家を代表して、わしとこの霞北和泉守殿が軍使として参った。少し話をしようか。」
そう言うと、久秀は勧められてもいないのに近くの床几を手繰り寄せると腰を掛けた。そして、忠繁にも座れと目配せをしてきたので、一礼して腰掛けることにした。
「して、朽木殿。この物々しい備えは何事じゃ? なんぞ、戦でもするのか。」
「お、おう。朝倉の要請を受けて、信長公の首を頂戴いたす!」
「ほう、信長公の首を。それはちとまずいのぅ。」
「松永殿が何と言おうとも無駄ですぞ。」
しかし、この朽木元網という青年。久秀に物申すのもいっぱいいっぱいと言ったところだ。かつての茶会で何があったのかはわからないが、よほど久秀に頭の上がらない思いをしたのであろうなと、忠繁は考えた。久秀が降ってから、それほど面識があったわけではない。しかし、久秀にはこの戦国時代の武将達とは何か違う雰囲気を感じていた。そう、戦国武将らしくないのだ。服装も兵装も派手目で、言葉遣いも粗雑。その逸話はたくさんある。
久秀はかつて主君であった三好家に背いている。また、前将軍・義輝暗殺に関与し、それ以外にも、奈良の東大寺の大仏を焼き払ったり、見事な悪人ぶりだ。それでいて、昨年冬に三好勢とは合戦中にもかかわらず、
「南蛮ではクリスマスにキリストをしのんで争いごとはしない。今夜くらいは共に酒を飲もう。」
と、クリスマス会を開き、合戦中にもかかわらず、両軍数十名が酒宴を開いたという。おそらく、日本で初めてクリスマス会をやったのではないだろうか。(諸説あり。)
「いやいやいや。これは貴殿と朽木家のために申し上げるが、朝倉の要請を受けてというのがよろしくない。」
「なんですと?」
「この度の信長様の朝倉攻め、これは将軍義昭様の勅命でのこと、将軍の意にそぐわない行為は、いかがなものかと思うが。ん?」
「しかし、朝倉様はその義昭様から信長討伐を命ぜられたと聞いております。」
「ほれ、そこがすでに危うい。のう、和泉守殿?」
「へ?」
いきなり話を振られたため、忠繁は久秀を見返してしまった。
「詳しい話をしてやってくれ。」
ここにきて丸投げか、と、忠繁はため息をつき、背筋を正すと元網に向き合った。
「霞北和泉守忠繁と申します。朽木様の申されることにはいくつか訂正がございます。」
「訂正?」
「はい。まず、将軍様が朝倉家に織田家討伐を命じるはずがありません。なぜならば、義昭公を将軍にするために最も尽力したのは信長様であることは存じていらっしゃるかと思います。」
「お、おお。」
「さらに、その将軍様は織田家を頼られる前は、他でもない朝倉家に身を寄せておりました。それなのに朝倉家ではなく織田家へ来たのは、将軍様が天下の仕置をするに、朝倉家を見限った証拠。その朝倉家に対して、将軍様が信長様の討伐などお命じになるはずもございません。それに、松永様の言うとおり、朝倉征伐を勅命として出されたのは将軍様にございます。朝倉家を討てと命じておいて、その朝倉家に織田家討伐など命じては、筋が通りません。」
「し、しかし、すでに義昭様と信長の仲は悪くなっていると聞いておるぞ。」
「それは流言にございましょう。織田家は先代信秀様の代より、朝廷には多額の援助を申し出ておりました。朝廷の権威を取り戻し、足利家を閉ざさぬよう義昭様を将軍にした織田家の功績は大きいものです。それに、朽木様のお話をうかがっていると、失礼ですが伝聞ばかりで確証がないものばかりではございませんか。これは危うい、実に危ういですぞ?」
忠繁はそこで立ち上がって、身を乗り出して元網に詰め寄った。営業の経験をここで最大に活かそうとは思いもしなかったが。しかし、元網はすっかり忠繁の営業技術の術中にはまっている。
「朝廷も承認している織田勢はいわば官軍。それに対して、将軍参賀の要請をことごとく無視する朝倉家は賊軍とも言えます。朽木家は、それでも朝倉家にお味方すると申されますか?」
「むむむ。」
「むむむではございません。織田家は総勢一〇〇〇〇〇の大軍を擁する大大名、失礼ながら敵対して朽木家の明日は保証されましょうか。」
そこまで言うと、元網はそれ以上言わなくてよいと、右手を前に出して忠繁を制した。
「あいや。失礼仕った。この朽木元網、おのれの過ちに気が付きましたわい。京までの信長公の撤退、いや、ご進軍。我ら朽木家が道案内させていただきとうございます。お二方、どうか信長公にはよしなに。おい! 何をしておる。ご使者殿にもてなしの酒を用意せぃ!」
そう言って二人に酒を勧めると、二人に連れられ、重臣と共に信長へ恭順を願い出た。こうして、朽木家の懐柔に成功した信長は、四月三〇日に京に到着した。また、秀吉と光秀の殿軍も、多少の損害は出したものの、信長に遅れること五月四日には京への撤退を成功し、二人は信長より恩賞を受けることになる。
「忠繁殿のおかげで命拾いしたでござる。半兵衛も素晴らしい作戦だったと褒めておりましたぞ。」
後に秀吉が忠繁に礼を言ってきた。忠繁が残した策というのは、朝倉勢を油断させるために、毎日の食事のための竈を少なくしていくというものであった。竈が少ないので食事の準備に時間を要するのだが、追撃する朝倉勢は、日に日に減っていく竈の数に、秀吉と光秀の殿軍がどんどん少なくなっていったと判断した。調子に乗って出てきたところを、撤退途中に合流した家康の軍勢も併せて、一斉に襲い掛かったのだ。そのため、想定外の被害を出した朝倉勢は、そうそうに追撃を諦めて越前へ引き上げていった。
一方、信長は京にて休息すると、浅井討伐の態勢を整えるべく、五月九日には岐阜へ引き上げるのだった。
朽木元網は、忠繁達の説得で信長に付いたが、この時には義昭による信長包囲網が完成しつつあった。東は甲斐(現在の山梨県)の武田信玄、北は越後(現在の新潟県)の上杉謙信、西には浅井長政と朝倉義景。さらには西国の勇である毛利元就、畿内では石山本願寺と、呼応する準備は着々と進められていった。
第四章へ続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。\(^o^)/
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無事に撤退を終えた信長は、
信長包囲網に立ち向かうべく立ち上がります。
怒涛の展開の第四章 元亀争乱
次回もどうぞお楽しみに!
水野忠




