第三章 再会と新たなる苦難②
浅井家との同盟が完了すると、信長はさっそく朝倉家に保護されている足利義昭に接触した。義昭の兄、義輝は足利幕府第一三代将軍であった。戦のない世を理想としていたが力がなく、領民から慕われていたにもかかわらず松永久秀などの軍勢に攻め立てられた。
義輝は剣の名手でもあった。久秀に攻められると、畳に一〇本の刀剣を突き立て、刀が使えなくなっては新しい刀と交換して戦い続けた。久秀の手勢、実に二十数人が討ち取られたが、六本目が折れたところで一斉に槍を繰り出され、無念にも非業の死を遂げた。
久秀らは義輝の従弟に当たる義栄(あしかがよしひで)を一四代将軍に据え、その権力を振りかざそうと考えていたが、義輝の弟である義昭がこれを良しとせず、反義栄の旗を上げることになる。この時の義昭は、朝倉義景の庇護を受けていたが、義景は慎重で腰が重く、本気で上洛しようとは考えていなかった。業を煮やした義昭は、この頃、諸国放浪の末召し抱えられた明智光秀に声をかけ、上洛を支援してくれる大名はいないかと相談していた。義景から冷遇されていた光秀は、これを好機と捉え、信長に支援してほしいと書状をしたためたのだ。
書状を受け取った信長は、上洛の大義名分ができたと歓喜していた。信長としては将軍の名のもとに天下統一を進められる野望を持ち、義昭にしてみれば信長の武力で足利家再興ができると、皮肉にもそれぞれを利用できると考えていた。
信長は義昭を迎えるにあたり、調整役をするように光秀に返書をしたためた。その返書を光秀に持っていく役を、忠繁が引き受けたのだ。忠繁は書状をもって越前一乗谷へ向かった。岐阜から越前は、険しい高倉峠の山中を抜けていった。決してやさしい道のりではなく、開拓のされていないこの時代の山越えはまさに命がけであった。しかし、それでも忠繁の足を前へ前へと推し進めたのは、恩人であり大切な友人でもある光秀に会いたいという一心であった。
途中の荒天にも阻まれながら、何とか越前一乗谷へたどり着いたのは、岐阜を発してから半月後のことであった。岐阜から越前までは一〇〇キロ以上の道のりだ。だいぶ体力が付いたとはいっても、今回の旅路は忠繁の身体に大きな負担がかかった。越前に入ると、宿泊した宿屋で高熱を出し、数日寝込んでしまった。意気込みすぎたのだろうか、なかなか熱は引かず、宿の女将が仲居達と交代で看病に当たった。
「旦那様、大丈夫でございますか?」
たき、と名乗ったこの宿の女将が心配そうに顔を覗き込んできた。
「女将さん。ご迷惑おかけして申し訳ない。」
「そんなことはいいんですが、旅の途中でしたんでしょう?」
「ええ。越前の朝倉様に仕える明智十兵衛様に会いに来たのですが・・・。」
この時代に来てこんなに体調を崩すことはなかった。もともとそんなに風邪を引く身体でもなかったので、この高熱には参った。意識が朦朧とし、食事もままならなかった。この時、忠繁は過労からくる熱病にかかっていたのだ。この時代に来てからというもの、必死に駆け抜けてきたが、この数年の疲れが、山に入ったことで気圧が変わり、一気に疲れとして出てしまったのだ。
五日も高熱が続くと、今度は身体の衰弱が始まった気がした。とうとう身体を起こすこともできなくなり、ここで死んでしまうのではないかという恐怖感に襲われた。
「・・・殿。」
誰かに呼ばれたような気がして、忠繁はうっすらと目を開けた。
「しっかりいたせ、忠繁殿。」
「十兵衛、様?」
ああ、夢を見ているんだなと思った。光秀に会いたい気持ちが強すぎて、夢を見ているのだと。そう思って再び目を閉じると、身体を抱き起される感覚がしたため、もう一度目を開いた。
そこにはたきや他の宿の従業員、そして、何人かの侍らしき男達、自分を抱きかかえている人に目をやると、懐かしい顔がにっこりとほほ笑んでいた。忠繁が意識を戻したことを確認すると、たき達は頭を下げて退室していった。
「身体付きはだいぶ立派になられたが、病にかかっては元も子もないな。」
「十兵衛様。」
「しっかりいたせ。今、薬湯を飲ませよう。」
そう言って、光秀が飲ませてくれた薬湯は、忠繁が飛び上がるほどに苦かった。
「うえっ!!」
「ははは。少々苦かったかのぅ。」
「・・・少々どころでは、ありませんよ。」
涙目になった忠繁を見て、光秀は笑った。
「煕子も同じ症状で体調を崩したことがある。疲れがたまった時に気候が変わると出る病でな。飲ませた薬湯はその病に効くゆえ、もうしばらく安静に休まれよ。」
そう言って再び横になるように促した。
「まさか、ここで十兵衛様にお会いできるとは思いませんでした。」
「はは。宿の女将がな、わざわざ使いを出してくれたのじゃ。」
忠繁が光秀に会いに来たことを聞いたたきが、すぐに使いを派遣し、光秀に忠繁の病を伝えたのだという。症状を聞いてピンときた光秀は、薬を煎じて持ってきてくれたのだ。
「織田家では大活躍だそうじゃな。色々うわさは聞いておるぞ。」
「あまり目立たないようにはしていたのですが・・・。」
「何を言っておるか。武士たるもの、主君のために尽力するは当たり前のこと、と言いたいところだが・・・。」
そう言って、光秀は表情を暗くした。忠繁は朦朧としながらも、朝倉家での光秀は冷遇されているという書物を読んだことを思い出していた。
「十兵衛様。義昭様と織田家にお越しください。信長様であれば、十兵衛様を重用なさるはずでございます。」
「うむ、義昭様には秘かに美濃へと話をしてある。義昭様も、なかなか腰を上げぬ義景様には期待されていないようでな。義昭様の家臣、細川藤孝殿と話し合い、織田家へと考えたのじゃ。」
細川兵部大輔藤孝(ほそかわふじたか、のちの細川幽斎)、剣術、弓術の腕は免許皆伝、牛を素手で投げ飛ばしたという逸話もある。また、和歌、茶道、蹴鞠、料理、囲碁など、教養人としても知られ、光秀の家を訪ねた時は、自ら土産で持参した鯉を料理したとされているくらいの腕自慢だった。
足利義輝に仕えていたが、松永久秀が義輝を討つと、すぐに義輝の弟である義昭を連れて京を脱出、名門と言われている朝倉家に保護を求めた。そこで、朝倉家でくすぶっている光秀を見かね、義昭の下で働くように誘いをかける。その最初の仕事として、信長との仲介役を任されたのだ。
余談だが、藤孝と光秀は気が合い、戦国の世でも珍しいほどに仲が良い。後に光秀の次女、たまは、藤孝の嫡男、忠興に嫁いでいる。しかし、本能寺の変で主君を討った光秀に加勢するのを良しとせず、光秀の味方を断るが、小栗栖で光秀が討たれたと聞くと、剃髪して幽斎を名乗ったという。
「義昭様は信長様に期待されている。そなたの病が良くなったら、すぐにでも越前を出ようぞ。」
「はい。」
「そのためには早く良くせねばな。」
そう言って、光秀は忠繁の額に冷やした手ぬぐいを乗せた。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
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細川藤孝という人物も、
数々の逸話があって興味深い人物ですね。
剛力だけでなく文化人でもあったと言われています。
次回は少し、
朝倉家での光秀の様子に触れます。
お楽しみに!
水野忠




