第二章 織田家の発展⑧
半兵衛が稲葉山城を占拠したのが、永禄七年(一五六四年)二月上旬の出来事であった。守就から稲葉山城占拠の報告を受けると、秀吉はさっそく信長に稲葉山城乗っ取りを伝えた。信長は稲葉山城を明け渡せば、美濃半国を与えると使者を出したが、
「もともと稲葉山城は、美濃国の物であり、尾張の殿から与えられるようなものではないため悪しからず。」
と言って、突っぱねたという。秀吉も何回か面会の使者を送ったが、半兵衛は頑として会わなかったという。そして、半年が過ぎた八月下旬、半兵衛は稲葉山城を龍興に返還し、諫めるにしては過激すぎたと反省を現し、家督を弟の重矩に譲ると、竹中家居城である菩提山城の裏山に隠居した。
秀吉が西美濃三人衆の調略に成功した辺りで小牧山に戻っていた忠繁は、信長に呼び出されて登城した。
「お呼びですか。」
「おう、入れ。」
信長は居室で帰蝶と共に昼食の最中だった。帰蝶が気を利かせて、忠繁の分も配膳を命じてくれた。
「お気遣い痛み入ります。」
忠繁は帰蝶に礼を言うと、出された湯漬けを口にした。
「稲葉山城乗っ取りの話は聞いているか?」
「はい。美濃の竹中半兵衛殿がわずか二〇名で占拠したとか。なかなかのものでございますね。」
「稲葉山城をよこせば美濃半国与えると使者を出したが、あやつめ、断ってきよった。そればかりか、あっさり龍興に返還したものだから、わからぬ男よ。」
信長はそう言い捨てると、残った湯漬けをかっ込んだ。
「忠繁。今一度、墨俣に出向いて秀吉を助けてやってくれ。何としても竹中半兵衛を織田家に引き入れよ。」
確か、半兵衛は隠居後、秀吉の説得を受けて秀吉の配下に加わっているはずである。しかし、聞いた話では、面会の使者はことごとく門前払いされているらしい。
「かしこまりました。」
忠繁は湯漬けを食べ終えると、
「ご馳走様でした。帰蝶様、ありがとうございます。」
そう言って頭を下げた。
「なに、そなたのおかげで織田家は勢いが出てきたのじゃ。このくらい礼にもならぬ。留守中、お風の心配はしなくてよい。存分に働いてきなされ。」
「ははっ。」
忠繁は頭を下げると退室し、準備を整えると再び墨俣へ向かった。
墨俣城では、秀吉が頭を抱えて悩んでいた。
「どうしたもんかのぅ。」
「半兵衛か? わしが行ってふんじばってくるか。」
「阿呆、そんな事をすれば二度と織田家へは降るまい。」
正勝の冗談にも付き合えないくらいに、秀吉は悩んでいた。これまで何度も使者を立てているが、一度たりとも半兵衛に会えたことがなかったのだ。
そんな時、忠繁が墨俣に到着した。
「信長様の命で参りました。竹中半兵衛殿を調略せよとのことですが・・・。」
「た~だ~し~げ~ど~の~!」
「ちょ、藤吉郎様。どうなさいました。」
「地獄で仏とはこのことじゃぁ。半兵衛を落とす策を考えてくれぇ。」
飛びついてきた半泣きの藤吉郎を見て、忠繁は思わず吹き出してしまった。
「笑いごとでないでござる。半兵衛の調略が成らなければ美濃は取れぬと信長様に言われてのぅ。もう、眠れぬ毎日じゃよ。」
「はは。藤吉郎様、食事でもしながらゆっくりお話ししましょうか。」
忠繁はそう言うと、食事を取りながら状況を確認した。半兵衛へは信長の使者のほか、秀吉からも何度か使者を立てているが、会えたこともないと言う。返ってきたのは、先日のお断りの言だけだ。
「なるほど。では、少し昔話をしましょうか。」
「昔話?」
「はい。中国の、明の昔のお話です。劉備玄徳(りゅうびげんとく)という小さな領地の領主がいました。この方は、かつての漢の皇帝の末裔で、戦乱にあえぐ国を何とかしたいと大望を持っておりましたが、なかなか日の目が出ず、悶々とした毎日を暮らしていたんです。」
そして、天下に覇を唱えるには優秀な軍師が必要だと、当時、天才と称された諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)を軍師に迎えようとする。劉備は自ら出向かなければ人は動かないと言って、わずかな家臣を共にして諸葛亮に会いに行く。しかし、一度目は不在、二度目は入れ違いに会えず、三度目にとうとう面会が叶った。諸葛亮は太守自ら三度も来てくれたことに感じ入り、とうとう劉備の軍師になることを決意する。
「こうして、諸葛亮を軍師に迎えた劉備は、その後領地を拡大し、天下を三部に分け、その一方の皇帝となった。というお話です。これが三顧の礼と言う故事になります。」
「なるほど。つまり忠繁殿は、わしに半兵衛の元に自ら出向け、と言いたいわけじゃな。」
「はい。藤吉郎様の大望は私も知っております。戦のない国を作る。農民一人一人が笑って暮らせる世の中にする。それは、素晴らしくも、最も困難な道のりのことです。ですが、竹中殿はわずか二〇名で、難攻不落の稲葉山城を陥落させるほどの知恵者ですから、必ず天下統一を目指す織田家の力になるでしょう。」
忠繁の言葉に、秀吉の目は輝きを取り戻したようだ。
「よし、ではさっそく行くでござる」
「お待ちください。半兵衛殿の身辺を調べ、手土産を持っていくことにしましょう。一国の将が会いに行くのです。手ぶらというわけにはいきません。」
「それもそうじゃな。半兵衛のことは調べがついておる。だいぶ病弱の身体のようじゃ。滋養に効く薬草などはいかがでござるかな。」
「いいと思います。」
「よし。さっそく用意するでござる。」
こうして、薬草をたっぷり仕入れて、秀吉と忠繁は竹中半兵衛に会うべく美濃の奥へ入った。半兵衛は隠居後、居城である菩提山城の奥、伊吹山中の庵に籠もり、毎日書物を読む日々を送っていた。この日は晴れていたが、先日までの雪のせいで、伊吹山中の行軍はなかなか苦労が伴った。
庵が見えてきたため供の者を待たせると、二人は入り口まで足を進めた。そこには数名の兵士がおり、二人の姿を見るなり槍を構えてきた。
「待て待て、敵ではござらん。竹中半兵衛重治殿に面会をお願いしたい。」
「重治様はどなたともお会いになりません。お引き取りください。」
誰も通すなと指示を受けているのであろう。無理に行こうとすれば襲い掛かってくるような気配がしていた。秀吉は笑顔のまま、もう少しだけ歩み寄った。護衛の兵士達が一斉に槍を構えた。
「そうでござるか。連絡もなしに参ったのはこちらの落ち度。では、半兵衛殿にこの薬草をお渡し願えぬか。滋養に効くと言う薬草を仕入れて参った。」
そう言って、秀吉は袋の中の薬草を見せると、そのまま歩み寄り、兵士に渡した。
「また、来るでござる。半兵衛殿によろしくお伝えくだされ。」
秀吉はそう言って頭を下げると、今来た道を戻ることにした。
「本当にこれでいいのでござるか?」
「ええ。半兵衛殿は、野心ではなく、龍興を諫めるために稲葉山城を占拠したとうかがっております。それだけ義心にあふれた方ならば、礼節を尽くせば少しは心も動くでしょう。」
その日はそれだけで引き上げた。墨俣から半兵衛の庵までは片道三〇キロほどだ。決して近い距離ではないが、秀吉には我慢するように伝えた。
二ヶ月後、今度は薬草だけではなく、この時代には貴重なたんぱく源でもある卵や、旬の野菜、尾張の海で生産した干物などを取り寄せ、それを手土産に再び庵を訪ねた。
「何度来られても重治様はお会いにはならぬ。お引き取りくだされ。」
「そうか、では仕方がないのう。しかし、手土産は食べ物ゆえ、持ち帰ってはダメにしてしまう。もったいないことをしては農家にも漁師にも悪い。」
秀吉はそう言って、持ってきた手土産を置いていくことにした。
「半兵衛殿はお身体が悪いと聞いてのぅ。置いていくゆえ、半兵衛殿と一緒に召し上がってくだされ。半兵衛殿によろしくな。」
この日も、それだけで引き上げることにした。こうして二度目の訪問を終えた後、三度目は、日付を指定する書状を送ったうえで訪問することにした。すると、今度は見張りの兵士達も槍を構えることはなく、
「重治様がお会いになるそうです。どうぞ。」
と、あっさりと中へ通してくれた。秀吉が驚いた顔をして忠繁を見てきたため、忠繁は笑顔で頷いた。
庵の中は思いのほか広く、しかし、所狭しと書物が積み上げてあった。その中に、色白で細身の青年が待っていた。この時、半兵衛は弱冠二二歳、秀吉二九歳である。
「何度もお越しいただきかたじけなく思います。また、何度も門前払いにした非礼をお詫びいたします。」
「いやいや。お身体が弱いとうかがっておったのでな、気になさらぬようお願いいたします。」
「改めまして、竹中半兵衛重治でございます。木下藤吉郎秀吉様、そして、霞北忠繁様ですね。義父、安藤守就よりお話はうかがっております。」
半兵衛はそう言うと頭を下げた。
「織田家への任官の件、義父からもお話を承っておりますが、なにぶん、病弱の身、表に立つのは身体への負担が大きいので、こうして隠居した次第にございます。」
「それも承ってござる。しかし、信長様の天下統一には、是非とも半兵衛殿の力が必要なのじゃ。そこをどうか、力を貸してほしいのでござる。」
「ありがたきお言葉。しかし、この病弱な身では、なかなか思うようなお勤めもできぬと考えております。」
半兵衛の態度は頑なだった。庵の中に通したからには、少しは見込みがあるのかと思ったが、そうでもなさそうだ。
「半兵衛殿は、どうして今日は中に入れてくださったのですか? いつもは門前払いでしたのに。」
忠繁の言葉に、
「秀吉様は墨俣のご城主の身、しかしこれまで二度も私のために薬草や食べ物をお持ちになっていただきました。何度も門前払いでは礼を失すると考えたのです。」
半兵衛はそう答えたが、忠繁には何となく腑に落ちないことがあった。
「本当にそれだけですか? 半兵衛様は類まれな才能をお持ちの方と認識しております。条件次第では、織田家に付いてもよいとお考えなのではないですか?」
「これ、忠繁殿。条件などと言っては半兵衛殿に失礼、今日、こうしてお会いできただけでも嬉しいのでござる。」
秀吉はそう言うと、
「先日の贈り物は召し上がっていただけたかな。」
そう言って話を変えてきた。
「ええ、美味しくいただきました。薬草も効き、このところは身体の調子も良うございます。」
「それは僥倖じゃ。あれは、わしが世話になった漁師や農家から分けてもらったものでな。半兵衛殿の話をしたら、笑顔で分けてくださった。皆、このことを話せば喜ぶであろう。」
秀吉の言葉に、半兵衛は驚いたようだ。
「あの、秀吉様自ら買い求めに?」
「伝手があってな。書状を書いたら皆、快く送ってくれたぞ。」
秀吉は幼少のころにいろいろな仕事を経験している。そして、織田家で取り立てられてからもその付き合いは深く、特に楽市・楽座が敷かれてからは、各地の農民や商人達を尾張国内に招き入れていた。
「秀吉様は、他の武将とは違うのですね。」
「ん? わしはけっきょく農民出じゃからな。下々の者が笑っているのを見るのが何よりうれしいのでござるよ。」
その時、明らかに半兵衛の表情が動いたことを、忠繁は見逃さなかった。
「半兵衛殿。信長様の大望は天下統一にございます。しかし、それは単に野心だけではございません。人が人を、親が子を、兄弟を、殺し合いに発展させてしまうこの時代を終わらせたいと考えているのです。そのために、半兵衛様にお力添えを願いたいと申し出たのでございます。先般、美濃半国をと言われて気分を害されたかもしれませんが、それは信長様が上からの目線で申し上げたのではなく、半兵衛様ならこの美濃を豊かにでき、領民達が笑顔で暮らせる政をしてくれると期待されたからにございます。」
それを聞き、半兵衛は大きく息を吐いた。そして、おもむろに立ち上がると、縁側へ出て伊吹山中の木々を見つめた。
「戦のない世の中。下々の者が笑って暮らせる世の中。本当にそんな時代が来ると思いますか?」
その言葉に、秀吉も忠繁も間髪入れず、
「来るでござる!」
「来ます!」
と、同時に答えた。その二人の真剣な顔を見て、半兵衛は破顔した。
「ふふ。お二人は信じておられるのですね。そのような時代が来ると。」
そう言うと、再び二人に対して座ると、深々と頭を下げた。
「この竹中半兵衛。三顧の礼を持って接してくださったお二人に報いたく、織田家にお仕えしたいと思います。」
「おお。」
「ただし。病弱の身ゆえ、前線で働くことは叶いません。ご配慮いただければ幸いです。」
「わかった。信長様へはわしからよくよくお伝えいたそう。半兵衛殿が力を貸してくれれば、信長様の天下統一はまた前へ進むことができる。目出たいぞ! 目出たいぞ!!」
秀吉は両手を上げて喜んだ。こうして、半兵衛は信長に降り、いよいよ稲葉山城を攻める算段が整ったのである。永禄九年(一五六六年)九月のことである。伊吹山中はすっかり秋めいて、紅葉が広がっていた。
続く。
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命軍師・竹中半兵衛が織田陣営に加わりました。
ますます層が厚くなる織田家、
いよいよ信長の天下取りへの道が開きます。
水野忠