第三章 再会と新たなる苦難③
その日の晩、忠繁は薬が効いたのか、熱も下がり静かに寝息を立てていた。光秀は障子を開け、外の空気を部屋に取り入れた。
各地を放浪した後、越前の朝倉家が人材を集めていると聞きつけ、一家で北を目指した。多かった供の者も、この時には一五名ほどまでに減っていたのだった。越前に着くと、家老の山崎吉家(やまざきよしいえ)に面会し、朝倉家当主である義景に任官を求めた。
「明智光秀殿、と申されるか。」
「ははっ。美濃の斎藤道三様に仕えておりました。武芸、政治一通りのことは学びましたゆえ、お役目をいただければ必ず結果をお出しいたします。」
義景は、扇子で自らを仰ぎながら、光秀を値踏みでもするように見ていた。
「特技はあるのか?」
「はっ。鉄砲が得意にございます。」
「鉄砲、とな。」
光秀は許しを得て、中庭で鉄砲撃ちを披露することにした。三〇間(約五五メートル)に日の丸模様の扇子を立て、光秀は鉄砲の照準を合わせると、呼吸を整えて引き金を引いた。轟音が鳴り響き、筒先から放たれた弾はまっすぐに扇子を目掛けて飛んでいった。
「当たっておらぬではないか。話にならぬな、帰ってよいぞ。」
「お待ちください。」
光秀の目配せで、控えていた溝尾庄兵衛が扇子を取りに行き、義景に献上した。義景は退屈そうにそれを受け取ると、扇子を見て目を見張った。
「なんと。」
光秀は扇子に当てるだけではなく、そこに描かれたわずか直径二寸(約六センチ)の日の丸を撃ち抜いていたのだ。
「わが腕をお疑いでしたら、今一度撃ち抜いてご覧に入れます。」
「よいよい。見事な腕じゃな、これは良い鉄砲の曲芸じゃ。何かの折に活躍してもらおうか。吉家、この者を召し抱えるゆえ、適当な家屋を与えてやれ。」
そう言うと、義景は満足そうに退室していった。
「殿の鉄砲を、曲芸などと・・・。」
「堪えよ。」
庄兵衛の怒りももっともであった。光秀としても決して面白くはなかったが、これ以上流浪の旅を続けるのは、家族にも申し訳ないと思っていたところだった。そのため、光秀は義景が道三や信長に比べれば暗愚な主君とわかっていながら仕えることにしたのだった。
吉家の案内で与えられた家屋は、朝倉家居城の一乗谷のはずれにあった。家屋と言ってもほとんど廃屋で、まずは片付けと修繕から手掛けねばならない。
「殿は鉄砲の重要性をご理解されていない。しかし、これからは鉄砲が重用されるようになっていくであろう。そなたの腕はその時に必要になる。どうか、許してくだされ。」
「吉家様。お気遣いありがとうございます。おかげさまで、ようやく腰を落ち着かせることができます。」
「少し修繕が必要であろうが、何か入用があれば遠慮なく申されよ。」
吉家はそう言うと一乗谷城へ引き上げていった。
「煕子。すまぬな、もう少し条件が良い任官口が見つかればよかったのだが・・・。」
「何をおっしゃいます。住むところが決まっただけで十分ではございませんか。さぁ、早ぅ片付けて、きれいにしましょう。」
煕子はそう言って、供の者達と掃除に取り掛かった。煕子達が片づけをしている間、光秀は周辺の散策に出かけた。屋敷の脇には一乗川が流れていた。川沿いに少し山に入っていくと、そこには大きな滝があった。一乗滝である。光秀は滝の傍にある岩に腰かけた。
滝の流れを眺めながら、大きくため息を吐いた。義景の態度、そして君主としての資質の低さは明らかだ。しかし、ここまで文句の一つも言わずに付いてきてくれた煕子や家臣の者達のためにも、光秀は朝倉家で働くことを決意しなければならなかった。
「目をつむろう。いずれ、日が射すことを信じて。」
光秀は自分にそう言い聞かせると、滝飛沫を浴びながら、家族のためにここで生きていくことを滝に誓った。
余談だが、現在のこの一乗滝の近くには佐々木小次郎の銅像がある。巌流島で宮本武蔵との決闘したことで有名だが、小次郎の秘技「燕返し」は、この一乗滝で特訓し、編み出したものと言い伝えられている。
光秀は、義景に召し抱えられてからは雑用に近いような仕事もこなしていった。どんな仕事も嫌な顔一つせず、懸命に働く光秀だったが、よそ者として多くの朝倉家臣達は関わろうとはしなかった。唯一、吉家だけが気にかけ、相談に乗ってくれていたのが救いだった。
光秀は雑用をこなす傍ら、屋敷の周辺に住む子供達を集めては読み書きを教えたり、手が空いている時は屋敷の周辺を開墾し、田畑を作って作物を育てたりした。そんな生活が続いていたが、ある日、義景に茶の席を開き、俳句の会を設けるように指示を受ける。光秀の教養を他の朝倉家臣に見せてやってほしいということだった。
光秀は教養もあり、武芸にも長けているため、もっと重要な役割を与えてやってほしい。そう言う吉家の言葉に、義景はとりあえず俳句の会を開いてどの程度か見極めようとしたのだ。
「困ったものじゃ。」
「十兵衛様。いかがなさいましたか?」
ため息を吐く光秀を心配し、煕子が声をかけてきた。
「義景様から俳句の会を開き、わしの教養を周りに示せとご命令があったのじゃが。わしは朝倉家臣と言っても末席の末席じゃ、俸禄だってあってないようなもの。俳句の会を開く金子がないのじゃ。」
そのあたり、何も考えていないのが義景である。吉家に相談するか、義景に金を借りるか思案しながら、光秀は会場になる一乗谷城の一角にある茶室を見に行った。ここは義景が教養を磨くために造った茶室だ。俳句の会などもできるように広めに作られている。茶人の手配に、俳句の会を開くための道具の準備、土産の手配、自分の礼装もそろえなければいけない。どう考えても金が足りなかった。光秀はため息を吐きながら屋敷へ戻ることにした。
「仕方あるまい。義景様に無心をお願いし、ダメなら諦めるか。」
失意のうちに帰宅すると、光秀の自室の机に見慣れない巾着袋があり、その中には驚くほどの金子が入っていた。
「こ、これは・・・。」
光秀が驚いていると、襖越しに煕子の声が聞こえた。
「十兵衛様。工面できるだけ工面しましたので、それをお使いください。武士は貧しくとも誇り持って仕えるべきです。主君がお命じになられた俳句の会なら、やらなければなりませんよ。」
「煕子。この金子はいったいどうしたのじゃ。」
「家財を売ったのでございます。些少ですがお使いください。」
光秀は立ち上がった。家財を売ったとしても、この金額は多すぎる。疑問に思った光秀は、襖を開けて煕子に声をかけようとした。しかし、その姿を見て光秀は言葉を失ってしまった。
「煕子、おまえ・・・。」
腰元まであったであろう黒く美しい髪はなくなり、肩回りにもかからないほどの長さになった煕子の髪、恥ずかしそうに顔を背けるその表情に、光秀はすべてを察した。
「髪を、売ったのか。」
「ほかに用意できるものがございませんでしたので。でも、思いのほか高く売れましたので安堵いたしました。」
微笑む煕子を、光秀は抱き寄せた。
「すまぬ。煕子、すまぬ!」
「十兵衛様。お気になさいますな、髪は放っておいてもまた伸びまする。されど、ご主君からの出世の機会は、そうそう巡ってくるものではございませんよ。」
煕子が自らの髪を売ってでも工面した金子のおかげで、光秀は見事に俳句の会を成功させ、朝倉家中に光秀の教養見識を広めることに成功した。義景も光秀の実力を認め、閑職に在った光秀をいくつかの奉行に命じた。決して大出世というほどではなかったが、今まで避けていた者達も光秀を頼るようになり、それまでに比べれば明らかに仕事も生活も楽になったと言える。しかし、それでも光秀の能力からすれば、まだまだ満足のいく役割ではなかった。
そして、朝倉家での基盤ができつつあるときに、細川藤孝が足利義昭を伴って越前へ逃げてきたのである。松永久秀は第一四代将軍に義昭の従兄弟である義栄を立てると、実質上の天下の実権を握った。前将軍義輝の弟でもある義昭は、その立場上命を狙われることになったのだ。
「おう、明智光秀殿ではないか。」
「これは藤孝殿、お久しゅうございますな。」
「今は急ぐゆえ、改めて挨拶させていただく、ご免。」
光秀は斎藤家時代、京見物に行った時に面倒を見てくれた細川藤孝に声をかけられたが、藤孝はそう言って城の中に入っていってしまった。義昭は越前の名門である朝倉家に協力を求め、上洛をして松永や三好一党を滅ぼせと命じたのだ。この要請に対し義景は、表向きは承諾するも、なかなか腰を上げようとせず、義昭の滞在は長引くことになる。
そんなある日、光秀の屋敷を藤孝が訪ねてきた。
「連絡もなしにすまぬな。お邪魔してよいか。」
「これはこれは藤孝殿、このような場所までいかがされた。お呼びいただければ参上しましたが。」
「ん? 先日、改めて挨拶すると申したであろう。ほれ、土産じゃ。」
そう言って、藤孝は木箱いっぱいに入った酒や魚、野菜を光秀に渡した。光秀は流浪の身から朝倉家に召し抱えられたが、末席中の末席という下級武士。それに対して藤孝は、将軍家の家臣で役職もある。立場で言えば藤孝の方がだいぶ上だ。その藤孝が自ら土産を持って屋敷を訪ねるなど、この時代にしては驚きのことだった。
「かようにたくさん。かたじけない。」
光秀は煕子を呼ぶと、すぐに酒とつまみを用意するように伝えた。
「これは奥方殿、突然お邪魔して申し訳ない。」
「いいえ。藤孝様のご高名は、いつも夫よりうかがっておりました。このように何もないところですが、どうぞごゆっくり羽を伸ばしてください。」
「いやいや。どうかお気になさらぬよう。奥方殿、今は不遇の時かもしれぬが、光秀殿なら近いうちにかならず大きなお役目が回ってくる。今は辛抱の時ですぞ。」
そう言うと藤孝は大きな声で笑った。その時、その笑い声に気が付いたのか、光秀達の娘の岸が、五歳になった玉を連れて廊下を駆けてきた。
「おう! お姫様がおったか。かわいい、かわいい。そうじゃ、そなた達にも土産があるのじゃ。光秀殿、ちょいと失礼するぞ。」
藤孝はそう言うと、光秀に持たせてあった木箱の中から小さな箱を取り出した。そして、岸と玉の前にしゃがみ込むと、その箱を開けた。その中には、色とりどりの小さな豆粒大の粒がたくさん入っていた。
「わぁ、きれい!」
「これはな。京のお菓子で金平糖というものだそうじゃ。甘いお菓子ゆえ、一度に食べては毒になる。姉上殿がしっかり管理して、仲良くゆっくり食べなさい。」
「ありがとうございます!」
「あいあとー」
藤孝は嬉しそうに二人の頭を撫でてやった。岸と玉は箱を大事そうに抱えながら、別室へ駆けていった。
「可愛いのぅ。わしの所は男しかおらんからな。光秀殿が羨ましいぞ。」
「あのように、高価なものを。申し訳ない。」
「気にすることではない。わしは光秀殿の才能に惚れているのじゃ。今後も仲良うお付き合いくだされ。」
その後、煕子が料理を作っている間、藤孝は光秀と酒を飲みながら、義輝暗殺や義栄就任の話を伝えた。そして、僧になっていた義昭を還俗させ、とにかく安全な場所へと、この越前まで逃げてきたということだった。
「さて、ここだけの話じゃが。朝倉殿は兵を挙げるつもりはあるのじゃろうか。」
藤孝が義昭を連れて越前に入ってから、すでに一年以上が過ぎている。しかし、義景は一向に兵の招集をしない。そればかりか、ことあるごとに義昭に酒や名産品だを勧め、すっかり骨抜きにしてしまっている。
「相手が藤孝殿ゆえ、腹蔵なく申し上げる。朝倉家は、義景様で一一代続く名門中の名門。されど、義景様に天下を狙う野心はなく、この越前一国安泰ならそれでいいと考えておられる。一度、側近の山崎吉家殿が上洛に付いて進言されておったが、のらりくらりと、はっきりした返事はせんかった。」
「やはりそうか。」
藤孝はそう言うとため息をこぼした。
「京を追われた時に、義昭様、いや、足利家のために働いてくれる大名家はどこかと考えた時に、真っ先に考えたのは越前朝倉家と越後の上杉家じゃった。しかし、越後は遠い、義昭様はそこまで行くのなら朝倉でいいだろうと申されてな。今となっては仕方がないが、無理をさせてでも越後まで行くのであった。」
「いや、もっと近くにおりますぞ。勤皇を重んじ、それでいて、今、日の目を見る勢いの大名が。」
光秀はそう言うと、盃に注いであった酒を飲み干した。
「美濃を手にした織田信長殿じゃ。」
「信長? 粗暴でうつけ者と有名じゃが。」
「いや、それは表向きのこと。従妹の帰蝶様には、信長殿が類まれな英傑であることをいやというほど聞かされてきた。それにな、今、織田家には一人、名将の卵がおる。」
「名将の卵?」
「そうじゃ。その御仁は霞北忠繁殿といって、織田領内の関所や座を廃止し、街を栄えさせた大功労者じゃな。」
楽市・楽座の政策に関しては、風の噂で光秀も聞いていた。なんでも、織田家に新たに召し抱えられた無名の家臣が、関所と座を廃止し、人、物、金を流通させて大きな成果を出したと。
「信長殿はこの忠繁殿に、なんでもよく相談されているそうじゃ。尾張の小大名だったが、美濃を手に入れて基盤は出来上がった。これからは織田家が伸びるであろう。」
藤孝は、少し考えてから、義昭にそう言った話をしてみてはもらえないかと頼んできた。義昭は寺での修業が続いていたために、外の世界のことはほとんどわからない。判断するのは義昭だが、織田家の話をしてやってほしいと言うのだ。
「わかり申した。では後日、義昭様に面会をお願いし、美濃や尾張の情勢でわかっていることをお伝えしましょう。」
そうして、光秀は義昭に京の周辺状況を報告し、信長のことも伝えてみた。義昭にしてみれば、各地を流浪して渡り歩いた光秀の言葉が響いたようで、それからもたびたび光秀を呼び出しては、各地の話や鉄砲の話などを聞くようになった。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
織田家に仕えるまでの光秀は本当に苦労人です。
そして、その光秀を献身的に支え続けた煕子の存在、
戦国史でもトップクラスの良妻ではないでしょうか。
次回、光秀は大きな決断をしていきます。
どうぞお楽しみに!
水野忠




