第二章 織田家の発展⑤
翌日、小牧山城の広間では、主だった信長の家臣が集まり、勝家の敗北が知らされ、今後の美濃攻略についての軍議が開かれた。なんとも今日の軍議は重苦しいものであった。無理もない、織田家の重臣中の重臣である佐久間信盛、柴田勝家が続いて攻略に失敗したのだ。誰が次の攻略部隊の指揮を執るか、なかなか手を上げる者はいなかった。
「これだけいて、美濃を攻め取ろうという者はいないのか。」
信長のイラついた声が響いた。そんな中、恐る恐る手を上げる者がいた。
「せ、拙者が行くでござる。」
そう、秀吉だった。
「サル。貴様が美濃を攻めると申すのか。」
集まった者達がざわめき始めた。無理もない。この頃の秀吉はまだ駆け出しの武将で、政治面での実績はあっても戦での実績は無いに等しい。そんな秀吉が、重臣が敗れ続けた美濃攻略をすると名乗り出たのだ。
「サル、わしと信盛が攻めても戦果が上がらなかったというに、貴様に何ができるというのだ!」
農民出の秀吉を、譜代の重臣である勝家が気に入らないというのは、現代でも残っている有名な話で、その確執が信長の死後、北の庄での柴田家滅亡へと繋がっていく。
「そうじゃ。出しゃばるな!」
口々に批判の声が上がった。その様子を、腕を組んで見守っていた信長だったが、小姓から刀を引っ手繰るとその鞘尻(鞘の先端部)を床に叩きつけた。ざわめいていた広間が一瞬で静まり返った。
「サル、しくじった時はどうする。」
「農民の出とは言え。せ、拙者も武士の端くれ、失敗したときにはこの腹、切ってお詫び申し上げる!」
「ふっ、貴様のむさい腹など切っても何の得にもならんわ。」
信長のその言葉に、家臣達は笑った。しかし、信長は表情を変えないまま、忠繁を見つめた。
「忠繁、そなたはどう思う。」
「あ、そうですね・・・。」
この時、自分の知りうる限りの歴史の記憶を呼び起こし、多分そうであろうと考えて発言をした。
「それでは、恐れながら申し上げます。柴田様も佐久間様も、織田家の中では重臣中の重臣。当然、斎藤家側としては、次に攻めてくるのは可成様や長秀様、あるいは信長様ご本人の出馬を予想していると思います。藤吉郎様には申し訳ないのですが、斎藤家の中ではまだまだ木下秀吉様の名前は無名、それ故に、ついに織田家は無名の大将を出すほど困窮したかと、油断するはずです。その油断が、つけ入る隙になるのではないかと考えられます。」
事実、後世に残る資料にも、秀吉の名前は斎藤家には知られてなく、油断したと残されているものもある。当然、勝家や長秀と並ぶ重臣である可成や、長秀辺りが出てくると考えているはずであった。
「一理あるな。よし、サルに美濃攻めを命じる。」
「ははっ! ありがたき幸せに存じ上げまする。」
「何か必要なものはあるか。」
「では、人足を雇う銭をお貸しくださいませ。」
「よかろう、好きなだけ持って行け。」
「それから、忠繁殿をお借りしとうございます。」
「かまわん。」
こうして、忠繁は秀吉の美濃攻略を手伝うことになった。軍議が終わると、秀吉は忠繁を自宅に誘った。秀吉は何かを思い詰めているのか、途中で買い物をしても、家の前に着いても、何かをずっと考え黙ったままであった。忠繁にしてみれば、いつもはおしゃべりで元気な秀吉が大人しいので心配したが、何か考えがあるのだろうとそっとしておくことにした。
秀吉の家では寧々が出迎えてくれた。
「寧々様、突然お邪魔して申し訳ありません。」
「いえいえ、お気になさらずに。」
「これ、途中で買ってきた春鰹です。お料理していただけますか?」
「まぁ! 忠繁様は本当に気の付く方ですね。藤吉郎殿、見習ってくださいな。」
「ちぇっ、おめでたいやつだな。」
ふてくされる秀吉を笑いながら、二人は部屋に入ると、秀吉の用意した地図を広げて作戦会議を開いた。
「まさか本当に志願するとは思いませんでした。」
「昨日、そなたが背中を押してくれたからな。」
「でも、何か策はおありなんでしょう?」
「・・・。」
秀吉は困ったように顔をしかめると、がっくりと肩を落とし、そして、観念したように声を絞り出した。
「無策じゃ。」
「えっ?」
「無策じゃ! わしには策もなければ、率いる兵もない! だからおぬしを借りたのじゃ。背中を押した責任を取ってもらうでござるぅ!」
涙目で訴える秀吉を見ると、なんだか微笑ましくなってしまった。忠繁の知る秀吉は、農民から身を起こし、信長の下で大成し、その遺志を継いで天下を統一した『天下人・秀吉』である。しかし、今、目の前にいるのは、若気の至りで困難に乗っかってしまった悩める『青少年・秀吉』の姿であって、それが忠繁には新鮮で、また、その秀吉が自分を頼ってくれることが嬉しかった。それに何より、ここでの生活をするうちに、秀吉は忠繁の大事な友人の一人にもなっていたのだ。こう素直に懇願されると、ついつい助けたくなってしまう気にさせる。それも秀吉の天性の才能だと思った。
「では、一緒に考えましょうか。」
忠繁は尾張と美濃を書き出した地図を眺めた。そこにはいくつかバツ印が付いており、その先に美濃の稲葉山城が記されていた。
「藤吉郎様、このバツ印はなんですか?」
「ああ、柴田様と佐久間様が敗れた場所でござる。確か、墨俣という場所でござるな。ここは川がいくつかある場所で、移動が困難なのじゃ。お二方とも、ここで奇襲を受けて退かれたそうじゃ。」
「すのまた・・・。やっぱりそうでしたか。あの、藤吉郎様の人脈で、一緒に戦ってくれそうな方はいませんか?」
「野武士仲間がおるが・・・。そうか、彼らに声をかけるのか。」
「はい。野武士と言っても、なかなか生計を立てるのは難しい方々でしょう? 藤吉郎様がこの機会にごそっと雇ってしまいましょう。日の目を見させるのです。数はどのくらいになりそうですか?」
「そうじゃな。幼馴染の蜂須賀小六というのがこの辺りの野武士の頭領じゃ。あやつが味方してくれれば、五〇〇〇は下らん野武士が集まるな。」
「それはすごいお方ですね。」
蜂須賀小六正勝(はちすかまさかつ)、秀吉の最初の家臣であったといえる。秀吉の先鋒大将として各地を転戦し、その天下統一を支えた。秀吉の天下統一が成ると、家督を家政(はちすかいえまさ)に譲り、阿波(現在の徳島県)一国を継がせ、蜂須賀家の家祖となった。
早速、明日にでも出向いてみようかという話になった時、秀吉の家に来客があった。
「秀吉、お邪魔するよ。おぅ、忠繁も一緒か。」
「可成様。」
二人は頭を下げたが、可成は「今夜は無礼講だ。」と言って笑った。可成は根っからの武士であり、織田家の中でもかなり立場の高い位置にある人物である。忠繁に武芸を教え込むほどの腕を持ちながら、普段は温厚で人当りもよく、後輩や部下の面倒見もいい。忠繁はそんな可成の人柄が大好きであった。
「軍議では見事な気概を見せられましたな。ほれ、激励に酒を持って参った。」
「かたじけのうござる。」
「しかしな。心配もしているのだ。秀吉殿は手勢もなかろう、いったいどうするつもりなのかと思ってな。」
その時、寧々が料理を用意して持ってきてくれた。この時代には刺身などの料理法は、海沿いの漁師のごく一部にしかなかったと言われている。寧々が持ってきたのも焼いたり酢と和えたりしたものであった。
「いや。これは寧々殿、お邪魔が増えて申し訳ない。」
可成が頭を下げると、寧々は恐縮して頭を下げた。
「い、いえ。このような狭苦しいところにお越しいただき恐縮です。どうぞごゆっくりなされてくださいませ。」
「はは、かたじけない。誠、寧々殿はしっかりした奥方だのぅ、秀吉殿。」
可成は笑いながら、持参した酒を注いでくれた。酒を飲みながら、秀吉はここまで決めたことを伝えた。野武士を活用してというのは面白い作戦だと、可成もうなずいてくれたが、しかし、すぐに表情が硬くなった。
「しかしな。墨俣を抜けるのにはいくら数が多くてもなかなか一筋縄ではいかぬぞ。あそこは移動が困難で川もある。聞くところによると、その先の砦では斎藤家が守備を固めているという。勝家殿も信盛殿もそこでやられたのじゃ。」
「墨俣に足場を築くのが大事ってことですな。」
「しかし、墨俣周辺は足場が悪い。あそこに砦を築こうとすると、察知した美濃兵が筏を使って川から攻めてくるので工作どころではなかったそうじゃ。」
その後、可成は勝家や信盛から聞いた話をできる限り二人に伝え、
「では、邪魔をしたな。秀吉、忠繁、武運を祈っておる。必ず戻ってくるんじゃぞ。」
そう言って帰っていった。秀吉の今までにない大きな仕事の成功を祈って、激励とできる限りの情報を持ってきてくれたのだ。
「これは、失敗できませんね。」
「だな。」
二人は遅くまで打ち合わせを繰り返し、何とか期待にこたえられるように作戦を固めていった。
翌朝、日の出前に二人は出発した。小牧山城下から蜂須賀小六の屋敷までは二〇キロほどある。かつて、光秀と共に尾張から美濃に出るのにへばっていた忠繁だったが、可成との訓練が効いているのか、ここ数年で体力が付き、昼前には到着することができた。
そのあたりでは立派な屋敷の前で、どうやって声をかけようか考えていると、
「おぅ! この屋敷に何か用か!」
と、威勢のいいガラの悪そうな男が声をかけてきた。どうやら屋敷と反対側の茂みにいたらしい。なにをしていたかはわからないが、二人ともまるで気が付いていなかった。
秀吉は小さな身体を精一杯背を伸ばし、胸を張って口を開いた。
「小六はいるか?」
「なんだと?」
「お前の主、小六に日吉が来たと伝えてくれ。」
日吉(ひよし)というのは、秀吉の幼名である。男は屋敷の中に入り、しばらくすると、忠繁よりも身長があり、身体つきの立派な男が顔を出してきた。額には古傷があり、腕も傷だらけだ。まるで時代物のアクション映画に出てきそうな悪者らしい姿に、忠繁は目を見張ってしまった。
「懐かしい名前を聞いたと思ったら、おめぇ本当に日吉じゃねぇか。」
「久しいな小六。今は織田信長様の家臣、木下藤吉郎秀吉様じゃ。」
「けっ! 自分で様をつけてりゃ世話ねぇわな。そっちの男は日吉の子分か?」
「馬鹿言え。同じく信長様の家臣、霞北忠繁殿じゃ。小六、今日は折り入って話が合って参った。男と男の話がしたい。」
秀吉の真剣な表情に何かを感じ取ったのか、正勝は二人を屋敷の中に招き入れた。屋敷の庭先には正勝や入り口であった男のような強面の男達で溢れかえっていた。例えるなら、織田家が新興企業の会社としたら、ここはその地域を裏で取り仕切るやくざの事務所だ。二人は屋敷の大きな座敷に上がり、そこで正勝に話をすることになった。
「それで、日吉の話ってのはなんだ。まさか織田家に任官しろなんて言わねぇだろうな。」
「そのまさかだ。」
「気に入らねぇ。今川義元を討ち取ってから、町はどいつもこいつも信長様だ。お前も知っての通り、俺達野武士は誰の下にも付かん。我ら蜂須賀党は勤皇第一じゃ。」
「ならば、なおさら小六は信長様に仕えるべきじゃ。」
「なんだと?」
「蜂須賀党が勤皇を叫ぶなら、我らが御大将も勤皇には重点を置いておる。信長様は毎年、天皇家へ多くの貢ぎ物や金子を工面している。ほかの大名がそんなことするか。立場は違えど、志は一緒じゃ!」
「ふむぅ。」
正勝は秀吉の言葉に腕を組んで黙ってしまった。忠繁はそのやり取りを見ていたが、ここら辺で助言するべきと考えていた。現在の営業でもそうだが、二対一のセールストークは説得力が増す。
「蜂須賀様。藤吉郎様のおっしゃる通り、蜂須賀の皆様が勤皇を第一とされるのであれば、今のまま、野武士でいるよりも、藤吉郎様と一緒に信長様に仕え、もっと天皇家へ近いところで働かれてはいかがですか? 今度のお役目は困難ですが、成功すれば織田家での地位は約束されましょう。野武士で終わるか、侍として終るか、よくお考え下さいませ。」
腕を組んだ正勝は、立ち上がると庭先から空を見上げて何か考えているようだった。正勝としても、このまま山賊まがいの野武士のままでは、勤皇などといくら言っても負け犬の遠吠えにしかならなくなることを知っていた。
「・・・わかった。日吉、お前に賭けてみよう。ただし、俺もみすみす仲間を死なせるわけにはいかねぇ。何か策はあるんだろうな。」
「大丈夫だ。忠繁殿が考えてくれた作戦で行く。」
秀吉は正勝に耳打ちして作戦の概要を伝えた。最初は目を丸くしていた正勝であったが、
「忠繁とやら。お前さん、見た目は優男だが、考えることは豪快でいいな。気に入った。よし、誰か酒を持ってこい!」
そして、気を良くした正勝は手下共を呼び出し、真昼間から酒宴を開いて騒ぐのであった。その日は夜遅くまで酒宴は続き、翌朝になると、正勝の命令で蜂須賀党の面々が一人、また一人と屋敷を出ていずこかへ消えていった。ここから、秀吉達の美濃攻めが始まったのである。
続く。
ここまでお読みいただきありがとうございます\(^o^)/
「面白い!」「続き読んでもいいぞ!」という方は、
ぜひ高評価お願いいたします!
また、周りの方にもおススメしてくださいね!
いよいよ歴史の名場面、
墨俣一夜城が始まります。
秀吉の活躍にもご注目ください。
水野忠