第二章 織田家の発展⑥
ようやく小牧山に戻ってきたときには、信長に呼び出されてからすでに三日が過ぎてしまっていた。丸々三日間、家を空けたことになる。秀吉に断って、一度帰宅することにした。準備もあったが、お風をほったらかしにしてしまったので、墨俣に行く前に一度帰っておきたかったのだ。
「ただいま。」
「忠繁様、お帰りなさいませ。」
忠繁の心配をよそに、満面の笑顔でお風は出迎えてくれた。
「すぐ食事にいたしますね。」
「ああ。お風、後で話がある。」
「はい。」
二人で食事を済ませた後、忠繁は後片付けもそこそこに、お風を座らせると話を切り出した。
「出陣が決まった。藤吉郎様と一緒に美濃へ行くことになった。しばらく留守にするので、ここは任せるよ。寧々様にもお願いしてあるから、一人が不安なら寧々様のところで待っていなさい。」
「戦に、行かれるのですか。」
「そうだ。大丈夫、藤吉郎様も一緒だし、心強い味方もできた。」
戦と聞いて不安そうな表情を見せたが、
「わかりました。留守はお任せください。ご武運をお祈り申し上げます。」
健気に笑顔でそういうのだった。お風と過ごしたこの数年、楽市・楽座や街道の整備などで帰れない日は何度もあったが、戦に出るのは初めてのことだった。当然、そこには死が付きまとう。お風が心配するのも無理はない。しかし、ここは戦国時代。女は男の無事を祈って待つしかできない時代なのだ。
その日の夜、二人は布団を並べて休みに付いた。お風は寝付きがいいのですぐに寝息を立て始めた。その寝顔を優しい気持ちで見つめると、忠繁は棚から電子タバコを取り出し、庭先に出て火をつけた。数年ぶりに紫煙を吐き出すと、暗がりの中に舞っていき、やがて消えていった。電子タバコは放っておいても充電が切れるが、幸い、ソーラーパネルの付いた充電器があるため、見つからないように充電することができた。
忠繁は、もったいないかなと思いながらも二本目に火を付けようとした。もし、墨俣で何かあれば、これが最後の一服になるかもしれない。そんなことを考えて、頭を振って否定した。また戻ってくる。そしたら、再びここで吸えばいいのだ。そう考えなおして、火を付けずにそのまま棚に戻した。
翌日、曇り空が広がる中、寧々とお風に見送られながら、忠繁は秀吉と一緒に小牧山を出発した。出発して早々に振り出した雨は、夕方に瑞龍寺山に付くころには豪雨になっていた。瑞龍寺山は斎藤家居城、稲葉山城の目と鼻の先である。ここには、正勝が声をかけた野武士仲間五〇〇〇人と、秀吉が手配した大工など一八〇〇名が木を切り出して、組み立てられるように加工を行っていた。
二日目には仕上がった木材を筏にしてくみ上げ、長良川に落とすとそのままそれに乗っかって長良川を下った。忠繁が感心したのはさすがに秀吉である。七〇〇〇人近い人間を統率して指示をしていく秀吉は、さすがに天下を駆け上っていく天下人の風貌が見えた。
「よし、筏は墨俣まで一気に下れ。途中、川岸にある小舟は破壊してかまわぬ!」
そうすることで、斎藤勢が上流から船で攻め込んでくることはなくなるのだ。すべての筏を出発させると、忠繁と秀吉は最後の筏に乗って長良川を下った。連日の大雨で水笠の増した川を下るのは怖かったが、この雨が秀吉達の姿を隠してくれているのだ。
墨俣に到着した頃には、引き上げた木材を城の形にするべく配置を決めて運び始めていた。
「藤吉郎様、皆さんを一度集めてくれませんか?」
「わかった。」
秀吉はいったん作業を止めさせ、全員を集めさせた。
「何をする気じゃ?」
「いつ敵に襲われるかわかりませんから、一刻も早く組み立てなければなりません。そのために皆さんに競争をしてもらいましょう。」
忠繁はそう言うと、木箱を持ってきてその上に立った。
「これから、皆さんを一〇の組に分けます。秀吉様から給金は日々支払うことにします。持ち場の作業を一番早く終わらせた組には、日当の五倍の給金を払います。二番目には三倍、三番目には二倍の給金を出します。四番目以降は通常の日当を支払います。その代わり、一番早くても仕上がりが雑だったり、いい加減な仕事をしたらやり直しです。特に蜂須賀党の皆さんは、ここを完成させて美濃が攻略できれば、晴れて野武士から侍になります。みんなで力を合わせて、この墨俣に城を築きましょう!」
五倍という言葉を聞いて、集まった面々の表情がぐっと明るくなった。そして、一番に仕上げるんだと、我先にと持ち場へ散っていった。
「おぬしは人の心を動かすのがうまいな。」
「ふふ、藤吉郎様ほどではございませんよ。私にはこんなに大勢の方に、的確に指示を出して動かすことはできません。」
こうして、競争を促したことで作業は進み、この日の夜には外枠が完成し、翌日には櫓や屋敷も組み立てることができてしまった。木を切り出した際に、あらかじめ加工を施していたので、ここでは組み立てるだけでよかった。そのため、この作業は短時間でできることが可能になったのだ。そして、墨俣に渡ってきて三日目の早朝には、立派な城が出来上がっていたのだった。
霧が晴れ、対岸の美濃の砦が見えてきた。ここからでも見張り台の美濃兵が動揺しているのが見てわかった。暴風雨だったとはいえ、相手にしてみれば、突然何もなかった場所に城が出現したのである。信心深いこの時代のことだ。さぞかし驚いていることであろう。
「皆の者! 間もなく美濃勢が攻めてくる。防戦の準備じゃ!」
秀吉はそう言って戦いの準備に入った。大工などの非戦闘員は報酬を払って裏から逃げさせた。ここに残ったのは正勝が集めた野武士の集団五〇〇〇名だ。それに、平城と言っても、この墨俣城の外周はしっかり組まれた城壁に囲まれていた。城攻めは立てこもった兵の数倍の兵力を必要とすると言われている。それが証拠に、翌日に二〇〇〇名ほどの美濃勢が現れたが、上流の船も流されてしまっているため、攻撃らしい攻撃もできずに撤退していった。
秀吉の指示で、墨俣城はさらに櫓を立てたり、外壁を補修したり強化を図った。信長が来る頃には、誰にも文句を言われないような立派な城となっていたのだ。信長は勝家や信盛など、普代の重臣を連れて援軍に駆けつけてくれた。秀吉が美濃攻めを請け負ったあの日からまだ一〇日と過ぎていない。
「サル、忠繁。ようやった。美濃が攻略できたら、その功績第一はその方らじゃな。」
「ははっ、ありがたき幸せにございます。」
信長は満足そうに宿舎の中に入っていった。見送る忠繁達の前に、勝家や信盛が複雑な顔で近づいてきた。
「新参者同士、うまくやったようだな。」
皮肉を込めているのか、勝家は納得のいかなそうな顔をしていた。無理もない、織田家の重臣が再三攻めても戦果が上がらなかった美濃攻めを、家臣も持たないような秀吉や忠繁が短期間で成し遂げたのだ。それも、勝家達が思いもつかないような突飛な方法で。面白くもないだろう。
「へへ、勝家様。」
「サル、墨俣に城を築いたはあっぱれだが、美濃が取れたわけではないからな。」
「はい。おっしゃる通りで。」
秀吉はすっかり委縮してしまっている。勝家は『鬼柴田』ともいわれるくらいの猛将だ。武芸にも秀でているため、秀吉がそうなってしまうのも仕方のないことであった。織田家という企業の一般社員と新入社員の二人が、取締役クラスの重役ができなかったことをやってしまったようなものなのだ。
「おそれながら・・・。」
「なんじゃ、忠繁。」
「いえ。この度の墨俣築城は、藤吉郎様達だからこそできた策略でございます。」
「なんじゃと?」
「藤吉郎様はご存じのとおり農民から身を立てている方です。声をかけた蜂須賀党も野武士の集団、正規の戦いが得意なわけではございません。この戦略を考えた時に藤吉郎様はまさか、柴田様や佐久間様が、山に籠って泥だらけになって木を切り出すなど、そんな恐れ多いこと提案できるはずもございませんでした。それですので、自らやると志願されたのです。されど、ここからは正規の戦いができる方でないと美濃は攻略できません。まさしく適材適所、ここからが柴田様方、普代のご重臣の皆様の腕の見せ所でございます。私も藤吉郎様も、柴田様や佐久間様の戦いぶりを見て、大いに学ばせていただきたいと考えております。そうですよね、藤吉郎様。」
遠回しに勝家達プライドの塊にはできないだろうという嫌味を込めたのだが、それが伝わるわけもなかった。自慢の戦いぶりを見たいと言われて、むしろ上機嫌になったようだ。織田家へ来てから、自分や秀吉など、後輩達へのあたりの強い勝家が苦手であったが、墨俣の築城に関しては、鼻を明かせたと満足していた。
「そ、そうじゃな。柴田様、今後のために学ばせていただきとうございまする。」
「ふん、殊勝な心掛けじゃ。よかろう、鬼柴田の戦ぶり、とくと目に焼き付けよ。はははっ!!」
勝家は豪快に笑いながら宿舎に入っていった。他愛もないものだと忠繁は微笑んだ。見送り終わると、秀吉が大きく息を吐いた。
「おぬしは、まったく心臓に悪いわい。よくあの柴田様に物言いできるものじゃ。」
「今回の功績一は誰が何と言っても藤吉郎様です。誰にも文句は言わせません。ただし、表立って喧嘩はできませんが。」
そう言って笑う忠繁をみて、秀吉は何とも言えぬ複雑な表情を見せた。
「さて、墨俣城主の木下秀吉様。稲葉山城攻略に、もう一仕事しましょうか。」
「おぬしには敵わぬよ。して、何をするのじゃ?」
「勝家様達が稲葉山城を攻めている間、藤吉郎様は斎藤家の重臣達を調略していくのです。」
忠繁が明智の庄にいたのは一年ほどであったが、その時に光秀からは、斎藤家の内情をよく聞いていたのだ。墨俣攻略がうまくいったとはいっても、稲葉山城は堅城。早々に落ちるものではなかった。忠繁は稲葉山城が落ちる前に、斎藤家の切り崩しを狙おうとしたのだ。
「私が明智の庄にいたころ、光秀様からよく聞いていた名があります。大沢次郎左衛門様です。この方を味方に率いることができれば、他の有力者達も動くかもしれません。」
大沢次郎左衛門正秀(おおさわまさひで)、『鵜沼の虎』と称される斎藤家でも有力者だった。
「よし、大沢次郎左衛門じゃな。さっそく調べてみるでござる。」
秀吉はそう言ってうなずいた。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます。\(^o^)/
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鮮やかな墨俣一夜城築城でした。
次回は美濃勢の調略に入っていきます。
秀吉ガンバレ\(^o^)/
水野忠




